第濃藍話 「ラーメン街の少女」
空に散らばっている星も蒸されそうなほど寝苦しい夜。ケルンより南へ少し行った所にあるパン地方。白い立方体のような形をした建物の上に男が座っている。
軽くパーマのかかった黒髪のその男は、丈100cmはあるチョッパー(肉切り包丁)を担ぎ、不敵な笑みを浮かべていた。
「青を宿した者に出会えるまで...喰らい続けよう...」
アルバート・オルコ。彼は日曜の会議に欠席し、明日の儀式の準備をしていた。
彼はチョッパーの背を優しく撫でた。
※チョッパー…物を叩き潰す斧状のもの
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翌日
ヘイと浅黄は調査のため、ケルン南部で行われているソダ派のイベントへ赴いた。
「今回はソダ派を弾圧するだけじゃなくて宣教師のコンラートとエドガーを暗殺することも任務です」
行きの列車の中で、浅黄は耳打ちをした。
「あいよ」
(経費がおりるってのは随分楽だな。青を探すのにも手間が省けそうだ)
ヘイは暇つぶしに遊んでいたババ抜きで、揃ったカードを座席に置いた。
「なぁ浅黄」
「なんですか?」
「違くないか?2人でババ抜きは違くないか?」
「じゃあポーカーでもします?」
彼女がトランプを整理しながら言う。
「賭けるもんがねぇよ。しかしあれだな。何十世紀も前からカード遊びが変わってないなんて...娯楽の限界を見た気分だ」
ヘイはトランプに印刷されたジョーカーの絵をぼーっと眺めて言った。
「じゃあ負けたら動物園に連れていってください!」
「聞いてねぇのかよ...動物ならウチにいるだろネズミが」
「違うんです!何か凄い動物がいるんですよ動物園には!」
語彙力が足りない浅黄は、身振り手振りでなんとかして動物園の凄さをヘイに伝えようとしていた。
「わかったわかった。俺が勝ったら一週間飯を作れ」
「飯...?飯ってなんですか」
彼女は大きな目をキョトンとさせて言った。
(そうだったこいつ雑草しか家で食べないし調理するという概念が無いんだった...)
ヘイは彼女の特殊な環境に呆れつつ、トランプを5枚ひいた。
「まぁ後で考える」
「それじゃ」
それぞれがカードを引き、顔を歪めたり微笑んだりする。
ヘイはフルハウスで勝ったつもりになっていたが、浅黄のロイヤルストレートフラッシュには敵わなかった。
仕込んだんだろうなとヘイは子供を見るかのような目で彼女をじっと見つめる。
(視線が泳いでいる。汗かきすぎ。唇を噛んでいる。こんなに嘘がわかりやすい奴は初めてだ)
「わ、わぁ、わぁ!やった!やりましたよ?ね?すごーい!初めて見た〜!ね?凄いでしょ?」
「...」
「あ、わ、あ、勝ちですよね?浅黄の勝ちですよ...ね?え、あの、ね?」
「...わかったわかった」
見るに堪えない彼女に負け、ヘイはインチキを見逃してやることにした。
どうせ帰る頃にはクタクタで忘れてるだろうとヘイは思っていた。
「話変わるんですが、昨日の今日であまり動揺しないんですね」
不意に浅黄が声を低くして言う。確かに、少し前までヘイはただの旅人だったが、今は宗教戦争や謎の多い機関に関与している。
たった2日で順応してしまった彼に、浅黄は疑問を抱いていた。
(彼は口数が多くない。旅の手間が省けて生活もできる。それは大きなメリットだけれど、どうにも彼が何か企んでいるようだ...)
浅黄は珍しく何かを思考した。
「まぁ、状況が状況だったしな。あの時俺は紅鳶に手も足も出なかった。そんな未熟な俺が、この機関に入る入らないだの喚いたって無駄だと思ったんだ」
「強制でしたもんね」
「でも感謝している。俺はこれで強くなれる。旅よりも青に近づける」
ヘイはまっすぐ浅黄の目を見て言った。
彼女は、ヘイ・ロウという男がどんな人間なのか少しだがわかった気がした。
(環境に文句を言わない、常に己を高める意志を持っている...浅黄も見習わないと)
無駄話に花を咲かせていると、列車の汽笛が鳴り、目的地に着いたことを知らせた。
年季の入った木の床をゆっくりと歩き、列車からおりる。
駅を出ると、ゴールド・グレークシェンと呼ばれる金の鈴を付けたような茂みがヘイ達を迎えた。
辺りには深緑の木々やシュレーエの茂みなど、黄、緑、白、様々な色の植物が生い茂っている。
「なんかお洒落なところですね。心が癒されます」
浅黄がシュレーエの茂みを触って手を真っ白にしていた。
「とても狂った宗派がいる場所とは思えないな」
穏やかな空気と鳥の囀りが、気分を浮つかせた。
その頃、ケルン地方に残ったチェーカは、イヴを連れてラーメン街に赴いていた。
ラーメンは簡易食として第三次世界大戦でも重宝され、その結果世界的に今までよりも人気のファストフードとなっていた。
「やっぱ華が教えてくれた店に外れはないな」
麺を啜りながらチェーカが言う。
ラーメン街の中でも、特に旧日本で流行ったとされる屋台ラーメンをベースにした店に来ていた。
「どうだイヴ?うまいか?」
彼女が聞くと、イヴは無言でこくりと頷く。箸を持つのが苦手なのか、持ち手を握ってパスタのように巻いて食べていた。
「というか、フードかぶって暑くないの?」
イヴは首を横に振る。
(紅鳶がいないから子守を任されたけど...やっぱどっからどうみても普通の少女なんだよな...何でこいつが私より上位なんだ?)
彼女は純粋に気になった。殺人能力を求める組織の中で、女性が半数を占めるのも珍しいが、やはり際立って異質なのがこのイヴという少女だ。
何をもってここまで登りつめたのか、チェーカには想像もできなかった。
(試すか...?)
チェーカはレンゲに汲んだスープを飲むと、横に立て掛けておいた両刃の鍔のない剣を手に取った。
迷いながらも、慎重に柄を握る。
その時、イヴが何かを感づいたようにフードを外し、若干カールした長いブロンドの髪をおろした。
その行為だけで、チェーカは彼女に手を出せなくなる。
(気づかれた...?)
同僚だろうと常に疑っているのか。チェーカはそう思った。少女ごときに恐れをもつのはおかしいかもしれないが、例えば、ライオンが1000匹いる中に、人間が1人群れの中にいるとしよう。
その人間がどんな力を持ってライオンの群れに溶け込んでいるのか。なぜそんなことができるのか。色々と想像してしまい、その人間がとんでもなく強いのではないか?と思うはずだ。
焦燥を見せるチェーカとは対照的に、イヴは顔色ひとつ変えていなかった。
しかし、よく見ると彼女の赤く染まった頬には汗が滴れていた。
そして箸を置いた彼女は小さなため息をついて、こう呟いた。
「...暑い」
(暑かったのかよっ!!)
チェーカは白けてしまい、残りの麺を一気に口に入れた。