02. 私の高校三年間
私の高校三年間は、すべて、「コイゾノ」に支配されていたと言える。オタクの皆さん――じゃなかった、同志の皆さん、想像してみてください。前世で、大好きでずっとやりこんでいた乙女ゲームの世界に、自分が転生したとしたら。大好きなキャラクターが、目の前で動いているとしたら。
そりゃあね。追いかけたくもなるもんですよ、ほんと。
乙女ゲームの主人公である、咲坂花梨ちゃんは、高校二年の冬に転校してきた。こげ茶色のふわっとした髪の毛(絶対にパーマをかけていると思うけど、先生たちは誰も注意していない)を、耳の横あたりでツインテールにした美少女。もう、花梨ちゃんを最初に見たときは、胸の高鳴りが尋常じゃなかった。
この世の中にはこんなにかわいい子がいるのかー! って。いや、乙女ゲームの世界だから、こんなにかわいいのかもしれないけど。
そこらのアイドルなんか敵じゃないくらい、本当にかわいかったのだ。
ぱっちりくっきりの大きな目と、広すぎる二重幅に涙袋、鼻は小さく高く、唇はどんなときでもぷるっとしていて。白くて透き通るような肌は陶器みたいで、長いまつげは常に上を向いているような。一見幼く見える髪型すらも、花梨ちゃんにかかればただのアイドルだった。
そんなわけで、うちの高校には、空前の花梨ちゃんブームが巻き起こったわけである。男の子も女の子も、転校してきたかわいい花梨ちゃんを見るために、教室に群がっていたのはなかなか面白い光景だった。かくいう私も、二年のときはクラスが別だったので、花梨ちゃんがたまたま廊下を通ったときには、思わず目で追ってしまったものだ。
そう、最初は平和だったのだ。女子も花梨ちゃんに好意的だったし。
それが狂い始めたのは、三年になってクラスが変わってからだ。私は三年生になって、桜井君と花梨同じクラスになったのだけれど、それはもうすごかった。あからさまに、花梨ちゃんが「イケメン」とその他大勢の人を区別しはじめたのだ。
花梨ちゃんの「イケメン」の基準は簡単だ。うちの高校でいうところの「王子様」、つまり、名前に花の名前が入っているかどうか、である。
うちの高校(つまり、乙女ゲーム「コイゾノ」内)には、四人の王子がいる。もちろんあだ名であり、本当に貴族とかではないけれど。
一番人気の桜王子こと桜井由伸君。何度も言うように、私とは三年間クラスが同じの、一番正統派な王子だ。格好良くて優しくて、頭も良くて運動もできて、なんていう、非の打ち所がない人。
次に人気があるのは、桜井君とは正反対の性格の、伊原木白玖君だ。通称バラ王子と言われていて、「派手」とか「華やか」とかいう言葉が似合う人だ。ただこの人、ちょっと問題があって――
「やっほー、花梨ちゃん! そろそろ、桜井と別れて俺と付き合ってもいいんじゃない?」
噂をすればなんとやら、だ。
私が考え事をしながら歩いていると、少し離れたところにバラ王子こと伊原木君の姿が見えた。赤茶色の長めの髪を、今どきのデジタルパーマでふわふわさせて、耳にはピアスの穴がいくつもあいている。いつもにこにこ(にやにや?)と優しそうに笑っているけど、あれは優しいというよりちゃらい、っていう感じである。彼は女遊びが激しいことで有名で、目があった女子はみんなターゲットとして、彼の「女」にならざるを得ない、というのがもっぱらの噂だった。
そんな彼は今、花梨ちゃんに話しかけているようで。伊原木君が花梨ちゃんに夢中なのは、学校の誰もが知るところだった。バラ王子のファンの子たちはみんな悲しんではいたけど、伊原木君はなんだかんだ、花梨ちゃん以外の女の子にも未だに手を出しているから、そんなに支障はないみたい。
「伊原木君! もうっ、あたしはよしくんとは別れないって言ってるでしょぉ!」
困ったように笑う花梨ちゃん……まあ、本気で困ってるようには見えないけど。
さて、その肝心の「よしくん」はどこいったのよ、まったく。
そう思っていると、右前方からきらきらした集団が見えてきた。面倒ごとのにおいがぷんぷんしているので、私はおとなしくそばにあった自販機の陰に隠れさせていただきます、しゅっ。
「あー、ずるいよ白玖! 花梨ちゃんひとり占めするなんて!」
そう言って、かわいらしくほっぺたを膨らませながら近づいてきたのは、梅王子こと梅田類君。同い年とは思えないようなかわいらしい外見と口調が、女子の母性本能をくすぐるタイプの美形さんである。
金色に近い茶髪はくせっけのようで、猫みたいな二重とばっちりマッチしている。身長は、女子の平均くらいである私と同じくらい。花梨ちゃんよりは少し高いかな? 二人が並ぶと、どことなく中学生みたいに見えてかわいいのだ。
……ただ、この梅田君、性格にとっても難ありで。花梨ちゃんにしか見せないけど、可愛い顔して実は鬼畜っていう設定であったわけです。いやー、そんなギャップお断りですが。
「……花梨を放せ」
そう言って、花梨ちゃんと伊原木君の間に割って入ったのは、椿王子こと椿桃矢君だ。椿君は、四人の中で一番背が高くて、一番無口な人だ。その分態度で表すやさしさが売りなんだけど、私は前世でこの乙女ゲームをプレイしていたとき、この椿君がイチオシだった。……現世でもちょっとだけ、追っかけファンをしていたこともある。
短い黒髪に、きりっとした眉、切れ長の瞳。がっしりとした筋肉質で、この人は王子というよりは騎士とか武士とかのが似合うなあっていつも思う。
そんな椿君が花梨ちゃんと並ぶと、ちょっと犯罪集……ごほんごほん。なんでもないでーす。
「みんな、花梨のことで喧嘩しないの! ね?」
三人をにこにこ宥める花梨ちゃん。今日もたいへんかわいいです。
かわいいですが、どう見てもその顔、逆ハーレム万歳うれしい! って感じですよね。あれ、私の妄想ですかね……?
まあ、それはさておき。
私はきょろきょろとあたりを見渡す。この三人がいて、花梨ちゃんがいるなら。いつもなら、必ず、桜井君もいるはずなのに、なぜかいない。
思い出されるのは数十分前の悪夢のようなシーン。私にのことを、す、す、好きだ、とか言った桜井君(うわー、自分で言うの恥ずかしい!)。
冗談に決まっている。もしくは、何かのバグか。だけど、今この場に桜井君がいないこと、さっきの事件と無関係ではないような気がする。あー、もう、こんなにいやな予感がすることってないよ!
「おい椿、このむっつりが、俺の花梨ちゃんに触んなっつーの」
「白玖君の花梨ちゃんじゃないでしょ! 僕の、花梨ちゃんだもんね!」
「……俺のだ」
いつもなら。こんな具合に、桜井君もいれた四人の王子が、花梨ちゃんを取り合うのが、うちの高校では恒例行事だった。
花梨ちゃんが転校してくるまでは、王子はみんなの王子様で。誰のものでもない、孤高の存在だった。(そのうちの一人は、ずいぶん女遊びが激しかったけれども)
ところが「花梨ちゃんブーム」が巻き起こってからは、王子たちも例外でなく、花梨ちゃんに骨抜きにされた結果、女子たちの花梨ちゃんを見る目はどんどん冷たくなっていった。浮かれているのは本人たちだけで、それを見る周りの人たちは結構あきれていたと思う。
まあ、私に関しては、思いっきりのぞき見を楽しんでいたわけですけど。ぷぷぷ。
花梨ちゃんと伊原木君の保健室でのむふふなイベントだったり、梅田君の鬼畜発覚イベントだったり、椿君のピュアピュアなお弁当イベントだったり! まあ、楽しい恋愛ドラマを生で見ているような感覚だったわけです。
――さて。
桜王子がいない間に、そっと退散しようっと。
そう思い、私が自販機の後ろから顔を出した、そのときだった。私の右肩を、誰かがぽんとたたいたのは。……いやな、予感、がするんだよ、なあ?
そっと首を動かして、振り向くと。
やっぱりそこには、噂の、桜王子――桜井君が、微妙な顔をして立っていた。
…………うん、ですよねえ……さて、どうするべきか……?