エピローグ
――10年後
「先生、また転んだ~」
背の高い細身の生徒が、泣き言を漏らしながら保健室に入ってきた。
「あんたにはまだ、スタンディングシュートは無理。傷口の汚れは落としてきた?」
翠は生徒を回転椅子に座らせ、傷口を覗き込んだ。
「やだよ。私は絶対、日本代表になるんだから。これくらいできるようにならないと」
「何もかもできなくたっていい。コーチにそう言われなかった? 特技を磨けって」
翠は救急箱を取りに立ち上った。
「え~? 言ったかな。じゃあ先生、勉強は頑張らなくていい? 特技じゃないよ」
「別にいいけど。でも家で、深雪が教えてくれるでしょ?」
「深雪は最近仕事が忙しいって言って教えてくれないよ。それにお母さん返せって和泉がうるさいし。和泉の小学校の宿題見なきゃいけなくなるからやなの~」
生徒は口を尖らせて天井を仰いだ。
「なんで勉強してるの? 何か大学で学びたいことでもあるの?」
「ん~。学びたいことはまだ見つけられてないけど……。私、天王大に行きたいんだよね!」
生徒は足を器用に動かして、回転椅子ごと回る。
「……へぇ~。なんで?」
「ラクロス強いもん! でも、椿森学園もいいかなぁって。椿森も強いし……。牡丹と蘭ちゃんも椿森のユニフォームの方がかっこいいって言うんだよな~。でも天王大の雰囲気が楽しそうでさ~」
「こら真凛~!」
「げっ一華!」
開け放たれた保健室のドアに、一華が仁王立ちしていた。
「一華コーチ! もうみんな外周行ったよ! 上手くなりたいなら、誰よりも基礎練!」
グラウンドの方を指さし、真凛を急き立てた。
真凛は長く伸ばした細髪を揺らして、「は~い」と素直に練習に戻っていった。
「真凛、天王行きたいってよ」
翠は温くなったコーヒーを飲み干した。
「え~? 今度は古巣のコーチやるの?」
一華は眉を吊り上げ、旧友を見下ろした。
「……まぁそろそろいいんじゃない。別の人に預けても。大学生なんてもう大人。それより今度は深雪のとこの子だよ。和泉。下の子も小学校に上がるし。2人とも、真凛からラクロスの英才教育受けてて、面白いよ」
「もううちのキッズクラブも人数いっぱいになってきたな~。真凛が高校卒業したらそっちに専念しようかな」
一華は両手をぐっと上げ、伸びをした。
「うん。もう一つチーム創ってもいい。仲間だけじゃなくて、ライバルがいた方が楽しい」
「ふはは。それいいね」
「最近、NEOどう?」
水場でカップを洗いながら、翠が尋ねる。
「すごいよ。今部員70人もいてさ。毎週紅白戦とかやって、お互い鍛えてるって感じ。向こう数年は敵なしだな~。そろそろ強くて新しいチームがでてきてくれないと、張り合いがないよ」
一華が得意げに話した。デスクの上に腰を下ろし、長い脚を持て余してぶらぶらさせる。
「今年もテラが主将?」
「そうだよ。あいついいキャプテンだよ~。でもそろそろ交替したいって言ってる。ソラが来年アメリカから帰ってくるから、交代するかもね」
10年前、一華が外部コーチを務めていた高校の部員であったソラ。今は姉のテラと共に憧れのNEOに入団し、中心選手となって活躍している。
「ごきげんよう、お嬢さん方」
突然、気の抜けた声がした。2人が声の方へ顔を向けると、ストライプスーツの男が窓枠にもたれかかり、部屋の外からひらひらと手を振っていた。
「亮介。久々だね、どうした?」
一華はデスクから降りて窓際に寄った。
「デートの誘い」
亮介は、人差し指と中指に挟んだ用紙を突き出した。一華は首を傾げてそれを窺った。
「オリンピック……?」
「俺が女子ラクロスの日本代表監督に就任したんだ。君にアシスタントコーチを頼みたい」
一華は亮介に向き合った。
「興味ない」
「嘘だね。今、めちゃくちゃ楽しそう」
一華は大きな目を瞬かせた。色気のないチームジャージに身を包み、首にはホイッスルやストップウォッチをぶら下げている。一華は今、高校ラクロスやキッズラクロスを指導する立場にいる。
「……。確かに楽しい」
「そういう素直なところ好きだよ」
亮介は軽口を叩いた。
「ありがとう。前向きに検討するよ。但し、」
一華が亮介の手元から、用紙を抜き取った。
「私が監督ね」
紙を太陽にかざして、楽し気に笑った。
「……次の舞台はオリンピックか。清華先生に伝えないとな」
部屋を後にする一華の後ろ姿を見送って、亮介は口元を緩めた。
少し前から、仕事の合間にちまちまと書き進めていたお話でした。もしかして一生完成しないのではないかと思われ始めた頃に、願ってもない大自粛時代が到来しました。それまでの10倍速でキーボートを叩きまくり、ついにこうして完結させることができました。(書き始めたときは私、一華と同い年だったのですが……はて……これがサザエさん時空……)
この物語から、ラクロスという摩訶不思議なスポーツの面白さ、奥深さ、そして未熟さが伝わっていれば幸いです。(執筆中に競技ルール変えるのやめてくれ)そして、生き方を問い続ける女性たちの美しく逞しい姿を練り込んでみました。こんな女いるか? と思われるエピソードもあったかと思いますが……事実は小説より奇なりです。
2028年に開催される(予定の)ロサンゼルスオリンピックで、ラクロスは競技種目の仲間入りをする予定です。今後はそれに合わせて、大人の魅力を携えた一華のネクストステージを描ければいいなぁと思っています。……間に合うかな。
この度なろうサイトで初めて小説を書きました。まだシステムがよくわかってませんが……感想、レビュー、ブクマ、評価等頂けたら嬉しいです。
では皆様、ラクロスを知っている人も、全然興味なかった人も、最後まで読んで頂きありがとうございました。お疲れ様でした。