「好き」の記憶
ぐわんぐわんと銅鑼のこだまのような効果音とともに、佐里の告白は、磨人の中で大いに反響した。
日ノ宮先生は、おそらく三十代半ば。独身。
高一のころ磨人は、廊下や職員室でちらりと見かけては、かわいい若い先生だと思っていた。それなりの経歴を持つらしいと聞いても、小柄で童顔の日ノ宮先生は、せいぜい二十代後半にしか見えなかったのだ。
しかし耳ざとい女子たちの噂により、どうやら三十四、五歳らしいということが知れた。普段はにこにこと笑顔なのだが、怒るとすさまじく恐いらしい。その迫力たるや、相応のキャリアあってこそと納得せざるを得なかったとか、なんとか。
『その人のことしか考えられない――という人がいる。』
佐里は相馬に、そう啖呵を切ったのだ。
つまり、いつだって日ノ宮先生のことで、頭がいっぱいだということだろう。
――佐里は、日ノ宮先生のことがす、す、好……っ。
認識ができたとたん、磨人の顔にカッと血がのぼった。全身の血液が沸騰したかのようだ。血圧がおかしなことになっているにちがいない。
同性間での恋愛に、偏見は持っていない……つもりだ。年の離れた姉が女子校出身のせいかもしれないし(女子校というのは、どうやらそういったものごとに寛容になる土壌らしい)、その姉の趣味の話を聞くともなしに聞いていたからかもしれないし、パートナーシップなんとやらという新しい条例だか法律だかができた、というニュースを見たからかもしれない。
だが、担任の日ノ宮玲子先生に特別な感情を抱いていると佐里から打ち明けられた磨人は、多大なる衝撃を受けていた。
引いてはいない。断じて。
ただ、ショックだったのだ。
それは、磨人自身にまったくもってチャンスがないと言い渡されたと同じだからだ。
ありていにいえば、藤春磨人は、真原佐友里が好きなのだった。
衝撃の余波は甚大で、しばらく呆然としていたに違いない。
しかし、これまでの話の流れからは予測不可能な、まったく別次元のように聞こえる問いかけのために、磨人は我に返った。
「藤春は……生まれ変わりって、信じる?」
「――は?」
佐里らしくない、気弱な声だった。
「生まれ変わりとも言い切れないんだけど……そうだ。前世って、存在すると思う?」
「……ええと、悪い。話が見えない。」
「日ノ宮玲子という女の子のことが好きで、好きで、好きでたまらないというのは――記憶なんだ。」
――女の子?
日ノ宮先生がいくら童顔でかわいく見えたとしても、磨人にはとても「女の子」とはよべない。
――ってか、記憶?
「たぶん、前世のことなんだ。わたしは十七歳で死んだ、男子高校生だった。」
――ん? ん? ん?
日ノ宮先生のことが好きなのは前世の記憶であって、佐里自身の気持ちでは……ない?
それはもしかしてもしかすると自分にチャンスが無きにしも非ず、いやしかし、上げてから思いきり落とすというのはよくある展開で、安易に希望に飛びつくのは早計だ。ここは冷静になれ、俺。
「ぜんっぜん、冷静なんかじゃないじゃないの。」
幼なじみはまったくもって辛辣だった。
「大丈夫? 頭冷やす? お冷をピッチャーごとあびせてあげようか。」
「ちょっ、待っ、おい!」
両手で氷水入りのピッチャーをかかげた由良の前でなすすべなくあわてていると、大きなため息が降ってきた。
「本気でやったりするわけないでしょ。掃除が大変なんだから。」
苑井由良はお冷のピッチャーをカウンターに戻し、テーブル席の椅子をひいて磨人の正面に座った。
白い半袖ブラウス、細い黒のタイ、店のコンセプトカラーである水色のボックスプリーツスカートに、シンプルな黒のタブリエ。個人の店舗なのでチェーン店らしい制服はないのだが、由良が自分で見繕い、仕事着と決めて着ているものだ。面と向かって言ったことはないが、似合っていると思う。
東花高校では、アルバイトは禁止されている。しかし由良は週に二度ほど、学校帰りにカフェで働いていた。「叔父の店なんだから、アルバイトじゃなくて親戚の家の手伝いよ」――とのこと。
「あのね。佐里はものすっごい秘密を、あんたのことを信じて打ち明けたんだよ? それなのに磨人ったら、考えることは『よーし、俺にもまだチャンスある!』……それだけなの? 信っじらんない!」
何も言い返せない磨人だった。
脳内容量が完全に飽和し、佐里に気の利いた言葉ひとつもかけることもできなかった彼は、バスを降りた彼女を見送ると、幼なじみに頼ることしか思いつかなかったのだ。
心の奥底から、自分が情けなかった。
「ったく……磨人。」
ごんっ!
反射的に飛び上がる。由良の拳が、テーブルの天板に打ちおろされたのだ。
「いーい? よく聞きなさい。」
「ハイ。」
「わたしが佐里から、日ノ宮先生のことが気になってるって打ち明けられたのはたしかよ。だから『そういうこともアリよね』って、恋愛相談のノリで聞いたの。でもね、生まれ変わりだとか前世の記憶だとか、そういうことは一切言ってなかったの。」
「……え。」
「そうよ。あんたは佐里に選ばれて、相当とんでもないことを教えてもらえたんだから! そんなふうにひしゃげてないで、佐里の力になることを考えなくっちゃ。だって、磨人に話したってことは、助けをあんたに求めてるってことじゃないの。たとえそれが佐里の無意識ではあってもね。」