世界の終わりの定義について考察する ~最後の日にエッセイを書く理由~
明日世界が終わるとしたら、何をしますか?
たらこはねぇ……多分だけど、エッセイ書いてると思う。
他にすることないしね。
とまぁ、人によってそれぞれだとは思うのですが、ちょっとシミュレーションしてみるのも楽しいと思います。
Twitterとかでアンケとってみるのもありですね。
んでね……今回何を話したいかと言うとですね。
創作では地球最後の日をテーマにした作品って、割と多いじゃないですか。
でね『終わりの定義』って何かなってふと思いまして。
みなさまはどうなったら『世界が終わった』と思いますか?
例えば地球が跡形もなく破壊された時。
これはもう地球最後の日で間違いないと思うのですけど、人類や他の生命体が地球を脱出していたら、また話が変わってくるのかなと思います。
人類が全く別の惑星に移住して、そこで繁栄したとすれば、それはまだ世界の終わりとは言えないと思うのですよ。
なので、地球とそこに暮らす生物がセットで破滅しない限り、世界の終わりだとはちょっと思えないのですよね。
同じ理由で、地球が破壊されなかったとしても、環境変化や天変地異で全ての文明が崩壊した世界で人類が生き残っていれば、世界の終わりではないのかなぁと。
創作で一番疑問に思うのは、よくあるゾンビパニックの世界。
あれの文明崩壊の定義ってどこからが崩壊後なんでしょう?
今回のコロナの状況を踏まえて考察すると、ゾンビウィルスが世界を崩壊させるまでにはかなりの時間がかかると思います。
なので、発生源から離れた場所にある国には対策を練る猶予があるんですね。
人類はゾンビウィルスを防げなかったという前提があったとしても、急に明日から全ての文明が崩壊ということにはならないと思うのです。
例えば全世界にウィルスに感染したキャリアを飛行機で同時に飛ばしたとしましょう。
日本国内の空港にキャリアが到着したら、人が多くいる適当な場所へ移動して頑張って暴れてもらい、周囲の人たちに感染させます。
その感染者たちが次第にゾンビ化してさらに感染が広がると言う想定をしますと、さらにそこから数日の時間が必要になります。
人から人への感染が爆発的に広がって、なおかつ日本国内の防疫施策が全て失敗に終わったと仮定したうえで、全国に感染が広がる時間は数か月間必要になります。
下手したら一年以上かかるかもしれません。
ようやくゾンビパニック世界が出来上がったわけですが……感染が広がるまでの間に、多分ですけどゾンビが侵入しないように対策をとる自治体とかもあると思うんですよ。
例えば千葉県なんかは川で領域が区切られているわけですし、橋を落とせばかなりの確率でゾンビの侵入を防ぐことができます。
北海道や沖縄なんて言わずもがな。
このように日本各地で自治体が機能している段階で、文明が崩壊したと定義するのには疑問を感じます。
自分が住んでる街がゾンビに襲われて崩壊したのを『世界の終わり』と定義するのもありな気がしますが、なんか違うなって思ったりもします。
日本沈没、世界崩壊、文明崩壊、人類滅亡、地球最後の日、アルマゲドン、うんぬんかんぬん。
世界が終わるよーって言う触れ込みの創作は結構多いですよね。
たらこはこういったフレーズに『本日閉店』と似たようなものを感じてしまうのです。
人類ってそう簡単に滅亡したりしないから。
たらこは地球最後の日はエッセイを書いていると最初に言いました。
これは多分、遺書みたいなものですね。
たらこは死んじゃうけど、きっと世界のどこかで誰かが生き残って、新しい世界を作ってくれる。
もしかしたらこのエッセイを何年も後に誰かが見つけて読んでくれるかもしれない。
ずっと未来に生きる人たちが、たらこのエッセイを読んで『なんだこいつ?』と思ったりするのを想像すると、ちょっと面白くなります。
だから最後の日に書くのも、こんな感じのゆるいエッセイになると思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
それではみなさん、よい終末を。