7. 依存
目を覚ますといつもと変わらない朝だと一瞬忘れかけたが、首筋の痛みに全てを思い出した。
暖炉の前でにんまりと笑みを浮かべているニコライにイラッとしながらベッドから起き上がって開けかけた服を直す。
「おはよう。」
「昨日のアレ、どういうこと?」
「どうも何もヒルベルトが言ってたでしょ。新月は獣じゃ満たされないって。」
「それと昨日のアレとどう繋がるのかわからない。」
首筋に触れながら思い出してみても何かされている感覚はあったが、実際にそれを見たわけではないから一瞬浮かんだ考えをすぐに否定した。
昨日だって日の光を浴びながら薪割りをしていたし、食事だって普通に取ってる。
銀食器だって平気だった。
「まだわからない?それともわかりたくないとか。」
「…。」
「どう思っていても関係ないけどね。俺はハンナの血が気に入ったからこれからの主食はそっちにする。」
「血!?」
「暗殺者って別名吸血鬼とも言うんだ。だから人間は対価の贄を差し出して俺達を雇う。古くから続く関係性だよ。」
「贄って…私もそのために連れてるってこと…?」
「はぁ。」
「なにか間違ってる?」
「贄のつもりなら全身の血液奪って殺してるから。そろそろ分かれよ。」
そんなことを言いながら近づいて来た彼はそのまま後ろに座ると背中側から抱き込んでくる。
どういうつもりだと身動ぎしてみても力でかなう相手ではないことはすでに実証済み。
ピリピリと痛む首筋をぺろりと舐められ、思わず声が漏れそうになったが口を押さえて何とか止めることができたようだ。
「…やっぱ甘くて美味い。」
「何して…。」
「新月の影響でまだ足りないからもう少し貰おうかと思って。」
「は?ふざけ…!」
「ふざけて無いよ。ちょっと貧血になるかもしれないけど、俺のためならいいよね。」
カプリと噛み付かれると前回とは違いすぐに鎮静作用の効力が出始めるようで抵抗どころかただ虚ろに宙を見ている。
負担を掛けるのは趣味ではないが、あんなに美味しい血液を飲んだあとに獣の血を飲む気になんてなるはずもない。
全身を駆け登る研ぎ澄まされた感覚にもう彼女を手放すことなどできないだろう。
いや、最初から手放す気など無かったかと自分自身に苦笑しながらハンナの血液を味わっていると近づいてくる足音。
ここに来られるということは同族かと目を向ければ、扉を壊しながら室内へと入ってきた。
黒のボディースーツを着た銀髪の女性はちらりとこちらを見てから少し驚いた表情を見せる。
「ニコライが人間の血を飲むなんてどういう風の吹き回しかしら。確かに甘い匂いはするけど、貴方のお気に入りになるには色々と不足しているみたいね。」
殆ど意識のないハンナを上から下まで見ながらそう言うと壁に寄り掛かった。
面倒な相手だと思いながらも、無視し続けるわけにも行かないかと牙を抜けば同時に彼女の瞼が閉じられそのまま眠りについていく。
「イングリッドか。何の用?」
「公爵令嬢の暗殺に失敗したらしいわね。」
「恐怖は与えられたから問題ないよ。それにいい拾い物もしたし。」
「拾い物ってその人間?何処がいいのか私には理解できないわ。」
「それを言いにわざわざ?暇人だね。」
「そんなわけ無いでしょ。あの方がその人間に興味を持ったみたいでね。贄として連れて来いって命令なの。」
そう言いながら視線を足元に下ろしたのと同時に腹部に激しい痛みを感じる。
ぼとぼとと赤黒い液体が床に落ちるのが見え、それは彼の腕が貫通したことによるものだと理解した。
「誰を贄にするって?もう一回言ってみろよ。」
「…っ。」
「これは俺専用なの。誰の贄にもさせない。」
そう言って腕を抜くとべっとりと付いた血を舐めて不味いと溢してから近くにおいてあった桶に入った水でゴシゴシと洗い落としてからハンナの元へと戻っていく。
ベッドですうすうと寝息を溢す彼女を抱き上げて先程の体制にすると再び首筋に噛み付き至福の表情で吸い始める。
「ふぇふあ、ふぅ。」
「なんて?」
「床掃除と扉の修理。ちゃんとしてよね。」
「貴方がやったんじゃない。」
「扉は違う。」
「…それで、差し出す気はないというの?」
「当然。」
すうっと目を細めながら歪な笑みを浮べる彼に、イングリッドは自分の血を吸い取って傷を癒やすと大きなため息を溢した。
「私は知らないわよ。彼の意に反すればどうなるかは想像できるでしょう。」
「んーそうだなぁ。どうせこの会話も聞いてるんだろうし、まどろっこしいことしないで直接来れば?もしかしたらベッドに落ちてる髪の毛一本くらいなら持って帰れるかもしれない。」
誰も居ない壁に向かってそういった彼はこれ以上話す気はないとでも言うように彼女の首筋に顔を埋めてしまうのだった。