2. 連れ去り
あれからどれくらい経ったのだろうか。
死を覚悟していたのに、しっかりとしてきた意識に助かったのだと理解して視線を彷徨わせてみる。
見覚えのない黒い天井。
診療所にしては埃っぽい場所だと身体を起こしてみると腹部に感じた鋭い痛みに動いたことを早速後悔した。
「起き上がるとか馬鹿なの。」
いきなり人を馬鹿呼ばわりする声に視線を上げると黒髪に真紅の瞳の男が立っており、首には猪が掛けられている。
長身で筋骨隆々な彼。
知り合いではないはずだが、その瞳には何故か見覚えがあり、まさかとあり得ない考えが浮かんできた。
「…貴方、お嬢様を殺しに来た…?」
「そ。お前のせいで失敗に終わったけど。」
「…人質のつもり?私は一介の侍女。何の役にも経たないけど。」
「煩えな。その口閉じないとほんとに殺すよ?」
「どうぞ。」
痛む身体にむちを打って向けられた剣の目の前に立つ。
暗殺者の人質になってナディアの足枷になるくらいならここで殺されるべきだろう。
一度死を覚悟したのだから怖くないと自分に言い聞かせながら彼を見据えるとその剣は鞘へとしまわれていく。
「殺さないの?」
「まだ、ね。」
「じゃあ解放して。」
「それは無理。」
彼は猪を地面に下ろすとナイフで解体し始めた。
しばらくそれを眺めていたが、腹部の強い痛みに立っているのは無理そうだとその場にしゃがみ込めば大きなため息が聞こえてくる。
急に視界が反転したかと思うとベッドに寝かされ、服を開けさせられた。
「な、何するつもりっ!?」
「開いた傷口を止血するだけだよ。お前の貧相な身体に興味ない。」
「貧相って…痛!」
ナディアと比べたら確かに貧相な身体かもしれないが、そこまで言われる筋合いはない。
そう言い返したかったのに、傷口を強く押さえられ痛みで涙が出てきた。
「そうやって泣いたら少しくらい優しくしてあげるのに。」
「貴方になんかっ。」
「貴方じゃない。ニコライだ。」
そう言いながら丁寧に巻かれていく包帯。
やっと終わったことに安堵の息を吐いていると彼の手が近付いてくるのが見え、思わず目を閉じる。
そろりと当てられた手は涙をすくい取っただけのようだ。
瞼を開くと既に移動していたようで、再び猪の解体をし始めていた。
開けていた服を戻してから天井へと視線を向ける。
これからどうしよう。
今は少し動いただけで出血するのだ。
逃げる機会が来るまでは彼の機嫌を損ねないよう大人しくする。
それが今できる最善の策だと目を閉じるのだった。