檳榔子黒話「陳腐な幸福」
これはヘイが眠っていた一ヶ月の内に起こった物語。
国道沿いに建てられた中等学校ハウプトシューレの下には1日の授業を終えた子供達が行き来していた。
「またね、イヴ」
雀斑を鼻の頭に散らした少年が金髪の頭を掻きながら言う。彼は顔に含羞の色を浮かべて不自然な笑顔を見せた。
イヴは彼の方を見ずに手を挙げると、そのまま帰路につく。地面に目を落としながら歩いていると、正面にいる人に気づかず身体をぶつけてしまった。
「あっ、すみま...チェーカ?」
「迎えに来た。どうした?暗い顔して」
目の前には見惚れるほどの美しい顔立ちをした彼女がいた。心配したように眉を顰めてイヴの顔を覗き込んだ。
「いえ、何も...」
紅鳶の扶養を受けていたイヴは、現在チェーカの家で暮らしている。しかし白軍が解散された今、社宅であるその家もいずれは出ていかなければならない。
煉瓦造りの暖かな雰囲気の家に帰ると、イヴは机に突っ伏して可愛い溜息をついた。異常を察したチェーカは「どうしたってんだイヴ」と再び彼女に問う。食器を片付けると彼女の前に座って話を聞く姿勢をとった。
「...どうしても言わなきゃだめ?」
「あぁ。同じ部屋で息吐くように溜息つかれちゃ私が困る」
イヴはチェーカから目を逸らし、しばらく考えてから小さく口を開いた。
「男の子に告白されたの」
彼女の言葉を聞いた瞬間、チェーカは思わず笑みを零した。
「なんだ...。可愛い悩みじゃねーか。てっきりもっと深刻かと」
「ど、どどどうしたらいいの?」
やけに手馴れたような口振りのチェーカを見て、イヴは前のめりになりながら聞いた。いつもと違う挙動不審なイヴは新鮮だ。
「そうだな。まずはデートしてその男と一緒にいて楽しいか見極めな。嫌なら振ればいい」
「で、でもそれって勝手すぎない?」
「いーんだよ。あっちが好意持ってんなら変わるのは相手であるべきだからな」
妙に達観したチェーカの言葉に、イヴは上手に納得できなかったが、とりあえずは頷いておいた。
己の野望に己を蝕まれ、自由を制限してきた。しかし野望さえ捨ててしまえば、例え陳腐な幸せだろうと、些細な幸福を得ることができる。
白軍にいた頃とは大違いだ。
チェーカはそんな毎日に満足していた。
「明日はヘイのお見舞いに行こっか」
「...うん」
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ここはケルン南部に位置する白い立方体の建物。かつてソダ派のイベントに使われていたが、白軍の強襲後、無人の廃墟となっていた。
無人という表現は間違いかもしれない。正確には一般人は立ち入らなくなったと言うべきか。
建物内には、再び灰色の狼【Uボート】略奪を目論む者達が集まっていた。
儀式を執り行うために一段高くなっている部屋の中心に白い着物を羽織った妖艶な女性が立つ。
半襟は赤く、蛾を表した刺繍が施されている。目元は朱色に塗られ、千切れた指には同じく朱色の爪のような器具が取り付けられて補強されていた。
「またこの日が来ることを願って止まなかった。我々は目的は違えど利害関係の一致する者同士だ。白軍が消えた今、Uボートの警備は暖簾のように薄い。内政の安定しない傲慢なゲルマン人共に鉄槌を下す時は今だ!」
彼女の眼は全ての恨みが詰まったように見え、同士達にも畏怖を与えた。
「前回はイヴにしてやられたけど、今回はこっちにスターガールがいる。な?」
隣で腕組みをしていたレイラ・ベル・ガネスが言うと、スターガールはこくりと頷いた。
ツインテールに前髪を揃え、右半分を金、左半分をエメラルドグリーンに染め、ゴスロリ姿をしている何とも奇妙な少女。彼女自体は少し不思議な少女といった印象だが、問題は彼女が持つ鎖に繋がれた2匹の化け物だ。
辛うじて人の形を保ったそれは、全身の皮膚を爛れさせ、紫に変色させている。口や眼は真っ黒な穴になっており、時々唸るような呼吸をしてフラフラと立っている。
元白軍8位の彼女は、白軍解散後、人を殺せる仕事を探してここに雇われた。見た目とは裏腹に彼女はとてつもない闇を抱えているようだ。
「虞蔵は大丈夫なのか...その、痔は?」
レイラは気まずそうに明後日の方向を見ながら聞く。
「先程確認拭きを行ったところ、トイレットペーパーに大量の血がついた所存ス...」
(確認拭きって何だよ...専門用語勝手に作んなよ)
痔に悩まされている虞蔵に冷ややかなツッコミを心のなかでいれると取り繕った会話を続けた。
「そうか。戦闘に支障は?」
「無ぇス...」
虞蔵はそう言って袖のあそびに手を突っ込んだ。
「姐御。確かにスターガールは有力だけど、たった幹部3人で大丈夫なのか?」
少し不安の汗を頬に垂らしたレイラが杜若に聞く。
「案ずるな。今回はヴェンデーレ派の人間も取り付けておいた。ま...人間だった者というほうがいいかもな」
事の全てを知っているレイラは味方ながら彼女の恐ろしさに全身が粟立つ。
(ヴェンデーレ派の人間を聖戦のためと言いくるめ人体実験に使った...姐御だけは絶対に敵に回したくないもんだ...)
レイラは他人事だが犠牲となったヴェンデーレ派の人間に同情して小さく黙祷を行った。
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国立病院 特別病室11-309
ヘイは幾つも管を繋がれ、白い包帯で皮膚が見えないほど覆われていた。
何度も来ているのにチェーカは彼の姿を見るたびに心を傷める。
萎れた花を変え、ベッドの隣にある椅子に腰をかける。イヴもクマの人形を抱えながら入室した。
「イヴ...それ」
「種は入ってないよ。ユグドラシルの種はもうひとつのクマのぬいぐるみと一緒に土に埋めた」
「そ...」
これから平和に暮らそうとしている彼女らにとってロストテクノロジーは弊害でしかなかった。特にチェーカは右腕自体がそれなので、一時は切断するか悩んだが、やはりこの腕と向き合っていこうと決めた。
暫く様子を見ていると、横開きの扉を開けて黒い頭巾を被った大男がずかずかと病室に足を踏み入れてくる。
「ブラックマスク...!」
2人は余りに意外な来客に硬直した。
そんなことを気にせずにブラックマスクはスケッチブックを取り出し、マジックで何やら文字を書き始めた。
『協力してほしい』
彼は何か発言をするときはこうやって紙媒体を使用する。その理由を知っているチェーカはそれを茶化したりはしない。
「聞くだけ聞こうか」
真剣な眼差しになるチェーカの傍ら、ブラックマスクが苦手なイヴは彼女の服を摘んで背後に隠れる。
『私の恩師が贖宥状を濫発している』
「ちょっと意味がわからない」
聞くところによると、どうやらブラックマスクの恩師であるコブレンツの小さな教会、ヘルエン教会の教父が贖宥状を使って現金を接収しているらしい。
贖宥状とは、信者の犯した罪を金で解決するもので、所謂金で買える天への免罪符のようなものだ。
ブラックマスクはそれを一緒に調査してほしいと言っている。面識がある分、贖宥状の有無を見極めるには難しい。
「わかった。元同僚のよしみだ。引き受けよう」
イヴはちょっと嫌な顔をした。




