1. 始まり
私がこの世界に転生したのだと気付いたのは、幼少期の悪役令嬢であるナディア・プレイステッドの侍女に任命された日のことだった。
生前寝る間も惜しんでプレイしていた乙女ゲーム。
まさかの配役に最初の頃は不満だらけだったが、彼女の可愛さにいつの間にか絆され、今では楽しみを見出しているくらいだ。
そんな彼女も15歳の誕生日を迎え、悪役令嬢としての頭角を出し始めたが、自信に見合うだけの努力を怠らずにいるのだからヒロインに対する態度も頷ける。
いつも通り彼女が眠ったのを確認し、部屋を出るつもりでいたのだが、これはどういう状況だろうか。
背中に感じる痛みは床に押し倒された時のもので、首筋に突き付けられた剣は少し食い込んでいるのか。
ズキズキと痛む。
今日は厄日だ。
「あっちが標的?まぁ、いっか。」
「標的…?貴方は一体。」
「今から死ぬのに知る必要ないよね。」
その言葉になるほど、死ぬのかと冷静に受け止められたのは乙女ゲーム内でこのシーンを見たことがあるから。
王子との婚約をよく思っていない人物が暗殺者を雇い、そして一人の侍女がそれに巻き込まれて命を落とす。
それが私だとは思ってもみなかったが、ナディアの死を避けるにはこの犠牲は必要不可欠なもの。
幼少期からここまで育った可愛い彼女を一番近くで見ることができたのだから悔いはないと黒い布に覆われた何かをじっと見つめていた。
「なんで抵抗しないの。」
「抵抗したら止めてくれるんですか?」
「止めないよ。仕事だから。」
「なら無駄ですよね。」
「無駄でも抵抗はするでしょ、普通。」
「普通なんて知りません。」
「あっそ。ならサクッと死んで。」
振り下ろした剣が吸い込まれるように身体に向かってくる様子をただ見つめていた。
このまま一瞬でとそう思っていたのに、ネグリジェ姿のまま横に立っているナディアに目を見開く。
「…ハンナ…?貴方!わたくしの侍女に何をしているの!?」
「お嬢様!?危ないですから離れ…!」
剣の軌道が彼女に向けられるのを感じ、このままでは不味いと押し倒されたまま膝で蹴り上げる。
「…っ。」
上手く急所にヒットし動きが止まったようで、その間にナディアの前へと移動した。
月明かりで血のような真紅の瞳がこちらを睨んでいるのがわかる。
どうすればナディアを助けられるだろう。
あのまま物語の通りに進んでいれば良かったのに何故彼女は目を覚ましてしまったんだと思うが、" わたくしの侍女 "という言葉があまりにも嬉しすぎて口元のにやにやが抑えきれなかった。
「ハンナ、貴方こんな時になんで笑っているのですか!」
「お嬢様が嬉しいことを言ってくださったのでつい。」
「ついじゃありません!」
ぷりぷりと怒っているナディアを横目に剣を持ち直しているのが見える。
騒ぎを聞きつけた騎士達の足音が少しずつ近づいているため、彼らが来るまでの間くらいなら私にも足止めできるだろう。
意を決して剣を狙ってその身体を盾にすれば、突き抜ける痛みに怯みそうになったが簡単に抜かれたら意味がないと柄を持っている腕を掴んだ。
「何してっ。」
「私は…ただの侍女、ですから…。」
「ただの侍女がそこまでするかよ。」
「ハンナ!お止めなさい!貴女が死んでしまうわ…!」
「…お嬢様のため…なら、本望です。」
口の中に広がる鉄の味にとろりと口元に流れたのが血だということは理解できる。
目を見開いて涙を流すナディアに笑顔を向けることだけで精一杯だ。
もう少し、もう少しだけ耐えろと自分を鼓舞していると騎士が入ってきたのが見え、やっと楽になれると手の力を緩めそのまま意識を手放していくのだった。