雨宿り
猫が人になります、ご注意
何度もあの屋敷の庭にお邪魔していたが、家主が現れたのは初めてだった。
ボサボサの黒い髪と、綺麗な瑠璃色の瞳を持つ長身の男だったが、近くの猫達に聞くに色んな噂を持つ人物の様だ。
曰く、怪しい実験をしていて国を追われたとか、夜な夜な付近を徘徊して実験用の人間を攫っているとか。
人の枠から出た人間の様には見えなかったけれど、庭にお邪魔する許可を貰えたので、私はやっぱりあのお気に入りの場所へと向かう。
今日は、あいにくの雨だ。
雨は嫌い。
毛が濡れて毛繕いが大変だし、足元が水溜りで歩き難い。
通りに人は少なくなるし近くで遊んでいたはずの猫達も消えている。
木々で雨を避けながらいつもの屋敷の庭へ行くと、そのお気に入りの場所も雨で水溜りが出来ていた。
いつもは出来ないと油断していたが……仕方無い、別の場所を探そうとすると「おい!」とどこからか声がした。
「お前、前の白猫だよな!」
窓から顔を出した男は、窓を閉めると庭へ出る為のガラス戸を開けた。
きょとんと顔を上げると「ほら来い!」と手を伸ばす。
「みゃーん」
「こんなにずぶ濡れで……雨の中わざわざ家まで来たのか?
待ってろよ、今タオルを……」
近くのソファに私を降ろすと、どこかへ駆けて行った。
私はその間に部屋の中をくるりと見渡す。
見渡す限り荒れ果てた部屋だ。
衣服も、食器も色々と置きっ放しで、あれ?と首を傾げた。
さっきもこの間も、彼の服装はきっちりしてたのに。
家の中と彼の格好がちぐはぐだ。
「……すまん、これで良いか?
この間貰った物だから汚くはないはずだが」
ふわりと包まれたタオルに、私は自分から身を寄せる。
ゴシゴシと乱暴に拭かれるので思わず肉球で男の顔を押すと「なんだこれ」と私の肉球で遊び始めたので可愛らしく噛んでみた。
そしてハッとした様に毛を乾かすのを再開してもらって、私はふんっと鼻を鳴らす。
「しかし、この雨の中雨宿りせずなんだって外に……もしかしてお前、まだ野良のままなのか?」
「なぁーん」
「首輪もしてないし……いや、危ないだろう。
こんな美人猫だぞ?大丈夫なのか、お前」
優しく撫でるその手が暖かくて、私は目の前の瑠璃色に突進した。
「うごっ」
「みゃおん」
「え、なんだ?」
ぎょっとしたように私が肩に乗るのを見て「もしかして」と呟く。
そんなに気になるなら、私を側に置いてくれれば良いのに。
そう思って鳴くと、彼は呆然とした様に立ち尽くす。
「みゃおう」
てしてしと肉球で男の頭を叩くと「俺と居たいのか?」と沈んだ声で呟く。
「みゃう?」
「……俺なんかと居たって仕方無いぞ。
出来損ないの、中途半端な男だしな」
「みゃおう」
「お前は自由だろ、俺も今は自由だけど……でも、何も無いんだ。
お前にあげられるものは何も無いんだ」
沈んだ声と共に、瑠璃色の瞳は閉じられる。
私は叱咤激励の意味で彼の耳を噛んだ。
「いっだ!!」
「みゃおん!」
「え!?なんで噛む!?俺何か……いてっ、いっててて!!」
「フーッ!!」
牙を剥くと、ソファに座り込んで「どうすれば良いんだよ……」と頭を抱え始めた。
私は仕方無いなと鼻を鳴らして、自分の肉球を彼の頬に押し付ける。
「……やっぱ気持ちいいな」
「みゃおん」
ふんっと鼻を鳴らして、肉球を堪能する男の頬に尻尾を当てる。
彼はそれを見て「何もあげられないけど、良いのか?」と私の頭を優しく撫でてくれた。
私にとってはそれで十分なのに。
この人は何を不安に思っているのかなと思いながら、私はしばらく肉球を貸してあげるのだった。