第藍鼠話 「大切な人」
空中に漂う「赤の物質」は航空機関を日中に麻痺させる。太陽の光が物質を反射し、飛行機の操縦者の視界を奪ってしまうのだ。
よって、ヘイたちのチームは日が沈んだ18時45分から飛行機に乗り込んだ。
今回は作業用機のセスナを2機使用する。
操縦ができる紅鳶とブラックマスクが別れてヘイとチェーカを乗せた。
「え?私紅鳶の機体に乗せてよ!」
ブラックマスクと同じ機体に乗ることになったチェーカが、「覆面してる奴が操縦士とか墜落しちゃう」と騒ぎ出した。ごもっともな意見である。
「身体の大きさ的に狭くなるんだから仕方ないだろう。墜落してもブラックマスクは死にやしねぇよ」
「ブラックマスクはどうでもいいんだよ私が死んだらダメだろ!」
紅鳶が宥めるも、チェーカは本気で死を免れたい表情をして食い下がった。
ヘイは2人の言い合う真ん中でぽつんと立っているブラックマスクが気の毒に思えた。かと言って代わってやる気は毛ほどもない。
(近くで見るとやはり圧巻だな...)
ブラックマスクの、息をしているかもわからないその不気味さはもはや芸術と言ってもいいだろう。
結局、日本でラーメンを奢ることを条件にチェーカはブラックマスクと同乗することになった。
「お前ラーメンと自分の命で天秤が吊り合うのかよ」
ヘイは思わずツッコミをいれてしまう。
...
......
.........
赤黒い月がぼんやりと黒い空に浮かぶ中、ヘイたちを乗せたセスナ機は音を立てながら夜空を飛んだ。
風が主翼に切られているのも感じられそうである。
美術館でボコボコにされて以来、ヘイは紅鳶と2人で会話をしたことがない。
気まずい沈黙が機内に流れた。
「奴らが売ってるのは青じゃない」
先に話を切り出したのは紅鳶だ。彼は視線を逸らさずに言った。
「灰色に他の色を混ぜただけの偽物なんだろ?」
「あぁ、でもな。俺は強ち間違いでもない気がする」
「どうして」
業務連絡のように坦々とした問答が続く。
「お前、もし目の前に青があったら、それが青だって気がつけるのか?もしかしたら青というのは、黒とか白に近い存在かもしれない」
確かに、視認したことのない色を見つけるということは、盲目の人に色を伝えるほど難しい。
「今まで見たことない色がそうなんじゃねぇのか?確実じゃないが青である確率は高いだろ」
ヘイは目を細めてそう言い、ふと外を見ると、隣で飛んでいるセスナ機の窓にチェーカが張り付いているのが見えた。
手話で「助けて落ちる」と伝えている。だがブラックマスクの様子を見る限り大丈夫そうだ。
ヘイは親指を立ててチェーカを見捨てた。
彼女は白髪ボブカットで、顔も凛とした表情をしているためもっと落ち着いた女性だと思っていたが、暴言は吐くし我儘だしと、やんちゃな性格なのかとヘイは思う。
チェーカの緊急事態に気づいているのかいないのか、紅鳶は話を続ける。
「そうだな。もし青を見たいなら、青以外の色を知っておけ。天国の色も地獄の色もな。両方この世界にある」
ヘイは、「青」の話を通じて、紅鳶が自分に何か伝えようとしているのを感じた。
理想に近づくためには、この世の天国も地獄も目にしなければならないということだろうか。
「青の概念を知りたければ...な」
「青の概念...」
彼の言葉は、やはり重みがある。
何かを達観したような言葉だ。
それらはヘイの頭にずっとこびりついた。
AM 5:50
上海国際空港
現在、新漢の植民地と化している大和国へは一旦上海国際空港に降りて馬車で国境を跨がなければならない。
セスナ機の主脚が地面に着き、ついで前輪が着く。しばらく水平に移動し、ブレーキがかけられ地上滑走速度までスピードが緩められた。
誘導員の手前で機体が停止する。
ヘイたちが空港に着くと、既に手配していた馬車が待機していた。
「おや、到着するのは3機で?」
チェックシャツをジーパンにしまい込んだ中年の男が言った。彼曰く、ヘイたちよりも早く同じセスナ機がここへ到着していたとのことだ。
おかしい、今回の任務には2機しか使わないはずだが。
「誰が乗っていたかわかるか?」
「うぅむ。たぶんあの髪はセリオさんじゃなかったかなぁ」
紅鳶の問いに男が首を傾げながら答える。
「セリオだと...?」
(セリオ...。あぁ、パンチャー山田さんの護衛のハゲか。いや、パンチャー山田さんもハゲだったな。ややこしい)
ヘイは彼の顔を必死に思い出した。ついでに浅黄が珍しく吐いた毒も思い出してしまった。
その後、紅鳶がパンチャー山田に連絡するも、セリオとは通信が途絶えてしまったとのことだ。
「あいつが独断でここに来るってどういうことだ」
「紅鳶、それは後で考えよう。早く休める場所に...」
チェーカが蒼ざめた顔をして言った。
相当ブラックマスクのフライトがこたえたらしい。時折口に手を当てて嗚咽を漏らした。
「それもそうだな。任務続行とのことだ」
4人は馬車に乗り、大和国を目指した。チェーカは途中で吐いた。
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ウラジオストク港
ヴェルツェコが念願叶って手に入れた不凍港であり、東洋から近い西欧とも言われている。街並みにも趣きがあり、金角湾を挟んで眺める街の情景は心をうたれる。
「お姉様。大丈夫ですか?」
穏やかな空気とは対照的に、杜若は心底機嫌が悪そうな顔をしていた。
「大丈夫よ。少し考え事をしていただけ。近くのコンテナターミナルに基地が作ってあるらしいから行きましょ」
彼女は作られた笑顔を見せ、浅黄の頭を撫でた。しかしその眉間には皺が寄っている。
イヴはというと、能天気にルービックキューブを弄んでいた。
彼女らは基地で張込みをするのが任務だ。密売現場を発見した後、潜水艦に発信器を取り付ける。
だがこれが難しい。海の中から付けようとしても、「赤の物質」で一寸先すら見えないのだ。
そこで、投擲式の発信器を使う。
機体に当たりさえすれば、自動的に張り付く仕掛けとなっている。
「コンテナの中で張り込むなんて斬新ですね」
「そうね。ここに白軍を支援してる財閥があるから。待遇もいいわよ」
潜水艦を待つ場所としては最適かもしれない。カモフラージュもできてある程度の寒さも凌げる。
コンテナの側面には穴が開いていて、そこから望遠鏡を使い港を見渡す。
(それにしても...大和国に向かうチームはかなり気合いの入ったメンバーだったなぁ。拷問室室長のブラックマスクまで出動するなんて...)
浅黄はこの任務の重大性を再確認し、生唾を飲んだ。
コンテナに上がると、中には机やラジオ、食料が備えられていた。
「暮らせそう」
「ふふ、言うと思った」
浅黄がぼやいた言葉に初めて杜若が笑う。
すると、イヴが浅黄のスカートをつまみ、くいくいと引っ張った。
「ん?どうしたの?」
「リーが暴走しなかったらいいのだけれど...」
彼女は蚊のなくような声で言う。
(リー。あぁ紅鳶隊長のことか)
この2人は不思議なことに、お互いを「リー」「シャロット」と呼んでいる。その関係性は白軍の古参であってもわかっていない。
「暴走?紅鳶隊長が暴走なんてしないよ」
「うぅん。リーはブラウグラウを憎んでる。リーの大切な人を殺されたから」
「えっ...?」
初耳だ。彼女の言葉が真実ならば、紅鳶がブラウグラウに個人的な恨みを持っていることになる。
とすれば、パンチャー山田の采配は失敗だったのだろうか。
「大丈夫よ。紅鳶はいろんな戦場を見てきた人だから、きっと焦りが死を表すことくらい把握してるわ」
さっそく奥の寝袋の上に横になった杜若が言った。
手にはキセルを持っている。
子供の前で堂々とキセルを使っていたので、浅黄は少し嫌悪感を示した。
「そうだといいのだけれど...」
彼女は、12面揃ったルービックキューブを撫でながら物思いに耽っている。