あんずのお願い
猫が人になりました、ご注意
彼がキッチンに降りると言ったので、私もお手伝いがしたいのでベッドから出ると「あんずはお留守番だ」とくるまっていたシーツを巻きつけられた。
「どうして?」
「女の子がそんな格好で動き回っちゃダメだ。
それに……俺が、困る」
最後の方は声が小さくて聞こえずらかったけれど、彼が困ると言うのなら仕方ない。
本当はお手伝いがしたいのだけどと肩を落とすと「服を用意するから、それまで待ってくれ」と彼は苦笑して私の頭に手を置いた。
それが気持ち良くて目を閉じると、よしよしと優しく撫でて階下へ降りて行った。
部屋を見渡しながら、私は自分の身体を観察した。
人の手は猫と違って指がある。
シーツを掴んだり離したりが出来るし、なにより色がとても綺麗に見える。
音は聞こえやすいし、背も伸びたから目線が高い。
歩けるかな、とベッドから降りようとするが、脚に力が入らない。
彼のようにスタスタと歩く事が出来たら移動もとっても便利だし、もっと高いところに飛べるのに。
ベッドの端に座って足を揺らしていると「あんず?」と名前を呼ばれてぱっと顔を上げる。
「どうした?どこが痛いのか?」
「立てないの」
ふぅとため息を吐き出すと「まあ、猫だったもんな」と彼は笑う。
「手を貸してみろ」
「手を?」
そう言われたので片手を差し出すと「両方」と言ってもう片方の手も取った。
「脚に力を入れておけ、そのままゆっくり立つんだ」
「うん」
尻尾が無くてバランスが取り辛い。
グラグラ揺れながら、私は体重を彼に支えてもらいつつ立ち上がる。
「立てた!」
「よし、じゃあ右足から行くぞ。
ゆっくり、ゆっくり」
猫みたいに短足じゃない分長い脚で体重を支えなければいけないので、とても難しい。
だけれど彼はそれに嫌な顔をする事なく笑顔で私の手を取ってくれた。
もっと、もっと彼の笑顔が見たい。
そう思っていると、脚は自然に一歩、二歩と進んで行った。
「すごいぞあんず!」
「うん!」
やはり言葉って素敵だ。
私は笑顔で彼を見上げる。
「これで貴方の側に居られる」
「……」
今度はきょとんと目を丸くしたまま固まってしまった。
「私、言葉が変?」
「いや……昨日まで猫の姿で、今は人の姿をしているから……俺が変なだけだ」
少し笑って、彼は私の髪を触る。
「しかし、あの綺麗な白い毛がこうなるのか。
不思議だな」
「うん、すごく長いわ」
足首近くまで伸びた白いのか金なのか分からない不思議な色合いの髪はサラサラと指通りが良くて、そのままするんと手から逃げてしまった。
「人の毛は毛繕い出来ないし……尻尾が無くてバランスが取りにくい」
「それには慣れるしか無いだろう、調べたんだが猫の尻尾はバランスを取るためにあるらしいし、しばらくは歩く練習からだな」
「うん」
するりと彼にすり寄ると、ガチガチに固まって肩を掴んで離される。
「それも!今は猫じゃ無いんだから……」
「だめなことなの?」
「いや……だめという、訳じゃ……」
「貴方は良く私の身体を好きにしていたのに?私は撫でられてもいけないなんて」
「その言い方は誤解を招くだろう!」
「本当の事よ」
むっと眉根を寄せると、彼は悩み始めてしまった。
でもこれは今後の私の方向性を決める重要な問題だ。
静かにじっと彼を見上げる。
「……いきなりじゃなくて、服を着ている時なら」
「それなら早く服を用意しましょう!」
嬉しくていつもの調子でベッドの上へと飛び乗ろうとすると、自分の身体の重さにびっくりして中途半端な飛び方になった。
その様子に慌てたように彼が私の腰に手を回して、ベッドへと二人して倒れ込んだ。
「……あと、気軽に飛べるのは猫の姿の時なんだと言うことも」
「……分かった」
近くにある瑠璃色の瞳と目が合って、私はにっこりと笑みを浮かべたのだった。