第消炭話「針と糸」
『現在ケルン郊外で暴徒達が街を破壊しています!住人は速やかに屋内へ!扉や窓を頑丈に締めてください!』
ラジオ越しに聞こえるリポーターの声は戦慄を帯びていた。ラジオはすぐに途絶え、砂嵐の音が病室に響いて美寿の顔に不安の色が浮かぶ。
「暴徒...?」
「どうした」
扉から露光がひょこっと顔を出して心配そうに視線を送る。「穏やかではないことが起きてるみたいです」。そう美寿は呟いて病室の窓を開けた。
外はもう真っ暗で、窓を開けないと外の様子が見えない。アルミでできた窓の縁を引くと、溶け残った夜の匂いが無機質な病室に流れ込む。
外に出ている人はもうおらず、ガス灯が誰もいない道を仄かに照らす。
「?」
見間違いかと思ったが、明かりの下を皮膚の爛れた赤紫色の人間が走ってきたのだ。それは病院の中に入ってきた。
「おじさん!入ってきてください!扉を締めて!!」
何かを感じた美寿は聞いた者が驚くほど声を荒げ、露光を促す。彼も只ならぬ状況だということを把握し、すぐに室内に入って扉を締めた。
「何かで扉につっかえを...!!」
美寿は慌てふためきながら鍵のない扉につっかえをする棒を探した。露光も同じく探す。
「ちょっとおじさん!私と違う所探してくださいよ!効率悪いじゃないですか!」
「こんな殺風景な部屋にあるのはこの小さな棚くらいじゃないか!」
「もうっ...!」
露光に正論を吐かれ不満を漏らす美寿。その時、廊下から看護士の断末魔が聞こえた。
「なにっ...?」
しんと静まった廊下から聞こえてくる荒い息とひたひたとした足音。
(もう来た...!)
「...」
首筋に流れる冷や汗、一瞬全てが無音になった直後、扉が大きく飛ばされストロールマンが現れた。
この世の者とは思えぬ醜い化物に、2人はすっかり腰を抜かしてしまった。
「な、何ですかこれ...!?」
恐怖が表情筋を掴み、彼女は硬直している。露光は咄嗟にストロールマンに突進した。
「おじさん...!」
「儂の息子が寝とるんじゃ!!起こすな戯けがぁっ...!!」
彼は高を括ったらしい。顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せている。その一瞬で美寿は頭の中で様々な思考を張り巡らせた。
(この化物は1匹だけ?だとしたら何故ヘイさんの所へ?どうしたら勝てる?私に何ができる?そうだ...お姉ちゃんの刀で...!)
美寿は脚を叩いて立ち上がり、部屋の隅に立てかけてある【鉄鬼三日月】を握って抜刀した。
ギラつく刃はストロールマンに向けられる。
「うぉおお離さないぞ!儂の息子はやらせないぞぉお!!」
露光は殴られ血を流しながらもストロールマンに縋り付く。絶対に離さないという確固たる意志が美寿にも伝わってきた。
____私はお姉ちゃんが嫌いだった...
分岐点に立った時、どちらに進めばいいかわかっているような素振り。
迷いのない判断。自分なんかは相手にされず、常にもっと遠くにあるものを見つめていた。
「それでも...ちょっと憧れていたの...」
彼女は日本刀の肢を強く握り、一歩前に踏み込んだ。
(逃げてしまうのは簡単だ...でも。今逃げると私は後悔する...それは私でもわかる!)
切っ先はストロールマンの硬化した皮膚を裂き、腐った肉にめり込む。
黒い血が噴き出して露光にかかり、美寿は仮にも人を殺めてしまったことにショックを受け、全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「あ...あっ...」
ストロールマンは暴れながら地面でもがき、間も無く絶命した。
刀が床に落ちる音と、再び夜の静けさが病室を包んだ。
「はっ...い、一体これは...」
呆然としていた美寿はハッとして黒い血に塗れた露光に聞いた。
「わからん...とにかく、ここは危険だ。ヘイを移動させよう」
「はい...その、すいません。服汚してしまって」
「ははっ、元々薄汚いボロ布じゃ」
______
ハウプトシューレ付近に停めてある貨物用馬車では、レイラがイヴの傷の手当てをしていた。
「痛いだろうが我慢しな...応急手当てしないと...」
血はもう収まり、裂けた頬が露骨に見えて痛々しい。レイラは針と糸を持って彼女の頬を縫おうとしていた。
イヴの目には涙が溢れそうなほど溜まり、目の下を真っ赤にしている。
「痛い...」
「わかってるよ。私もだ」
ふとイヴはレイラの腕に自分を庇った時に受けた刺し傷を見た。レイラは自分の傷を構わずにイヴを治療している。
針は白い頬に刺さり、傷を跨いで再び顔を出す。イヴは痛みに目を閉じて大粒の涙を零した。
「ぅっ...ぃぎっ...」
「もう少しだ...」
小さなハサミで糸を切り、「ほら、終わりだ」と言って頭を撫でた。
「レイラ...なぜ...痛っ」
喋れないとはこんなにも辛いことなのかとイヴは思った。口を開くたびに顔全体に走る痛みが無性に腹立たしい。
「喋るな。痛いだろ...」
そう言うと、ゴムチューブで腕を縛り、血流を止めて血管を浮かせ、止血剤を打つ。
「くっ...!!姐御め...本気で殺ろうとしてたのかよ...」
愚痴を言いながら応急処置をする彼女の姿を見ていると、イヴはふと既視感をもった。それはチェーカと同じような温かみのある優しさ。
かつて殺人を行っていたような気配は全くしなかった。




