今の幸せ
猫、また人になりました、ご注意
二階の書庫に居ると、扉をノックする音が聞こえてきて顔を上げた。
「あんず、お茶にしよう」
「うん」
二つ返事で立ち上がると、ハルトが「何を読んでたんだい?」と言うので「古いお話しだよ」とタイトルを見せた。
「古の勇者と魔王……ああ、童話の元になっている話しかな?
ユースヴィルと演劇を見たと聞いたけれど、もしかしてその演目の事かな」
「そう、見られなかった方のお話し。
もう一つのお話しは城の塔に囚われているお姫様と隣の国の王子様のお話しだった」
今思い出しても、ふわりと胸の内が暖かくなる。
王子様とお姫様はその後どうしたのだろうか。
国王が裁かれた後、国はどうなったのだろう。
考えて止まらなくなって来た頃に、ユースヴィルが「書庫に元の話しがあったはずだ」と持って来てくれて、私はその日からずっと書庫に通っていた。
「本はすごいね、たくさんのお話しがあって」
「そうだね。きっとこのお話しを書いた人も、誰かに読んで欲しかったんだと思うよ。
後世に伝えたい人も居れば、自分の体験を誰かに共感して欲しい人も居る。
あんずはどんなお話しが好きなんだい?」
「うーん……恋のお話しと、冒険のお話しが好き」
私は猫として生きて来た中で、誰かと一緒になる事は無かった。
思い出せる記憶の中で、私は誰かに飼われて居たから、猫として誰かに恋をした思い出は無い。
いつも穏やかに緩やかに過ごしていたし、野良として生まれて野良として死んだ一生でも、私の隣は誰も歩いてはいなかった。
ただ、私の猫としての生き方が他と違うと気付いてはいた。
猫としての私は決して孤独はなかったし、幸せだった。
だからこそ、私が死ぬ時は一匹だったのかもしれない。
「人も猫も感情は複雑で、正解なんてなくて。
だからこそ悩むし、苦しいと感じる事もあるのかなって」
「……あんずは大人だねえ」
「ありがとう」
素直に受け取ると「ユースヴィルも、君と会って変わったんだよ」と優しい声で私の頭を撫でる。
「きっと、あんずが素直だからだね」
「私が?」
きょとんと隣を見上げるが、ハルトは笑みを浮かべるだけだ。
どうしてハルトが嬉しそうなのか。
そして私が素直な事がどうしてユースヴィルが変わった理由になるのかは分からなかったけれど、きっとハルトにとっては嬉しいと感じる事だったのだろうと思う。
それなら、良いや。
私は笑顔でハルトの隣に並んで、リビングへと向かうのだった。




