第花紺青話「灰色の狼」
何度目かの全体会議。
だが、今回は異様に殺伐とした空気が聖堂内を支配していた。
「【灰色の狼】が動き出した」
パンチャー山田の一言で、全員が強張った表情を見せる。
この業界に詳しくないヘイでさえも、【灰色の狼】の存在を知っていた。
それは人類のロマンであった。かつて、第一次世界大戦中に使用されたドイツの戦艦を模したもので、現在稼働する唯一のUボート。
しかし数年前、ロシアの殺戮集団がこれを奪い、「青」の密輸に使用した。
その事件以来、ゲルマン帝国
とヴェルツェコ(ロシア)はギスギスした関係となっている。
紅鳶を含む当時の白軍は殺戮集団を壊滅寸前まで追いやったのだが...
「奴らを壊滅させてなかったのか?」
ヘイがパンチャー山田に問う。心なしか、彼の護衛の眉間に皺が寄っているように見えた。質問に気を使え、ということだろうか。
「あぁ。それどころか、紅鳶を除いて当時の白軍は全滅させられた」
(白軍が全滅...!?)
恐らく、密売組織と何らかの癒着があったグループが共戦したのだろうとパンチャー山田は言った。
しかし、そんな争いの渦中にいたにも関わらず、健在している紅鳶はやはり相当な実力者なのだろうか。
「先日、新漢(中国と韓国)の旧韓国領の管制塔から、Uボートを観測したとの報告が入った。東へ向かった後ステルスでレーダーを振り切られたとのことだ」
「それで、私たちはどうすれば?」
しばしの沈黙の後、チェーカが口を開いた。彼女の隣では、イヴが机に突っ伏して寝ている。
普段喋らないこともあって、誰も気に留めていないようにも思えた。
「専門家の推測によると、Uボートは方角的には大和国または南東のヴェルツェコ(ロシア)と思われる。政府によると、白軍で構成された小隊を各国に派遣するとのことだ」
(よほどUボートを取り返したいらしいな...)
それもそのはず、この時代、潜水艦の技術は消滅しており、それを密売組織が手にしている。
しかもその組織がゲルマン帝国と仲の悪いヴェルツェコ出身なのだ。
潜水艦技術を取られると、もはやヴェルツェコは世界最強の国になってしまう。ヴェルツェコ側もUボートを捕まえようと血眼になっているに違いない。
ゲルマン帝国としては、ヴェルツェコの牽制、潜水艦を作る技術の所得のため、密売組織を解体させる必死があった。
「紅鳶・ブラックマスク・チェーカ・ヘイは大和国へ向かえ。杜若とイヴ、浅黄はヴェルツェコだ」
この組み合わせに違和感を持ったのか、それまでじっとしていた杜若が異議を唱えた。
「山田さん。前回、奴らに白軍はほぼ全滅させられました。今回二手に戦力を分散させるのは危険なのでは?」
確かにその通りだ。
一見、パンチャー山田の作戦は愚策としか思えない。
「今回は、奴らの密売ルートを探るという趣旨のもとこの作戦を組んだ。その場で闘わず、機体に発信器だけ取り付けてくれたらいい」
簡単そうに言うが、それでもかつて白軍を滅ぼしたほどの組織が相手となると、死と隣り合わせになるだろう。
「でも、それなら私が大和へ」
「華ちゃん」
パンチャー山田が杜若の言葉を遮る。彼女はどこか焦燥に駆られていた。
「ごめんなさい。取り乱したわ」
彼女はそう言うと、横髪をかきあげて俯いた。いつもと様子が違う彼女に浅黄は心配そうな眼差しをしている。
「いずれにしろ、これまで通りの闘い方をしていたら屍を増やすだけだ。奴ら白軍のメンバー情報に詳しいからな。戦術は見抜かれてるものと思え」
紅鳶が改めて注意喚起した。
其々が固唾を飲み込み首を縦に振る。
「今をもって作戦開始とする。以上!」
パンチャー山田の号令と共に、全員が席を立ち、会議は閉会した。
「シャロット。行くぞ」
紅鳶が寝ぼけ眼のイヴにそう言うと、彼女はよたよた歩きながら紅鳶の後を追う。
ヘイは2人の関係が気になったが、なんとなく浅黄に聞くのはよした。
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「えらい事になってきましたね」
いつもの帰りの馬車でも、聖堂での緊張感が残留していた。
浅黄も硬い表情をしながらモジモジして必死に緊張を和らげようとしている。
何しろ過去の白軍を半壊させた組織が相手だ。気を引き締めなければ、以前のようなその場凌ぎだと命を落とす。
帰宅後、家に入るとヘイは新しく買った棚の引き出しを漁りだした。
「そうだ。これ」
深緑のマフラーを取り出し、浅黄に渡す。浅黄はキョトンとした顔でヘイを見た。
「ヴェルツェコは寒い。身体が冷えるともしもの時に動かないだろ」
「あ、ありがとう...。ございます」
「じゃあ俺はちょっと出掛けてくる」
ヘイはそういうとそそくさと扉を開けて出て行ってしまった。
彼女はしばらくぼーっとした後、長めのマフラーをはにかみながら抱きしめた。
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全体会議後、パンチャー山田の書斎では、業務を終えた護衛が個人的に話を持ちかけていた。
「セリオ。どうしたんだい」
セリオ。パンチャー山田の護衛を任されたアメリカ人だ。卵型の顔に坊主。真っ白なパオを身に纏っている。眉上な頬はゴツゴツとしていて精悍な男らしさが溢れ出ていた。彼の生真面目な性格と誠実さは高く評価され、パンチャー山田も彼に信頼を寄せている。
「杜若華を大和国に送らなかったのは何か理由が?」
「ふむ...。」
パンチャー山田はアンティーク調の椅子に腰をおろし、手で顔を拭くように撫でた。
「知っておるように、白軍は荒くれ者の寄せ集めじゃ。軍隊とは違う。其々が野望を抱いておる。それは青を求めるだけにとどまらない...華ちゃんは...そうだなぁ。こんなこと考えたくないんじゃが...仮に密売組織と癒着があれば、今彼らと接触させるのは危険じゃろ?」
「その呼び方やめたほうがよろしいかと...。そうですね。彼女の焦りは何か裏があるように思えましたし」
白軍は唯一軍隊を組織して政府に忠誠を誓う紅鳶以外、平和を維持しておくのも困難なほどの野心家の集まりだ。
例えるなら、起爆剤は既に揃っていて、マッチの火が落ちるのを待っている状態。パンチャー山田はなるべく爆発を引き起こすマッチ棒を摘んでおくことが仕事なのだ。
「それで、君の聞きたいことはそんなことかね?」
パンチャー山田は全てわかっているかのようにセリオに問いかけた。
「会議の途中、君は終始ヘイ君を睨んで何かを考えていただろう?」
「お見通しでしたか...」
セリオは鼻の下を擦って言った。
「彼は、確か中国の出身で?昔、私が通っていた道場の門下生に似ていましてね」
「ほう。確かにヘイ君は中国の道場へ通っていたと言っていたなぁ」
「ナイフ術の...?」
セリオは目を大きくさせて言った。
「あぁ、師匠が亡くなったのをきっかけに旅仕度を始めたとか何とか」
少しの沈黙が漂った後、セリオが口の端を吊り上げて「そうでしたか、ありがとうございます」と言った。
パンチャー山田は、なぜかその笑みがかなり危険なものだと感じた。
部屋を出て行く彼を見送った後も心のモヤモヤが消えず、分厚い書物の背表紙で指を往復させた。
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ドイツ潜水艦 【灰色の狼】艦内
彼らは、灰色と朱色を混ぜた色で絵画を描き、それを「青が使用された絵画」として他国の富豪に売りつけていた。
士官室では、密売組織ブラウグラウの幹部が乗員を激励していた。
「糞貴族相手にボロい商売だぜ。何たってあいつら青の概念すら知らねぇ。お前ら大和国に着いたら好きな女抱いていいぞ!」
ブラウグラウ幹部
ルスカーヤ(ロシア出身)
ガタイの良い大男で、唇がやや分厚い。サングラスをつけニット帽をかぶり、高級な毛皮のコートを着ている。ほとんど全ての指に指輪をはめ、耳にはいくつものピアスが開けられている。対白軍のマシンピストルを腰に据え、おちゃらけた口調で乗員の士気を高めた。
「おぉ!」
「大和の女はチビだからなぁ」
「バカ!それがいいんだろ?こっちの女はゴツすぎる」
「このロリコンめ!」
乗組員が下劣な話で盛り上がっている傍、椅子の上で三角座りして本を読んでいる幹部がいた。
ブラウグラウ幹部
グリブニック(ロシア出身)
長身、金髪ロン毛に山高帽子と吊りベルト付きのズボン、白いシャツがトレードマーク。長刀を腰に据えている。
普段は社会主義関連の本を愛読し、会話にはあまり参加しない。
しかし組織随一の実力で、荒くれ者たちを統制している。
この2人が歯車となって組織を回していた。彼らの行き先は中間貿易を行っている大和国であった。