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5-戦う女たち


「10対1……カメリアルズの圧勝か。……前シーズンからかなりパワーアップしてるわね」

 深雪が手の甲に顎を乗せた。

「ただの戦車だったアリアナが、ちゃんと戦術に組み込まれてる。厄介」

 翠が深雪と同じポーズで、守備目線の感想を述べた。

「伶歌さんのドローも、獲得率相当高いです」

 ダオがノートをめくる。

 CAMELLIALS(カメリアルズ) vs SEA(シー) DRAGONS(ドラゴンズ)の試合の偵察を終え、NEOのメンバーは帰り支度を始めた。ブロック戦の2戦目は、王者カメリアルズとの対戦だ。

「私ちょっと、伶歌に話があるから先に帰ってて」

 そう言って一華は席を立った。

 

「一華さんと伶歌さんってどういう関係なんですか?」

 観客席から去る一華の後ろ姿を見送って、千尋が深雪に尋ねた。

「どうって……。まぁ一華は誰にでもあんな感じだけど、伶歌がしっかりと心を開いてるのは一華だけよね。私は大学からの2人しか知らないわよ。2人とも、ペラペラ身の上話をするタイプじゃないし……。翠なら知ってるんじゃない? 一華と高校も同じなんだから」

「知ってる。酔わせて吐かせたことある」

 翠がプロテインをストローで啜った。

 上戸である一華を酒で潰すことができるのは、メンバーの中では翠だけだ。全員が泥酔した飲みの席で、2人でどんな会話をしているのか誰も知らない。

「一華と伶歌は同じ小学校の幼馴染。そのころにバスケを始めた。伶歌が天王大付属中に私立受験して別々になったけど、お互いにバスケを続けてて、関東大会で戦うようなライバル同士だった」

 翠は、ジャージを翻して離れていく一華の背中を見やった。



    *


――12年前

 関東中学校バスケットリーグ準々決勝。

「あ」

 膝に力が入らない。沈みゆく視界の端に、自分を抜き去ってゆく伶歌の姿が見えた。伶歌の薄い瞳の中に、動揺が浮かんだのがわかった。

 冷たい床にへたり込む一華の後ろで、伶歌が華麗にレイアップシュートを決めた。

 試合残り時間は3秒を切っていた。伶歌の着地と共に試合終了のブザーが鳴る。

ブザーが鳴り終わっても一華はその場所から動けずにいた。膝からくる鈍痛に呻いた。チームメイトや監督が集まってきて一華の周りを取り囲む。その中に固く唇を結ぶ伶歌の姿があった。

――伶、全国出場おめでとう、次は負けないから、私? 大丈夫。別に伶のせいで怪我したわけじゃないよ。すぐ直すから。ねぇそう言えばどこの高校いくの? 東体高でしょ? 強豪だもんね。今度は同じチームでさ……

 伝えたい言葉が、遠のく意識と共に吐息となって消えた。


 関東大会で伶歌の中学に敗れてから一カ月後、まだ暑さの残る9月の始め。

 帰路につく一華の前に、伶歌が姿を現した。一華の通う都内の中学校の錆びれた校門の真ん中に、伶歌は細く長い髪をなびかせ凛と立っていた。

 グレーのチェック柄スカートの見慣れない制服のせいか、すらりと高い身長のせいか、脇を通り過ぎていく学生たちは皆伶歌に好奇の目を向けた。

 そんな視線に気づいているのかいないのか、伶歌は微動だにせずに一華を見つめ続けている。そして怪我の様子はどうか、とでも言うように、一華の膝のあたりに目線を落とした。

「東体高の推薦取り消された」

 一華の言葉に、伶歌は目線を戻した。

「来月手術するよ」

 一華の怪我は、右膝前十字靭帯断裂だった。手術、リハビリ含めて怪我をする前の状態に戻るまで、一年以上のブランクが生じる。

 一華は気が重かった。中学3年間をかけた引退試合は自分のせいで負け、大怪我をし、高校の推薦は取り消され、3年の夏から受験勉強を始めなければならない。

 寝るとき以外触っていたバスケットボールは、今は部屋の隅に転がっている。勉強が忙しく、あれから一度も見ていない。シューズもあの日のまま、手入れをしていない。後輩にもらった色紙も、顧問の先生がとってくれた試合のビデオも、まだ見ていない。

 バスケ、まだやる? もういいかな。やらないなら、手術しなくていいよね。痛いし。でもほら、伶が待ってるし。バスケはしなきゃ。私にはバスケしかないし。

「バスケは辞める」

 一華は顔を上げた。

 思っていることを、声に出してしまったかと思った。次に、自分の心を伶歌に読まれたのかと思った。伶歌がバスケを辞めると言ったと理解するまで、時間がかかった。

 伶が、バスケを辞める。なんで?

「東体高にはいかない」

 一華の動揺に応えるように、伶歌が続けた。

 東西体育大付属高校はバスケの強豪私立高校だ。伶歌は推薦をもらっていたはずだ。一華も声をかけてもらっていた。怪我をして取り消されたが、今から勉強すれば間に合う偏差値水準の高校だ。

 伶歌の端正な顔を見つめても、何も読み取ることができない。一華は思考を巡らせた。

――中学は別々だったけど、高校は同じチームで伶歌とまたバスケしたい。バスケしたい? なんだバスケしたいの? 私。ならどうして、ボール磨いてないの? シューズも、バッグにいれたままだよ。だって、見ると、なんだか、鳩尾のあたりが痛くなって苦しくなるんだよ。吐き気もする。高校で伶歌とバスケしたいのに、なんで今してないの? いや、今は怪我してるから。早く治して、バスケしなきゃ。でもリハビリに何年かかる? 元のプレーができるようになるまで何年? 大丈夫だよね。私ならできるよ。今までも、ずっと、バスケが私を導いてくれた。本当に? 頑張れる? わからない。もう、疲れたよ……。


 一華の頬に一筋、涙が流れた。

 傾き始めた夏の西日が、向き合い佇む2人を照らす。

 伶歌は何も言わずに一華に背を向け、歩き始めた。

「伶」

 離れていく伶歌を、すがるように呼び止めた。

 伶歌は足をとめた。体の向きを変えずに、首だけ一華に向けて言った。

「一華も、ラクロスする?」

 2人の間に強い風が吹き抜けた。



「天王大付属? お前の頭じゃ無理だろ」

 一樹が腹を抱えて笑った。前のはだけた学ラン服を纏っている。

「うるさいな。一樹も天王が第一志望でしょ? 勉強教えてよ」

 一華はセーラー服の袖をまくり上げ、机に教科書を積み上げた。

「はぁ? なんで俺が天王なんて行かなきゃいけねーんだよ」

「はぁ? 知らないよ。今朝学校いくとき一樹のお父さんに会って、そう言ってたんだよ」

「ちっあのクソ親父勝手なこと言いやがって……。俺はダチと地元の高校に行ければいいんだよ」

「へぇ~頭いいのにね。一樹あいつらといるとき、楽しそうだもんね! じゃあ、暇ってことだね。教えてよ」

 一華は一番上の教科書をポンと叩いた。一樹は一華の黒い瞳を覗き見た。

「……なんで急に天王大なんだよ。伶歌と東体高に行くって言ってただろ。東体高なら今からでも間に合うだろ」

「……バスケはもう辞める。伶が誘ってくれたんだけどね、私新しくやりたいことがあるの」

 一華が笑った。教室の窓から差し込む西日が一華の頬を照らした。

 その眩しさから、一樹は思わず顔を逸らした。

「苦手教科からやるぞ」

「……体育以外は苦手」

「おい」


    *



「結局一華は経済的な理由もあって天王大付属高には行かずに、都立高校に進学して、そこでラクロス部を創る。そうやってバスケット界の鬼才2人がラクロス界に参入した」

「そこから怪物伝説が始まるわけね……」

「まぁ、ラクロスで伶歌の高校に勝てたことは一度もなかったけど」

 翠がプロテインを啜った。

「その後、無事天王大で再会を果たすんですね!」

 光が興奮して跳ねた。

「一華さんと伶歌さんが東体高にはいっていたら、そのままエスカレーター式に進学してうちらと同じ大学っていう世界線もあったのか~」

 千尋が感慨深そうに目を細めた。千尋と光は東体大の出身だ。

「ところで深雪さんは高校のときは何してたんですか~? 光は実はバドミントン部でした!」

 光がスマッシュを打つ動作をした。

「私は……チアリーディング部……」

 深雪は頬を染めた。

 日本では高校にラクロス部のある学校は少ない。大学ラクロス部には多様な経験を持った者が集う。

「え~! 深雪さんかわいすぎる~! 踊って!」

 千尋と光が騒ぎたてた。メンバーたちはお互いの高校時代の話に花を咲かせた。



「伶」

 呼ばれて振り返ると、一華が立っていた。試合会場から出たすぐの場所にある、大きな橋の上。公園内を走るランナーや、じゃれあう子供たちが2人の脇を通り過ぎる。

「伶、NEOに入ってよ。地方勤務でも、平日休みでも、子供がいても、本気で夢を追える、ずっと面白いことに挑戦できる、世界一自由なラクロスチームにするんだ」

 伶歌は思わず目を見開いた。一華は笑っていた。まるで5年前の確執などなかったかのように。昔から変わらない、子供のときの笑顔そのままを浮べて。

 強い風が吹き、2人の薄いシャツを巻き上げる。

 風に乱れる髪を押さえると、橋の下方に3on3用の公共のバスケットコートが見えた。

 伶歌は、一華と初めて出会ったときのことを思い出した。



    *


 まだ小学校の低学年だった頃。

 会話が苦手で、中々人と打ち解けられずにいた。思い浮かべた言葉をすぐに声にすることが難しく、周りの会話のスピードについていけずに悩んだ。言葉の真意を深読みしてしまう性格も手伝って、友達と呼べる存在がいなかった。

 3年生にもなると子供たちのヒエラルキーやグループが確立され始め、先生の目も行き届かなくなり、いよいよ孤立するようになった。

「ドッジボールしよ~!」

「あ……、」

「あ、あの子はいいの?」

「伶歌ちゃんはしゃべらないからいいよ! 目つきも怖いし!」

 クラスメイトの仲間に入ることができず、図書室で本を読んで過ごすようになった。

 そんなとき、両親が離婚した。元々家にいることの少ない父親であったため、片親になることの心的ダメージは少なかったと思う。ただ苗字が変わり、学校生活に溶け込むことにますます引け目を感じるようになった。

「かみやって誰?」

「しらな~い! そんな人うちのクラスにいなかったよね!」

 子供というのは残酷な生き物だ。彼らの小さな世界の中では、“みんなと違う”ことはどんなに微々たるものでも命取りになる。


 ある日、いつものように図書室の日の当たる隅の席で本を読んでいた。

 一階の図書室の窓からは、グラウンドでドッジボールをするクラスメイトの姿が見える。はしゃぐ声もよく聞こえる。1人の寂しさを紛らわすことはできないが、それでも、太陽の暖かさを享受できるこの席が好きで、毎日同じ席に座っていた。

 外の様子を見ないようにして本に目を落とすと、突然音もなく、本棚の影から見知らぬ男が現れた。いつもの司書ではなかった。事務員か、自分の知らない臨時の職員か、男は押し黙ったまま近づいてきた。

 距離を詰められて、思わず席を立った。隅の席には逃げ場がなく、壁際に追いやられた。伸びてくる手に困惑し「先生」と叫んだつもりが、声にならなかった。壁にぺったり背中をつけて手から逃れようとした。

 男の手には、短いナイフが握られていた。

 冷たい刃を首に突き付けられ、恐怖で目を瞑った。

 すると突如、大きな破壊音がした。

「……!」

 心臓が飛び出るほど驚いたが、やはり声は出なかった。

 男は退き辺りを見回した。廊下からバタバタと足音が聞こえてくると、男は近くの窓を開け外へ飛び出していった。

 床にへたり込むと、机の下に大きなバスケットボールが転がっているのが見えた。それは、静かな図書室の中で異様な存在感を放っていた。

 顔を上げると、向かいの窓ガラスが粉々に割れていた。

 するとその窓枠から誰かが顔を出した。

「あっ誰かいた! ちょうどいい! そのボール持って、外にきて! 騒がないでよ!」

 そう言って頭を引っ込めた。と同時にいつもの司書が図書室に戻ってきて窓ガラスの前に来た。

「きゃっなにこれ! 誰かいる⁉」

 司書は部屋を見渡した。

 司書が本棚の影で見えなくなったことを確認して、ボールを持ち上げ、窓の外に投げた。早鐘のようにうるさい心臓を押さえながら、机の上に乗って窓を乗り越えて外に出た。

「おっ? ぎゃ!」

 窓から飛び降りると、さっきの奴が下敷きになっていた。

「まさか、窓からでてくるとは……。あ、ありがとね! ボール!」

 鼻頭に絆創膏を張った女の子が、大きな口を開けて笑った。

「あ、逃げなきゃ!」

 女の子に腕を引っ張られ、走った。ずっとずっと走って、息が苦しくなってきたころに、急に立ち止まった。顔をあげると、知らない場所にいた。

生い茂る木々がサラサラと風に揺れる。

「何してたの?」

 自分が聞こうとしていたことを先に聞かれてしまい、言葉に詰まった。

 図書室なんだから、本を読んでいたに決まってる。算数の呪いって本だよ。面白いから今度読んでみて。あ、それでね、変な男の人がきてね、怖かったよ。そしたら急に窓ガラスが割れる音がしてね、図書室の先生ってば、いつもいてくれなきゃ困るよね。それでこんなところまで走ってきて、なんかどきどきしたよ。

 まだ鼓動が収まらない心臓が、全身の血をどくどくとかき回した。何から説明したらいいのか、何が起こっているのか、わけがわからなくなって、笑ってしまった。

「あっはははは」

 急に笑い出した私を見て、女の子は不思議そうに首を傾げた。そしてつられてなのか、一緒になって笑った。

「ふはは。バスケする?」

 笑顔が太陽に照らされて、眩しさに目が眩んだ。

「……いや……しない……?」

「いや、しよう! 人数足りないの!」

 女の子はまた腕を引っ張った。

「一樹! 清華! もう1人連れてきたよ! 2on2できるよ!」

 女の子が叫ぶと、また2人知らない奴が現れた。

「一華~! 遅いよ!」

「その目つき悪いやつ誰だ?」

 同じ年くらいの男の子に指さされ、反射的に俯いた。

「目つき?」

 一華が俯く私の顔を覗き込んだ。

「目が細いのが嫌なの?」

 しゃべれないのも、釣り目なのも、肌が白いのも、背が高いのも全部嫌だった。みんなと違うものは、全部嫌だ。

「じゃあさっきみたいに笑いなよ。笑ったら私も細くなるよ。ほら」

 顔をあげると、一華が鼻に皺を寄せてくしゃくしゃに笑って見せた。変な顔をされて、思わず笑ってしまった。

 初めてできた友達だった。


 それから毎日、4人でバスケをして遊んだ。雨の日も遊んだ。清華が卒業してからは3人で。一華にも一樹にも他に友達はたくさんいたけど、私の世界はあそこが全てだった。毎日が楽しかった。

 卒業する頃にはずいぶん人とも喋れるようになって、もう1人で大丈夫だよって、そういう意味で別の中学に進んだんだよ。それなのに一華ってば卒業式で大泣きしてさ。そうそう、一華って結構泣き虫なんだよね。


    *



 伶歌は橋の下のバスケットコートから、目の前にいる一華に目を戻した。


 あの時から一華はちっとも変わらない。まっすぐで、勝手で、みんながその笑顔に助けられてる。当たり前みたいな顔するから、お礼も言いそびれちゃう。

「そんなの、私に勝ってから言って。一度も勝ったことないくせに。なにが世界一よ」

 もうわかってるよ。あんたは泣くし、怪我もするし、辛いと思うこともたくさんある。でもあんたの周りには仲間がいるから大丈夫でしょ? それなら私にできることは、これしかない。

「私はNEOには入らない。今までも、これからも、ずっとライバルでしょ?」

 一華に教えてもらった笑い方で、笑ってやった。

 一華は一瞬きょとんとしたが、すぐに同じように笑った。

「そりゃ、退屈しなくていいや」



「これより、NEO(ネオ) THUNDERS(サンダース) vs CAMELLIALS(カメリアルズ)の試合を始めます。お互いに礼」

 両チームのスターティングメンバーがフィールド中央に整列した。

 本日の天候は雨。いや、嵐。大粒の雫が選手たちの身体に打ち付ける。雨期に差し掛かり、連日の雨で空気は鬱屈としている。

 激しい雨天にも関わらず、観客席は満員だった。別会場で試合を終えた男子選手たちも集まっていた。紫色のジャージに身を包んだ、亮介たち男子ラクロスチーム・PIRATES(パイレーツ)の面々も揃っている。


 一華と伶歌がドローセットのポジションについた。

「⁉ 伶歌ちゃん、構え方今までと全然違う!」

 叶恵が伶歌のフォームをみて驚いた。伶歌は前の試合とは違うフォームで構えた。前シーズンに、サンベアーズとして参加した一華に対して取った策に似ている。

「ふ~ん。楽しませてくれるじゃん」

「試合中に無駄口叩かないで」

 ボールは高く上がった。2人が同時に手を伸ばし競り合った。わずかに伶歌のクロスが先にボールに触れ、ボールをもぎ取った。

「うそっ、一華が高さで負けた!」

 同時に跳べば体重が軽い分、伶歌の方が高く飛べる。深雪は前のめりになっていた重心を変え、守備に備えた。

 伶歌は着地の瞬間に地面を蹴り、スピードを上げた。深雪はアリアナのブロックに抑えられ出遅れた。

「速い!」

「誰か止めて!」

 ベンチのダオが叫んだ。伶歌はボールを持ったまま最短距離でゴールに向かった。

「マークマン捨てていい! ボーラーのフォローはいって!」

 潤が守備陣に指示を出した。指示を聞いた叶恵と翠が伶歌のコースに入る。

 伶歌はステップとターンを繰り返し、緩急をつけて2人の間を抜いた。

「っ!」

 さらに志麻がフォローに入るがそれより先に、ランニングシュートをゴールネットに突き刺した。

 ピ――ッピ

 伶歌が雨に濡れる前髪をかき上げる。

 試合開始早々ドローからの速攻(ドローアタック)が決まった。ドロワーがボールをとりそのままシュートを決める。ラクロスの試合において、最も簡単で単純に点の取れる個人技である。

「鮮やか」

「フォームが綺麗だな」

 観客席で試合を見ている男子選手たちが感嘆した。


「「……」」

 一華と伶歌は睨み合った。


「えっ」

 2度目のドローは一華がフォームを変えた。引きドローだ。

「ちょっと勝手に戦術変えるのやめてよ! やると思ったけど!」

 深雪が憤慨して場所を移動した。

 深雪は、ここ数日一華が家で伶歌のドローの分析ビデオを食い入るように見ていたのを知っている。そして駐車場の壁に擦り傷のようなものができていた。

 一華は、前回戦ったときの伶歌のドローを完全コピーしたのだ。

 ドローはクロスに引っかかるように弾け、一華の後方へ浮いた。

 引きドローは背中の筋力が物を言う。力と力がぶつかり合えば、一華に軍配が上がる。そして一華は左利きだ。本来引きドローの方が獲りやすい。

 一華はボールを獲得し、中央突破した。NEOの攻撃陣全員が一華のためのコースを開けた。

 カメリアルズの守備陣が一華にパスの選択肢がないことに気が付き、一華の方へ寄り始める。伶歌も後ろから追いつき手を伸ばした。

 一華は守備が寄るよりも前に、伶歌が追い付くよりも前に、ゴールから10m以上離れたところからスタンディングシュートを放った。

 ボールがゴールパイプの内側を叩き、荒い金属音を響かせながらネットに収まった。

 ピ――ッピ

「やられたらやり返す。あいつらしいな」

 一樹が観客席に立ったまま、幼馴染2人の試合を見ていた。今日は警官服ではなくTシャツにジーンズとラフな格好だ。

「我が妹ながら豪快!」

 一樹の隣にいた清華がのけ反って笑った。


「なんで俊足の伶歌ちゃんが追い付けないんですか?」

 観客席で観戦していたPIRATESの男子選手が亮介に尋ねた。

「女子のドローは持ち手によって立ち位置が変わるんだよ。左手が上の引きドローのときは攻撃側に近い方に立つ。だから引きでボールをゲットできれば速攻に繋がりやすい。逆に獲られたら守備に戻りづらくなるけどね。お互いに引きだから、リスクありまくりの超攻撃型同士の戦いってことだよ」

「なるほど~。さすが亮介さん、普段女子大生のコーチしてるだけありますね~」

「おい、言い方な」

 亮介が首を傾けて男を咎めた。

「実際すごいですよ。女子と男子じゃ、別のスポーツかってくらいにルールが違いますから。女子の方がテクニカルな要素が大きいし、教えるレベルまで研究するのはすごいですよ。だから女子ラクロスを指導する男性コーチって少ないんですかね。女性コーチが多いのも、特徴的ですよね」

「……女子チームの指導者に求められるのはな、技術やマネジメント力以上に、支配欲と性欲を抑えられる理性なんだよ。つまりな、そういうことだ」

「……あ~、はは……にしてもこの試合、開始1分もたたないうちにドローからの速攻(ドローアタック)2本って……。激しい試合ですね」



 次のドローは、伶歌が押しドローに変えることで2人の間に浮いた。互いのクロスがぶつかり合い、ボールはフィールドに落ちた。

 そのボールを、アリアナが拾う。

「サークル周りはアリアナがいる分、カメリアルズに分がありますね」

「テクニックはないけどな。あのリーチだからなぁ」

 亮介が顎髭をなぞる。


「伊代、そろそろ私たちの出番よ」

「はぁ~い」

 紅がアリアナからボールを受けた。

「志麻、なんかくる」

 翠は訝しんだ。MF(ミッドフィルダー)のボールを受けにいく役割は、機動力のある伊代のはずだ。

 紅はボールを持ってゴール裏の右方へ移動した。伊代はその直線状の11m扇ライン上へ移動し、向き合ったままお互いに向かって動き出した。

「あっ! 翠さん、ポップチェンジです!」

 フィールドを3分割(リストレイニング)する線(ライン)外から千尋が叫んだ。千尋と光がリトルクルーズ戦で体得したポップチェンジの形違いのものだった。

 紅が伊代とすれ違う瞬間に、ボールをトスした。

 伊代にマッチアップしていた翠に、紅が正面からぶつかり、一瞬伊代がフリーになった。

「まずい」

 ゴールまでの直線状があき、伊代がスピードをあげた。即座に反応した志麻が、コースを塞ぐ。

「⁉」

 伊代はボールを持っていなかった。

 紅が口角を上げる。ボールは伊代に渡されたと見せかけて、紅がそのまま持っていた。

 志麻が伊代のコースを塞ぐためにズレたため、紅へのプレッシャーがなくなった。紅は翠に体重をかけ回転(ロール)し、ゴールへ向かった。

 ゴールぎりぎりまで近づきゴーリーの左足、9番のコースに叩きつけた。


 ピ――ッピ

「……っ」

「……全然見えなかった。あの体で隠されてのポップチェンジは厄介だね。どうする?」

 志麻が翠のそばに来て耳打ちした。

「もう一回みて法則が掴めなかったら、マークマンを(ファイト)変えないよう(オーバー)にしよう」

 翠は方膝をついて首の根本をぐりぐりと押す。紅に激突されて軽い鞭打ち状態になった。

 紅と伊代は離れたところにいる千尋と光を見据えた。

「うわっこっち見てる。あてつけ⁉ でもさすが、私たちのより精度高すぎ……!」

「うちらもやろ!」

「お前ら熱くなり過ぎるなよ」

 環が顎を揺らして首を鳴らした。

「いや、熱くなってるの環さんでしょ!」


 ベンチにいるダオがストップウォッチを握った。アリアナがまたしてもドローのこぼれ球を拾うその瞬間に、タイムを動かした。

(……今日の試合、アリアナがボール持つ時間が極端に少ない……。さっきもすぐに紅さんに回したし……。アリアナに対する碧依のDF(ディフェンス)のプレッシャーレベルが高くて、攻められないんだ)

 ダオの首には5つのストップウォッチがぶら下がっている。試合全体時間用、タイムアウト用、退場時間測定用、攻撃時間測定用そして1人にプレイヤーがボールを持っている保持時間測定用だ。

「Fuck」

 アリアナは碧依に接点を押さえられ、思うように仕掛けられずにフラストレーションが溜まっていた。強引に肩をいれて碧依を押しのけようとする。

 その時、碧依が濡れる芝に足を滑らせ地面に尻をついた。

「今のは攻撃側のファール(チャージング)でしょ、審判! 私ならちゃんととるのに!」

 ダオが苛立ってベンチから叫んだ。そしてはっとして口を塞いだ。

 試合中の選手、審判に対する暴言(アンスポーツマン)は罰則の対象(ライクコンタクト)となる。オフィシャルベンチにいたスコアラーとタイマーがダオを見た。

「あれ、ダオさんじゃない? 2級審判の」

「ほんとだ。NEOのベンチで何してるんだろ?」

「さぁ……」


 碧依が視界から消え、アリアナの前にゴールまでのコースが開けた。

 そのコースに叶恵が現れた。

「!」

「1on1じゃ、あなたには到底敵わないけどフォローぐらいならできる。相手の動きを予測することは得意なんだから」

 叶恵にコースを塞がれ、アリアナの動きが止まった。

 その一瞬のうちに碧依が立ち上がり、後ろからアリアナのクロスを弾くように叩いた。所在を失い宙に浮いたボールを、無駄のない動きでクロスに収めた。

「ナイスチェック! うまい!」

「しかもボール落とさずゲットしてるし。器用……」

 碧依が攻撃サイドに向き直ると、翠が既に走り出していた。碧依が翠にボールを投げた。翠が走り出したと同時に、環、千尋、光の3人が動いた。

――DFが走り上がる形(バックアタック)

 ドラゴンズ戦で実践した、攻撃陣3人と翠を含めた4人の攻撃パターンだ。セオリー通りの動きでボールを回し、ゴール前に飛び込んだ翠に再びボールが戻ってくる。ゴール脇にいる環にボールが渡れば……

「!」

 カメリアルズのDFが既に環の前に入り、翠からのパスコースを塞いでいた。

 翠は咄嗟に手首の向きを変え、クロスを振った。

 威力のないボールが地面に落ちる。地面に弾かれる前に大きなクロスがボールを攫った。

「シュート打ち慣れてない人って、下に打つんですよね~」

 カメリアルズのゴーリー・董が翠のシュートをいとも簡単にセーブし、流れるように体勢を変えフィールド中央に投げた。

「ちっ」

 翠が手を伸ばしパスカットを狙うが届かない。

 伶歌がボールを受け、速攻を狙う。

 深雪が伶歌にプレッシャーをかけようと前に出たが、前に出る瞬間に逆に間合いを詰められ抜かれる。

 伶歌がそのままノンプレッシャーで直進し、ゴールネットを揺らす


「ったく情けないな深雪」

 深雪の高校の同級生・理斗が傘をさして観客席の一番奥から試合を見ていた。深雪の守備を見て眉を寄せる。


「攻守の切り替えが激しいスポーツだよな。ラクロスって」

 一樹が、肩で息をするNEOのメンバーを見つめた。

「今日はお互いに攻めたがりのチームだからなおさらね。サッカーコートでバスケやってるようなスピード感よね。でもほら。交代に制限がないから、走ったもん勝ちよ」

「交代メンバーがいれば、の話だろそれは。まぁ、そこをどう戦うかってのも新生チームの面白いところだよな」

 一樹はスタッフが1人立つNEOのベンチを物憂げにみつめた。

 3対1、カメリアルズリードで前半を終えた。


「一華さん、ドロー、引きドローだったらもっと距離だせますか?」

 タオルで顔を拭く一華に、碧依が聞いた。ドローの獲得率の悪さが、流れの悪さに繋がっていることは一目瞭然だ。

「出せる。そっちに飛ばす?」

 ドローはなにも、ドロワー同士だけの戦いではない。サークル周りまで飛ばし、取り合う方法もある。しかしサークル周りには体躯のあるアリアナがいる。わざわざアリアナのいる方へ飛ばすとなるとそれなりのリスクを抱えることになる。

「はい。地面で混戦になったら体で取られるけど、反応だけなら碧依の方が早い。サークルまで直で飛ばしてくれれば碧依が獲ります」

 碧依の闘志に燃える瞳をみて、一華は口角をあげた。

 潤も碧依を一瞥して、ヘルメットを被り直した。


 後半開始最初のドローは一華も伶歌も引きドローの体勢をとった。一華はクロスに覆い被さり(シャフト)に力を込めた。

(⁉ なんでこんなに力を……。高さ勝負にするつもり?)

 伶歌はクロスを押し返しながら一華の顔を盗み見た。

 ピッ

 一華が背中と腕の力を一気に開放し、後ろに倒れ込むようにクロスを引っ張った。力を入れている分、コントロールはまるで効かない。

 速球が空を切り、ドローサークル上に構えるアリアナの顔面目掛けて飛んだ。アリアナは思わず顔を反らす。

 そのボールを碧依が掻っ攫う。クロスでボールを押さえつけるように上から掴み、身体を翻した。

「な、なんだあの動き……」

 PIRATESのメンバーがどよめいた。

「女子クロスの浅さであんなことできる子そういないよ……」

 亮介が顔をひきつらせた。

 男子クロスと女子クロスではポケット部分の深さが違う。女子用のクロスは男子用に比べて浅く、より遠心力を加えなければボールは簡単に落下してしまう。


「あの背番号7。あいつだけなんか、クロスの扱いが段違いだな。素人でもわかるぞ」

 一樹が舌を巻いた。

「あぁいうのを、“クロスが自由”って言うの。まるでクロスに意思があるみたいに縦横無尽な動きをする。一華が強さ、伶歌が疾さでラクロス界の群を抜いてるとしたら、あの子は巧さで他の追随を許さないわね。弱小チーム出身の代表候補選手……。“正しいフォーム”を指導されなかったからこその誰とも違うプレースタイル……」

 清華が顎に手を添えた。

「どのスポーツにも、そういう泥臭いやつっているもんだな」

 一樹が可笑しそうに笑った。


 碧依はゆっくりと時間をかけてボールを攻撃サイドへ運んだ。

 一華がボールを受け、スペースのある方向へ仕掛ける。

 その一華に合わせて環がゴール前に飛び込んだ。環が走り込んだスペースに向かって一華が弾丸パスを入れるが、ボールが身体から遠く、無理矢理手を伸ばしてキャッチする。

「うわ。鬼パス。あんなの環にしかとれないわよ……」

 深雪が顔をしかめた。

(……一華さんから環さんへのパスミス、今ので3回目だ。……パスミス、じゃないのか…?)

 ベンチにいるダオが、吹き付ける雨で湿ったスコアシートを指でなぞった。

 環は体勢を崩したまま上半身だけを捻り、ゴーリーが一番とりにくいとされている、クロスを持っていない(オフ)側の腰(ヒップ)へピンポイントに打ち込む。

 しかし董の反応が上回った。董のクロスがすでにシュートコースへと回り込んでいた。


「オフヒップを完全に芯で捉えてる……」

 董の好セーブを見て、コートの反対側にいる潤は唇を噛んだ。

 大学生時代、ラクロス部に入部したての頃、当時3年生であった董のプレーに憧れてゴーリーというポジションを選んだ。優しく教えてもらった記憶はないが、その背中を見て、セーブの仕方もパスまでのモーションも全部真似た。当時、董はあのコースへのセーブだけは唯一苦手としていたはずだ。

 経験値以外、劣っているところはないはずだ。それなのに董は今や日本代表の正ゴーリー。いつまでもその差が縮まらない。超えたい。超えたい……。自分も自分の力で、世界に行きたい……。


「⁉」

 董は動きを止めた。

 環はまだボールを離していなかった。

「反応が速すぎるってのも考えものだね」

 環はボールを持ったまま倒れ込んだ。

 クロスからこぼれたボールを光が拾い、そのまま正面に放る。碧依がさっとボールを掴み、シュートフォームに入った。

「アリアナ!」

 董が叫んだ。

 碧依にマッチアップしていたはずのアリアナは完全に出遅れていた。だがそのリーチを活かし、後ろから手を伸ばして碧依のクロスを狙った。

 その動きが見えているかのようにクロスを滑らせ、地面すれすれまで持ってくる。スナップを利かせ手首だけでクロスを返し、ゴーリーの左手上・3番のコースへ下から突き上げた。


 会場が沸いた。

「なんすかあのシュート! 初めてみた!」

「……名前なんかないんじゃないか。あの子が新しく創ったんだよ。すげぇな」

 PIRATESのメンバーと亮介は興奮を露わにした。


「ちょろいなぁ」

 潤はフィールドの一番遠くから、同期の様子を鼻で笑った。碧依は先輩に頭を撫でられ心底誇らしそうな顔をしている。

 自分の定位置(ゴールサークル)に戻ろうとすると、後ろに気配を感じた。首だけで振り向くと、息を切らした碧依がクロスのシャフトを突き出していた。

「……」

 潤は黙って自分のクロスのシャフトをぶつけた。軽快な金属音が、雨音を割き会場に鳴り響く。



 次のドローで、一華はまたしても構えるクロスに力を入れた。

 今度は高く、アリアナの頭上へ一直線に飛んだ。

 碧依はアリアナの前に入り込み、片手でクロスを掲げボールをキャッチし、叩かれる前に懐に隠した。

「上手い……。ドローが取れるようになれば、チーム自体の実力差を埋められるかもな」

 観客席の亮介は感心して呟いた。


 強いドライブを仕掛ける一華に合わせて、環が中でポジショニングを取り直す。一華はそれを横目で見て、鋭いパスを通す。環は体勢を崩すことなく、滑らかにキャッチし、ゴールを見た。

「……!」

 董が身構えた。

 しかし環がシュートを放つ前に、DFが2人で環を抑え、ボールを溢させた。ゴール前に落ちたボールの処理は、ゴーリーの仕事だ。董はゴールサークルから出て、ボールを掻っ攫った。

 董がパスを出そうとすると、目の前に環が立ちふさがった。そのままプレッシャーをかけにくる。

「っ……!」

 向きを変えDFにパスを出そうとした瞬間、濡れた芝に足を滑らせ体勢が崩れた。

 ボールがクロスから離れ、ゴールラインを割った。

 ピ――ッピ

「オウンゴール……同点……」

「どうしたの? らしくないね」

 カメリアルズのDFが董を覗き込んだ。

「……ゴール前の守備、もう少しタイトにしてくれません? 気が散るんですよ」

 董がヘルメットをとって、苦々しげに仲間をなじった。

「え? あんな弾丸パス獲れないでしょ。わざと泳がせてるんだよ」

(……だんだん合ってきてるんだよ)

 董は環の後ろ姿、そして楽しそうに駆け寄る碧依を睨んだ。

 洗練されていないプレー。予測のできないプレー。試合の中で少しずつ噛み合っていく歯車……。董は今までフィールド上で感じたことのないような感覚を味わっていた。背後に感じるプレッシャー。振り返っても何も見えない。負けるはずのない無名の敵。見えない敵に追いかけられている感覚。足が重い。背中に冷たいものが走る。

(……怖い……?)

 董は恐怖を自覚し、自分の弱さに反吐が出た。しかし雑念が止まらない。王者の意地。連覇。名声。評価。許されないミス。頼りない守備。自信。期待。

「敵は強い。楽しもう」

 頭の上から突然声が降ってきた。董は驚き、顔を上げた。

 伶歌が髪から水を滴らせながら董を見下ろしていた。伏す睫毛の先に水が伝う。それだけ言い残し、伶歌はドローポジションに戻っていった。

(……そうか……。強いのか……。なら、みっともなくもがいてもいいのか……)

 董はフィールドの一番遠くにいる選手を見つめた。

 自分のプレースタイルを完全コピーしたかのような、後輩ゴーリー。自分のことを尊敬し、追いつくために努力を重ねてきた。自分が大学を引退したあと正ゴーリーとして活躍し、そしておそらくはそのプレースタイルを後輩に伝承してれた。

 あの子の前で、あの子がいることで、どこかかっこいい自分を演じていた。あの子が幻滅しない日本一のゴーリー像に、しがみついていた。

 董はヘルメットを被り直した。


「また止めた! カメリアルズのゴーリー、好セーブを連発してるな」

 一樹が董のスーパーセーブを見て感嘆する。

 NEOはドローを獲得することで攻撃権を得て果敢に攻めるが、董の超反応セーブにことごとく得点を阻まれる。

「当然よ。董は日本代表のゴーリーよ。捻りのないシュートは入らないわ。チームのスタイルは超攻撃型でも、ゴーリーさえ上手ければ守備率は高いままなのよ」


 NEOの攻撃が得点に結びつかない一方、カメリアルズは盤石なプレー選択で着実に得点を重ねていく。

 紅がゴール裏から仕掛け、またしても伊代が紅に向かっていった。伊代にマッチアップしていた翠が紅にぶつかり、動けなくなる。

 紅が体にクロスを隠し、トスの動作をした。志麻はどっちにボールが渡ってもいいように少し距離をとった。

 紅も、伊代も、ボールを持っているかのような動作で同時にゴールに向かう。

「どっち……?」

「伊代が持ってる!」

 翠が叫んだ。志麻は伊代の方に重心を動かしたが遅かった。伊代はゴール脇0度の位置から潤の股下にシュートを決めた。

「遅れたDFには追い付かれませんよぉ。伊代のこと弱いと思ってるでしょ~」

 ポップチェンジは守備の判断を一瞬でも遅らせられれば成功だ。紅が体のクロスを隠すことで、志麻の初動はどうしても遅れる。

「……あいつら、私の動きを見てから何するかを決めてる。事前に示し合わせるのは無理だね」

「でもこれでわかった。紅がボール持ってゴール右裏に移動したとき、必ず伊代が右サイドに合わせにきてる。それがポップチェンジの合図。そのシチュエーションのときだけ、私が伊代を閉める」

「発動したら阻止できないから、発動する前に潰すってことか」

「そう……何度も正面衝突してきやがって」

 翠は鼻を手の甲で押さえて紅を睨んだ。

「……潤、今日はあたらないね」

 ゴールの中からボールを取り出す潤を見ながら、志麻が呟く。

「潤ちゃんと董ちゃんは同じ“反応系”。カメリアルズの攻撃陣はあの反応の速さに慣れてるから、潤ちゃんに対してもシュート前にしっかりとワンフェイクいれてくるね。遠くからのシュートは得意なはずだけど、伶歌ちゃんとアリアナの速さは初見だから追いつけてないのかな」

 叶恵が持論を述べた。

「そろそろ慣れてもらわないと困る。……」

 翠は顔の雫を拭いながら掲示板の時計を見た。

 一時同点まで追い上げたスコアも、3対5と離された。


 伶歌はドローポジションにつき、一華を見据えた。

(ドロー、一華には一回も取られてないのに、獲得率が異常に低い。あの背番号7の子のところに飛ばされないように、早めに地面に落とすか……)

 2人はクロスを合わせ、力を込めた。クロスはぷるぷると震え、辛うじて均衡を保っている。

 ピッ

「あ」

 2人にしか分からないほどの僅かな差で、伶歌が僅かにホイッスルよりも先に動いた。

 どちらかが速く動いたの(トゥーアーリー)であれば、ドローは終了し、相手にボールの獲得権が与えられる。

 伶歌は一瞬動きを止めた。しかし審判は先に動いたこと(トゥーアーリー)に気がついていなかった。ドローは継続された。浮いたボールを一華が掴み、ゴールに走った。


「下がって!」

 董が守備陣に指示を出した。一華はDFをいなし、ゴールまでの最短距離を走る。

 シュートモーションに入った一華の正面に、環が飛び出した。DFからもゴーリーからも届かないぎりぎりの位置に、一華がボールを投げた。

「来る……っ!」

 董が身構える。

 環が飛びつくように空中でボールをキャッチし、上半身を捻る。

 ボールは董の右足の前へ叩きつけられ、押さえつけようと膝を曲げた董とすれ違うようにゴーリー右上・1番のコースへ跳ね上がった。

 ピ――ッピ

 4対5。NEOが再び1点差まで追い詰めた。

「……やっと取れた?」

 一華がにやつきながら環にクロスのシャフトを差し出した。

「要求が厳しいキャプテンだな。ほんとに」

 環が自分のシャフトを差し出してコツン、と合わせた。

(そっか。あのコース以外のパスは通らないんだ。もう少し後ろならDFに、もう少し前ならゴーリーに獲られる。2人だけが繋がるコースを探してたんだ……)

 雨で文字が滲むのも気にせずに、ダオがスコアシートにメモを書きなぐった。


「あの子も、産まれた時代が違えば、トッププレイヤーと呼ばれたかもね。……いや、あの代だからこそここまできたのかしら……」

 一華に背中を叩かれる環を見て、清華が呟いた。


 3Q(クォーター)終了を告げるホイッスルが響いた。

 翠が再び意味ありげに遠くの空を見た。雨脚が強くなってきた。

「ダオ、カメリアルズのボール保持時間、どう推移してる?」

「翠さん。保持時間ですか。平均、1Q(イック)35秒、2Q(ニク)52秒、3Q(サンク)140秒です」

(やっぱり……。長くなってきてる)


 瞬間、辺りがぱっと光った。

「!」

 少し間を置いて、バリバリバリと天を割くような轟音が響いた。

「雷……」

 ピピ――

「オフィシャルタイムアウト! クロスを放して! 選手はベンチへ集まってください!」

 審判に指示され、選手たちは自分がいた場所にクロスを放置しフィールドから退いた。


「どうなるんでしたっけ?」

 千尋が心配そうにメンバーに聞いた。

「試合が8割消化されていなければ別日に再試合。消化されていれば試合成立です」

 審判員資格を持つダオが、頭の中のルールブックを読み上げるように答えた。

「8割って……?」

 深雪がタイムを確認した。

「48分。4Q(ヨンク)を3分経過したところまで」

 翠が深雪に答えた。各Q(クォーター)は15分。全試合は60分の計算だ。

「今は……?」

「……6分経過してます」

 ダオが、言いにくそうに答えた。

「嘘でしょ……」

 環が絶望を隠しきれずに脱力してベンチに座った。

「えっ? えっ? どういう感じですか?」

 光は状況が理解できずにメンバーの顔を見回した。一華は黙ってカメリアルズのベンチを見ていた。


 ピピ――

 会場全体が、オフィシャルベンチを注視した。

「この試合、悪天候により中止とします。なお現時点で51分を経過しているため、この試合は成立しているとみなします。よって、カメリアルズの勝利とします」

 会場からは溜息が漏れた。

 ラクロスのクロスはその(シャフト)部分がステンレスでできている。避雷針となり落雷する危険性が高い。雷に関してのリスクマネジメントは厳しく管理される。練習においても、どんなに大事な試合においても、それは変わらない。


「んなことあんのか……」

 ラクロス未経験者の一樹が驚いて清華を仰いだ。

「NEO(新しい) THUNDERS(稲妻)のくせに雷で不利になってどうすんのよ」

「そういう問題か……?」

「カメリアルズは得点をリードしてから、攻撃に時間をかけるようになった。おそらく4Q(ヨンク)も攻撃せずに、1点差のまま逃げ切るつもりだったはずよ。8割で終了しても勝てるように、途中から調整したのよ」

「なるほど……。でも1点差でこんな不完全燃焼……。やりきれないだろうな」

「ラクロスはただの点の取り合いじゃないのよ。今のNEOにその調整力と遂行力はまだない。カメリアルズの必然の勝利よ。運じゃない。でも気づいてた子がいるだけマシかしら。一華もいい仲間に恵まれてるわね」

 清華はベンチの荷物を片付ける翠の横顔を見た。


「まさか、雷が鳴らなきゃ勝てたとか思ってませんよねぇ?」

 荷物を持って更衣室へ向かう一華に、伊代が声をかけた。

「雨が降ってなきゃ、こんなギリギリの展開にすらならないんですよぉ?」

 伊代は首を傾けた。

 一華の後ろで、NEOのメンバー達が伊代に鋭い眼光を浴びせた。

「半年後が楽しみだね。頭洗って待ってな」

 一華はそう言い放って離れた。

「……頭洗ってどうするのよ。かっこいいんだか悪いんだか」

 深雪は溜息をついて一華の後を追った。

「はぁ。話通じな~い」

 伊代も更衣室へ向かった。


 董も防具をまとめベンチを去ろうとした。すると目の前に、頭を下げる潤の姿があった。

「潤……」

 董が名前を呼ぶと潤は頭を上げ、何か言いたげに唇を動かした。しかし何も紡がない。

「ライバルのいない世界にも、飽き飽きしてた」

 何も言わないかつての後輩にしびれを切らして、董が先に口を開いた。

「私の真似してたって、私は超えられないよ。そもそも利き手も違う。自分のプレー探しなよ」

「……はいっ!」

 潤は覚悟を決めたように頷き、走り去った。



「おっとまずい。仕事に戻んねーと。俺先行くわ。今日の日程教えてくれてありがとう」

 一樹は腕時計を確認し、せかせかと会場をあとにした。

「これで貸し借りなしよ~」

 清華がひらひらと手を振った。

「にしてもやっぱり一華ちゃんのプレーは痺れるな」

「怪力っすね。俺もシンプルで好きっす」

 下方の観客席から聞こえてきた会話に、清華は眉を吊り上げた。

「私の妹が、なんだって?」

 額に青筋を立てて、一華の噂話をしていた男達の後ろに立った。

「へっ?」

 男は体を反らせて上を向き、清華を見た。


「……一華ちゃんにこんな綺麗なお姉さんがいたとはね……」

 亮介は横目で清華をみながら言った。

「私の妹に変な気を起こしたらただじゃおかないわよ」

「へぇ……。ただじゃおかないって、何するつもり?」

 亮介は首を動かし、下卑た目つきで清華を見下ろした。清華はすっと瞼を伏せた。

「膝。手術してるわね。それも両方」

「……」

「私は医者よ。手術跡をみればわかるわ。もう持ってこれる靭帯ないんでしょ? ラクロスどころか、日常生活もままならないあんよにしてあげましょうか?」

 清華が唇を舐めて下から凄んだ。

「……人を助ける職業じゃないのか……?」

「ふは。冗談よ。内科医だし」

 一華と同じ、屈託のない笑顔で笑った。

「……ははは……。同じ顔なのに、言ってることが怖いな」

「あ、一華!」

 清華が、着替えを終えた一華がやってくるのに気が付いた。清華は一華に詰め寄った。

「ん? げっ。清華⁉」

「一華あんた、アメリカから帰ってきてお姉ちゃんに挨拶もないなんていい度胸ね。一樹に借りを作るはめになったじゃない」

 清華は脅すように一華の顎に手を添えた。身長は一華の方が高いのに、なぜか清華が見下ろしているように見える。

「お姉ちゃん⁉」

 後ろを歩いていたNEOのメンバーが驚いて清華の顔をまじまじと見た。たしかに一華より髪が長いくらいで、他の容姿はそっくりだ。

「あ~だって。忙しいかなと思って~」

 一華は体を反らして目を泳がせた。

「清華さん、お疲れ様です!」

 深雪と翠が一華の脇から顔を出した。

「あ、翠、深雪~! やっとサンベアーズ辞めたのね~。正解よ。うちにこない?」

「は⁉ だめ! 私の仲間だよ」

 一華が両手を広げて深雪と翠の前に立ちはだかった。

「あんたはいらないわよ。私馬鹿は嫌いなの」

 清華が一華の額をつついた。

「ま、いいわ。次の試合、戦うの楽しみにしてるわ」

「えっ次戦うの? 清華まだラクロスやってるの?」

「あ、た、り、ま、え、で、しょ」

 清華が一華の両頬を引っ張った。

「一華、まだあんなシュート打ってるのね。あんなシュートじゃうちには勝てないわよ。日本一になりたいんでしょ? 2敗したらまずいんじゃないの?」

「⁉ ほういうほほ?」

 一華は頬を摘ままれながら食いかかった。

「さぁね。そんなこと教えるほど私は優しくないわよ。仲間たちに教えてもらいなさーい」

 一華の顔をいじるのをやめて、清華は踵を返した。サンダルのヒールの音を響かせて、長い髪をなびかせながら会場をあとにした。

「……それに気づかせようとするあたり、充分優しいと思うけどね」

 体半分こちらに向けて一部始終を見ていた亮介が息をついた。

「あの人は清華さん。一華のお姉ちゃんで天王大の私たちの3つ上の先輩。今はCROSSE(クロス) HEARTS(ハーツ)の主将よ」

 深雪がメンバーに説明した。

「クロスハーツ⁉ じゃあ、お医者さん?」

「え、なんで清華が医者ってわかるの?」

 叶恵が手の甲で眼鏡をずり上げた。

「CROSSE HEARTSは、ラクロス部のない医大の学生が創ったサークルが、元となってできたチーム。今は医学部卒や現役の医療関係者が集まって成り立っているクラブだよ。もちろん入団に制限があるわけじゃないけど……。ま、相当高学歴じゃなければ進んで入ろうとは思わないよね。清華さんは天王大の院を出たあとにクロスハーツにはいったと思う。まさか一華ちゃんのお姉ちゃんだとは気づかなかった……。でもよくみたらそっくり……。いやほぼ同じ顔……」

「なんで一華は知らないのよ」

「まぁ最近会ってなかったし」

「それより、気になること言ってた」

 翠が話を遮った。

「そうだ。私のシュートがしょぼいって言ってたな。いっつも肝心なことは教えてくれないんだよな~。清華のやつ」

「あんなシュートっていうのはどういう意味?」

 翠が顔を上げて尋ねた。一華は試合での自分プレーを想起した。

「……確かに、最近思ったところに打ててないんだよね。なんでだろう」

「足だよ」

 声の方を向くと、亮介が背もたれに腕を置いて一華を見上げていた。

「君には決定的な弱点がある。よかったらゴール前で教えるよ」

 階段を登って一華たちのところまできた。

「誰?」

 翠が殺気立って前に出た。以前にラクロスショップで会ったことを忘れている。

「えーっと……あ、亮介。大丈夫だよ。いいやつだよ」

 こめかみを押さえて唸っていた一華がやっと名前を思い出した。

「はは……。君たちの大事なリーダーに何もしたりしないよ」

「……なんで私にそんなこと教えてくれるの?」

 一華が訝しがって尋ねた。

「ん~。なんだろな。好奇心? 君のラクロスがどこまでいくのか興味あるんだよ。君のお姉さんと同じようにね」

「……ふ~ん。なら聞く。みんな先帰ってて」

 深雪に車のキーを投げて、一華は亮介のあとについていった。雨は大分小雨になってきた。


「あれ? 潤と碧依は?」

「潤の車に乗って帰りました。これからジムのプールで泳ぐらしいですよ。アイシング代わりに」

「この後に!? 変態ね。みんな駅まで送るわ」

 深雪が遠隔キーで車のロックを解除した。

「深雪、1人あぶれるよ」

 翠が残りの人数を確認した。一華の車は7人乗りだ。


「お疲れ。深雪」

 駐車場に到着すると、一華の車に青年が寄りかかっていた。

「わっ。理斗(りと)! 見に来てくれてたの?」

 深雪が驚いて立ち止まった。

「誰ですか?」

 千尋が目を輝かせて顔を覗かせた。

「深雪の婚約者(フィアンセ)

 翠が深雪の代わりに答えた。試合後のプロテインを啜る。

「だからなんなのよそれ!」

「え、深雪さんまさか試合のあとにデートいれてるんですか? 強者すぎる……」

 顔を引きつらせる千尋を無視して、理斗が深雪の前に仁王立ちした。

「深雪、なんでお前、ボールマンと対峙するとき前にでるんだよ。俺はそんなステップ教えた覚えないぞ」

「理斗にステップなんか教わった覚えないわよ! え、でも、前に出るんじゃないの?」

「あのなぁ、こないだ居酒屋で話しただろ。そんなことしたら重心がこう……」

 2人は荷物を降ろして本格的にステップ談義を始めた。薄暗い駐車場で、1on1を模して対峙しながらあれやこれやと話し合っている。

「深雪さんのデートっていつもこういう感じなんですか」

 光が2人を横目に翠に問いかけた。

「知らん。丁度いい。これで全員乗れる。帰るよ~みんな」

 翠はキーを指で弄んで車へ向かった。




「ゾーンディフェンス?」

 NEO THUNDERSのメンバーは公共の会議室を貸し切り、次の試合に向けてのミーティングを開催していた。

「そう。CROSSE HEARTSは小さく守るタイプのゾーンディフェンスを得意としてるチームだよ。守備6人の配置はこう」

 叶恵がホワイトボードの前に立ち、フィールドコートにマグネットを貼っていく。ゾーンディフェンスとは、1人ひとりがスペースを守る守備の戦術のひとつだ。人が人にマッチアップし、1対1の勝負が繰り返されるマンツーマンディフェンスと異なり、連動力、経験値、センスが問われる。ボールを奪いやすくするため、シュートを打たせにくくするため等、チームの目的によって人の配置が変わってくる。

「トップの1人の運動量が多くて、この人が上からの1on1を守る。このポジションは基本的に一華のお姉さんの清華さんがやってる。体格は一華ちゃんほどじゃないけど、足も速いし反応も速い。ポジショニングは無駄がなくて体幹も強い。守備の固さに関しては一華ちゃんを上回る。去年のクラブリーグMVPは伶歌ちゃんだったけど、協会内の話し合いでは最後まで清華さんも残ってた」

「怪物の姉も当然怪物ってわけか……」

 NEOのメンバーたちは、青ざめて苦々しい声を漏らした。

「そうよ。清華さんは私たちが1年生の時の4年生。いわば“神世代”。椿森学園やカメリアルズがトップに君臨する以前の“天王時代”はあの人が天王大に入学したときから始まったのよ。10年以上前の話だけどね」

 深雪が当時の情景を振り返るように言った。

「清華さんは怒ると超怖い……」

「ふはは」

 翠が何かを思い出して身を縮め、一華が笑った。

「で、清華さんが万が一抜かれたら中の人が顔をだしてくるから、上からの1on1は通用しないと考えた方がいいと思う」

 叶恵がゴール前に配置されていたマグネットを動かした。

「じゃあサイドから行く感じですか?」

 光が手を挙げた。

「馬鹿。上も横も同じだよ。常に近い位置にフォローがいるんだから、単純な1on1はすぐ捕まるよ」

 千尋が戒めた。

「そういうこと。どこから攻める? 一華ちゃん」

 叶恵が眼鏡をずらし、キャプテンに指示を仰いだ。

 一華が立ち上がり、長い指でホワイトボードを突いた。

「もちろん、間から」



「ただ今よりNEO THUNDERS vs CROSSE HEARTSの試合を始めます。礼」

 太陽は真上に上がった。

 日射しが頭皮にじりじりと焼き付ける。人口芝からゆらゆらと熱気が昇り肌にまとわりつく。立っているだけでじっとりとした汗が噴き出してくる。

 観客席には亮介の姿があった。タオルを頭からかぶり、直射日光を避けている。

「今日暑さ指数何度なんだ……? 試合できるのか?」

 気温だけでなく湿度、日射、輻射から導き出す指標WBGT(Wet Buld Globe Temperature)が31°を超えると、ラクロスの試合は中止される。試合直前だとしても、観客がどれだけ集まっていたとしても、その指標を超えれば有無を言わさず中止される。暑さ指標が高まる真夏を避けた試合の開催を検討など、アマチュア屋外スポーツの悩みの種だ。


 一華と清華がドロー位置についた。

「一華~。妹と試合できる日がくるなんて、お姉ちゃん嬉しいわ~」

 汗を滴らせながら清華が舌なめずりをした。大学時代は同じチーム、一華はクラブ初シーズン。姉妹、こうしてフィールド上で向かい合うのは初めてだ。

「喋ってると舌噛むよ」

 ピッ

 ドローは高く上がった。

 一華は高さ勝負にもっていくつもりだった。目論見通り高く上がったボールに手を伸ばした瞬間、身体が傾いた。

「!」

 清華が反転し、一華に体重を預けていた。身動きが取れない。

 ボールは力なく落下し、フィールドに落ちた。クロスハーツのMFがボールを拾いあげ、攻撃サイドへ走った。

「ラクロスは1人でやるもんじゃないって教えたでしょ!」

 清華は一華を残してボールを追いかけた。

「そんなことわかってるよ!」

 一華は憤慨して清華の後を追った。


 クロスハーツの攻撃陣は何度もしつこくゴール前に入り込もうとした。そのたびにNEOの守備陣がコースを塞ぎ、ボールマンを押し返す。

「ナイスDF!」

 ダオがベンチから声を張り上げた。

 攻撃陣がボールを中々離さないため、NEOの守備陣もボールを奪うことができない。長いことシュートシーンにならず互いの集中力が切れかけたころ、上手くゴール前でパスを受けたAT(アタック)がシュートを放った。

「?」

 潤はそのシュートに違和感を覚えた。

「チェイス!」

 志麻の声に反応し、翠がボールを追った。

 ラクロスではシュートが枠から逸れフィールドの外へ出た場合、一番近くにいた者がボールを獲得する権利を得る。

 最初にボールに辿りついたのはシュートを打った本人だった。クロスハーツの攻撃が続く。

 ボールがゴール裏から大きくトップに返された瞬間、一華がボールマンとの間合いを詰めた。ボールマンは一華のプレッシャーに気圧され一歩下がり、背を向けた。

 その瞬間碧依がそのボールマンに走り寄り、一華と碧依のダブルを組んだ。2人のアプローチに身動きがとれず、ボールマンが身体からクロスを離した瞬間、碧依がそのクロスを弾いた。

 フィールドに落ちたボールを叶恵が拾い、すでに走り出している深雪に投げた。

「えぇっ叶恵! いつからそこにいたの!」

 一華が興奮して叫んだ。

「この2人に囲まれてボール落とさないプレイヤーなんてそういないよ!」

 敵と同時に走り始めたら敵わない。だから予測して、先回る。それが凡人の見出した戦い方だ。

「カメリアルズ戦は実力者揃いの戦いに気後れしてたけど、私たちもそろそろ一皮剥けないとね!」

 深雪がボールを持って攻撃サイドへ走った。しかしスペースを守るゾーンディフェンスを敷く守備に速攻は通じない。予めそのスペースで待ち構えているのだ。

 深雪はスピードを落とし、守備と守備の間に切り込んだ。

――ゾーンディフェンスの崩し方は、まず1人ひとりのゾーンの間に仕掛けること。そうすることで同時に2人のDFを動かすことができる。それを何回も繰り返して、ずれが生じたスペースに飛び込む。この飛び込み(カット)の緩急がカギだよ!

 ミーティングで、一華が楽しそうに解説したゾーンディフェンスの崩し方。外から崩すのは、深雪、一華、千尋、光。そして中に切り込むのが――

(環ナイス飛び込み(カット)!)

 深雪は、守備と守備の境目に飛び込む環の、少し後ろのスペースにボールを投げ込んだ。ゴール前のスペースを守るDFがクロスを伸ばしてパスカット(インター)を狙う。

 ボールをキャッチしたのは、環ではなく碧依だった。

「2枚カット――!?」

 ゾーンディフェンスの1人が守るスペースに、時間差で2人が飛び込む戦術だ。

 環のクロスに全体重をかけていたDFは、体勢を崩して倒れた。

 碧依はボールを持って環を追い越し、しなやかに横投げ(サイドロー)のシュートを放った。シュートボールはゴーリー左上・3番へ突き刺さった。

「ナイス! 碧依!」

「碧依ちゃんナイスシュート! うますぎ!」

 NEOの攻撃陣が碧依を称えた。

「……背番号9・環と背番号7・碧依の2枚カット。それからさらに一華の弾丸シュートってとこかしらね」

「まぁそれはやってくるだろうね。次あたりじゃない?」

 クロスハーツの守備陣は集まり、NEOの選手の背番号を確認しながら次の戦術を話し合った。規定の30秒間きっちり全て使って、各々のポジションに戻る。

(……長いな)

 翠は横目で、クロスハーツ守備陣の一挙手一投足を観察していた。


 2度目のドローは、一華が力技を炸裂させた。引きドローで背筋を使って無理矢理クロスを引っ張り、碧依のいる攻撃側へ飛ばした。

 ボールは荒々しく碧依と碧依の対面の頭上を突き抜けた。2人とも前のめりに構えていたが、クロスハーツのMFは重心を浮かし、手を伸ばしてボールを追った。

 ボールはさらにその上をいく。碧依は重心を変えずそのままバック走で下がり、背後に落下するボールを片手でキャッチした。

「ほんっとに器用ね……」

 対角にいた深雪が感心して呟いた。


 碧依はボールをゴール裏まで運び、千尋に預けた。

「じゃ、今度は裏から行かせて頂きますよっ」

 千尋がゴールサークルの際から攻め込み、DFを押し込んだところでサイドの光へパスを投げた。光はなめるように2枚のDFを巻き込んでゴール前を横断する。ゴール脇から環、碧依が2枚カットを繰り出しDFをゴール前に集めた。

 ゴーリーからみて右サイド45°のラインが空いた。そこに一華が飛び込む。光から一華にトスが渡り、一華がシュートモーションに入る。

 その瞬間審判が、イエローフラッグを掲げた。クロスハーツの守備陣は今、ゴール前に密集している。

 守備は11m半円内にマークマンなしで3秒以上滞在することはできない。ゾーンディフェンスを敷くチームは自分のマークマンを決めないため、3秒ルールに捉われやすい。

「⁉ 一華! イエローフラッグあがってるよ⁉」

 イエローフラッグが上っている間、シュートさえ打たなければ、ボールマンはフリーシュートの権利を獲得できる。この作戦は、ゴール前に人を密集させることで相手のファールを誘い、一華にフリーシュートを打たせる戦術だ。

 一華は深雪を無視して下半身を踏ん張った。腰、肩へと力を伝わせクロスをしならせる。ゴール前にいた選手たちは慌てて身を屈めた。

「! うわ!」

 シュートボールは轟音を響かせ空を割きゴールネットを揺らした。ゴーリーの構えを無視し、クロスを持って(ニア)いる側(サイド)へ一直線だ。

 会場の誰もが息を飲んだ。

「いいコ~ス」

 一華は自画自賛して息を吐いた。

「ばか! 死んだかと思ったわ! 自分のシュートスピードわかってんのか⁉」

 環が一華の頭に手刀を喰らわせた。

「ごめんごめん。みんな避けたの見て打ったから許して」

 一華は頭をかいた。

 碧依が、驚愕と畏敬が入り混じった表情で一華を見つめた。

(伸びた……。前のシュートモーションと足のステップが違う。引き足を後ろにクロスさせて腰の捻りを加えたんだ。クロスももう少し横振りだったはず……今は完全な縦振り……。ボールの回転のため……? すごい、どんどん進化していく……)

 碧依は一華のシュートモーションを分析し、見様見真似で素振りをした。


 滴る汗を拭い、清華が一華を見た。

「……」


「数週間でマスターされるとは思わなかったけどねぇ」

 観客席の亮介が柵に肘をつき、感嘆した。



    *


 前回のカメリアルズ戦の後、フィールドに戻った一華は亮介にシュートの指導を受けていた。

「怪我してるのは、右脚?」

 突然古傷を指摘され、一華は居心地が悪そうに身動きした。

「……え、うん。昔ね。わかるの?」

「わかるよ。前十字靭帯だろ? 俺も同じ怪我。珍しいことじゃない」

 亮介は膝の手術跡を見せた。

「一華ちゃんは無意識に右脚を庇うようなプレースタイルになってる。シュートフォームにもそれが顕著に現れてる」

「フォームを直せばもっと球スピードが速くなる?」

「いや。これ以上球速を速くしてもコントロールが難しくなるだけだよ。君のシュートボールに足りないのは、球のキレ」

「キレ?」

「野球の知識は?」

「ない」

「じゃあ、実際に見せた方が早そうだな。ゴールの後ろから俺のシュートを見ててごらん」

 一華は言われるがまま、ゴールの裏へ周った。

 亮介が身体をしならせ、ゴールに向かってシュートを打った。亮介が放ったボールは、クロスから離れた瞬間から速度を落とさず、むしろ加速するようにゴールへ吸い込まれた。

「!」

 ボールは回転しながらネットを突き上げ、ゴールの裏にいる一華の目と鼻の先まで伸びた。一華は瞬き一つせずにそのボールの回転を凝視した。

「わかるかな」

「……逆回転……? 途中から急に速くなって、思ってるより上にきた……!」

 一華は興奮した様子でゴールの後ろから顔を出した。

「さすが。目もいいんだね。これをボールのキレって言うんだ。君のボールは速いけど、途中から遅くなるし、ゴールにたどり着く前に落下する。その間にゴーリーの目は慣れるし、身体も間に合う。初めて戦う相手にしか通用しない」

「やり方教えて!」

 小走りで亮介の元へ戻った。

「一華ちゃんは左利きなのに軸足の右脚を怪我してるから、投げるときの回転がぶれて力が分散されてしまう。まずは腕の回旋やボールの放し方(リリース)よりも、下半身の使い方だね。俺も経験したけど、怪我のトラウマがあるから最初は踏ん張るのが怖いと思うよ。まずはそれを……」

 一華は亮介の言葉を聞かずに、素振りを始めた。右脚に重心を置き、骨盤、上半身へと回転を連鎖させていく。

「……、まぁ心配無用みたいだね」

 亮介は一華の正面に立ち、軸の傾き、クロスの位置を確認した。

 その日朝から降り続いていた雨は、すっかり上がっていた。


    *



 前半を2対0、NEOリードで終えた。

「一華、碧依ナイス~!」

 NEOのメンバーはベンチに集まり肩を叩き合った。

 少し離れたところで、翠が相手ベンチをみて考え込んでいた。

(……なんか変だな。清華さんがなんの対策もなしにこのままずるずる離されるはずがない……)

「翠さん、ちょっといいですか」

 潤が浮かない表情で翠のところへ来た。

「なんか……。向こうのAT(アタック)、わざとシュート外してるような気がするんですけど……」

「⁉ わざと……?」

 翠は再びクロスハーツのベンチを見た。全員で頭を付き合わせ、おそらくはデータを集計している。

「なるほど……潤、3Q(サンク)からは、普通に打ってくるから油断しないで」



 後半開始のホイッスルが鳴った。

 クロスハーツのMF(ミッドフィルダー)は碧依の両脇にポジションをとった。2on1だ。碧依側にドローを飛ばせば、獲得の確率が下がる。

 それを見た一華は逡巡し、上に飛ばす方ための構えをとった。

「これで五分ね。落ちているボール(グラウンドボール)なら負けないわよ」

 ボールは高く上り、一華は清華に抑えられた。

 碧依は1人にブロックされ、もう1人と深雪が向かい合う形で落ちてくるボールに向かった。

 このままお互いスピードを落とさなければ頭同士がぶつかる。しかし深雪はスピードを落とさずにボールへ突っ込んだ。あと少しで手が届くというところで、ボールが視界から消えた。

 地面にバウンドしたボールが清華の方へ向きを変え、一華を押さえていたはずの清華がボールをゲットしたのだ。

 清華が攻撃サイドへボールを運ぶ。クロスハーツの攻撃陣はまたしても時間をかけ、執拗に守備を動かし続けた。


 暑さでいつもに増して失われていく体力。NEOの守備陣のふくらはぎには疲れが溜まり始めた。いつものように足が動かない。

 ボールを持った清華はDF(ディフェンス)から距離をとった。その距離を助走に使ってステップを踏み、半身だけ抜いた状態でロングシュートを放った。

 隣にいた叶恵も足が動かずフォローに間に合わず、シュートは潤の左手上方・3番に吸い込まれた。


 NEOのメンバーは思わず息を飲んだ。

「……一華のプレースタイルとそっくり。あんな所から打てる人、一華の他にいたんだ」

 志麻が顎に伝う汗を拭いた。

「いやスピードは……一華さんほどじゃないです。でもクロス上手く隠してて、放す位置(リリースポイント)が見えませんでした」

 潤が悔し気にボールを拾った。

 叶恵が今にも攣りそうなふくらはぎを揉んだ。

(……碧依ちゃんが中に抜かれるとは思ってなかった……。それだけもう、足にきてるんだ。私の足ももう、地面にへばりついてるみたいに重い……。経験則だけでの予測じゃだめだ。試合状況は変わっていくんだ)

「そろそろ疲れてきたんじゃない?」

 清華が肩で息をするNEOのメンバーを嘲った。

 NEOには交代メンバーがいない。一方クロスハーツはメンバーも充実している。クラブリーグのブロック戦においては、べンチメンバー登録人数に上限はない。疲れる前に交代し、常に体力のある状態で戦える分、人数の多いチームが有利だ。

「私は一華みたいに、いいやつじゃないわよ。チームの弱点は徹底的に突くわ」

 清華が翠の肩に手を置いた。

 翠は膝に両手をついて、かつての先輩を睨み返した。


「NEOの守備時間が長すぎる……。後半私たちほとんどボール触ってない……」

 息を荒げる守備陣をフィールドを3分割(リストレイニング)する線(ライン)外から見守りながら、千尋が漏らした。

「ナイスディフェンスー! がんばれー!!」

 光が守備陣に激励を送った。守備陣がボールを奪わなければ、NEOの攻撃陣は何をすることもできない。

 クロスハーツの攻撃陣、今度はゴールサークル周りの攻撃回数を増やした。ゴール前付近では細かい動作の遅れが命とりになる。

 ATは何度もゴール裏からの切り込みを繰り返し、NEOの守備陣の足を動かした。パスを出す振りをしては投げやめ、余計な体力を使わせた。

「⁉」

 いつの間にか、翠のマッチアップが清華に変わっていた。

「! まずい」

 志麻が舌打ちした。翠と清華の身長差では、ゴール付近の密集地帯では簡単にボールが入ってしまう。翠とマッチアップを変わろうとして振り向くと、翠が叫んだ。

「いい、自分のマークマンに集中して!」

「!」

 志麻のマークマンにボールが渡った。志麻の一瞬の遅れを見逃さず、ゴール脇0°から少し踏み込んでシュートを押し込んだ。

 DFのプレッシャーなしではコースが絞れない。潤は反応したがボール一個分届かず、左膝の外へ抜けていった。


 ピ――ッピ

 ラスト1Q(クォーター)を残し、2対2の同点に追いつかれた。

「ナイス蛍~!」

 清華がシューターに駆け寄って抱き着いた。

「ちょっと暑いって。清華がDF引き寄せてくれてるからね。少しくらい貢献しないと」

 蛍と呼ばれたATは清華の背中を叩いた。


「ごめん。余計なことした」

 志麻が翠に謝った。

「いいよ。そういう作戦なんだよ。次私が清華さんにつくことになったら、ボールから目を切って入れさせないようにするから。志麻は自分の仕事に集中して」

「わかった」

 翠は額の汗を拭った。啖呵を切ったはいいが足の裏の感覚がない。全員、体力は限界に近い、集中力も落ちている。もう一度相手にボールが渡ったら、奪う術もない。

 ここで負ければ、全国大会の出場はまずない。日本一への道は閉ざされる……なんとかして勝たないと……。

 NEOのメンバーの顔には焦りが浮かんでいた。

「追い上げられるほうがきついでしょ?」

 清華がクロス肩を叩きながら、表情の硬いNEO守備陣の間を突っ切った。

 すると一華が、急に大声をあげた。

「はぁ~! 楽しい~!!」

 NEOのメンバーもクロスハーツのメンバーも、驚いて一華を見た。

「こんなにハラハラする戦い、久しぶり! 楽しいね⁉」

 一華が誰にともなく聞いた。

 選手たちは目をぱちくりさせた。風のない、心綺楼が揺れるフィールドの真ん中で、一華の満面の笑みに光が射した。

「勝とう!」

 一華はそう言ってドローポジションに向かった。

 NEOのメンバーは顔を見合わせ、思わず噴き出した。一華の中に“勝たなければならない試合”などない。全国大会も日本一も、先のことはどうだっていい。今この一瞬を誰よりも楽しんでいる。

「清華の妹って、ちょっと狂気じみてるわよね……。好きだけど」

 顔を引きつらせる清華の横で、蛍がくすくすと笑った。


『タイムアウト、CROSSE HEARTS』

 クロスハーツがタイムアウトを申請した。

 NEOのメンバーはベンチに集まった。タイムアウトは90秒。その間に共有事項を伝え合う。

「こんなロースコアだと、1点の重みが違ってくる。確実なシュートを決めたい」

「コースは?」

 メンバーがダオの意見を仰いだ。

「今日、シュート打ってる回数が少ないので……優位性のあるデータが取れてません。でも向こうのゴーリーの反応は遅いです。というよりぎりぎりまで全然動かないタイプなんで、フェイクとか駆け引きは通用しないです。シュートに時間かけ過ぎると守備が近い分寄ってくるので、フリーでストレートに打てるときに打って下さい」

「誰でも構わない。鋭い一発が打てるチャンスのときに打ち込もう」

 攻撃陣は互いの顔を見合わせた。

「……よし。行こう!」


「もっと打たせていいですよ」

 守備陣が振り向き、潤を見た。

「驚異のあるシュートじゃないです。今のもギリギリ掠りました。DFのプレッシャーがあれば獲れます。打たせてボールを離させないと、ボール奪えないですよ」

 リスクはある。勝ち越しされたら終わりだ。しかし先程の一華の笑顔が、メンバーの心に勇気を灯していた。

「頼もしい」

「よーっし」

 守備陣は気合を入れ直してポジションへついた。


 再び、ドローサークル上の碧依には2人のMFが挟むようにして付いた。ドローがセットされる前から、碧依の両脇から圧力をかける。

「一華さん! こっちに投げて下さい! 絶対獲ります!」

 碧依が叫んだ。

「なめられたもんね」

 クロスハーツのMFはぐいぐいと碧依の前に足を入れた。ホイッスルが鳴った瞬間に碧依の前に体を入れるつもりだ。

 一華は横目で碧依の位置を確認し、クロスに力を入れた。

 ピッ

 碧依はホイッスルと同時に後ろに下がりブロックから外れ、そのまま後方へダッシュした。

「ぬぁぁッ」

 一華が唸り清華のクロスごと強引に引っ張った。清華はクロスを取り落とした。

 ボールは碧依たちの上方へ矢のように走った。重心を前のめりにしていたクロスハーツのMFは、そのまま1歩前へ出てつんのめる。

 フィールドを3分割(リストレイニング)する線(ライン)まで飛んだボールを碧依が独占し、拾い上げた。

「ドローがあんなに飛ぶの初めて見た」

「さっきより伸びてない……?」

 久々にボールを得た攻撃陣は興奮した。一華も一華で、少しずつ成長する仲間たちに呼応するように、力を伸ばしていた。

「まだ10分ある! 確実に1点!」

 深雪が後ろから叫んだ。


 NEOは隙を探しながらボールを回した。

 一華がボールを持ち、攻め込むだけで守備の形はある程度崩れた。環の影から碧依が飛び出し、光からボールを受けほぼフリーでシュートチャンスが生まれる。

 碧依が一度フェイクをいれ、ゴーリーが動いたあとに逆側へ投げ込む……

「!」

(ゴーリーが動かない……)

 碧依は打ち迷い、苦肉の策で枠外へ投げた。しかし、クロスハーツのゴーリーは、明らかに枠から外れたシュートに無理矢理手を伸ばし、ボールを獲得した。

「なっ」


 ボールはクロスハーツ側に渡った。

クロスハーツは安全なパスを繰り返し、攻めてこなかった。同点のまま、じりじりと残り時間が削られていく。

「せ、攻めてこいよ! なんのためにラクロスやってんだよ!」

「そんな挑発に乗るのはお子様だけよ」

 吼える一華を清華があしらった。

 翠は考えを巡らせた。延長戦に持ち込んで体力勝負にする気か……。いや、ブロック戦に延長戦はない。同点で試合終了だ。全国大会に行けるのは関東で2チーム。試合結果をもつれさせて他チームとの得失点差争いを狙ってる……?


「ラスト2分!」

 クロスハーツのベンチから合図が飛んだ。同時に、クロスハーツの攻撃陣がボールマンの脅威を急激に高めた。

「⁉」

「ずっとこの時間を待ってたのよ」

 体力の限界を迎え足が棒になっていたところで相手が攻めてこなくなり、動かさなくてよくなった足は、また急には動かない。

 ボールを持った清華には叶恵がついていた。

「あなた足引っ張ってるわよ。日本一獲りたいなら、もっと自分を磨きなさいよ」

「!」

 碧依に仕掛けたステップを叶恵にも仕掛け、半身を抜いた。隣の深雪がフォローに追いつき、コースを塞ぐ。

 清華は深雪に対しても同じステップを仕掛けた。しかし深雪は清華からバックステップで距離をとり、間合いを保った。

「へぇ。バックペダル……珍しい」

 観客席の亮介が目を瞠った。バックペダルはサッカーやアメフトの守備選手が用いる守備手法だ。

「ラスト20秒!」

 清華は深雪を抜くことができなかったが、深雪が下がった分ゴールに近づいた。

「この距離なら十分!」

 そこから振りかぶってクロスを体に隠し、ゴーリーから見えない位置からシュートを放った。

 潤はボールを見極め一歩でコースに移動し、クロスを持つ手を伸ばした。

 清華がシュートを放った瞬間に、翠はチェイスに走っていた。

「うそっ」

 ゴール裏にいたATの蛍は自分に近づいてくる翠に気づき、まだ外れてないシュートのチェイスに向かった。

 潤のクロスのフレームにあたったボールはエンドラインへ飛んだ。ボールが翠と蛍を追い越し、エンドラインを割った。

――外れたシュートボールはエンドラインを超えた瞬間にボールに一番近くにいた選手が保持者となる

 翠は横っ飛びでエンドラインに手を伸ばした。受け身も取らずに芝に滑り込む。わずかに、しかし明らかに蛍よりもボールが出た位置の近くに、倒れ込んだ。

「NEOボール!」

 審判が叫んだ。

「っしゃああ! 翠!」

 遠くから攻撃陣が賞賛の声を上げた。守備陣がもぎとった、最後の攻撃チャンスだ。

 翠は、鉄の味のする唇を拭った。

「小さいことが弱点だなんて思ったことないですね。ゴールが地面に置いてあるんだから、むしろ有利じゃないですか?」

 目を爛々と光らせ清華を睨みつけた。清華は忌々しそうに目を細めた。

「翠さんナイス!」

 潤が駆け寄って翠を起こした。

「ラスト何秒⁉」

「18秒!」

 ダオがベンチで数字の書かれたボードを掲げた。

 ラクロスの試合ではラスト2分間のみ、プレーが止まっている間、時計も止められている。翠がボールを手にしてホイッスルが鳴った瞬間から、時計が動き始める。

「ゾーンディフェンス相手に、18秒じゃ攻められない。守備をセットされる前にシュートを打ちきらなきゃ。それをみんなに伝えないと」

 翠が冷静な判断を下した。

 しかし、タイムアウトはいつでも要請できるわけではない。要請できるのは、ボール保持者がフィールドを3分の2以上進んでからだ。ゴール裏からそのラインまでは、70m近くある。

「私に任せて」

 志麻がフィールドにいるMFの位置を確認した。


 ピッ

 試合が再開した。翠はゴール前にいる志麻にボールを出した。

「! 志麻さん!」

 志麻がボールを持った瞬間、碧依が弾けるように走り出した。碧依が走りこむスペースに、特大ロングパスを投げ込む。

 志麻の遠投の飛距離の長さはチームの誰もが認識していた。志麻が持ったらロングパス。チームの暗黙の了解だ。

「一華ぁぁ! タイムアウトとって!!」

 ボールが空を切る間に、翠が叫んだ。

 碧依が誰もいないスペースに周りこみ、威力を保ったままフィールドを縦断したボールを、軽やかにキャッチした。

「タイムアウトォ!」

 時計は13秒で止まった。


 対策を打つ時間をとるということは同時に、相手にも対策をとる猶予を与えるということだ。

 両チーム、最後のワンプレーの選択を迫られた。

 クロスハーツは、より現実的に状況を分析していた。

「こうなったら同点に抑えこもう。今戻れてないMFはすぐにゾーンの配置について、ボールを奪うことよりも、小さく守る。打たせない」

「そうね。おそらく、フィニッシュは一華か碧依でくるはずよ」

 クロスハーツのメンバーは一華と碧依の顔を確認した。

「今までの戦歴の中でも、大事な場面は一華のスタンディングシュートで決まってる。一華頼みの可能性が高い」


 試合は碧依がボールを持った状態から再開された。

 碧依はサイドから中央に切り込み3人のDFの均等な距離間を崩す。がら空きになった45度にいる環がボールを受け、充分にDFを引き付けてから、中央に飛び込んだ一華にボールをいれた。

「やっぱり! 一華!」

 DFは一斉に環から重心を変え、一華を押さえにかかった。

 一華は体を反らしながら、逆サイドの45度に緩いパスを投げる。ボールを受けたのは深雪だった。

「深雪⁉」

 予想しない展開に守備陣は戸惑った。

――深雪はシュートには自信がないはず。この僅差の土壇場で、自分で打ってくることはない。ってことは。

 清華は目線を逆サイドに走らせた。最初にボールを持っていた碧依。今はゴール脇でフリー。ポジション上あそこからシュートを打ってるのは見たことないけど。あのラクロスセンスなら……。

 清華が深雪の前に入った。

――深雪が碧依にパスする瞬間に、パスカット(インター)を狙う!

 深雪が右足に重心を乗せた。それとほぼ同時に、清華はパスコースに手を伸ばした。

「!」

 しかし深雪は膝を曲げ、重心をスライドさせるように左へずれた。左足で地面を突っぱね、そのまま左側へ体をいれる。

 清華の身体は完全に置いて行かれた。

「あれは……。膝抜き……?」

 亮介が深雪のステップを凝視した。



    *


「膝抜き? 何それ。バックペダルとは違うの?」

 前回の試合の後に、深雪はあらゆるステップについて幼馴染の理斗に享受してもらっていた。

「全然違うよ。重心を一瞬で移動させるステップの技。足の力を瞬間的に抜くんだ。そうすることで重心を変えるのに余計な力を使わなくてすむ。守備のときは、無意識に使ってると思うぞ。それを、攻撃で相手を抜くときにも意識して使うんだよ。こうだ」

 理斗は駐車場で実際にステップを踏んで見せた。

「……こう?」

「ちがう。こう!」

「こう? ……あ! この動き、チアのダンスの時にもあったな……」

「ああ。膝抜きはいろんなスポーツに使われてるから――」


    *



 清華を抜き去った深雪は素早くボールを地面に叩きつけた。ボールはゴーリーの股下を通り、ゴールライン内に転がった。

「やった!」

 深雪は両手を上げた。そばにいた一華が深雪に飛びついた。

「深雪―!」

 攻撃陣、遠くから守備陣も駆けつけ抱き合った。


 戦術に翻弄された長い試合は、ノーマークの地味な選手のシュートにより、3対2のロースコアで幕を閉じた。


「ふぅ」

「お疲れ様」

 清華が観客席の壁に寄りかかると、頭の上から声がした。

「やっぱり君が一華ちゃんにラクロスを教えたの? プレースタイルもシュートフォームもそっくりだね」

 清華は顔を上げた。観客席から亮介が見下ろしていた。スポーツドリンクのペットボトルを差し出している。

「……そうよ。ラクロスもバスケも、勉強も、なんでも私が教えたのよ。全部追い抜かれたけどね」

 清華はペットボトルを奪い取った。ボトルは凍っていて、火照った身体に快感をもたらした。濡れたボトルの底を額に当てる。

「……そう思ってるのは君だけだよ。お姉ちゃんの話、ずっとしてたよ」

 清華はボトルの影から亮介を見上げた。逆光で、表情はよく見えない。

「一華に新しいフォームを教えたのはあんたね」

「そう仕向けたのは君だろ?」

 清華は壁から離れた。

「……男が女の戦いに口出してんじゃないわよ」

 清華は長い髪を翻し、フィールドへ戻った。

「嬉しそうじゃないか」



「清華ってさ……結婚しないの?」

 清華は飲んでいたハイボールを噴き出した。

 NEO戦後、清華と蛍、試合を見に来ていたSEA(シー) DRAGONS(ドラゴンズ)の果歩が女3人、大衆居酒屋で夕食をとっていた。

「そう言えば、PIRATES(パイレーツ)の背が高い人と最近仲いいわよね。清華」

 蛍がテーブルに身を乗り出し、冗談めいた口調で揶揄(からか)った。清香は口からぼたぼたと液体を垂らしながら目を丸くした。

「結婚⁉ 結婚ってあの、男と一つ屋根の下で暮らして家事やら子育てやら生活のタスクを背負わされて自由に生きづらくなる人生終了イベントのこと⁉」

「……結婚をそんな風に言う人初めて会ったわ……」

「うふふ。でもまぁ、確かに家庭では使い物にならない男が多いって聞くわね。家事をしている嫁に「手伝う?」って聞いてくる旦那の話とか、面白いわよね」

 蛍が可笑しそうに笑い、グラスに刺さるマドラーをくるくる回す。

「いや、仕事でも使えないじゃない。じゃあどこで使えるのよ。狩り? 一緒に狩りに行けばいい? ふははは! 少なくとも人類における私の役割じゃないわね」

「人類って……。話が大きいわね清華」

「あはは。私もそうやって強く生きられたらいいな……。蛍は?」

 果歩は苦笑いしながら残りのレモンサワーを飲み干した。

「そうね。今にでも結婚できそうな関係性を築けている人はたくさんいるわよ。男も女も。でも、さぁ結婚、とはならないわね。忙しいし……。ラクロスする時間が減るのは困るわね。果歩は考えてるの?」

 蛍が清華にお絞りを渡しながら聞き返した。

「いや~。私はしたくないんだけど、親がさすがにうるさくてさぁ。2人みたいに稼いでるわけじゃないし。嫁げ、みたいな」

「親世代にとっては結婚することは当たり前だからね。結婚しないという選択が信じられないのかもね」

 蛍がイカの塩辛に箸を伸ばした。

「まぁ、30歳も年が離れた人間と価値観を合わせるほうが無謀だと思うわ。どっちが正しいとかじゃないのよ。まぁ私がその立場なら理論武装して黙らせるけど……」

 清華が物騒な意見を述べた。

「でもほら人類と言えば、子供が欲しいとか、そういうのはないの? 少子化も進んでるじゃない? そこはどう考えてるの?」

 果歩が深堀りした。

「産んで、誰が育てるのよ。私は嫌よ。子供ってのは、普段一緒に暮らさないからかわいいのよ。孫なら欲しいわ。もしくは姪、甥。一華みたいな怪物の面倒を見てきて、子育てはもう()()りよ」

「少子化ってそれは国内の話よ、果歩。それに確かに出生率は下がってるけど、乳児死亡率も下がってるのよ。これから人口が減るのは、老人が寿命を迎えるからよ。人口構造上、多産少死のあとは今のような少産少死、そして少産多死になっていくのは自然の理なの。結婚率はあまり関係ないわ」

 清華には切り捨てられ、蛍の淡々とした理論攻撃の途中で、果歩は理解を諦めて目を瞑った。酒の席で頭の良い人間と真面目な話をするもんじゃない。

「まぁ最近恋愛も流行ってないし、好きな人と結婚したい~とか言っている層も頭打ちになっていくでしょうね」

 清華が焼き鳥の棒をつまんで指先で弄んだ。果歩は驚いて目を開けた。

「え? 結婚って好きな人とするんじゃないの?」

「……果歩は恋愛漫画やドラマの見すぎね。人の創り出したものばかり見てないで少しは自分の頭で考えなさいよ」

 呆れた顔で砂肝を食み、棒を横に引っ張った。

「清華、口が悪いわよ。とは言っても既存の形はつまらないのは事実ね」

「そうでしょう。でも結婚しないと見えない景色があるのも事実なのよ。希望があるとしたらそこね。2人で新しい世界をつくっていきたいと思える人間がいて、後は形として新しいタイプの結婚様式が打ち立てられれば考えるかなぁ」

 清華がもぐもぐと口を動かしながら、電子タブレットに映し出されたメニューを覗き込んだ。画面を中指でタップし、好みの肴を探す。

「例えば……?」

「……さぁ。時間があるときに考えてみるわ……ポテトサラダ頼むわね~」

 2人に問われた清華は、タブレットから顔も上げずに返した。

「はぁ。盛り下がるね。結婚」

 果歩が肘をつき、溜息を洩らした。

「この強情女を納得いかせる人間が現れるのか見物ね」

「蛍くらいだよそんなことできるの。清華と蛍で結婚とかやめてよね」

 果歩の言葉に蛍は目を丸くし、笑い出した。広い額に手をおき、腰を曲げる。

「ふふふ。それは面白いわね。今のところ一番自然かもしれないわ。果歩って本当に面白い」

「それこそ、蛍と結婚なんて、もうする必要のない関係じゃない? 結婚なんかしなくたって、既に色々と力を合わせて新しいものをつくる関係だもの」

 清華はあっけらかんと言った。

「ええ~もうわけわかんないよ」

 果歩は酒で頭が回らず、思考を放棄した。

「ふふっ。それより弟が学生時代にアメフトやっててさ、なんか大きい大会のチケット回ってきたんだけど今度一緒に見に行かない? ラクロスの勉強になりそうじゃない?」

 蛍がカバンから3枚のチケットを取り出し机に置いた。

「いいわね~! 行きたい!」

 ハイボールをぐいっと飲み干し、清華は手の甲で口を拭った。


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