06. 私を口説きに来て
「気持ちのいい朝だね、佐藤さん」
「あー……ソウデスネ?」
「佐藤さんは文学部だったよね、必修の英語はどのクラス?」
「あー……ドウデスカネ?」
「佐藤さんは頭いいから、Aクラスかな?」
「あー……ソウデショウカネ?」
間が持たないとはこのことを言うんだろう。
さっきまで必死になって桜井君を避けようとしていた私、VS、にこにこ笑顔の桜井君。と、その隣にいる凛ちゃん。
……そうです、なんと、なぜか今、三人で登校しております。駅から大学までの道ってこんなに遠かったっけな……?
「……桜井君には、私のことが見えていないのかしら」
そう凛ちゃんがつぶやいたのも無理はない。先ほどから、桜井君はものすごい勢いで私に話しかけてきている。もはや怖いくらいである。もちろん、凛ちゃんにも最低限の挨拶はしていた。おはよう、とか、工藤さんだよね、よろしくね、とか。
ただ、私への勢いがすごい。もうものすっごい。そんなに質問するか? っていうくらい質問攻めである。さっきまでの、花梨ちゃんたちと一緒にいたときの暗い表情は嘘だったのかと思うほどに。
「凛ちゃん……なんかごめんね……」
「いいわよ、あんたのせいじゃないわ。っていうか、この男が空気を読めばいいってだけの話なのよ」
「り、凛ちゃあん……!」
「佐藤さんは、なんのサークルに入るか、もう決めた?」
いやいや怖すぎるわ。何で私と凛ちゃんの会話をガン無視して私に話しかけられるんだ。頭のねじ緩んでない? 大丈夫??
「あのー、桜井君」
意を決して、桜井君と向き合う。さっきまで、怖すぎて目を合わせないようにして歩いていたけれど。もう限界である。
何って、今、並びとしては、凛ちゃん、私、桜井君の順で横一列に歩いているわけで。この状態が続くのは、非常によろしくない。そりゃ、三人で歩いてるけど、凛ちゃんがドン引きして少し距離をとって歩き始めてしまったから、見方によっては、私と桜井君が二人で歩いているように見えなくもない。
それってまずくない!? まずいよ!!
ただでさえ、昨日の件があったのだ。桜井君のファンに目をつけられてもおかしくないし、何よりも花梨ちゃんが怖い。花梨ちゃんだって、一応、元クラスメートの私のことは知っているはず。正直、花梨ちゃんを敵に回したら、学校全体を敵に回すくらい恐ろしい、気がする。
そんなことにはなりたくない。私はただ、平和な日常を求めているだけなのだ。
だから、今、どうにかして桜井君には離れていただきたいわけだ。
「何かな、佐藤さん」
心なしか、向けられている視線があたたかい。気のせいであってほしいけど、なんか、すっごい優しい目で見つめられている気がする。や、やめてくれ……!
大学までは少なく見積もってあと五分でつく。大学に入ってしまう前に、なんとかこの男を突き放しておかないと。
「桜井君はまだ、花梨ちゃんと別れてないよね?」
「……うん、そうだけど。でも、ちゃんと別れるから、」
「私、そういうところしっかりしてない人って大っっ嫌いなの。付き合った人には自分のことを大切にしてほしいって思うし、けじめをつけられない人には、彼女を大切にするなんてできないよね」
「僕は、佐藤さんと付き合ったら絶対大事に、」
「今の時点で、花梨ちゃんと付き合ってるなら、ちゃんとけじめをつけてきてくれないと、今後も信じられないし、彼女がいるのにほかの女の子にふらふらするような人、ありえないと思ってるんだよね」
まくしたてる。凛ちゃんがあきれたように私のことを見ているけど、気にしない! いっつも略奪ものを見てキャッキャ言ってる私を知ってる凛ちゃんが呆れてるのはよーくわかるけど、気にしないんだから!
ここで押し負けたらもう駄目になる気がして、私はぐっと桜井君と目を合わせる。負けないぞ、という気持ちで。
十秒ほど見つめあっただろうか、そろそろ私の気持ちが負ける、というところで、桜井君がふいっと目をそらした。……勝った!!
「わかった、よ。まず、ちゃんと花梨と話をしてくる。佐藤さんを口説くのは、それからにするから、待っててくれる?」
勝った勝った、勝った!!!
勝利への喜びに、内心舞い踊っていた私は、桜井君の言葉に、一も二もなくうなずく。桜井君はそんな私を見て、一つため息をついてから、私と凛ちゃんに挨拶をして、大学へ一人で歩きだした。
わーい、退散した!
私がそう喜んでいたのもつかの間、凛ちゃんの大きな大きなため息が、私の横から聞こえてきて。
「ねえ、あんた今、『早く花梨ちゃんと別れて私を口説きに来て』って言ったようなもんだってわかってる?」
「……ん?」
「今桜井君を追い出すことに必死になりすぎ。自分で言ったこと、もう一回ちゃん考えなさいよ」
え、だって、え、え?
私は自分の言葉を反芻する。
付き合った人には自分を大切にしてほしい。けじめをつけられない人には、彼女を大切にはできない。早くけじめをつけてきて。
(早く花梨ちゃんとのけじめをつけて、私と付き合って、大切にして)
……そんなこと言ってない……! と思うには、心当たりがありすぎて。私は、大学まであと少しというところで、がっくりとうなだれることになるのだった。
*** *
「ねえ、水泳部のマネージャーやらない?」
「旅行サークル、いかがっすかー!」
「ねえ、ラクロス興味ない?」
「ボランティアやると、心がすっきりするんだよー」
「忍者になってみたくないですか?」
――大学って、すごい。
「り、凛ちゃん、すごいね……」
「まったくだわ。っていうか、ビラがありすぎてわけが分からないわね」
本日何回目かのため息をつく凛ちゃん。あぁ、いつも通りお美しいです、ごちそうさまです。
そんなことを思いながら、私も手元のビラを見つめる。大学内に入ってすぐ、サークルや部活の勧誘活動が私たちを取り囲んだのだ。彼らはそれぞれ勧誘の言葉を叫びながら、私たちの手にビラを押し付けてくる。勧誘の群れを通り抜けたころには、私と凛ちゃんの手には大量のビラの山ができあがっていた。
「凛ちゃんは、サークル何に入るか決めてるの? やっぱり漫画研究会? 文芸部?」
「んー。そっち系にも入りたいとは思ってるけど、体も動かしたいのよね。大学生って体育の授業もなくなるし、運動不足になっちゃうでしょ。麻美は何に入るつもりなの?」
「私は……うーん、この忍者サークルっていうのはちょっと気になるけど……」
「やめときなさい」
鋭い突っ込みありがとうございます。
そうして、ふざけながら私たちがたどり着いたのは、ガイダンスの行われる棟。ここは大学で一番広い教室がある棟で、人気のある授業は大体ここで行われるらしい。その棟の前も、新入生であろう人たちでいっぱいで、入る前から疲れてしまう。新入生だけじゃなくて、ここにもまた、サークルの勧誘に必死な人たちがうようよしている。
大学生といえばサークル、サークルといえば大学生。私は勝手にそんなイメージを持っているので、もちろんサークルには入るつもりである。大学生になったからには、リア充したい、モテたい……というか、一般的な彼氏が欲しい!
ここで言う一般的っていうのは、決して桜井君とかみたいな、きらきら輝いてる人ではなく、普通の、一般ピーポーの彼氏が欲しいっていう意味です。きらきらした人たちなんて、こう、目の保養で十分なわけです。
で、まあ、そんな私にとって、サークル選びは結構重要な問題なわけなんだけれど……こうもたくさんあると、何に入っていいのかわからない。ただ一つ言えるのは、花梨ちゃんや桜井君そのほか王子のいるサークルには入らないほうがよさそうっていうこと。
せっかく学部も違うんだし、このまま何事もなく、平和な学生生活を送りたい。さっきは言葉選びに失敗してしまったようだけれど、これからは完璧に桜井君を避けて見せる!
そう意気込んでいる私の肩を、誰かがぽんとたたいた。凛ちゃん? と思って振り向くと、まったく見たことのない男の人がそこに立っていた……誰ですかね。
「君、サークル、迷ってない!?」
「は、はあ……」
第一声からめちゃくちゃテンションが高い。怖い。
「よかったらこれ、もらって! このあとのサークル発表でも発表するから、見てみてね!」
すっごい笑顔で渡されたのは、またもやビラ。だけど、今までもらったみたいな、明らかに素人が作りましたっていうんじゃなくて――一目でわかる、これは、玄人の作品だと。
白黒の印刷でも、紙の質が悪くても、このビラは……いわゆる神絵師が描いたものだった。もらったビラを手に、声が出せない私に、声をかけてきた男の人はさっさとほかの人のところへ行ってしまった。
これは……これは、まさかとは思うけど、うん、でも、絶対そうだ。
「りりり、凛ちゃあん……!!!」
「ちょ、麻美、どうしたのあんた!? なんで涙目になってるのきもいんだけど」
「ひどい凛ちゃん! いや、それどころじゃなくて、これ見て凛ちゃん!!」
「何よ………………ってこれ、え、は?」
冷静な凛ちゃんに、私は震える手で、ビラを見せる。思った通り、凛ちゃんもぴしっと固まった。
そうして、二人で声をそろえていったのは。
「「神絵師、ナナ様の作品!!」」
これが、サークル「Flower Flow」との出会いだった。
なーんて運命っぽく言ってみたけど、おいこれやべーよときめきが止まらないよどうしてくれんの!?
詳細は次話に。