三月 後藤 真紀
昔は今より大分太っていた。
部活にお約束の『追い出し会』である。卒業式当日は謝恩会があるので、前日にそれは決行される。例に漏れずこの水泳部も・・・
「に、してもあっという間だったねぇ。」
部室には女子水泳部が集まっていた。部室と言っても更衣室だが。うちは屋内プールなので、年中泳げる。だからなのか、うちの水泳部は県内でも強い方だ。
「真紀、来年こそは個人でインハイ行けよ~」
先輩からの叱咤激励。今年は個人自由形で予選落ちをした。団体メドレーは全国出場したのだけど。
「へーい。」
照れもあり、適当に答えると先輩達の一斉制裁が。
すると、部室の扉が開く。
「もう始めてるね。」
スッキリした顔と髪。涼しげな目と柔らかい物腰。彼女、三船実和先輩は水泳部の前部長。水泳部でも憧れのエース。かく言う私も憧れていた。彼女の様に、速くなりたい。
先輩は私の隣りに座った。私はジュースを注いで渡す。
「タイムはどう?」
「あ、個人は下がってます。」
「個人はぁ?」
「リレーとかの自分のタイムはいいんですけどねぇ。」
「負けて悔しくないわけ?」
「あんまり・・・」
先輩は、お菓子をひとつ摘み上げて口へ入れる。
「マジになってないってことじゃないの?」
「え?」
「リレーになるとチーム、つまり他人に迷惑がかかるから本気になる。でも個人は迷惑にはならないから気を抜くのよ、あんたは。」
なんて鋭いところをついてくるのか、この人は。でも、少し違う。迷惑がどうのとか責任がどうのってわけじゃない。
「性格ですよ。」
そう、笑ってみた。すると三船先輩は笑って言った。嘲笑いだ。
「それじゃただの負け犬ね。」
ズキンと刺さる言葉を置いて、先輩は席を立った。
性格・・・そう、プレッシャーに弱いってことだ。リレーは一人じゃないから、気持ちが楽になってリラックスする。それが逆に好成績に繋がっていた。一人でなんて戦えやしない。
私は子供の頃から太っていた。今でも細い方ではない。でも昔は今とは比べ物にならない肥満児だった。小学生というのは残酷で、デブがいればそれを攻撃してくる。心ない言葉で、一気に切り刻んでくる。運動会ではこの巨体が揺れ、水泳では太い足を出し、遠足では死ぬほど息を切らした。笑われ、蔑まれ、馬鹿にされ。そんな毎日をクリアするには忘れるしかなかった。怒る気持ちも悔しさも全部忘れて流してしまえば、そうすれば涙は出ない。
怖かった。人の目が。
自分がどんな風に思われているか。
怖くて怖くてしょうがなかった。
スタート台に立つと、観客の目は私に集中する。それが私には多大なプレッシャーになったのだ。
「どうかした?」
同学年の千里が隣りに座ってジュースを注いでくれる。
「んー。何でタイム伸びないのかなって。」
「なに、やっぱ悔しいんだ。」
悔しい・・・って、なんだっけ。
「まぁインハイ出るには三船先輩のタイム抜く気で泳がないとね。」
千里は笑っていうが、それはかなり難しい課題だった。そんな発破をかけられても、いまいちピンと来ない。
すると、三年の誰かが立ち上がった。
「では!プールに行きますか!」
その号令に、みんなは騒いだ。毎年恒例。最後のひと泳ぎ。私たちは水着に着替え、プールに飛び出した。
プールではすでに男子部が泳いでいた。先生も、プールサイドに座っていた。水泳部全員が揃ったわけだ。
三年生達はお互いに゛おつかれ゛と声をかけながら、なんだか卒業を実感しているようだった。うちは男子部と女子部は仲が良く、本当に別れを惜しんでいた。
すると。
「ちょっと上がってもらっていい?」
三船先輩は、すでに水に浸かっていた男子部員達をプールから上げた。
「真紀。」
察しのいい男子部の部長が、コースロープを伸ばす。
四、五コースにコースロープを張る間、先輩はキャップとゴーグルをセットする。まさか・・・
「あんたも早く準備しな。」
おぉ、新旧部長対決!
って!周りが勝手に盛り上がるな!
慌てる私をよそに先輩は準備運動を始める。
「な、なんで今更っ。何度も一緒に泳いだじゃないですか!一度も勝てなかったけど・・・でもだからって別にこんな時にっ・・・」
ゴーグルを付けた横顔は、真剣だった。
「今日だから。今日しかないからよ。あんたはこの部を引っ張っていく人間だって事、わからせてあげる。」
・・・・・
何も言い返せなかった。
コースロープができるまで、私もアップをして準備する。そして全ての用意が整い、私はゆっくりとスタート台に立った。
視線だ。
「ここはあんただけの戦場よ。」
並んだ隣から、深い声で語りかけてくる。
「個人だろうが団体だろうが、まず勝つ相手は自分。自分に勝てない奴が他人に勝てるわけない。」
ホイッスルが鳴って、私は台を蹴った。
先輩の言葉を何となくわかった私は、やっぱり勝ちたかったらしい。この人にも。そして自分にも。
必死に水をかき、足をバタつかせ、前へ前へ!水の中で、私は必死になっていた。馬鹿みたいに。必死になって進んだ。
プールに上がって、私たちは並んで仰向けに寝転がった。結果は三船先輩の勝ち。当然か。でも、僅差。
「惜しかったねぇ。」
「先輩にブランクあったからですよ。」
ヘトヘトになって、ヘラヘラ笑った。すごく、爽快な気分だ。
疲れ切っていると男子部の高梨がやって来て、私の手を取って起こした。
「お互い新キャプテン同士、頑張ろうぜ。」
「おう。」
すると、一年や二年も私を取り囲む。
そんな様子を見て、三船先輩も体を起こして言った。
「戦うのは一人でも、その後は一人じゃないってこと。覚えてな。」
すごく素敵な笑顔で、教えてくれた。
私はこの日を忘れない。戦うことを、悔しさを思い出させてくれた先輩を。初めて自分と向き合った自分を。
卒業式が終わり、在校生は学年末試験を迎えた。そして、結果が返ってきたのだが。
「赤点・・・ですか・・・」
生物担当でC組担任で水泳部顧問の東谷先生に呼ばれ、私は冷や汗を流した。
「お前よりにもよって私の教科だけ赤点取りやがって。文句でもあるのか?」
女性らしからぬ言葉遣い。若いのに迫力がある。
「そんなの今更ですよ。」
「進級したくないのか。」
売り言葉に買い言葉なやり取りをしていると、先生は引き出しから日誌の様なものを取りだして私にくれた。
「あんたに渡し忘れてたって。」
開くと、私の泳ぎに関する注意書きがズラズラと並んでいた。いや、私だけではない。女子メンバー全員のデータが書き込まれていた。特徴、タイム、苦手箇所、克服方法など、事細かに。
「あの子たちの置きみやげってところかね。」
最後のページには、寄せ書きがあった。その中で、三船先輩を見つける。
『インハイ行けよ!』
だって。言われなくても、やりますよ。
進級できたら、ね。