第白藍話 「本当の家族」
扉を開けると、そこには赤の世界が広がっていた。
部屋に描かれているアラベスクの模様さえも真っ赤な血で塗り潰されている。
地面にはそれまで人間だったものが転がっていて腐乱臭を醸し出していた。
浅黄は吐き気を抑えながらもコンラート宣教師を探す。
自分が食べたものがそこに転がっている肉塊と考えると、嗚咽を漏らしそうになる。
血に塗れた部屋の奥には、錆びた鉄製の地下階段があった。
(ここから逃げたんだ...たぶん、コンラート宣教師はさっきまでここにいたはず)
彼女は、エドガー宣教師が説教をしている最中、奥の扉の横でコンラート宣教師が立っていたのを見ていた。
コツコツと冷えた足音を立てて階段をおりると、彼女は長く薄暗い通路を発見した。
(この通路を通って外に逃げたんだ...)
浅黄の勘は冴えている。そして彼女自身も、浅黄今冴えてると思っている。
彼女は腕から下垂れる血液も気にせず通路をかけて行った。
一方、アルバートと対峙したヘイは、彼をどうやって攻略するか考えていた。
(あのバカでかいチョッパーは大きさ相応の重さだろうな...。だが、エドガー宣教師を斬った時のスピードでこられたら厄介だ)
アルバートの身体能力は常人を逸している。あの巨大な肉切り包丁をまるでナイフを扱うかのように振るうのだ。
リーチに差がある分、シースナイフのヘイのほうがいくらか不利に思われた。
(こいつに頼るしかねぇか)
ヘイはナイフの斬れ味を信じ、アルバートとの距離を詰める。
その時、アルバートはエドガー宣教師の切断された首から溢れ出る鮮血に肉切り包丁を浸し、それを振るってヘイの目に血をかけた。
「っ!?」
一瞬視界を奪われ、隙を作ってしまったヘイにアルバートが襲いかかる。
1発で仕留めようと、アルバートは縦一線に肉切り包丁を振るった。
ヘイは反射的に横にとび、巨大な鉄の塊を回避する。
一撃でも食らえば致命傷は免れない。
それまで神聖な場所だった建物内が、殺し合いのリングへと変貌した。
アルバートは更に間合いを詰めてチョッパーを横に縦に振るった。
そのスピードは、ヘイが避けるのがやっとなほどのものだ。
(このデカさとスピード...何度も避けるのは至難)
大理石の床の上で踊るように攻撃をかわす彼は、早期決着のためにアルバートの懐へ飛び込んだ。
(これ斬れねぇかな)
横から振られたチョッパーを、一刀両断できないか考えたヘイは、シースナイフをチョッパーの刃に斬り込ませた。
ナイフはまるで紙を切っているかのように、滑らかにチョッパーの刃へめり込んでいく。
このままだとチョッパーが真っ二つにされると思ったのか、アルバートはチョッパーを止め、ヘイに蹴りを喰らわせた。
ヘイはそれを腕で防ぐも、後方へと体勢が崩れる。
アルバートもチョッパーをナイフから抜きとって後方に退いた。
(鉄をも斬り裂くナイフか...)
アルバートは敵ながら彼のナイフ術を褒め、チョッパーに入った亀裂を撫でる。
今の手応えでヘイはアルバートに勝てると確信し、一気に間合いを詰めた。
大理石とブーツが擦れる音と共に、ヘイのナイフが振るわれる。
アルバートもチョッパーを振るうが、ナイフを再び斬り込まれ、ついにチョッパーが真っ二つに切断されてしまった。
行き場を失ったチョッパーの片割れが吹っ飛んでいく。
ヘイは猛攻を続け、彼の上腕三頭筋から刃を斬り込ませ、身体の下に向かうように太腿付近にある左の腸脛靭帯、膝の下あたりにある右の膝蓋靭帯を切り刻んだ。
血飛沫が左右に飛び散り、白の大理石が真っ赤に染まる。
「くそっ!」
瞬時に急所を削られたアルバートは悔しみの念を見せたが、ヘイは更にアルバートの軽動脈へ向けてナイフを振った。
しかし彼のナイフは空を切った。
確実に仕留めたと思っていたヘイは慌てた心を沈めてどういう状況なのか確認する。
肩を貫く激しい痛み、血液の鉄の臭い。
左肩が喰われている。
「...っ!」
ヘイは一瞬遅れてきた痛みに顔を歪める。
アルバートは彼のナイフを避け、ヘイの肩を食いちぎっていた。その証拠にアルバートの口は不気味なほど真っ赤になっている。
更に、アルバートは動かない足で無理やりヘイの背後をとらえ、彼の左の僧帽筋に半分失ったチョッパーを振り下ろした。
骨が軋む音と筋肉が千切れる感覚がヘイの全身に駆け巡る。
ヘイはすかさず振り返り、アルバートがチョッパーを握っている腕を切り落とした。
中手骨が見えたかと思うと、ザクロのような切断面から血がどっと溢れる。
アルバートは床に溜まった血液に足を滑らせ、そのまま倒れこんだ。
彼は呼吸を乱して真っ白な天井を見上げる。
...
......
.........
「ハッ...ハッ...第三次世界大戦後、飢饉に陥った大英帝国では人喰いが横行していた...それは仕方のないことだと言われた...」
アルバートは口から出る血の泡を垂らしながら語り出した。
「親に食事も与えられなかった俺は...生きるために人肉を食した...だって...仕方ないだろう...お前ならわかってくれるはずだ...ヘイ...」
彼は血が絡みついた喉を振り絞ったような声でそう呟くと、薄っすらと開いていた目を閉じ、動かなくなった。
アルバート・オルコ。彼は不遇な星の下に産まれてしまった男だった。
誰からも愛されず、餓死寸前に見つけた生きる方法。それが食人であった。
彼の食欲と愛欲は結びつき、いつしか側に転がった死体こそを本当の家族と思えるようになったのだ。
「わかりたくもねぇな...」
ヘイのその言葉は悲惨なアルバートの過去への同情でもあった。
彼は肩を押さえ、奥の部屋に向かおうとした。もはやアルバートのことなど見ていないようである。
(浅黄...!)
建物内にいた男の子は、ヘイがいなくなった後、部屋の隅からアルバートの動かなくなった身体に寄ってきた。
そしてお腹が空いた彼は、復讐のように、本能のように、硬くなったアルバートの肉に齧りついた。