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リアルサウンド  作者: cline
2/15

十一月   辻本 望

鬼の霍乱。だから鬼じゃないって。

 昇降口で二人を見つけて、声をかける。

「おはよう。」

私の声に、二人は驚いて、というか何者?誰?みたいな目で振り向いた。

まるで喉でアヒルを飼ってるのかって言うくらいのガラガラ声。風邪なんて久しぶりにひいたわ。マスク姿の私に、朝子と真紀も若干引いてた。来るなよ学校、みたいな。でも熱はないし、体は何ともないから。それに。

「期末近いし、無理しないほうがいいよ。」

それ。授業とばしたくなかったのだ。私は理由あって成績を落とせないから。それは朝子との約束でもあるんだけど、まぁこいつは覚えてないだろう。

「私が無理するわけないわよ。」

一生懸命とか、はまるとか、縁がない言葉。

「それに風邪って言っても喉と頭もちょっと痛いけど、それだけ。体は何ともないから。」

「そ?ならいいけど。」

そう言って、朝子は美術室へ向かった。本格的に美術の先生に指導してもらうらしい。この朝の時間も、美大受験対策に当てられた。真紀も宿題をやっていないと自分のC組に戻った。

 ホームルームまでにはまだ時間が大分ある。私は音楽室へ向かった。暇つぶしの手段として、私はよく音楽室を使っていた。

 喉の痛みよりも、苦しいことがある。ただひとつ。

 音楽室に行くと先客がいた。ドア付近からはピアノの屋根が邪魔して顔は見えなかったが、その音色が響いたことで誰かがいることに気が付いた。

「誰?」

かすれて聞き苦しい声で尋ねると、ピアノの向こうで影が立ち上がった。

「あんたこそ誰?」

男の声だった。低いけど透き通った声。

「二年A組の辻本望です。けど。」

「風邪かい?」

眼鏡の奥の瞳はクールな印象。

その男はこちらへ来ると、ニコリともせず、

「お大事に。」

と言い捨てて出ていってしまった。

その姿を見送りながら、何となく見たことがあるのを思い出した。確か三年生だったような。名前は知らないけど。

まぁいいか、とピアノへ行くと一枚のスコアが置いてあった。あの人の忘れ物だろうか。スコアは手書きで、おそらくオリジナル曲。

そしてそのタイトルは『HOPE』───


休み時間、仲林がうちのクラスにやって来た。なんだか先月あたりから朝子と友達になったらしく、結構顔を出すようになった。それきっかけで私も友達になったんだけど。

「よ。風邪引いたんだって?」

「朝子なら今いないわよ。トイレ。」

「べ、別に前原さんに会いに来たわけじゃないよ。英和持ってる?」

会いに来たくせに。辞書ならもっと近くのクラスに借りれるだろう。わかりやすい男だ。まぁその根性を称え、英和辞典を貸す。

すると、朝子が戻ってきた。朝子は軽く挨拶をすると、ハッと思い出したようで手を合わせた。

「ごめん、まだ絵できてないんだ。」

あぁ、確か野球部の記念誌の表紙を頼まれたんだっけ。その辺りで何かあったのか、朝子は吹っ切れたようだ。

 私は今の朝子が好きだ。前よりもずっと活き活きしている。

「三年生もあと三ヶ月しかないんだね。」

「学校来る日にちは三ヶ月切ってるだろ。」

「私らも来年三年生かぁ。」

朝子の何気ない一言。きっと朝子じゃなくても、二年生なら誰もが一度は口にしたり考えたりすること。来年は三年生。受験。卒業って。

 流れていく時間。

この制服を脱げば、例えば蝉のように、成虫になって空を飛べるのだろうか。


 昼になると熱まで出てきて、ちょっと辛くなった。午後の授業は体育と得意の現国だったので、早退することにした。

 そのまま病院に行き診てもらって薬を受け取り、真っ直ぐ家に帰って寝るつもりだった。んだけど・・・今日は水曜日。一週間のうち新譜が一番出る曜日だ。帰りに馴染みの音楽ショップに寄るのが日課になっていて、つい足がそちらへ向いた。

 少し古くて小さい『新譜堂』。ここの店長が目を付けた曲は八割当たる。入荷するCDやレコードも、店長が選んだ物。だから色んなタイトルがあって、ここへ通う年齢層も幅広い。

「風邪か?」

私のマスク姿に、第一声がそれだった。無造作に生やした髭を掻きながら店長はコーヒーを出してくれた。レジの脇に座れるように椅子が置いていて、私はいつもそれに腰掛けて店長といろんな話をする。もうすぐ半世紀を迎える店長の話はおもしろく、また深かった。

「ひでぇ声だな。しばらく歌えないんじゃないか?」

「ま、ちょうどいいかな。もうすぐ期末あるし。」

「二年生だろ?大学行くのか?それとも歌やんのか?」

頂いたコーヒーを、飲んだ。暖かかったけど、少し苦かった。


好きなものは、好き。

好きな物を我慢していた朝子も、心には逆らえなかった。私は我慢なんてしてない。やりたいことをやるだけ。だけど・・・


 翌日。薬のお陰か熱も下がり、マスクも取った。未だ声はアヒル声。

 朝、また私は音楽室に行った。もしかしたら昨日のあの先輩がいるかも。

ドアを開けると、予想通り先輩はいた。昨日と同じようにピアノを弾いて、私に気づいて、立ち上がって、こっちに来る。

私は一枚の紙を差し出した。昨日拾った、あのスコアだ。

「・・・君が拾ってたのか・・・」

驚いたような、何だか照れてる?ような複雑な表情で先輩はそれを受け取った。眼鏡で見えにくかったけど、昨日よりも温度を感じる目だ。

「それって先輩が作ったんでしょ?『HOPE』って。」

「あぁ・・・」

「だっさいタイトル。」

思ったままを口にすると、多少なりともダメージを受けたのかそっぽを向いた。何だか子供みたいだ。

 私はピアノに付いて、少し指を慣らしてから曲を弾いた。その音色に、先輩はゆっくりとこちらを振り返る。私の指が奏でたのは、先輩の曲。


──────『HOPE』

゛希望゛と呼ぶには、悲しすぎる音。


 弾き終わってから、何となく雑談することになった。ホームルームの時間は過ぎてたけど、もうサボってしまえと思い切れる時間だった。私はピアノに着いたまま、先輩はピアノに背をもたれ掛かけて。お互いに顔を見合うことなく、会話は進んだ。

「僕はもう進路が決まっていてね。楽なもんだよ。」

「いいですね。音大ですか?」

すると、少し間をおいて返ってきた。

「いや・・・行きたかったけど無理だった。」

私は先輩を見た。後ろからだからちゃんとは見えなかったけど、かろうじて見えた狭い横顔は少し陰りと悲しみを帯びていた。

「タイムリミット。僕らの時代は限界を知る時代だよ。時間と力の限界を最近突きつけられたんだ。」

無理に上げたテンションで声を発したのがわかった。あぁ、悔しかったんだろうな。何かを吹っ切るように天上を見上げるその姿は、少し心が痛んだ。

「君のライブ、見たことあるよ。」

「そりゃどーも。」

いきなり話を変えたな。でも。ふぅん。私のこと知ってたんだ。

「激しくて荒々しくて。自分が゛生きてる゛ってこと思い出させてくれる。そんな声だ。」

・・・びっくりした。言葉がなかった。自分の歌を聴いて、そんな風に感じる人がいたんだ。私の声が、ちゃんと人の中に入っているんだ。・・・素直に嬉しい。

「ありがと。」

キーンコーンカーンコーン。

予鈴が鳴る。もう行かなきゃ、と席を立つと、先輩は私にファイルを差し出した。中を見ると何枚ものスコアが。全部手書き。つまり全部先輩の曲。

「やるよ。」

「え。」

「・・・いつか、詞を付けて歌って欲しい。いつか・・・」

背中を向けたまま、先輩は言った。

きっと恥ずかしいんだ。私はそう単純な考えで、笑いながら先輩を見た。

「じゃ、その時はちゃんと聴きに来なさいよ。」

「あぁ、行くよ。きっと。必ず。」

私はポンと先輩の背中を叩いて、教室を出た。ドアの所で先輩を振り返ってみたけど、まだ彼はそこにいたまま。

先輩はずっと、私を振り返ることはなかった。


 また少し頭が痛くなって、三時間目を保健室で過ごすことにした。三時間目は苦手の数学だから、後で朝子にノート見せてもらわないと。

 保健室に行くと、先生はいなかった。ベッドにも誰もいなかったので勝手に寝ることにしよう。一応利用者名簿に名前を書く。と、どこかで聞いた名前があった。誰の名前かは思い出せなかったけど、何だか胸に引っかかる。まぁ、いいか。思い出さなくてもさほどの影響はないだろうし。

 

 ベッドに倒れ込むと、ゴロンと天上を見上げた。あぁ、ボーっとする。熱が上がってるのかな。

それにしても。

『HOPE』か。ださいよね。何でこんなタイトルにしたんだろう。また今度会ったら聞こう。そういやまだ先輩の名前聞いてないや。それもついでに聞こう。

 ーHOPEー

希望、望むこと。

私は望みなんてない。そう思い込みたかった。゛ただ歌だけあればいい゛

それ以上望んでしまうと、自分が傷つきそうだったから。

もっと。もっと。もっともっともっと。

徐々にライブハウスは大きくなり、少しずつチケットの枚数が増えていく。

それでも。

もっともっともっともっと。

けれど、もう一人の自分がブレーキをかける。

゛歌なんて先が知れてる。現実を見ろ。゛って。だから、歌だけあればいい、と思い込ませてる。どうせ手に入らない物なら傷つく前に諦めた方が痛くない。なのに。

「ララ・・・ラ・・・あれ・・・」

歌わすにはいられない。

喉が痛いのに。まだいい声も出ないのに。私は自嘲して、頬を流れた水滴に気づかない振りをした。

 私の熱は、下がることを知らない。


 先輩が亡くなったのは、それから五日後のことだった。誰かが死んだ、なんてニュースはすぐに噂で広まる。私も、先輩のファンだった子が話しているのを聞いたのだ。その頃には私の風邪も姿を消していた。

 先輩は治らない病気を抱えたらしい。本人の希望で学校に来ていたが、五日前に容態が変わり入院したのだという。

そう。スコアをくれたあの日。約束をしたあの日、彼は倒れたのだ。

 私はまた一人、音楽室に顔を出した。先輩が出てくる、とかそんな子供みたいなことを思ったわけではない。ただ、なんとなく、足が向いただけ。

 放課後の音楽室には、誰もいなかった。合唱部はどうやらお休みの様だ。さっきまで誰かがピアノを触っていたのか、蓋が開いたままになっている。白い鍵盤が夕日に染められ色を変えていた。

「・・・嘘つき。」

私は声を出した。腹から出して、歌った。先輩の言う、生きていると気づかされるこの声を振り絞って。

 彼は制服を脱ぐ前に遠くの空へ飛んでしまったんだ。

   諦められない夢。

   諦めてしまった夢。

   諦めるしかなかった夢。

 あの人はどんな気持ちだったんだろう。

未来を何となく察してしまっても、望んでしまう自分好みの明日。

制服を脱いだって人間は空を飛べない。

だから。

一生懸命土を踏んで歩くんだ・・・・

 歌い終わって、ふとピアノを見た。笑うだろうか。それでもいい。私には見えた。初めて見る優しい笑顔で、手を叩く先輩の姿が。


 結局、『HOPE』って彼の生きる希望ってことだったのかなぁ。スコアを眺めながら、お昼を食べて思わず呟いた言葉。すると朝子から思わぬ仮説が立てられた。

「・・・それって望へのラブレターだったんじゃない?」

「うん。私もそう思う。」

真紀まで。は?何で?ただの譜面じゃない。隅々を見ても『好きです』なんて言葉は綴られていなかった。そんな様子を見た二人は、顔を見合わす。

「だって。」

真紀が譜面のタイトルを指でなぞる。

「HOPEは希望、つまり望むってことで・・・望のことだもん。」

また、声が出なかった。風邪はもう治ったのに。二人はなんて大胆なことを考えるのか。

でも・・・

もしそうだったとしたら、彼は狡い。卑怯だ。こんなの残すだけ残して逝くなんて。まぁ真意はもうわからないけど。そしてホントにそうだったとしたら・・・

「・・・やっぱりダサイ。」

告白の仕方も。曲のタイトルも。


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