真っ黒い脅迫状
年季の入った木造の一軒家。
昼でもまるで、お化け屋敷のような佇まいの家である。午後の8時ともなれば、お化け屋敷そのものだ。電信柱の街頭が、青白い光で、腐りかけたような木板の壁を照らしている。
摩里香は、スマホとこのお化け屋敷を、何度も交互に見ていた。窓から明かりがこぼれているから、人が住んでいるのは確かである。しかし、本当にここが、彼の家なのか、確信が持てないでいた。すでに5分ほど、自転車にまたがったまま、インターホンを押すのを躊躇っている。
ひゅおおおっと、秋初めの冷たい風が吹く。
「もぉ、なんでスマホ持ってないのよっ!」
摩里香は、心の中で、その男子生徒に文句を言った。
その勢いに任せて、インターホンを押す。
ブーという、しゃれっ気も何もないブザー音が家の中から聞こえてきた。
摩里香は、いよいよ緊張してきた。
こんな、中学生にしては常識外れの時間に、それほど面識のない男子生徒の家を訪問している。彼の親が出てきたら、どう言えばいいのだろうか。
静かに扉が開いた。
すうっと、幽霊のように出てきたのは、彼――風見だった。
「風見君!」
緊張のせいか、摩里香はうっかり必要以上の声を出してしまい、気づいて、慌てて口元を手で塞いだ。
「誰……?」
風見は、寝ぼけたようなゆるい口調で言った。
摩里香は、緊張しているのを馬鹿にされたような気がした。
「佐治摩里香、同じクラスの!」
「あー……」
その「あー」は、わかっているのか、いなのか、どっちなんだと、摩里香はじれた。そして、やっぱり馬鹿にされていると思った。
「ねぇ、今いい?」
有無を言わさぬような強い語気で摩里香はたずねた。
「どうぞ」
暖簾に腕押しとはこのことかというほど、風見はあっさりそう言って、摩里香を家の中に招こうとした。こうされると、かえって摩里香の方が戸惑ってしまった。しかし結局、自分から強気に出た手前引っ込みもつかず、招かれるままに、風見の家に上がったのだった。
リビングには二人用の机と、椅子が二つあった。
お化け屋敷のような外見と裏腹に、部屋は明るかった。
摩里香は、促されるままに、椅子に座った。風見は、二人分のホットミルクをレンジで温め、一つを摩里香の前に置き、自分はもう一つのカップを持ったまま、摩里香の向かいに腰を下ろした。
ふーふーと息を吹きかけ、目を細めながら、ホットミルクを口に運ぶ。
その風見の仕草を、摩里香はぼんやり見つめていた。
――なんで私、ここにいるんだろう。
急に不思議になってきた。
しかし、不思議ではないのだ。摩里香は、自分がここに来た理由を思い出し、口を開いた。
「雪を、助けて」
風見は一瞬、カップを傾ける手を止め、じっと、摩里香の目を覗き込むように見つめた。摩里香は、洗いざらいしゃべってしまおうという気になった。
その日の朝、2年B組の生徒である金沢萌が、2年A組の水野を頼ってやってきた。萌は、妙な手紙――脅迫状のようなものを受け取っていた。そのことを、水野に相談しようと決めたのである。水野は、2年生の間では、「名探偵」と呼ばれていた。
「その、水野君が、脅迫状を出したのは雪さんだと、断定したということ?」
摩里香は頷いた。
「雪はフットサル部で、朝一で学校に来てるから、それで」
「脅迫状が入れられたのは朝の早い時間で間違いないの?」
「脅迫状を入れられた萌って子も朝練で早くに学校に行ってるみたいで、それより早い時間に登校してる生徒が犯人だっていうの」
「ちょっと、その辺のところ、詳しく聞かせて」
摩里香は、知っていることを風見に説明した。
脅迫状は、実は三通送られている。三通とも、2年B組の、金沢萌の下駄箱に入れられていた。放課後、萌はフットサル部の練習で完全下校時間ギリギリに下校する。その時には、まだ脅迫状は入れられていなかった。そして朝、萌が下駄箱を開けると、脅迫状が入っていたのである。
「完全下校は何時?」
「6時半」
「それ以降に、例えば再登校とか、そういう形でも脅迫状は入れられるんじゃないの?」
「1、2年生の玄関は6時半に鍵がかけられちゃうから、それ以降に学校に入るには、職員用玄関を使わないといけないみたい。生徒は、6時半以降に学校に入る場合は、用務員室のノートに学年と名前を書く必要もあるらしくて……」
「その、脅迫状が届いた前日は、誰も再登校していない?」
「うん、そうだって」
雪が犯人のわけがないと考えている摩里香は、すがるような気持ちで風見の言葉を待った。風見はしかし、あくまで飄々としている。
「脅迫状には何て書かれてるの?」
「何も」
「え、何も? 何も書かれてないの? 三通とも?」
「年賀状を真っ黒に塗ったのが、封筒に入ってるだけだって」
「おかしな話だねぇ……その、水野君ってどんな人?」
「え、風見君、1年生の時同じクラスだったじゃない!」
「覚えてない」
「えー……あの眼鏡の男子だよ。生徒会長、バスケ部のキャプテン。名探偵っていうのは、ロッカー破壊事件とか、教科書窃盗事件、カンニングペーパーの事件とか、水野君が解決してるから、そう呼ばれてるの。知ってるでしょ?」
風見は首を傾げる。
摩里香は、本当にこの人で大丈夫かなと思った。水野は、2年生の間では有名人だ。1学年100人ちょっとしかいないこの学校では、水野に限らず、部活のキャプテンとか、誰かに告白したとかされたとか、何か一つでもわかりやすい特徴や話題のある人物なら、皆名前くらいは知っているものだ。
「雪さんと水野君は、何か関係あるの? 友達?」
「1年の時同じクラスだったくらいだよ」
「雪さんは、朝一人で練習してるの?」
「サッカー部の高木って知ってる?」
「知らない」
「最近は高木と練習してるんだって。あ、雪が高木と付き合ってるとかじゃないよ。高木が、勝手に片思いしてるだけ」
「その、高木君ってどういう人?」
「女好きのケーハクな奴!」
風見は、じっと摩里香を見据えた。
摩里香は、自分が感情的になったのを自覚し、言いなおした。
「サッカー部の2年生」
「雪さんに片思いしている」
「そうなの! 2学期になってから、雪と朝練をはじめて、そのせいで雪まで誤解されちゃうし、やっぱり最悪よ、あの男!」
「誤解と言うのは、どんな誤解?」
「雪と高木が付き合ってるとか!」
「付き合ってるの?」
「ないない! 高木って、しかも、小学生の時にいじめをしてたって噂だし、そんなのに付きまとわれる雪、ほんと可哀そう!」
「でも、一緒に練習してるんだよね? 本当に嫌いだったら、一緒には練習しないんじゃない? この学校、グランドだけはやたら広いから、練習場所に困ることは無いだろうし」
「雪、性格いいから……。それに高木、サッカー部の中でも、パスとかドリブルとか、技術だけは上手いらしいし。ほら、雪、サッカー初心者でしょ? 教えてもらってるんだって」
風見はホットミルクを啜り、摩里香に質問を続けた。
「雪さんと萌さんは同じフットサル部」
「うん。水野君、それが動機だって言ってる。雪はレギュラーじゃないから、レギュラーの萌ちゃんに嫉妬して、それでやったって。でも、雪は、絶対そんなことするような子じゃないよ! それは、風見君だってよく知ってるでしょ!?」
「うーん、どうだろうねぇ、人間、魔がさすこともあるから」
摩里香は言葉を失った。
風見は、雪の味方とばかり思っていたのだ。
「摩里香さんは、部活やってるの?」
「バスケ部だよ! 二年間同じクラスにいて、なんで知らないの……」
「朝練は?」
「あるよ。――女バスは女バレと一緒に、月曜と木曜。7時20分くらいに体育館前に集まって、ミーティングとかアップとかして、7時半過ぎから練習開始。体育館が開くの、7時半だから」
「他の曜日は?」
「火曜と金曜が男バスと男バレで、水曜は、ダンス部とか合唱部とかが使ってる」
「校庭を使う運動部も朝練をやってるよね?」
「野球部とサッカー部はほぼ毎日やってるね。開始は、どこも7時半くらいだよ」
「ふーん」
ホットミルクの最後の一口を飲み干し、風見は息をついた。摩里香は、急に不安になってきた。ここまでの話が、風見を見ていると、まるでホットミルクを飲んでいる間の退屈しのぎ程度のことだったのではないかと思えてくるのである。
「ねぇ、ちゃんと考えてる!?」
「え?」
「このままだと、雪、犯人にされちゃうんだよ!?」
摩里香は必死に訴えた。
どうしてこんな男子に頼っているのかわからないが、今はもう、頼れるのは彼しかいないのである。それとも、雪が直接頼みに来れば、もうちょっと真剣に取り合ってくれるのだろうか? あるいは、もともとこの風見という男には、雪が言うような特別な才能なんて無いのではないか。
「摩里香さん――」
「さん付けとかいいから、ちゃんと考えて!」
「では失礼して、摩里香――」
「何よ!」
「自分で呼び捨てしろって言ったのに」
「呼び捨てされたことに怒ってるんじゃないの! 風見君が、ちゃんと考えてくれないから!」
「随分、雪さんのことを心配してるんだね」
「当たり前でしょ、友達だもん!」
風見は微笑みながら立ち上がり、キッチンの味噌汁を入れている鍋に火をつけた。
「食べてく?」
「ご飯食べに来たわけじゃないの!」
「夕食、まだでしょ?」
「そうだけどっ……! ……なんでわかったの?」
「シャワーも浴びてない人が、夕食を食べているわけないから」
摩里香は、思わず自分の腕や脇の匂いを嗅いだ。
消臭スプレーの、柑橘系の匂いしかわからない。
「に、臭う……?」
「消臭スプレーの良い香りがするよ」
確かに摩里香は、シャワーも夕食も、まだ済ませていなかった。部活が終わった後、学校近くの公園のベンチに座って、雪と話していたのだ。この事件で犯人扱いされているのに対して雪は、「自分はやってないけど、別にこのままでいいよ」と摩里香に言っていた。しかし摩里香は、それでは気が済まない。友達――親友である雪が濡れ衣を着せられているのに、泣き寝入りなんて、考えられない性質である。
七時過ぎに雪と別れた摩里香は、家に帰ると、バスケ部の友人で風見と同じ小学校だった女友達に連絡を取った。風見の家の住所を手に入れた摩里香は、上着を着て、家を出たのだった。
「風見君、どうして私が風見君の家を知ってると思う?」
「誰かに聞いたんでしょ」
「どうしてこんなこと、風見君に頼むんだと思う?」
風見は、みそ汁を混ぜる手を止めた。
風見と雪は同じ小学校の幼馴染である。2年前、その小学校で事件が起きた。その事件は全国紙にも載り、お昼のニュースやワイドショーでも取り上げられた。教師が、児童の着替えを盗撮したり、持ち物を盗んだりしていたのだ。この事件で、報道されなかった事実がある。
その教師は、警察による現行犯逮捕だった。
盗撮に使っていたカメラを、更衣室に取りに来たところで御用となった。警察は当初、教員の誰かが通報したのだと思った。ところが、学校から110通報はなかった。通報は、学校の近くの公衆電話からだった。変態教師は御用となったため、誰が警察に通報したのかや、その決定的なタイミングでどうして通報者は、警察を更衣室に呼び込むことができたのかという謎は、謎のままうやむやになっていった。
しかし、雪は、その通報者が誰なのか知っていた。
この事件の裏話を、雪は摩里香にしたことがあった。
翌朝、水野が朝練を終えて自分のクラス――2年A組に入ってくるのを狙って、風見と摩里香は、水野のもとを訪れた。8時20分――朝の、一番慌ただしい時間である。がやがやとうるさい中で、水野は、あまり接点のない二人の生徒が席の前にやってきたので、威嚇のような一瞥を二人に向けた。椅子に深く座り、ワイシャツの第二ボタンまでを開け、ぱたぱたとノートで、胸元を仰いでいる。
「俺に何か用?」
風見が口を開きかけたが、それよりも早く、摩里香が言った。水野の、傲慢な態度に腹を立てたのだった。
「雪のことで質問があるんだけど」
「そっちは、誰」
「雪の幼馴染、私と同じクラスの風見君」
「どうも――すみませんね、運動後に。例の事件のことで、ちょっとひっかかることがあったので――雪さんが犯人って、本当ですか?」
「自白しないけど、ほぼ間違いないよ」
「そうですか。水野君の推理は摩里香から聞いて一応は知ってるんですけど――脅迫状、見せてもらっていいですか」
「もう返したよそんなの」
「返した? 萌さんにですか?」
「そうだよ」
「返しちゃったんですか? まだ事件、解決してないのに?」
「アイツだよ、自白しないだけで」
「いやぁ、断定するにはちょっと――」
水野は、おちょくるようなヘラヘラした笑いを顔に浮かべながら言った。
「俺の推理で何かおかしいとこあんの?」
「いやいや、おかしいなんてそんな……ただ、気になることがあるんです。どうして犯人は、もっと特定されにくい時間を選ばなかったんでしょうか。例えば、昼休みとか」
「馬鹿だったんだよ。あぁそれか、人に見られてできなかった」
「昼休みの下駄箱は閑散としてますよ。それに、朝は朝でにぎやかですよね。朝練をしてる部活、たくさんあるじゃないですか」
「わかってないなぁ。朝練やってる部活で、あの1、2年の玄関を使うのはフットサル部だけなんだよ。体育館の部活は直接体育館に行くし、野球部とかサッカー部は、ピロティ下の三年玄関を使う。だから、朝、1、2年の玄関を使うのはフットサル部だけなんだよ」
「ものすごく早く登校してくる生徒は――」
「そんな生徒はいない」
「ピロティ下の玄関から入ってから、校舎を移動して1、2年の下駄箱に行く、ということもできますよね。その線は?」
「脅迫状がとどいた朝は、誰もそんな生徒を見ていない。サッカー部で一番早く学校に来る生徒も、野球部も、他の部の奴も」
「雪さんもですか?」
「そりゃあ――アイツが犯人なんだから」
「うーん……」
「――お前次はこうだろ、夕方以降はどうか?」
風見は、微笑しながら頷いた。
「ちょっと調べればわかるよ。6時半の完全下校以降は、玄関は鍵がかかる。職員用玄関から入る場合は、用務員のノートに自分の名前を書かないといけない」
「書かないで忍び込むことだってできるかもしれません」
「あそこにはカメラがあるの」
「ダミーカメラかもしれませんよ」
「だったとしても、そんな危険を冒して忍び込むなんて、ありえない。見つかればタダじゃすまない。翌日朝一で説教だ」
「なるほど……動機は何ですか?」
「萌はフットサル部のレギュラーで、雪は補欠だ。萌が試合に出てるのを見て、妬んだんだろう」
「それで真っ黒い脅迫状を……?」
「動機が聞きたいなら、アイツに直接聞いたらいいだろ」
「それが、今日風邪でお休みなんです」
「なるほど、自分がやったのがバレて、来ずらくなったんだな」
「アンタねぇ――!」
「もういいかな?」
イラついているのを隠そうともせず、水野が言った。摩里香が挑みかかろうとするが、風見が「ありがとうございました」と言って帰ろうとするので、二の足を踏んだ。
昼休み、悶々として授業を受けていた摩里香は、チャイムが鳴ると同時に立ち上がって、風見の席にやってきた。昼はまず、2年B組――萌に話を聞くことになっていた。脅迫状を受け取った、本人である。
「え、だって、あれもう解決したんじゃないの?」
二人が聞きに行くと、萌は、第一声でそう言った。
萌と風見は、全く接点がない。摩里香は、以前フットサルの試合を見に行った時に、萌と話したことがあった。
「本当に雪がやったと思ってる?」
摩里香がたずねた。
給食の準備でごちゃごちゃしているために、三人の会話などは誰も気に留めない。そうでなければ、萌と摩里香の間に流れる空気を読んで、周囲の生徒たちは静まり返っていたことだろう。摩里香は、まっすぐに萌を見つめ、誤魔化すような笑顔は微塵も見せない。
「違うの?」
萌は、摩里香の目を睨むようにして答えた。
こちらも、一歩も引かない。
そのまま、黙って視線を交わす二人。埒が明かないと、風見が二人の空気に割って入った。
「水野君から話は聞いています。脅迫状、怖い思いをしたんじゃないですか?」
萌は摩里香から風見に視線を移した。すでに戦闘態勢である萌の目は、普段スポーツの勝ち負けの世界にいるだけあって、野性的な凄味があった。
「すみません、授業終わりでお腹も空いてる時に」
「誰?」
「風見です」
名前を聞いて、余計に「誰?」と思う萌だった。
「今、例の脅迫状、持っていたら見せてもらいたいのですが、いいですか?」
「別に、いいけど」
萌は、スクールバックからクリアファイルを引っ張り出した。
その中に、脅迫状が三通挟まっていた。
「これは……?」
「これの中に入ってたんだよ」
年賀状を黒のマジックペンで塗りつぶした脅迫状が三通。そして、それが入っていた封筒が三枚。封筒はただの茶封筒ではなく、白い、紐止めの封筒だった。
「これが、この中に……」
風見は、黒く塗りつぶされた年賀状を透かして見たり、裏返してみたりして観察した。封筒も、同じように観察する。
「貴方は昨日、三通目の脅迫状を受け取り、朝のうちに、水野君のもとに相談に行った、間違いないですか」
「何、この人も探偵なの?」
萌は、必要以上に大きな声で、茶化すように言った。
「質問に答えてよ」
摩里香がぴしゃりと言う。
「答えたくなければ答えなくてもいいですよ」
風見は、萌が摩里香に対して啖呵を切る前にそう挟み込んだ。こう前置きしながら、風見は萌に言った。
「ただ、奇妙な点がいくつかあるんです。例えばこの脅迫状、どうして何も書かれていないんでしょうか。もし犯人が、貴方に憎しみを抱いている人間なら、貴方が不愉快になるような言葉を、ここに書くと思うんです」
「そんなの、私に聞かないでよ」
「おかしいと思いませんか?」
「まぁ、そう言われてみれば、確かにわけわかんないけど……」
「脅迫状は、火曜日、水曜日、木曜日の三日間、連日送られてきたものですか?」
「ううん。火曜日は来てない。月曜日、水曜日、木曜日の三日間」
「火曜日は来ていない……?」
風見は顎に手をやった。
「――どうして、最初の一通目や二通目で、水野君に相談しなかったんですか?」
「何か変なイタズラかなと思ったの」
「三通目が来たから、おかしいと思った?」
「そう。頭のいい友達に相談したら、そうしろって言われたし」
「頭のいい友達……なんて言われたんですか?」
「三通目が来たら、水野君に相談しに行った方がいいよって」
「それは、貴方が二通目を受け取った段階でですか?」
「うん。――ねぇ、この質問何なの?」
「その友達の名前を教えてもらってもいいですか?」
「A組の塚原アリカ! もういい?」
「ありがとうございます……この事件、解決にはもう少しかかるかもしれません」
「え、本当に!?」
「はい」
二人は2年B組の教室をあとにして、自分たちのクラスに戻った。給食は自由席である。摩里香は風見の席に出張してきて、風見の許可もとらずに、どんと給食プレートを風見の机に置いた。
「私考えたんだけど――」
椅子に座ると同時に、摩里香は切り出した。
「脅迫状の犯人、萌なんじゃない?」
風見は口を開きかけ、それから左手で顎を撫でた。
「どうしてそう思うの?」
「まず、さっきのあの態度……脅迫状を出されて、事件がまだ解決してないなんて言われたら、普通怖がるんじゃない?」
風見は目を輝かせて、摩里香の話に身を乗り出した。
「でもさっき、あの態度。むしろ、嬉しそうだった。それが一つ目」
「二つ目は?」
「雪が犯人じゃないとしたら、萌の下駄箱に脅迫状なんて、誰も入れられないんでしょ? ということは、犯人は、萌本人しかありえないと思うの。ね、風見君、どう?」
給食当番が黒板の前に立ち、「いただきます」の号令をかけた。
皆、「いただきます」を復唱し、食器の音と談笑の声がにぎやかに響き始める。
「どうしてさっき、嬉しそうだったんだろう?」
風見の問いに、摩里香は言葉を詰まらせた。
どうしてなのか、上手い説明ができなかった。不自然だったのは間違いないが、それがなぜかは、見当がつかない。
風見は、摩里香が解を持っていないのを悟ると、パンにジャムを塗り始めた。ぱくり、ぱくりと風見がパンと食べている間、摩里香はスープをスプーンで掬って飲みながら、考えた。
「水野君、バレンタインデーはチョコ貰うの?」
風見が、急に、何気なくそんなことをきいた。
「人気あるよ。私は嫌いだけど、好きな人、私でも5人は知ってるもん」
そう答えて、摩里香は「あ!」と気が付いた。
ぱたぱたと手を動かし、口いっぱいに含んでいたスープを、一生懸命飲み込む。
「わかった! 萌、水野のことが好きだったんだ! で、水野に近づくために脅迫状の事件をでっち上げた! そうじゃない!?」
風見は、満足そうに頷き、小さく手を叩いた。
「摩里香さぁ、食べ終わったら高木君に話を聞いてきて。――これ、質問内容」
風見は、質問内容を箇条書きしたメモ用紙を摩里香に渡した。
「え、高木に? なんで? 萌じゃないの?」
「よろしくね」
「風見君、一緒に来ないの?」
「僕は、図書室に用事がある」
摩里香は首を傾げた。
昼食が終わり、摩里香は言われた通り、メモ用紙を持って高木をたずねた。風見は、図書室に向かった。
高木への聞き込みを終えた摩里香は、その足で図書室に向かった。
図書室は、南校舎の三階の奥にある。
図書室付近の開き教室の掲示板には、読書感想文やアンケート、それへの図書委員会からのコメントなどが書かれた紙が貼りつけられている。
摩里香は、図書室の横開きの扉を静かに開けた。
そろおりと入室し、扉を閉める。かび臭いような、甘いような、本の独特の香りが支配する空間に入ると、摩里香は一瞬息を止め、それから、音をたてないように呼吸するのに気を使った。摩里香は、図書室に入ったのは、授業も含めて、まだ数えるほどしかない。
入口の正面には胸の高さほどの本棚があり、その奥に読書スペースの長テーブルが三つ、並べられている。摩里香は、そのテーブルの一席に風見が座って本を読んでいるのを発見した。
摩里香は静かに歩いてゆき、風見の隣に座った。
当然風見は、事件に関する調べ物をしているのだろうと摩里香は思っていた。そう考えて本を覗くと――普通の小説である。
「何してるの?」
「あぁ、ははは、ちょっと、止まらなくなっちゃって」
風見は、はにかみ笑いを浮かべながら答えた。人に聞き込みなんかをさせておいて、この探偵は何呑気なことをしているんだと、摩里香は頬を膨らませた。
「事件のこと調べてると思ったのに」
「高木君、どうだった?」
「ちゃんときいてきたよ」
そう言って、摩里香は制服のポケットからスマホを取り出した。
「録音したの? 学校にスマホは、持ってきちゃいけないんじゃなかった?」
「夕方まで部活がある人はいい、それに、雪のことだもん。規則なんて守ってられないでしょ」
二人は図書室を出、三階の視聴覚室に入った。視聴覚室は各階に一部屋ずつあるが、三階の視聴覚室は、昼や放課後などは、誰も来ない。教室と同じ広さの空間に、椅子と机だけが10組ほど並んでいる。摩里香は、部屋の扉を閉め、机の上に座ると、録音した音声データを再生した。
『――雪ちゃんなわけないよ。あの子、そんなことするような子じゃないんだよ』
『で、いつから雪の朝練の邪魔してたの』
『邪魔じゃねーし! 教えてたんだよ!』
『質問に答える』
『2学期から』
『なんで?』
『いや、その……好きになっちゃったから……雪ちゃんって真面目なんだよ。俺7時10分とかに行くんだけど、もうばっちりアップ終わってるんだぜ?』
『アンタが不真面目なだけでしょ。で、実際どうなの』
『どうって、何が?』
『私は、あんたがやったんだと思ってるんだけど、やったの、アンタ?』
『そんなわけないだろ!』
『証拠は?』
『だって、俺、萌のことよく知らないもんさ。なんでそんなことしなきゃいけねぇんだよ』
録音を止めた摩里香は、忌々しそうに言った。
「高木犯人説も捨てきれないんだよね」
風見はくすくす笑った。
「彼には動機がない」
「じゃあ、やっぱり萌?」
「犯人が一人なら、きっと今回のような事件にはならなかったよ」
「え、共犯者がいるの!?」
「共犯ではないと思う」
「――風見君、もう、犯人の目星、ついてるの?」
「表に張り出されてる感想文、見た?」
「図書委員会の?」
「僕も1年生の読書週間の時に、感想文を書いて図書委員会のポストに入れたことがあるんだよ。次の日の昼には、それに図書委員長からのコメントが添えられて、掲示板に張り出されてた。読書週間が終わるとその紙を貰えるんだけど――今も家の引出しにとってあるよ」
「ふーん」
「摩里香、図書委員会がアンケートや感想文に使ってる紙って、何だと思う?」
「何って、和紙、とか?」
「材質じゃないよ。毎年1月になると、各クラスの図書委員が、クラスごとに余った年賀状を集めるでしょ」
「え、そうだっけ!?」
「年賀状を使ってるんだよ」
摩里香は、慌てて視聴覚室を出て、図書室外の掲示板を見に行った。
そして、どたばたと風見のもとに戻ってきた。
「年賀状だった! それに――」
風見は左手の人差し指をピンとたて、摩里香の口元を指さした。
「彼女が、真犯人!?」
「放課後、聞きに行ってみよう」
昼休みの後、午後の授業が終わると5分程度の学活がある。クラス全体のミーティングのようなものである。来週は試験一週間前で、部活動は全部休止になる。勉強時間を記録する紙が学活で配られ、担任から、ちゃんと勉強に取り組むように、という長いアドバイスが続いた。
学活後、風見と摩里香は、北校舎の三階奥にある、音楽室へと向かった。塚原アリカは、演奏部に所属していて、この日は、演奏部の試験前最後の活動である。二人はアリカがピアノの練習をしている第二音楽室に入った。
アリカの弾く滑らかなピアノの演奏が二人を出迎えた。
摩里香は、教室の奥で練習をしている木琴の一人に手を振った。
「知り合い?」
「同じクラスの安藤さん! なんで知らないのよ」
摩里香は呆れつつ、開いている席に座った。風見も、その隣の席に腰を下ろす。アリカのピアノの腕前は、かなりものだった。一曲弾き終えたアリカは、風見と摩里香に視線をやり、口を開いた。
「私に何か用事?」
ガラス細工のような、小さく、繊細な声である。
容姿と相まって、アリカは高級な日本人形のようである。
「え、用事? あぁ、そうでした、ちょっと、脅迫状のことで聞きたいことがあるんです」
風見は、思い出したように言った。
「萌さんの下駄箱に脅迫状を入れられた事件は、知ってますね?」
「萌から聞いた」
「二人は友達なんですね?」
「去年同じクラスだったの。それで、事件のことって何?」
「事件? あぁ、そうです。事件が起きた時、アリカさん、どこにいましたか?」
「……え?」
「萌さんの下駄箱に脅迫状が入れられていたのは、知っているんですよね?」
「知ってるけど、その質問、どういう意味があるの?」
「一応、確認だけしようと思って」
アリカは眉を顰めた。
「まだ家よ。7時20分に友達と待ち合わせしてるから、家を出るのは大体7時10分くらい」
「その待ち合わせの場所、教えてもらっていいですか?」
「大沢二丁目のバス停の近くにコンビニがあるでしょ。あそこの裏のT字路よ」
風見は、摩里香に視線をやった。
摩里香は、「知ってる」と頷いた。
「犯人はもう見つかったんじゃないの?」
「うーん……」
「そうやって、学校中に聞いて回るつもり?」
「必要があれば」
「呆れた……で、私への疑いは晴れた?」
「……実はここだけの話、僕は雪さんは犯人じゃないと思ってます」
「水野君から聞いてないの?」
「水野君の推理は聞きました。しかし……ちょっと納得できない点が多いんです」
「どこが納得できないの?」
「まず脅迫状が下駄箱に入れられた時間。水野君は朝だって言うんですけど、夕方でも充分可能じゃないですかね?」
「6時半完全下校で、それ以降は、下駄箱の出入り口は鍵がかかって出入りできなくなる」
「はい」
「それ以降学校に入る場合は、事務室と管理人室のある職員玄関を通らないといけない」
「ばれない様に通ることもできるんじゃないですか?」
「あそこ、監視カメラあるでしょ? あれ、なんで設置されたか知ってる?」
「いいえ」
「1年前、放課後、変質者が入ってきて、女子生徒の水着を盗ってった事件があったの」
「それで設置されたんですか」
「そう。生徒であっても、下校時刻以降に学校に入る場合は、名簿に名前を書かないといけない。書かないで入った生徒は、カメラで確認されて、翌日生徒指導に呼ばれるの」
「あれ、ダミーじゃないんですか?」
「本物よ」
「実際に呼ばれた生徒が?」
「去年何人かいたわね。名前知らないけど」
「あぁ、そうでしたか」
「これで納得?」
「下校時のどさくさに紛れて入れた、というのはどうですか?」
「よっぽど神経の太い人ならやれるかもしれないけど、雪って子、そんなことできるの?」
「まず無理でしょう」
「じゃあ――」
「ただ、朝ではなく他の時間に脅迫状を入れることができたとしたら、犯人が雪さんという線は限りなく低くなる」
「どうして?」
「雪さんは、朝一番に学校に来る、という理由だけで疑われているようなものです。なぜなら、脅迫状をいれることができたのは朝だけだから。でも、これがもし、朝以外の時間帯――放課後のどさくさに紛れて脅迫状を入れることができたとしたら、雪さんだけを疑う理由はなくなります」
「そんな人いるの?」
「うーん、どうでしょうか」
「そんな危険を冒して、3回も脅迫状をいれるかしら」
「確かにそうです。でももし雪さんが犯人だとしたら、朝に脅迫状を入れるのも、彼女にとってはかなりリスキーだと思いますよ。真っ先に疑われますからね」
「そこまで考えてなかったんじゃないの?」
「そこまで考えずにあんな手の込んだ脅迫状を送るでしょうか?」
「ねぇ風見君、私にそんなことを聞いて何になるの?」
風見は微笑を浮かべた。
摩里香も、風見のこの微笑の意味が、全く分からなかった。風見のアリカへの質問はこれで終わり、二人は音楽室を後にした。下駄箱に向かい廊下歩きながら、風見は急に口を開いた。
「摩里香さぁ、どう思う?」
「アリカのこと?」
「うん」
「うーん……でも、言ってること的確だよね」
「なんであの人、僕らの用があるのが、自分だってわかったんだろう」
「え?」
「だってあの時、摩里香は木琴の子に手振ったよね」
「同じクラスの子だからね。――ピアノの近くに座ったからじゃないの」
「彼女はピアノを弾いてたんだよ? 普通だったら、あの木琴の子を待つ間、ピアノを何となく聞いているんだな、って、そう思うんじゃない? 彼女と僕ら、初対面だよ?」
「あぁ、そう言われれば、ちょっと不自然だったね」
「――向こうは、僕らが脅迫状のことを調べているのを知ってたんだ」
「どうして!?」
「彼女、2年A組だよね?」
「水野と同じクラス。――あ! 今朝、水野の所に行った時!?」
「そうだよ。たぶん彼女は、あの近くにいたんだ。普段7時20分に待ち合わせて学校に来るんだから、あの時間には間違いなく教室にいたはずだよ。あれは、今朝の7時40分頃だったよね?」
「うん、それくらいだよ!」
風見は頷き、何気なくさらりと言った。
「たぶん彼女だよ、犯人」
「え!? でも、萌じゃないの? 萌と共犯!? 水野も怪しいと思うんだけど」
「水野君はカメラが本物かダミーかも知らなかった。設置された理由とか、無断で侵入するとどうなるかとか、彼女は詳しすぎる」
「確かに、普通の生徒にしては、詳しいかも……」
「知ってたから、今回の計画を思いついたんだよ」
「なんで……」
「そこなんだよ。動機が分からない。それに、彼女には、たぶんアリバイがある」
「そうなの?」
「言ってたじゃないか、朝7時20分にT字路で友達と待ち合わせてたって。検証しないと何とも言えないけど、たぶん、彼女が朝脅迫状を入れたんだとしたら、7時20分の待ち合わせには間に合わないようになっているんだよ」
「え? じゃあ、やっぱり脅迫状が入れられたのって、朝なの?」
「他は考えられないよ。彼女の言う通り、放課後の混雑した下駄箱で脅迫状を入れるのは、リスクが高すぎる。職員玄関から侵入したら生徒指導だ。この一週間で、誰かが生徒指導に呼ばれた話は聞いてない」
「じゃあ、他に犯人がいるんじゃないの?」
「いや、彼女だよ。――摩里香さ、アリカさんの家の場所調べてくれない?」
「わかった」
「あと、交友関係も」
「調べとく」
そうして二人は、下校した。
翌日、女子バスケットボール部の活動が午前中で終わり、そのあと二人は、学校の正門で落ち合った。まず摩里香は、アリカには、サッカー部の伊野という彼氏がいて、彼は今、怪我をして入院中だということを風見に伝えた。それから、摩里香は、スクールバックから市の地図をコピーしたものを引っ張り出し、丸印のついているある地点を、風見に指し示した。
「ここが、アリカの家」
風見はそれを見ると、自転車に乗ってすいーっと走り出した。
地図をしまって、摩里香も慌ててその後を追う。
風見は、学校を半周し、学校の南門の前で止まった。大きさは正門の半分ほどで、門も、正門のようなごつごつした鉄製ではなく、もう少し軽い素材でできている。
「アリカさんが登校するときは、ここから学校に入るはずだね」
摩里香は地図を見返した。アリカの家は、学校の南側にある。それを確認して、摩里香は頷いた。
「実際に試してみようか」
「試すって?」
「ここから雪さんの下駄箱を開けてアリカさんの家まで自転車で戻る。そこで自転車を置いて、アリカさんが待ち合わせをしてるっていうT字路まで歩いていく――その時間を計測してみよう」
「わかった」
「じゃあいくよ」
風見はそう言うと、腕時計を目の下にかざした。
「え! もう!?」
「スタート」
摩里香は、慌てて自転車のスタンドを下ろし、南門に走った。門を抜け、右手が1、2年生の下駄箱である。玄関口の扉を開けて中に入り、雪の下駄箱を開け、脅迫状を入れるふりだけをして閉める。そしてまた、来た道を急いで戻る。
「これ、持ってて!」
摩里香は、籠に入れていたスクールバックを風見に放ると、自転車に跨り、走って行った。風見はスクールバックを自分の自転車の籠に入れて、待ち合わせのT字路に向かった。
10分、20分……23分を過ぎた頃に、摩里香が走ってやってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ……これ、きついよ、トライアスロンじゃないんだから……」
風見は、持ってきておいた水入りのペットボトルとタオルを摩里香に渡した。
「で、タイムは!?」
「23分30秒」
「え!? じゃあ、結構ギリ!? 待って、風見君、もう一回チャンス頂戴、できるかも!」
風見は笑いながら頷いた。
摩里香は風見から時計を借りると、来た道を戻っていった。アリカの家に置いてきた自転車をとってその足で学校の南門前に行く。計測スタート。後の流れは、一回目と同じである。
そして結果は――。
「23分12秒」
「はぁ、はぁ、ちょっと、ちょっと休ませて……でも、行けると思う。たった3分……」
息を切らし、水を飲む。
「戻ろう」
「待って風見君、もう一度チャンスを――」
風見は、首を横に振った。
二人は学校に戻り、普段フットサル部が練習をしているミニコートを訪れた。風見はベンチに座り、顎に手をやった。午後練習の野球部が、掛け声をかけながらグランドを回っている。陸上部がその脇で、二人一組のストレッチをしている。
「風見君、もう1回だけやらせてくれない? 信号が青なら、行けると思う」
「大通りの信号でしょ? 次赤だったら、摩里香、無視する気だよね」
摩里香はぎくりとした。
まさに、そうしようと考えていたのである。
「あの大通りは、車の通りも激しいんだから、危ないよ」
「朝7時頃だったら空いてて、アリカは、信号無視したのかも――」
「あの通りは幹線道路だよ? 朝7時なんて、もうトラックがびゅんびゅん通ってるよ」
「でも、アリバイさえ崩せれば――」
食い下がる摩里香に、風見は首を振って答えた。
「彼女は図書委員で演奏部、運動経験もない。摩里香より早く自転車をこいだり、走ったりはできないよ」
摩里香ははっとした。
「じゃあ、犯人は別にいるの……?」
摩里香は、恐る恐る訪ねた。
風見がお手上げなら、もう雪の無実を証明できる人物がいない。野球部の間延びした掛け声が、この絶望をあざ笑っているかのようで、摩里香は腹が立った。
と、ある瞬間、風見が急に、組んでいた膝を解き、口元に充てていた手を離した。
「摩里香さぁ、高木君に話聞いたよね?」
「うん。録音、聞く?」
「彼確か、7時10分頃に、雪と練習を始めるんだよね、ここで」
「うん、そう言ってたけど」
「雪さんは、7時10分には、完璧にウォーミングアップが終わっている状態だって、そう言ってたよね?」
「言ってた」
「アップしないで練習をすることは、ありえる?」
「雪は絶対しないと思う」
「アップは、今の時期なら何分くらいかかる?」
「15分くらいかな?」
風見は、再び顎に手を当てた。
それから、ぽつりと言った。
「摩里香さぁ、用務員室に行って、平日朝のシフトを聞いてきてくれる?」
「用務員さんの?」
「うん、朝、門とか玄関とかを開ける人ね」
「わかった!」
摩里香は、全力疾走で校庭を横切って行った。
野球部はグランドの周回アップを終え、キャッチボールを始めようとしていた。
翌日日曜日、二人は都内某所にある病院を訪ねた。
アリカの彼氏、サッカー部の伊野が十字じん帯の再建手術で入院している。もう手術は終わり、リハビリのためにあと数日入院することになっている。
「大変だね、リハビリ」
摩里香が、伊野に言った。摩里香は伊野と、何度か話したことがあるくらいの仲で、知り合いと言うには遠いが、赤の他人と言うほど知らない間柄でもない。
「うん、でも、腕のいい先生にやってもらったから、あとは俺のリハビリ次第なんだ。――にしても、今学校で、そんなことが起こってるなんて知らなかった」
「アリカさんは何も言ってませんか?」
「アリカ? うん、特には。そういうの、興味ないんだと思うよ。ワイドショーとか嫌いなタイプだから」
「高木君みたいな男も、嫌いだったりします?」
「おぉ、良く知ってるな。俺もこの間知ったよ」
「この間と言うのは?」
「いや、高木からメールが来たんだよ。で、その時に、随分高木の悪口言うから、俺も驚いた」
「そのメール、見せてもらってもいいですか?」
「いいよ」
伊野は、充電していたスマホを操作して、メールを開いた。
高木からのメールが画面に表示された。
件名:断裂キャップテンへ
本文:ふざけんなよ。お前怪我するから今日の試合負けちゃったじゃないか。そんな怪我早く治して出てこい! リハビリでいじめ倒してやるから。
「あいつ、2、3回ぶん殴ってやろうかな」
メールを読んだ摩里香が怒った。
そんな摩里香を見て、風見は、深く頷いた。
「高木君が小学校時代いじめをしていたって噂、知ってますか?」
「え? なんだよその噂」
「知らない?」
「知らないよ。というか、あいつと俺同じ学校だけど、あいつむしろ、いじられる側だよ」
「高木君は、お見舞いには?」
「あいつはそういうの来ないよ。まぁ俺も、こんな所見られたくないしさ」
「また高木君とサッカーできるといいですね」
「はは、その時はけちょんけちょんにしてやるよ」
茶目っ気たっぷりに伊野が言った。
お見舞いの帰り道、駅まで歩きながら、風見が言った。
「アリカさんが好きになるのもわかる、良い人だね」
「女子の間でも、伊野君人気あるからね。1年生なんか、憧れの先輩って感じで見てるから」
「高木君とは随分扱いが違うね」
「そりゃ、アイツはモテないでしょー」
「あのメール――」
「最っ低だよね。ほんと高木、明日一発殴ってやろうかな」
「あのメール、気に入らなかった?」
「あたりまえでしょ! あんな追い打ちをかけるようなメール、喧嘩売ってるとしか思えないよ!」
「摩里香を連れてきた大正解だったよ」
風見は笑った。
「明日朝、6時半に南門で落ち合おう。自転車で来てね」
「え? い、いいけど……」
こうして、二人は、月曜日を迎えた。
6時半、二人は約束通り、南門で落ち合った。摩里香は自転車である。まだ門は開いていない。開くのは30分後である。
ところが――。
「あれ!?」
摩里香は、思わず声を上げた。
用務員らしき人が、自転車でやってきて、門を開けたのだ。時間は、6時40分である。二人は開いた南門から校内に入った。そして、1、2年生の玄関が開いたのはそれから3分後、6時43分である。
「摩里香、今から自転車でアリカさんの家に戻って、アリカさんたちと一緒に登校してきて」
「え! 今から!?」
「用意、スタート」
摩里香は、拒否する間も与えてもらえず、急いで門を出ると、自転車に乗って走って行った。朝の幹線道路は、信号無視ができるほど甘くはなかった。赤信号も長い。朝で体も動かない。アリカの住むマンションの自転車置き場に自転車を置いた。そこで、ちょうどマンションから出てくるアリカと遭遇した。驚いたのはアリカである。
「い、一緒に、学校行かない?」
ひきつった笑顔で、摩里香はそう言った。
二人は会話もなく、そのまま例のT字路に着いた。アリカの友達が2人待っていた。二人とも演奏部の2年生で、摩里香とはほとんどしゃべったことがない女生徒だった。
摩里香を加えた4人は、そのまま20分かけてのんびり歩き、学校に着いた。
下駄箱を開けて、靴を入れる。
そこで、摩里香とアリカは、自分の下駄箱に手紙が入っているのに気づいた。年賀状である。「図書室で待ってます」という黒い文字が表に書かれていた。
アリカは、友達の二人には先に行くように言って別れた。
そして、一度息を吸うと、摩里香に「行こう」と促した。
二人して三階の図書室に行き、扉を開けると、そこには、風見が待っていた。
テーブルには例の脅迫状と紐付きの封筒、そして、感想の書かれた大量の年賀状が置いてある。
「どうもわざわざすみません。驚かれたんじゃないですが、自分が脅迫状を貰うなんて」
二人は絶句する。
「まぁ、座ってください。すぐ終わります」
「何の用?」
「いやぁ、すごいですね、この年賀状の感想、全部アリカさんが書いたそうじゃないですか」
「……一応、図書委員長だからね」
「図書委員の新見先生から聞きましたよ。アリカさん、読書週間の時には、朝一番で学校に来て、寄せられたアンケートや読書感想文にコメントを書いているそうじゃないですか」
「そういうの、好きなの」
「大したものです。読書週間になると、朝、この時間を使って書いていたわけですね」
「そうよ。それが何なの」
「他の図書委員にも聞きましたよ。アリカさん、7時には、もう図書室にいて、コメントを書き始めていたそうで――」
「だから、それが何!」
「どうして嘘をついたんですか」
「嘘? 嘘なんて――」
「だって言ったじゃないですか、この学校の門が開くのは朝の7時だって」
「だってそうでしょ」
「いいえ、7時に門が開いたら、どんなに急いでも、図書室まで2分はかかります。実際には、南門が開いてから1、2年生玄関の鍵が開かれるまでに3分ほどかかる。門が7時に開いたら、貴方はどんなに急いでも、図書室には7時5分以降でないと、入れないはずなんです」
「たった5分……」
「朝の5分は命とりですよ。本当は、門が7時より先に開くのを知っていましたね? どうして教えてくれなかったんですか」
「誤差の範囲よ」
「上手いこと考えましたね。今回は、その誤差を上手く利用したわけですから」
「何、私が犯人だって言いたいの?」
風見は微笑を浮かべてアリカを見つめながら、「はい」と答えた。
「私が萌に脅迫状なんて、本気で送ると思ってるの?」
「貴方は、萌さんと仲が良かった。脅迫する理由がない」
「その通りよ、動機がないじゃない」
「あれは脅迫状なんかじゃなかったんです。最初からおかしいと思ってました。貴方はおそらく年賀状を前にして考えたんでしょう、なんて書こうか。しかし、親友の萌が、本気で気にしたら困る、そう考えると、貴方は文字を書けなくなってしまった。だから、塗りつぶした」
「だから、そもそも萌に脅迫状を出す理由がないでしょ」
「いいえ、あなたにはあったんです。そして事は貴方の思い通りに進んだ」
「何を言ってるの」
「雪さんのことです。あなたは、雪さんを陥れるために脅迫状を送った」
「なんで私が雪を」
「高木君です」
風見はそう言うと、プリントアウトした高木のメールをテーブルに乗せた。
アリカの顔色が変わった。
「昨日、伊野君に見せてもらいました」
アリカは、目を見開いて風見を睨む。その眼には、明らかな困惑の色が浮かんでいた。
「貴方は、伊野君にこんなメールを送った高木が許せなかった。高木君のいじめの噂、流したの、貴方ですね?」
アリカは、メールの文面に視線を落としたまま答えない。
「貴方は、高木君を憎んだ。高木君を孤立させて、思い知らせてやりたかった。それなのに、雪は、変わらずに高木君と朝練をしている。貴方は、雪にも敵意を向けるようになった」
「そんなの、憶測でしょ……」
「いいえ、貴方は、水野君を利用したんです。彼が、雪に疑いを向けるよううまく誘導していった」
「どうやって……?」
「萌さん、二通目の脅迫状が来た後、貴方に相談したそうじゃないですが。そこで貴方は、次の脅迫状が来たら、水野君に相談してみたらと勧めたそうですね」
「確かに相談を受けて、そう言ったけど、それだけのことで誘導なんて」
風見は、年賀状の一通をテーブルに置いた。
「これ貴方が書いたものなんですけどね、えーと、ホームズの本を読んだ感想に対してのコメントです。重要な部分を読みますよ――最近探偵ぶってカッコつけている人がいるけど、ホームズとはカッコよさが違うんだよね――間違いありませんね」
「……」
「この当時、ちょうど水野君がD組のカンニングペーパーの事件、僕も詳しくは知りませんが、それに取り組んでいるときです。何が言いたいかと言うと、つまりあなたは、水野君のことを、ちっとも信用していなかったわけです」
「だってあんなの、くだらないわよ」
「貴方は頭がいいから、そう思って当然かもしれません」
「じゃあ、どうして水野君に相談するよう勧めたの?」
摩里香は、出てきた疑問を口にした。
「それは……」
少し間を開けて、風見が言った。
「萌さんは、水野君のことを、好きなんですね?」
風見が、確信を突くように質問した。
「……本人から聞いたの?」
「いいえ、今、貴方の態度で確信しました。貴方は萌さんが水野君を好きなのを知っていた。だから、一押しすれば進んで水野君の所に、脅迫状を持って行くとわかっていた」
「ただ、萌の恋を応援しただけかもしれないでしょ」
「それなら何も、あんな難しい時間に脅迫状を入れることは無かった。昼休みにでも入れておけば目的は果たされます」
「何かの理由で、昼には入れられなかったのかも」
「そんな理由、ありえません。貴方は、朝にこだわりたかったんです。貴方はどうしても雪さんを陥れたかった、紐止めの封筒もそうです」
アリカは、ついに俯いた。
「ずっと不思議だったんです、どうしてわざわざ紐付きの封筒を使ったのか。確かに、あの脅迫状を裸で入れておいたのでは間が抜けている。だから何かに入れようという発想はわかるんです。でもどうして紐止めの封筒なのか」
「理由があったの!?」
摩里香が思わず口にした。
風見が答える。
「はい。貴方、雪が左利きだって、萌さんから聞いて知っていたんですね? それで、右利きが八の字で留めるのとは逆の方向に八の字を作って封をしめた。でも残念でした、水野君、封筒にどうして糸留めが使われているかも、それがどのように止められているかも、全然気にしていませんでした。探偵としては貴方が思う以上に――」
「間抜けだった」
「はい。でもそれで僕は確信しました。犯人は、雪のことを直接は知らない人物と。アリカさん、貴方は、去年雪とは別のクラスでした。小学校も違います。雪さんのことは、萌さんから聞いているだけです」
「そうよ」
「そうなんです。彼女が左利きだと勘違いできるのは、雪のことを話でしか聞いたことのない人だけなんです」
「勘違い……?」
「雪さんは確かに左利きです。でもそれは、フットサルの時だけです。彼女の左利きは足のことで、手は、右なんですよ」
アリカは、言葉を失った。
「雪と同じクラスになったことがある人間なら、彼女が左利きであることは知りません。彼女が左利きだと知っているのは、フットサル部の部員か、あるいは、高木君のように、一緒に練習をしたことがある人だけなんです。でもそれは足の話で、それを手だと勘違いすることができる人は、ちょうど貴方の様に、フットサル部の部員と仲の良い友達しかいないんです」
「……でも風見君、私が脅迫状を送り付けたって言うけど、私にそんなことできると思う? アリバイが――」
「できるんです。今朝、摩里香が実証しました」
ここでアリカは、さっき摩里香と出会った理由が分かった。
「脅迫状は月曜日と水曜日、木曜日に入れられています。どうして火曜日には入っていなかったのか、不思議でした。……入れられなかったんです。火曜日の用務員さんは、7時近くにならないと門を開けないんです。貴方は友達とT字路で7時20分に待ち合わせをしている。7時まで待ったのでは、間に合わない。だから火曜日には、脅迫状が届いていなかった。しかし雪さんはこの日も、一番で登校しています。入れようと思えば、充分入れられたんです、脅迫状」
アリカは大きくため息をつき、天井を仰いだ。
そして、ため息交じりに言った。
「いつから疑ってたの?」
「僕も最初は水野君だと思っていました。でも脅迫状を見た時ピンと来たんです、犯人は、図書委員だなと」
「どうして?」
「脅迫状に使われた年賀状、よく見ると赤い印刷が透けて見えるんですけど、三枚とも、干支の漢字が書かれていました。二枚は今年の干支の辰。もう一枚は、兎です。家に余った年賀状があったとしても、一年前の年賀状をとっておくとは思えません。それで思い出したんです、この学校のどこかで年賀状を見た覚えがあった。図書室でした。図書委員は、アンケートや感想文を、余った年賀状を使って書いています。毎年各クラスの図書委員が、1月になると集めていますね」
「アンケート用に出してある年賀状を、誰かが使った可能性もあるんじゃない?」
「いいえ。アンケート用のものも感想用のものも、図書委員会で使う年賀状には、朱で『西中学校図書委員会』の印鑑が押されています。ペンで一回塗っただけでは隠し切れません。しかしこの脅迫状には、べったりどこかを特定の場所を塗りつぶした後がない。つまり、印の押されていない年賀状を使ったんです。印の押されていない年賀状を使うことのできるのは、図書委員の役員しかいない。年賀状が保管してある引出しの鍵の場所を知っているのは、先生と、図書委員長だけですからね」
「なるほど……私以外の図書委員は調べなかったの?」
「他の図書委員は、フットサル部の友達はいませんでした。フットサル部、全部で8人しかいませんから」
アリカは微笑する。
「ホームズみたい。完敗だわ。全部あなたの言う通り。でも……どうしても許せなかったの。伊野君があんな大怪我をして、手術までするっていうのに、そんな時に、あんなメール」
「それは同感。高木は、ありえない」
風見は笑って、プリントを軽く指でつつく。
「女の子にはそう見えるのかもしれませんね。でもこのメール、男は、励ましと受け取るんですよ」
ええっ、と二人は驚く。
「男は、意味もなくメールなんて送りません。面倒くさがりですから、送ったとしても、用事がある時だけで、単語だけとか、一文だけとか」
「でも、高木は、伊野君のお見舞いに来ないし――」
「弱っている姿を見たくないんですよ。そして、弱っている姿を見せたくないという伊野君の気持ちを汲んでいるんです。二人は小学校時代から、憎まれ口を言い合える、良いライバルなんです。だから、こんな時でもあえて憎まれ口を叩くんです。二人は、そういう仲なんですよ」
アリカはそれを聞くと、唇をわなわなと震わせた。
「伊野君は、高木君のことをちっとも怒っていませんでした。高木君も、本心では、伊野君のことが心配なんです。もう一度伊野君とサッカーをしたい、そう思っているんですよ、言わないだけで。あのメールは、そういう風にうけとらないとダメなんです」
「私……」
そう言ったきり、アリカは沈黙した。
年賀状の上に、ぽたぽたと、涙が落ちる。その音だけが、しばらく聞こえていた。
「今回はちょっと、暴走しすぎましたね。でも、貴方が伊野君を想う気持ちは、それほど強かったということです。このことは、伊野君には言いません」
アリカはそれを聞くと、顔を上げた。
縋るような赤い目で、風見を見つめる。
「でも、雪ちゃんが――」
「それについては、もう一人、責任を取るべき人物がいます」
そしてその日の放課後、風見と摩里香は2年A組を訪れた。
まだ生徒もまばらに残っている。そんな中で、風見は切り出した。
「雪さん、インフルエンザでした」
「何の話だよ」
「いや、先週、雪さんが学校を休んだのを、後ろめたい気持ちがあるからだと言っていたので、それは読み間違いでしたねと伝えようと思いまして」
「は?」
「事件が公になる前から雪さんの体にはインフルエンザウィルスが入っていたんです。それで金曜日になって、発熱した」
「だから何だよ。俺帰るけど、いい?」
「いいえ、事件を解決しないと」
「で、犯人は見つかったのかよ」
「はい」
自信満々に答える風見。水野は目を逸らす。
「誰?」
「犯人は、二人いるんです」
「二人?」
「一人は、今朝自供してくれました」
「もう一人は?」
「今僕の目の前にいます。――貴方です」
「は、俺? ふざけんなよ、そんな負け惜しみみたいなことを言うために――」
「いいえ、貴方です。貴方は、脅迫状の事件を利用して雪さんを陥れようとしました。これは立派な罪です」
「証拠は?」
「証拠? お判りでしょう。貴方は雪さんが犯人だと言った、あの推理は穴だらけでした。自分でもわかっているはずです。わかっていないとしたら、あなたはもう名探偵なんて名乗る資格はないと思いますよ」
「いつ俺が自分で名探偵なんて名乗ったよ」
「この学校の開門時間、貴方は7時と言いました」
「だってそうだろ? 違うのかよ」
「はい、違いました。貴方は、バスケ部の朝練で火曜日と金曜日には朝早く学校に来る。その時は、確かに開門は7時です。貴方の登校する南門が開くのはその時間です。だから貴方はこの学校の開門時間が7時であると思い込んだんでしょう。生徒手帳にも、開門時間は7時と書いてあります。しかし実際は違うんです。貴方は、一週間が火曜日と金曜日だけじゃないのを知っておくべきでした」
「馬鹿にしてるのかよ、お前――」
「リサーチ不足でしたね。火曜と金曜日の朝、門やドアの鍵を開けるのは用務員の倉田さんです。倉田さんが朝の担当の日は、開門は7時です。ところが、月、水、木曜日は担当が違うんです。大場さんという用務員の方です。この曜日は、南門の開門が6時40分、正門が6時45分です」
「だったとしても、雪は朝一番で学校に来るんだから、同じことだろ」
「全然違いますよ」
「何が違うんだよ」
「話聞いていましたか? いいですか、月曜、水曜、木曜は、正門は6時45分にならないと開かないんです。でも、南門は、6時40分には開くんですよ」
「それが、何だよ」
「雪さんは正門から学校に入ります。脅迫状が入れられた日に関しても、雪さんは間違いなく正門から入っています。用務員の大場さんが証言してくれています。つまり、南門を使えば、雪さんより早く学校に入り、脅迫状を下駄箱に入れ、誰にも見られずに学校を出ることができるんです」
「わざわざ、そんなことのために朝一で学校に行くか?」
「行かないと断言できるんですか?」
「……」
「つまり貴方は、ロクに調べてもいない情報を根拠にして、無実の人間に濡れ衣を着せたわけです。しかも貴方は、それを自覚している」
「適当なことばっか言ってんなよ!」
「確かに貴方は適当が嫌いだ。それは成績が物語っています。適当な人間は、貴方みたいな成績は取れない。それに、これまで関わってきた事件は、全部解決してきています。途中で問題を放り出すような適当なこと、貴方は好まないんです。しかし、それなのにです、貴方は今回の事件に関して、随分適当なことをしています。重要な情報を集めず、適当に犯人を名指しし、本人の自供もないのに事件を片付けようとした」
「そんなの、犯人が明らかだからに決まってるだろ! 自供しなくたってわかるじゃないか」
「決定的な証拠もないのにどうして決めつけることができるんですか? 開門時間すら把握していなかった貴方には不可能です」
「じゃあ誰なんだよ、言ってみろよ!」
「僕が言わなくても、貴方は、犯人を知っているはずです」
「……」
「しかし貴方は、真犯人を暴きたくなかった。そうしてしまったら、罪を雪さんに着せるという、貴方の計画が台無しになってしまう。だから貴方は、犯人がはっきりしていないような適当な形で幕を引いた。雪さんに悪い噂が立つには、それで充分だったから」
「いい気になるなよ……」
「はい?」
「いい気になるなよ。こんなの、俺はアイツが脅迫状を持ってきたときからわかってた。簡単な推理だ。推理するまでもない。アイツ、脅迫状をもらったって言うのに、全然気にしてる様子がなかった。おまけに、脅迫状の時間だ。本当に脅迫したいなら、身元がばれにくい時間――昼休みに入れるはずだ。あいつが帰る時に脅迫状が下駄箱に入ってる、それなら俺もちゃんと探偵をやったさ。それがあいつ、朝見つけたとか言うじゃないか。馬鹿だよ、そんな簡単なことにも気づかない、自作自演の大馬鹿野郎だよ、あの女……」
風見と摩里香は顔を見合わせる。
「それは、自供と考えていいんですか?」
「……そうだよ。犯人は、萌だろ?」
「萌さんの自作自演とわかっていて、雪さんを陥れた」
「……」
「動機がわからないんです。どうしてですか?」
「え……? アイツから聞いてないのかよ」
「アイツ?」
「雪から」
風見は首をかしげる。視線を摩里香に持って行くが、摩里香も「知らない」とばかりに首を振った。しかし少し考えてから、摩里香が「あっ!」と声を上げた。
「もしかして、1年の時……雪に告白したのって、アンタだったの!?」
水野は沈黙した。口をへの字に固く結んでいる。
「そんなことがあったの?」
「うん、誰からって聞いても全然教えてくれなかったんだけど、同じクラスの男子だって言うのは、それとなく教えてくれてたの。まさか、アンタだったなんて」
摩里香は、水野を睨みつけて聞いた。
「じゃあ何、振られた復讐に、雪に濡れ衣を着せようとしたってわけ!?」
水野は、ただ俯くだけだった。
「最低、アンタほんと、最低ね」
「自分で蒔いた種です、自分で芽を摘んでください」
「わかったよ……」
「それからもう一つ――犯人は、萌さんではありませんでした」
「え?」
これには、水野も単純に驚いた。
水野は、他に犯人がいる可能性を、全く考えていなかったのだ。
「誰だよ!?」
「うーん……教えません」
こうして、事件は解決した。
翌日、水野は、自分の推理が間違っていたことを新聞部に報告し、水曜日の朝、新聞部から号外として、そのことが報じられた。試験期間中に部活動をするなと、部員はそのことで、随分怒られたらしいが、教師も協力していたために、そのことは、うやむやになった。
水曜日、インフルエンザ明けの雪が登校した。
放課後、帰りの支度をする風見のもとに、雪と摩里香がやってきた。
「風見君、ありがとう」
雪は、風見の活躍を摩里香から聞かされていた。新聞部が報道したのは、水野の推理が間違っていたことだけだったので、事件の真相は、まだ謎のまま、という風になっている。知っているのは、事件の当事者と摩里香、そして、雪だけだった。
風見は、はにかみ笑いを浮かべながら、「いいよ」と答えた。
雪もそれ以上、何も言わない。
じれったくなった摩里香は、口を開いた。
「どうして私は、風見君にこの事件のことをお願いしたでしょうか」
「僕の、小学校時代のことを聞いたからでしょ?」
「どうして雪が私にそのことを話したと思う?」
雪は、顔を赤らめた。
風見は顎に手を当てて、それから答えた。
「話の種としては、いい話だからね」
摩里香は、口をぽかんと開けた。
そうしている間に、風見はバックを持って、教室を出て行ってしまった。
「はぁ……雪、苦労するねぇ」
雪は、摩里香に肩を叩かれ、苦笑いを浮かべるのだった。