7通目
翌年の1月、私は100均のバイトを早めに辞めた。コロナで遊びに行けなかった分を取り返そうと旅行に行くためである。コロナを気にする母親にはだいぶあきれられたが、学生最後の思い出を作るためと押し通した。カノンさんに「就職するまでに親に借金してでも遊べ」とアドバイスをもらっていたからである。そのおかげで少しはマシな学生生活の思い出を増やすことが出来た。
3月の下旬には、かねてより約束していた博物館へカノンさんと佐竹さんで行った。カノンさんの妹は、姉妹そっくりの美人で、スーツがとても良く似合っていた。学芸員として誇りをもって仕事をしているのが伝わり、こんな大人になりたいと思うほどキラキラしていた。
4月、私はついに社会人となった。
保育園の栄養士の仕事は思っていたよりも忙しかった。
栄養士・調理員計7名(すべて女性)のシフト制で大体朝8時~夕方17時退勤の勤務形態だが、出勤したら園児の朝のおやつを準備・提供、その後は昼食の調理、午後のおやつと続き、すべて終わったら献立作成や掲示物の作成などを行い、あっという間に17時を過ぎてしまう。最初は慣れていないので気が狂いそうだったが、調理をしていると園児が厨房を覗いてきたり、料理の感想を言ってくれることに心を癒され、何とか正気を保っていた。
しかし、一番のストレスは労働ではなかった。
職員同士のいじめである。
園児ではない。良い大人が、どういうわけだが狭い調理室内で仲間外れを起こしているのだ。リーダー核の年配女性を中心に複数人で1人を無視していた。
それは私が初めて出勤してきた時から分かった。指導役である責任者の山田さんに説明を受けて調理室に向かったのだが、先に来ていた調理員の方が、遅い、待っていたのに。と不服そうに言った。最初は私が何かしでかしたのだと焦ったが、どうやらそうではない。山田さんが、嫌われていたのだ。
後から来た私が事情を知る由もない。理由が分からないから余計気味が悪かった。
山田さんは決して悪い人ではない。むしろ凄く良いひとだ。いつもニコニコ笑っていて保育園の方々にも信頼されていた。新卒の私を気遣ってくれ、時には定時で帰れるよう仕事を手伝ってくれた。
そんな人がなぜいじめを受けているのか、1つ上の先輩に理由を聞いたが、お茶を濁されてしまった。リーダー核の女性にバレるのがよほど怖いのであろう。
山田さんが私に対して指導したことを横から訂正する、山田さんが物を落とすと失笑する、「やる事がないなら別の仕事をしてください」と言って追い出すということもあった。大人のいじめは子供と違って暴力など直接的なものではないものの、狭い調理室内の空気を悪くするのには十分すぎるものであった。
つらかった。周りを気にして生きてきた私には、山田さんをかばうことができなかった。リーダー核の女性の話す悪口に対して相槌しか出来なかった時には自己嫌悪に苦しんだ。山田さんは責任者としての仕事があるので時々しか調理場に来なかったが、たまに来ると全員が静かになるので入ってこないことを祈っていた。自分が省かれてしまったらという恐怖が行動指針となってしまっていたのだ。
そして何より、日に日にとノイローゼになっていく山田さんを見ていられなかった。
こんな環境で精神を壊さないことが難しいだろう。
半年がたったある日。私は逃げるように退職し保育園を後にした。