朝ごはん
「あんず」
優しい声がして、私は薄く瞼を開いた。
カーテンから光が漏れていて、声の主の方が逆光で見えない。
しかしその声は大好きな彼の声。
私はゆっくりと両腕を上に伸ばして、ハグを要求した。
「……」
「ユースヴィル?」
「はいはい」
ため息を吐き出して、彼は私の腕の間に収まった。
「おはよう、あんず」
「おはよう、ユースヴィル」
頬に擦り寄ると、身体が硬くなってしまうのは相変わらずだけれど諦めたよう。
最近は頭も撫でて欲しくて、もっともっとと彼の腕に埋まるのだ。
「ほら、ハルトが朝飯作ってくれたぞ」
「ハルトも来てるの?」
「昨日の夜遅くにな」
そう言うと、私の手を取って立ち上がらせてくれた。
「じゃあすぐに用意して降りるわね」
「待ってるよ」
優しく頭を撫でてくれるその手に網を返して、私は奥に続く部屋へと向かった。
階下へ降りると、ベーコンの焼ける音とハルトの鼻歌が聞こえてくる。
朝だなーと思いながら扉の影からハルトとユースヴィルを観察してみるが、すぐにユースヴィルが「おはよう」と気付いてしまう。
「やあ、おはよう、あんず」
「おはようハルト、ユースヴィル」
席に着くと、大きな目玉焼きとベーコンが乗ったパンが運ばれて来て、その隣には紅茶が配置されている。
「あんずはミルクと砂糖を少し入れるんだよね」
「うん、甘いの美味しい」
「ユースヴィルは珈琲ね」
「ありがとう」
ユースヴィルの前にも珈琲を置くと、自分の分の珈琲を席に置いてハルトも座った。
全員で揃って手を合わせ、私達は朝食を頂く。
「……それで、今日こそは行ってもらうよ、ユースヴィル」
「やっぱり俺が行かなくちゃいけないの、それ」
「……なんの話し?」
「あんずの戸籍の話しだよ」
ハルトはそう言って苦笑すると「人として生きるなら、その為の準備が必要だって前に言っただろう?」と言うので頷く。
「あんずは元々猫で、人としてどこに生まれて生きて来たって言う記録がそもそも残っていないんだ。
だから猫として人として、この国に居ることが出来るようにこの国に登録しなくちゃいけない」
「登録……私もしなくちゃいけない事があるのね?」
「そう」
にっこりと笑みを浮かべたハルトは「その登録は、飼い主であるユースヴィルが行う必要があるのさ」と視線をユースヴィルに向けた。
「私じゃだめなの?」
「一応この家の世帯主はユースヴィルだからね。
あんずが猫だった事もあっていつまた猫の姿になるか分からない……なにより人として生活する為にもその登録は家主であり世帯主であり飼い主であるユースヴィルがするのが一番なのさ」
「……そう」
私が猫であったならそうややこしい問題にならなくて済んだのかもしれないと思うと、ユースヴィルには申し訳ない。
しかし、その思考を感じ取ったのか「良いんだよ、あんず」と戸惑ったようにユースヴィルが言う。
「元々そのつもりで話しをしてたんだ。
あんずがもしまた猫の姿に戻ってもこの家に居られる方法は無いか?って。
で、俺が渋ってるのはそこじゃなくて、俺が今から行く先の場所であってだな」
「場所?」
くすくす笑うハルトが「これもあんずの為だろう」と告げるとらユースヴィルは「うぅーん」と低く唸ってしばらく机に顔を伏せていたが「分かった」と深く深くため息を吐き出した。
そんなに行きたくない場所なのかなと心配になって、私も行くと言うと少しだけホッとしたようなユースヴィルに、私は笑みを浮かべた。