第白百合話「起きた」
体内から闘気が抜け、身体に蓄積された疲労が彼女に鉛のようにのしかかる。膝を崩して空を見上げ、肩を上下させた。
一足遅れて馬の蹄が地面を蹴る音が聞こえ、ブラックマスクが現れる。
「お前...生きてたのか...」
横目で醜い姿を曝け出した彼を見る。
彼は馬から降りると、横転した馬車に近づいた。
「そうだ...!イヴ!」
彼女は目を丸くして軋む身体に鞭を打って立ち上がり、馬車が突っ込んだ民家に入った。
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「見ろよ...空」
窓からは白練色の雲とスカイブルーが見える。
「...綺麗、こんな空見たことない」
「...あぁ」
目の下を赤く腫らしたレイラがイヴに膝枕しながら言った。
「レイラ、もう私大丈夫。痛みも引いたし」
「そっか」
イヴが頭を持ち上げた時、木製の乾いた扉が蹴り飛ばされ、チェーカとブラックマスクが乗り込んできた。
「イヴ!」
「チェーカ!」
イヴは走ってチェーカの懐に飛び込み、顔を彼女の胸に埋めた。
俯くレイラにブラックマスクが近づく。彼は赦さないだろう。
確固たる意志を持つ拷問官。彼に情けは通用しない。
それに、レイラはイヴに言われた言葉が頭を離れないでいた。
レイラは変わろうとしている。
「イヴ...」
「...?」
「私、変わるよ」
そう言うと、彼女は腰に据えた拳銃を顳顬にあて、ひとつ大きな深呼吸をすると、その重い引き金を引いた。
乾いた発砲音と共に、彼女の身体は力無く崩れ落ちる。
イヴは目に涙を溜めて唖然としていた。
きっと彼女は、自分の罪が赦されない所まで来ていたことを知っていたのだろう。
「変わる」には、こうするしかなかった。
そのことは、イヴでもよくわかっていたようだ。チェーカはイヴを血の付いた腕で抱擁し、慰めた。
空は次第に朱色へと変わり、彼らの死を憂いるかのように街を照らした。
愛国心の強い1人の女性が起こした事件は収束した。
街に残ったストロールマンはシュシュとアメリゴの部隊が残滅し、研究施設も取り壊された。
今回ハウプトシューレ内にいた人間は1クラスの一部を除き、生徒と教員すべて死亡。過去最大の殺戮事件としてメディアに取り上げられた。
ミリオンは国防軍に在籍し続け、名誉賞を受け取っていた。
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国立病院 特別病室11-309
「最近、露光の姿を見ないな。息子が大変だってのに」
チェーカが机に突っ伏しながら言った。
「この前会ったけど就職するために都市部に向かうって言ってたよ」
イヴが黄色の糸で編み物をしながら言った。
「ふーん。それ、誰にあげんの」
「この前言ってた男の子」
「献身的な彼女だなぁ」
感情の込もらない会話が続く。
窓からの陽射しがチェーカの頬に紅葉を散らした。
「キスってしたことある?」
「何だいきなり、あるけど」
「やり方教えて。これからする時にやり方知らないと恥ずかしい」
チェーカは頭を掻いて困った表情をした。この歳の子供にキスの仕方を教えることが歯痒いのだろう。
「ヘイで試してみなよ。口と口をくっ付けるだけだ」
「寝てるじゃん」
「これはカウントされないから大丈夫」
謎の基準。イヴは言われるがままに、ヘイに顔を近づけた。その時、今まで深く瞑っていたヘイの瞼が持ち上がった。
「あ、起きた」
...
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