病室
どうにもならない絶望に打ち拉がれた時、人は気がおかしくなる。
そして、祈るのだ。そう、悪魔にでさえ。
人が死ぬというのは、当たり前のことだ。そんな誰でも知っていることを、享受できないでいる。死を受け入れられないというのも、また当たり前のことなのだが、その時の僕は、もうまともではなかったのだ。
夜になっても電灯を点けることももせずに、ベッドの縁に座り、動けないでいた。部屋に帰ってから、見るつもりもなくつけたテレビから、現役財務官僚の連続殺人というニュースが流れていた。このところは、いつもそのニュースばかりが流れている。殺された人たちは、子供から老人まで、男女問わず。事件が発覚したのは、複数の殺害現場近くのコンビニの防犯カメラに、犯人の姿が映っていて、有力な容疑者としてあげられていて、任意同行の際に逃げ、今も行方を追っている、とのことだ。
そんな事件が世の中を賑わしているようだが、今の僕には、そんなことはどうでもよかった。僕はベッドの縁に座り、祈る。もう何ヶ月も、僕は祈っていた。
死にゆく彼女のために……。
今が何時なのかもわからない。どこまでも続くかのような闇の中、声が聞こえたのだ。
「君は運がいい」
それは陽気で明るい男の声だった。
病室の窓は開けられなくなっていた。外の空気は彼女にとって毒なので、春になろうとしている風を病室に入れることはできなかった。窓からはこの辺りのビルしか見えない。僕はその窓辺の椅子に座り文庫本を読んでいた。
「もう桜は咲いているのかな?」
彼女はベッドの上で、首だけを僕の方に向けて、そう言った。
「来る時、まだ蕾だったよ」
僕が、そう言うと、彼女は、「そう……」と言って、また目をつぶった。
病室は個室で、二人きりだ。点滴を変えるために定期的にやってくる看護師を除いては。僕は時間のある限り、ここに来て一緒に過ごしている。それももう二ヶ月になろうとしていた。薬の副作用もあり、もともと饒舌だった彼女の口数は少しずつ減っていき、見た目も日に日にやつれていった。
急性白血病。
よくある病気だ。悪い意味で。
実家暮らしだった彼女は、貧血のような症状を起こし倒れた。救急車で運ばれ、検査され、次の日には専門の病院に転院した。僕はそれを、彼女と一緒に通っている大学で連絡を受けた。
「ついてなかったなぁ……」
病室で会った彼女は、苦笑いをしてそう言った。