第若菜話 「犠牲的青」
青が存在していた頃、彼等は鮮やかな心を持っていたのだろうか。
青が絶滅した今、探求者たちは度々その疑問を浮かべる。
答えは否。故に戦争が起き、赤の世界が生まれた。
色には力がある。色には意味がある。しかしその力は微細なもので、人間の主要な行動に影響は及ばなかった。
青を見た者は心が落ち着き、犯罪に手を染める確率が下がると犯罪心理学の研究で明らかになっている。
確かに突発的な行動を抑えるには良いかもしれない。だが、人間の心の奥深くに眠る悪は消えないのであった。
色で人を変えることができるのならば、誰が画家を目指した独裁者を想像しただろう。
そういう意味では、青という色は現代の探求者を突き動かし、様々な形で世界を動かした最初の色とも言えよう。
しかし、それも確証のない話である。
なぜなら彼等もまた青を引き合いにして己の信念を貫いているだけなのだから。
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「た...助けてくれ...!」
「天下のニケ様がこうべを垂れて情けないとは思わないのか?」
大理石の冷んやりとした床にニケは額を擦り付けていた。
「いや...僕に関する全ての噂は虚言だ...!戦争でも、ただの喧嘩でさえも勝てた試しがない...!」
ミリオンは階段に座って顎を摩って奇妙がった。それならばなぜこんな噂が横行したのだろうか。猛獣の声がする檻を開けてみると兎がちょこんと座っているかのようだ。
「拍子抜けだな。お前みたいな奴を相手にしている暇はないんでね。ただ、紅鳶がそっち側にいるならヘイ達が危ない」
ニケはこれを待っていた。謙ることを躊躇わず、どうすれば相手が自分を敵から格下げするかを考える。どうすれば相手が自分の敵にならないかを考える。彼はこの話術で敵を作らず、仲間内の争いを生むことに長けていた。
(既に紅鳶はこっち側だ...。あとは皆で仲良く殺し合いをしておけ。僕はその間に逃げる...!)
ミリオンが過ぎ去ったのを横目で確認すると、ニケは急いで城の外に出た。
その瞬間、空気の破裂する音と共に彼の側頭部は破壊された。突然のことに彼自身も理解が追いつかず、されども意識は途絶え、力無く冷たい地面に倒れる。白の大理石は彼の脳漿と血液で真っ赤になった。
岩礁に潜む黒い影。一隻の木造の黒船が姿を現した。
「華からニケか紅鳶を撃てと言われたが、これで良かったのか?」
ライフルを構えたレイラ・ヴェル・ガネスが言う。杜若の件以来、白軍の手から逃げ延び、今回は彼女を助けに来ていた。ニケか紅鳶を撃て。紅鳶が寝返る以前から彼女は紅鳶を暗殺することを目論んでいた。
やがて敵になる者。そうなった時、やはり一番厄介なのが彼だからである。
「問題ないと思うス...」
虞蔵大次郎。彼もまた、杜若とつながっている猛者であった。
2人は青に商品価値を見出すヴェンデーレ派の集団を率い、マルブル島沿岸にまで船を近づけていた。
(華は大丈夫なのか...?)
船体を撫でる風が肩まである黒い髪を揺らす。レイラは遠い目をして大理石の城を眺めた。
...
......
.........
血と汗の臭いが鼻に付く。2人は空中で縺れ合い、紅鳶を下にして地面に衝突した。
受け身をとるも衝撃は殺しきれず、全身の骨を軋ませる。
「ぐぁっ...くそっ」
初めて紅鳶が唸り声をあげた。背中を抑え、痛みに顔を歪めている。ヘイの方を見ると、彼はそばに建っていた彫刻の後ろに隠れた。
「...?」
まさかと思い、先程まで自分の倒れていた場所に目をやる。そこには深緑色をした小さなパイナップルのようなものが転がっていた。
(フラググレネード...!)
紅鳶は思考よりも早くその場を離れたが、爆発と同時に爆風で身体を吹っ飛ばされた。本棚に叩きつけられ、落下と共に本に埋もれる。
破裂したフラググレネードの破片が彼の身体を切り刻んだ。彼は各部から血を流しながら立ち上がる。
(右の鼓膜が破れたか...正攻法じゃ勝てないと踏んでやがったのかあいつは...)
息を荒げながら、紅鳶は彫刻の前までふらふらと歩く。その瞬間、ヘイは投げナイフを弾丸の如く高速で投げ、紅鳶がそれをかわした隙に間合いを詰めた。
洗骨拳で渾身の連打を繰り出すが、紅鳶はそれらを全て受け流し、ヘイの胸部に指を突き刺した。
「これが洗骨拳か...容易く習得できるものだな...」
彼はものの数秒で洗骨拳の型を見抜き、それを習得したのだ。驚愕するヘイの腹部に前蹴りをいれ、彫像に叩きつけた。
「褒めてやろうヘイ・ロウ...俺に擦り傷をつけたことを」
紅鳶は何mもある彫像の台座を掴み、片手でそれを押し倒した。数百キロはある彫像がヘイに覆い被さる。彼は咄嗟に回転して脱出を試みるが、巨大な男の像の腕に挟まれ、身動きが取れなくなった。
「がぁぁっ...ぁあっ...!!」
あまりの重さに内臓が潰れそうになり、声を荒げる。紅鳶はゆっくりとヘイの前まで回りこみ、語りだした。
「ロマンは...何億という犠牲の上に成り立つ。やっと俺はその真実を割り切ることができた。今まではイヴがいたが、もう白軍に未練はない。お前達は俺が青を見つけるための犠牲に過ぎない」
「...ッ!」
ヘイは彼に気づかれないよう、洗骨拳の構えで彫像の腕にヒビをいれていく。石膏の粉と緊張の汗が絨毯へ零れていった。
「お前は地獄と天国を見たはずだヘイ...。それも全て青の因果。それを知りながら尚青を求めるか...?青はお前の全てを奪うだろう」
青が無ければ浅黄は死ななかった。だが、青が無ければ浅黄と出会えなかった。結局は人を殺めるのも人。人を生かすのも人だ。地獄も天国も人が作り出す。そしてヘイはこう言う。
「人から何か奪うのはいつだって人だ」
その言葉を合図にヘイは彫像の腕を取り、紅鳶に叩きつけた。石膏が砕け、彼が蹌踉めく。
(チャンスはここしかない...!)
ヘイはこの一瞬に全てを賭け、紅鳶の懐に飛び込む。シースナイフを抜き、彼の身体に斬り込んだ。すかさず紅鳶は鉄製籠手でそれを防ぐが、ヘイのシースナイフは他とは違う。
有らゆるものを斬り裂き、切断する。鉄を紙のように斬り、腕を裂く。更に洗骨拳で隙のできた脚を破壊する。
紅鳶も洗骨拳を使い、ヘイの身体を血祭りにあげるが、ヘイは退かずに連撃を加える。
(...強い...!)
紅鳶が初めて感じた恐怖、痛み。
彼の斬撃は、何よりも速く、何よりも重かった。
ヘイはシースナイフを回転させながら上に放ると、落下と同時に回転蹴りでナイフを紅鳶に突き刺した。
柄尻に加えられた蹴りの衝撃は、ナイフを加速させ、紅鳶の胸部にめり込む。彼は本棚に叩きつけられ、再び本に埋もれた。
「はぁ...はぁ...」
長年溜まった埃が地面を舞い、呼吸を乱れさせる。
激闘が嘘だったかのように、城内は静寂に支配された。
勝利だ。
だが、そこに勝者の快楽はない。ヘイは思った。
一歩間違えれば、自分も紅鳶のようになっていたかもしれないと。
顔と身体中を血塗れにしたヘイは、放心状態になると、そのまま倒れ込んだ。
(もう痛みすら感じない...ただ、ただ寒い。帰りたい...真琴のいる家に...)




