一月 仲林 哲司
何も考えず投げた夏の甲子園。
一番高いピッチャーマウンド。
俺は、館のミットに何を見ていたんだろう。
何を願っていたんだろう。
パンっパンっ!
一月一日。俺は館と前原さんたちと五人で初詣に来た。賽銭箱の前で熱心に祈る俺に、隣から茶々が入る。
「すごい勢いで何お願いしてんの?」
野球部に聞くなよ。
「あんまり日本の神様信用すんなよー」
そういう辻本だって手合わせてんじゃないか。
「でもあんた達は神頼みしかないわよね。」
同じ運動部だけあって後藤はわかったみたいだけど・・・
「なんだとっ!」
そうだ、怒れ館!
「た、確かに秋の大会は予選負けしたけどだな。」
弱気だな。
「夏は行けるさ!」
館のその言葉が、なんだか神様よりも信用できた。
投げて、投げて、投げて、打たれた夏・・・
お参りを済ませた俺達は、おみくじを引いた。
真っ先に開いた前原さんが、情けない声を上げた。
「あー、私吉だ。微妙。勉強そこそこ、金運もまぁまぁ、恋愛も普通・・・だって。」
「はは。何か冴えないな。」
笑いながら俺は自分のおみくじを開いた。
!!!!!!!!
初めて見た。何て確率。
学業、危うい影有り。
恋愛、片思いで終わる。
願い事、叶わず。
一言で言うと、凶。
俺を囲んだ四人は、一声に笑い声を上げた。くそっ、他人事だと思って!
・・・余計自信なくした・・・
「こりゃ甲子園も危ないなぁ。」
グッサァァァ!何気ない一言なんだろうけど、前原さん、それは禁句。
「ねぇ、仲林君て何で野球始めたの?」
人混みの中を移動しながら、急に問いかけられた質問。そりゃ・・・
「好きだし・・・」
好きだし、それになりたい自分がそこにいたから・・・
館とは同じ小学校だった。同じクラスになったのは五年生。その頃俺は虚弱体質で、みんなが運動場を走り回ってるのをただ見てるしかできなかった。
勉強もできない。走ることさえできない。
僕には何ができるんだろう・・・
「仲林もやろうぜ。」
夏だった。
野球をやっているみんなを日陰で見ていた俺に声をかけたのが館だった。
「駄目だよ。仲林、体弱いんだから。」
「そっか。」
残念そうに言って、館は行ってしまった。その背中を見ながら、俺は思った。
もしかして僕には何もないんじゃないか?
そう思った時、急に不安になってそのままブラックアウトしてしまった。
どうして僕は生まれてきたんだろう。
真っ暗な闇の中に、五年生の俺は漂っていた。
目を覚ますと、一枚だけタイルが剥がれかかった見慣れた天井があった。俺の寝床だった保健室。
養護の先生が冷たい麦茶を出してくれた。先生は若くて、お姉さんって感じで俺は好きだった。俺だけじゃなく、みんなからも人気者だ。俺は起きてそれを飲んだ。全身が一気に涼んだ。
「今日は暑いからね。逆上せたんだろう。」
「・・・ねぇ先生。」
俺は不安だったことを口に出してみた。
「僕って何で生まれたの?」
なぜか先生は慌て出した。どうやって説明しようかと手をバタバタさせていたのを覚えている。
「つ、つまり仲林君のお父さんとお母さんがぁ~」
「僕には何もないのに。」
俺の言葉に、先生はピタリと止まった。そしてその日、先生は何も答えてはくれなかった。
「あー、これやろう。」
多く並ぶ出店の中、『鬼退治ゲーム』なるものを見つけた。三匹の動く鬼の人形の的にボールを当てるゲームだ。前原さんと後藤と館がやるらしい。
そういえば、あれは夏休みの縁日の時だ。
両親に連れてきてもらった縁日で、俺は一人はぐれてしまった。家の近くだからそんなに困ることはなかったが、親たちにしたら心配だったに違いない。しかしそんなこと、当時の俺にはわからなかった。ただ、ボーっと的当てゲームの景品を見ていた。戦闘機のプラモデル。すごくかっこよかった。
「くっそーーー!」
横を見ると必死になってボールを投げる館がいた。
「仲林!一人で来たのか?」
「ううん。お父さんとはぐれて・・・」
「何だよ、来るなら言えよ。みんなで来たんだぜ。それよりさぁ」
館はガシッと俺の肩を掴むと、もう一方の手で的を指した。
「これすっげえ難しいんだ。一等が欲しいのに、三等ばっかだぜ。」
一等は、俺も欲しいと思った戦闘機のプラモデル。館はすでにこのゲームに千円もつぎ込んでいた。千円出せばあのプラモデルは買えたんだ。
そのいきなり組まれた肩が、なんだか照れくさかった。だけど少し嬉しくて・・・
「そうだ。仲林投げてみろよ。投げるだけなら大丈夫だろ?」
そう言って館は自分のボールを俺に渡した。大げさなことではない。だけど、その時の俺には重大な使命を託された気がして、すごく嬉しかった。
いつも日陰で見ていた野球。
いつも日陰で見ていたフォーム。
真似をして、俺は投げてみた。当たれ、そう強く願って。
すると。
「す・・・すっげぇ!」
一発で的のど真ん中を当てた。俺はびっくりして実感がなかったけど、騒ぐ館と受け取ったプラモデルで、あぁ当たったんだとわかった。
「すげぇすげぇ!俺何回投げても当たらなかったんだぜ!」
自分の事のように喜ぶ館が、すごく嬉しかった。俺は景品のプラモデルを館に譲った。もともと館のボールだったし。館はまた喜んだ。
その時、俺は輪の入り口を見つけた気がしたんだ。
新学期になって、俺は初めて自分から声を出した。運動場で野球をする、みんなの中に飛び込んだ。体が弱いことでみんなは懸念していたが、館が゛大丈夫だ゛と言うと納得してくれた。そして館のチームに入った。
館はボールを俺に渡した。
「ピッチャーな。」
初めて立つ、グラウンドの一番高い所。輪の中心。ドキドキした。
思い切って投げたい。
体が、どうなってもいいと思った。
ただ見ていただけの世界。
今は、ちゃんとその中にいる。
それだけで・・・
俺は小さい体を大きく開いて振りかぶった。そして腕をしならせて、館の構えるミットの真ん中を見た。
俺が欲しかった物が、そこにはあった。
俺の手から放たれたボールは、見事に館のミットを鳴らした。
少しシンっとした後、歓声がわいた。みんなが俺の所へ集まってきて、肩を組んだり、頭を叩いたり、飛んだり、跳ねたりした。どうやら俺のボールはすごく早かったらしい。確かに聞こえてきたミットの音は、大きかった。
周りの盛り上がりにようやく慣れた頃、俺は笑顔を浮かべたまま倒れた。らしい。
目を覚ましたのは、やはり保健室。天井を見ると、あの剥がれかかっていたタイルは修復されていた。
「まったく、無理しないでよね。」
先生はまた麦茶を入れてくれた。
「楽しかった?」
俺は素直に頷いた。倒れても、こんなに楽しかったことは今までなかった。倒れる瞬間、とても気持ちが良かったくらいに。
「・・・前に、何で自分は生まれたのか、って聞いたよね。」
夏休み前の話だった。
「あれから先生も考えてみたんだ。人が生まれる理由。でもそれってもしかしたら誰にもわからないんじゃないかな。」
外はまだ蝉の声がけたたましかった。だけど、この保健室は静かだった。
「だけど、きっと何か意味はあるんだと思う。だから人は一生懸命生きてそれを探すんじゃないかな・・・」
さっきまで鳴いていた蝉が、ピタリとその声を消した。蝉は飛んでいったのか、それともその命を終えたのか。どちらにしても、彼らは地上に出てからその身を終えるまで一生懸命に鳴いていた。まるで自分が蝉であることを知らせるように。生きているぞと叫ぶように。
小学校を卒業後、俺と館は別々の中学へ進学した。館は名キャッチャーとして、俺は体力をつけ補欠ピッチャーとして、それぞれの野球部に三年間籍を置いた。そして高校で再会しバッテリーを組むことになり今に至る。
「ったく。凶くらいでビビってんじゃねぇよ。」
鬼退治のボールを弄びながら、館はそれを俺に渡した。
「縁起担ぎ。一個やる。」
まるであの時のように。
俺は、ゆっくりと振りかぶり的を目がけて腕を振り下ろした。
探して迷ってジタバタもがいているのが生きている証拠なら、きっと俺達は今ちゃんと生きているんだ。ねぇ、先生?