第湊鼠話 「間違ったイデア論」
「君の仲間の覆面男、昔は度が付くほどの男前だったとのことだ。今はどうして覆面をしているのだろうね」
「言うな...!!!」
チェーカの振った剣を、グリブニックは闘牛士のようにひらりひらりとかわす。チェーカは冷静さを欠いていて太刀筋が相手に丸見えだった。
彼女の剣は鉄の壁を擦り、ソファを斬り、食器を割った。グリブニックは口の両端を吊り上げながら机に登ったり、屈んだりして剣を回避する。
だが、ここでグリブニックにも予想できない事態が起きた。「予想以上に速い」のだ。チェーカの剣は次どこを斬ってくるか、どうやって剣を振るかわかりやすい。しかしその弱点すら弱点にならないほど、彼女の剣捌きは神速であった。
(動きが読めるのと、それに対処するのとでは別問題だな)
グリブニックはそう考え、腰に据えた150cmを超える長刀を抜いて彼女の剣を受け流した。そこまで広くもないこの部屋で、長刀は不利と思われたが、彼の攻撃手段は武器だけではない。
長刀を逆手に持ち、チェーカの斬撃を受け流すことに専念する。火花と鉄が擦れる音が周囲に散り、緊迫した攻防が続いた。
ひたすら攻撃を受け流していると、一瞬だけ、素人にはわからないほどの隙がチェーカに生まれる。グリブニックはそれを見逃さなかった。
長刀で彼女の剣を弾くと共に、一気に間合いを詰め、左の開いた徒手をチェーカの脇腹に沿わした。
そしてナイフを振るったかのように、彼女の広背筋を抉る。
血と肉片が飛び散り、チェーカは体勢を崩した。急遽バックステップで追撃を免れる。脇腹を押さえると、ぬめりとした嫌な感触が手についた。
(...!?何だこれ...奴の手に何か仕込んであるのか...?)
グリブニックの手を見てみても、自分の赤い血液しか付着していない。
カラクリすら見当もつかない特殊な拳法、「洗骨拳」こそがグリブニックの切り札であった。
「怖いか...?その表情筋の動きは対象への恐怖を示している」
彼はそう言って再び右手に持った長刀を構えた。チェーカは「別に...」と答える。勿論強がりだ。思わぬ攻撃を受けた時、冷静になることが重要だ。
「僕が知りたいのはそんなことじゃないんだよ。何時になったら出すんだい?【エステルの涙】を」
彼は相変わらずねっとりとしたいやらしい声で聞きなれない言葉を口にした。
「なぜ...お前がそれを...」
チェーカの顔に戸惑いの色が表れる。
【エステルの涙】それは、第三次世界大戦で使用された科学兵器の通称である。
第三次世界大戦を生き抜いた科学者達は、その技術を代々秘密にして受け継いできた。エステルとは、エステル記の主人公であり、彼女の智慧をも一笑に過ぎぬほど、彼女が悔しみの涙を流すほどの科学技術であるという意味が込められている。
チェーカは、そのロストテクノロジーを受け継いだ数少ない人間の内の1人だったのだ。
グリブニックは恐らく、チェーカの先祖が第三次世界大戦に関与していた科学者だったということを聞いて、彼女も【エステルの涙】を所持していると憶測したのだろう。
チェーカは、一息ついて、冷静さを取り戻した。
「本来、この秘密は酒を共にする仲だろうと口にしてはならないと言う。だが、お前は知識欲が旺盛らしいな...」
「ふふ、ぜひ聞きたい見たい体験したい」
グリブニックは興奮して鼻息が粗くなっていた。彼の長いブロンドの髪が揺れる。チェーカは最後にこう付け加えた。
「まぁ、これから死ぬ者には教えてもいいだろう。冥土の土産に持っていけ」
彼女は右手をグリブニックに向けて突き出し、手を開いた。その時、尋常ではない殺気を感じ取ったグリブニックは左の徒手でチェーカの白い右手を切り裂いた。
血液が飛沫したが、どこか感覚がおかしい。確かにとらえたはずなのだがと、彼は違和感を覚えた。
グリブニックは洗骨拳でチェーカの右腕の肉を削いだが、彼が思った以上に手を食い込ませることができなかったのだ。
彼女の腕の傷を見てみると、切り裂かれた肉の割れ目からは金属のようなものが見えた。それはある映画を彷彿とさせるような、アンドロイドを想起させるような光景であった。
「白軍に女が多い理由がこれだ。...お前の知識は私に追いつけるか」
そう言うと、彼女は目にも止まらぬスピードでグリブニックの懐へ飛び込んだ。
(...速いっ!!)
彼がそう思った瞬間には、既にチェーカは右手を彼の腹部に当てていた。
モーターが回るような音が聞こえたかと思えば、既にグリブニックの腹の肉は抉られていた。
時間にして2秒弱。
この間に次のことが起きた
まず、チェーカの右手は発火装置で炎を纏い、外部を覆っていた皮膚を溶かす。
すると、機械になった彼女の手部が露わになる。手の平には直径40mmの穴が開いており、強力な吸引力でグリブニックの腹部に吸い付く。
そして彼の肉をサイクロンで分解し、手の甲に開いている穴から彼の血液と肉片を噴出する。
グリブニックは完全に不覚をとった。
自分の知識にないことが起きる恐怖。
無知の恐怖。超常現象が起きたかのようなその技は、第三次世界大戦で腕や足を失った兵士が護身用に身につけていたものだったが、その威力は絶大だ。
「これは知らなかったねぇ...」
頬に汗を伝せながら、チェーカの剣の追撃を長刀で防いだ。
(右手には全てを粉々にする粉砕機。左手には最速の剣...これは少々難儀かな)
彼は夥しい量の血を流す腹部を手で押さえてそう思った。久しく感じるぬめりとした感触。やはり相手の血と自分の血では温かみが違う。
「わざわざ中国の道場にまで通って習得した洗骨拳を、こういとも簡単に技術力で超えられると萎えてしまうね」
彼は血のついた手で頭を掻き毟って言った。チェーカは心なしか顔の血色が悪くなっている。それを見て、グリブニックはまだ自分に勝ち目があると確信した。
(まずい...血を流しすぎた...)
始めに食らった脇腹への洗骨拳、右腕の傷。そして粉砕機の起動エネルギー。彼女は右腕から肩甲骨にかけてを機械化しているが、手の平にある粉砕機は血液をエネルギーに変換して稼働している。
一度使用するだけでも、怪我をしたチェーカには負担が重すぎたのだ。
今は使用する者も一握りとなった【エステルの涙】。それは利用者にも大きな力を必要とする技術であった。
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ヴェルツェコ (ロシア)
ーウラジオストクー
「UNOって言ってない!」
浅黄の声がコンテナの中に響いた。イヴは呆れたように半開きの目で浅黄を見る。
「真琴。負けるのが嫌だからって無理矢理UNOって言わなかったことにするのはやめたら?あと、2人でUNOは違うでしょ」
見張り番をしていた杜若が気怠げに言う。暇を潰すために、浅黄とイヴはUNOをしていた。
2人でババ抜きは違うだろとヘイに言われてから、浅黄はUNOを持ち歩くようになっていたのだ。
「真琴はカードゲーム下手くそなくせに汚い手を使うから嫌い」
「あぅっ...」
イヴが珍しく毒を吐き、浅黄をノックダウンさせる。彼女は机に突っ伏しながらも、横目でイヴの手札を見ようとしていた。
「...」
呆れて物も言えないイヴ。
「あ、浅黄のローカルルールだと残り1枚になった人は手札を見せなきゃいけないんだよ」
嘘を吐くことによって、彼女の顔は緊張の汗を伝わせている。イヴはそれを嘘とわかっていながら、最後の手札を見せた。
(茶色の9。浅黄の手札はワイルドカードと黄色の9。そして今は浅黄のターン。勝てる!)
浅黄は息を荒げながらワイルドカードを出し、黄色を指定した。イヴは表情を崩さずに山札から1枚カードをとる。
そして勝利を確信した浅黄は
「あがりぃぃい!!」と叫びながら立ち上がり、黄色の9を机に叩きつけた。
「UNOって言ってないよね」
「えっ...」
彼女は顔の筋肉を掴まれたように表情が固まる。
「私のローカルルールだとUNOって言わずにあがり宣言をした者は10枚取り、そして犬のマネ。さっき浅黄のローカルルールは適用されたんだからこっちのルールも適用されるよ。そしてさっき引いた赤の9と元々あった茶色の9を2枚出したはいあがり」
イヴは浅黄を畳み掛け、ついにごねにごねられた長期戦を終えた。
「わ...わんわん」
浅黄は膝を崩してこの世の終わりのような顔をしている。
「聞こえない」
「わんわん!わんわーーん!!」
彼女は悔し涙を流しながら叫んだ。
(UNOの一戦に何時間かけてんのよ...)
杜若は任務とは別のところで心労が重なるような気がしていた。
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一方、ヘイと紅鳶は多くの兵を相手にしながらも、着実に鳩のモザイク画が管理されている保管室へ近づいていた。
(一本の大きい通路の奥に扉、あそこか...)
その扉に辿り着くのは至難の技と思われた。通路は左右にデッドスペースがあり、そこに兵が隠れている。壁に沿って隠れているヘイたちからは、銃を撃ってもなかなか当たらない位置関係になっていた。
右に2人、左に3人。一度通路に顔を出すとマシンガンで蜂の巣にされるだろう。フラッシュバンとコンカッションはここに来るまでに全て消費してしまった。
「何か考えが?」
紅鳶が聞くと、ヘイは数秒だけ思考してからこう言った。
「これを使う」
彼の左腕にはアンカーを射出する機械が取り付けられていた。
ヘイは「援護を頼む」と言い残して近くにあった金属板を脇に挟んだ。
次の瞬間、紅鳶がFALを持った腕だけを通路に出して射撃を開始した。彼の狙いは弾幕で敵の攻撃の手を緩めることだ。その隙にヘイが通路の真ん中に立つ。
彼は一番奥の扉にアンカーを射出し、ワイヤーの自動巻取を開始した。しっかり固定されたアンカーと扉が軸となり、ヘイの体は勢いよく前に進む。
地面に敷いた金属板が擦れ、嫌な音を撒き散らした。左腕を使えないヘイは右手でハンドガンを構え、左右のデッドスペースに隠れた兵を次々に撃ち抜いていく。
ワイヤーはどんどん巻き取られ、ヘイはスケートボードの要領でどんどん加速していく。
隠れていた敵は彼をエイムすることができず、逆に彼の銃弾に身体を貫かれる。
5人はあっという間に撃ち倒され、ヘイは足で扉を蹴って勢いを相殺した。
アンカーを抜き取り、扉を開ける。
ゆっくりと薄暗い室内に入ると、すぐ横でルスカーヤがマシンピストルを構えていた。
ヘイもすかさずシースナイフを取り出しルスカーヤの喉元に押し当て、どちらも手を打てない状況になった。
「ここで血が飛ぶとまずい。いいか、ゆっくりと部屋から出ろ。...いいな」
ルスカーヤはサングラス越しに目を大きく開き、冷たい鉄の銃をヘイの額に押し当てる。
だがヘイは一歩もそこを動かない。
その時、外から銃声が聞こえた。
まだ、通路の端にいた紅鳶は後方から来た新手の兵に応戦している。
「ここで殺り合うとお前の血で絵が汚れちまうだろ」
ルスカーヤは再びヘイの顔を覗き込みながら部屋から出るよう指示した。
広い室内には幾つものキャンバスが並んでいる。それは異様な光景であった。
「...俺はいいけどな。穴が開かないなら」
「餓鬼がっ!!」
罵声と共に、ルスカーヤはマシンピストルのトリガーを引く。
ヘイは瞬時にしゃがみ込み、ルスカーヤの腹部に蹴りを入れ、ダッシュでキャンバス群の中に紛れ込む。
ルスカーヤの放った弾丸は壁に幾つもの穴をあけた。腹部を蹴られ体勢を崩した彼は、急いで逃げたヘイをエイムする。
しかしヘイは既にキャンバスの中に姿を消してしまった。ピストルを左右に向けて彼を探す。
(この糞餓鬼...俺が絵を撃てないと思ってやがる...)
ルスカーヤはサングラスを投げ捨て、額に血管を浮かせた。
「お前ら白軍か...だとしたら、この戦艦を取り戻しにきたってとこだろ?」
返ってくるのは外からの銃声だけだ。
「...。まぁいい。ここにあるのはただの絵だ」
そう言うと、彼はトリガーを引き、キャンバスに無数の穴を開けた。
ヘイはキャンバスの隙間から顔を出し、投げナイフをルスカーヤの腕に投げつける。
ナイフは彼の銃を持っている腕を貫き、銃を床に落とさせた。
ヘイはルスカーヤが怯んだ隙にキャンバスを彼に投げつけ、間合いを詰める。
ルスカーヤはそれを逆の腕で払い、距離を詰めてきたヘイに回転蹴りを喰らわせた。想像以上に迅速で強力な蹴りを食らったヘイは体勢を崩し、壁に激突する。
(いって...!こいつデケェ癖に...機敏だな)
ルスカーヤは口を開けて豪快に笑う。
「お前みたいな生意気な兵士は腐るほど見たぜ?ほとんどは俺の前で土下座しながら泣いて赦しを乞うたけどな!!」
そう言って彼は長い舌をベロンと出してヘイを挑発した。