第甕覗話 「害悪的青」
仁恕の石柱
ゲルマン帝国西部に建つモニュメントで、第三次世界大戦時の核兵器使用を戒めている。くすんだ緑の石柱は高さ2mほどで、小高い丘の上に建ち、周りには花束や供物が添えられていた。
ミリオンとヘイとチェーカは、全体会議から数日後、聖堂では人目が気になる話をするためにここへ訪れていた。石柱の上にミリオンは飛んで座り、足をぶらつかせる。彼は一切の倫理観や道徳を持ち合わせていないのだろうかとチェーカは思った。
「それで、話ってなんだ」
ヘイがミリオンを見上げながら言う。
心地良い風が吹き、地面の雑草を撫でていた。
「先日、諜報部から情報が入ったんだが、近々紅鳶が単独遠征を行うらしい」
「なに...?」
皇帝の部屋で密かに交わされた取引と思われたが、ミリオンが派遣した諜報部員によって、取引内容は盗聴されていたのだ。彼の性格からは考えられない抜け目のない行動だ。彼は取引の内容を全て話した。紅鳶とニケが戦うこと、紅鳶がそれに勝てば鳩のモザイク画を手に入れること。
そして、紅鳶に勝ち目はないということ。
「どうする?...お前らにとってはもう赤の他人だ。まぁ、紅鳶が死んだらAAの子が悲しむってくらいかな?それはそれでそそられる」
ミリオンが頭巾越しに頬に手を当てて女が時めいたかのような仕草をする。
一言多いと思いながらも、チェーカは話を進めた。
「その取引...おかしくないか」
「あぁ、政府は紅鳶を殺したいんだよ?」
彼の口から出た言葉は思いがけないものであった。
「紅鳶が勝てば鳩のモザイク画を取り返せる。ニケが勝てば駒にしにくい紅鳶を駆除できる」
紅鳶は有能が故、政府転覆をも容易に行うと噂され、皇帝は彼の才に怖れを抱いていた。
「だから皇帝直属の護衛に就かせたのか...白軍から切り離して軍隊を使えなくするために...」
ヘイは真相に気づいて戦慄する。「青」を求める紅鳶は必ずこの取引に応じると考えたのだろう。
「奴を止めるならすぐにマルブル島に向かわなければならん。だが、これだとまだ戦力に乏しい。Dカップの女よ。ちなみにお前は来るなよ?」
「は?どうして!」
彼女が目を丸くして聞き返す。もはやバストの大きさで呼ばれていることには反応していない。
「いいのか?剣術だけだと戦力外のお前が、奥の手を表に晒しても」
「...いい」
彼女はしばし考えてから小さく頷いて言った。【エステルの涙】を使えば、科学者の末裔だということが公に晒されてしまう。そうなれば、彼女がどんな仕打ちを受けるかわからない。
ヘイはそのやりとりを黙って見ていた。その後、手を挙げて口を開く。
「何人かアテがある」
彼はそう言って、丘をゆっくりおりていった。
...
......
.........
宗教施設からはその男の血液が検出されず、宣教師の死体しか発見できなかったという。
その男の行方は知られておらず、噂によると、ドイツ西部からベルギー東部にかけて存在するアイフェルのどこかに寝ぐらを構え、旅人を拉致して食べているらしい。ヘイはそこを訪れて例の男を探した。
アイフェルの広がった丘を歩き、森に入る。太陽の光が燦々と森を照らし、木々の木漏れ日が気持ちよく感じた。
人気のない場所まで来ると、嫌に静かな空気が流れ出す。
(...どこだ)
しばらく歩くと、木と木の間に不自然な蔓を見つけた。ヘイはゆっくりと屈み、それを凝視する。
(古くから使われている罠だ...それもかなり古い...)
辺りを見渡すと、普通に思える森の中に不自然な点がいくつかあった。均等に落ちた木の葉、明らかに人工的な獣道。これはおそらく何者かが人を嵌めようとした形跡だ。
「...軍人の眼差しだ」
不意に木の上から男の野太い声がして、反射的に上を向く。しかし、声の主は見つからない。
「...後ろだ」
再び男の声がして後ろを振り向くと、木の葉に身を包んだギリースーツの男が姿を現した。その手には鉄製の斧が握られていた。
「落ちたな...ヘイ・ロウ」
「...アルバート」
アルバートはゆっくりとヘイの周りを歩きながらギリースーツを脱いでパーマのかかった黒髪と無造作に生やした髭を見せた。
月色の食人鬼。
かつてヘイを苦戦させた相手だ。
彼はここでアルバートに協力してもらおうとしていた。
ヘイは全ての事情を話し、アルバートに協力するよう促した。しかし、ボランティアで命を賭けるような馬鹿はおらず、アルバートもまた、利益なしに他人のごたごたには関与しないといった姿勢を見せた。
「お前らに協力だと?お笑い草だな。俺はここで何不自由ない生活をしている」
彼がそう言うと、木の後ろから男の子が顔をひょこっと出した。
マッシュルームカットに涙黒子。宗教施設に向かう際に会った迷子だ。
「お前らはこの子に何をしてやれた?害悪の定義を自分で決め、排除する。その結果生まれた犠牲は見て見ぬふり」
「こいつの父親が死んだのはソダ派のせいだろ」
「それは父親のせいだ。よく考えろヘイ。お前らは概念上の青を守っているだけだと。青以上に価値があるものを護れていないと」
彼の言葉は重く、ヘイの背中にのしかかる。ぐうの音も出ないほどの正論である。
「...今回は紅鳶を助けるための作戦だ。密かに結成するチームで救出を行う」
「俺がそれに参加する動機は?」
「...。神の肉をやろう」
神の肉。つまりニケを殺して肉を食わせるということだ。肉を切らずに骨を断つ。ヘイ達にとっては何の害にもならない。だが、アルバートにとって勝利の神の肉は喉から手が出るほど欲しいだろう。
「...ちょこざいめ。いいだろう...お前らに協力しよう。だが、邪魔になったらお前らを斬る」
アルバートはヘイに乗せられたのが悔しいのか、怪訝な顔をして言った。
「そんな余裕もなくなるだろうな」
ヘイは会話を切り上げると、作戦の詳細を記したメモを渡し、次のアテへ向かった。




