第一話
灼熱の太陽は大地を焦がし、砂塵は容赦なく眼を射ぬく。
だが、その尊い人は月夜の化身のように、あわい笑みをにじませていた。
天衣を風にはためかせ、身体より発する光輝、照らすこと遍し。
流麗にして厳粛に説くは、生者必滅の理なり―――。
ひとりの子どもが、寝台の上に横たわっていた。
白く高い天井は、外とはうってかわって涼しげな印象をあたえる。
けして、きつくはない光りにつつまれた空間で、その少年は静かな寝息をたてていた。
美しい少年であった。まるで少女のように―――。
いや、少年のような少女なのだろうか。
そう思えるほどに、中性的な顔をしている。
そして、躰も。
褐色の肌はなめらかで、ゆるやかにくびれた腰、すらりと伸びた四肢。
ただ臥しているだけで、この清雅な媚態。
そして、それを見つめるひとりの青年。
寝台の上の子どもを可憐というのなら、この青年は石の彫刻のように、硬い美貌の持ち主であった。
今、青年は若く柔らかい肌に触れた。
腿に手をはわせ、上へと滑らせていく。
恥じらい程度に、腰のあたりにかけられたシーツの上を通り過ぎ、腹へ、胸へ―――。
そこで青年は手の動きをとめた。
宝珠―――
金の鎖でつながれ、緑柱玉、紅玉、トルコ石が惜しげもなくちりばめられている。台座の上に二本のツメで留められた、この世のものならぬきららかさ。
青年はそれに手を伸ばした。
しかし、信じられぬことだが、宝珠は触れられることを拒むのだ。
ばちりと指先に痛みが走り、青年は手をひいた。
「ちっ・・・」
「カーマ?」
「ガルーダ」
ガルーダは青年を見上げ、はにかんだ。
「ずっとそこにいたの?」
カーマと呼ばれた青年は、ああと頷きながらガルーダの額に口づけした。
「カーマ、ぼく・・・」
「よいのだ、ガルーダ。わたしはおまえが愛おしくて、こうしているのだから」
言いながら、青年は唇を頬、耳、首、そして胸へとはわせていった。
雨季がくる。
年に一度の天恵。そして、無の時季。
長期にわたる降雨により氾濫した河は、すべてを押し流し呑み込んでいく。だが、水がひいたあとには、黒く肥えた土が残されるのだ。
人々は土を耕し農作に専念する。そして収穫がすみ、また雨季がくる。
恵みの雨とわかっていても、ガルーダはすべてを0にしてしまうこの雨季が、おそろしかった。
高く蒼かった空は、心なしか低く暗い。
風は乾いているのに、雨のにおいは強く感じられる。
「まあ姐さま、ご覧になって。卑しい奴隷の子よ」
「ああ、わが夫はなにを考えているのかしら。このような者に情けをかけるなんて」
ふたりの女の陰口など、ガルーダは気にも留めなかった。
今まで、ガルーダの主人となった者たちは、ガルーダの美貌と胸の宝珠に目を奪われ、邪な心を抱いてきた。
だが、今の主人はちがう。
カーマはけして、この宝珠を欲したりはしない。善良な心で、ガルーダだけを愛してくれる。
そんな幸福のなかで、どうしてふたりの妃の冷やかしなど聞いておれようか。
―――カーマ・・・
ガルーダは胸の宝珠に手をやった。
「きゃっ」
ラティが悲鳴をあげた。
「どうなさったの、姐さま?!」
「あ、あれを・・・」
プリーティに抱きつきながら、彼女は草叢を指さした。
そこには、一匹の蛇がとぐろを巻いていた。
「ただの蛇ですわ」
プリーティは眉をしかめた。
「おお嫌だ。蛇は水神の使いといいます。今年の雨季はきっと、よくないことが起こりますわよ」
「それに、かの畜生は多淫とも。どこかの誰かさんと、よいお友達になれますわ」
そう言い、ふたりは声に出して笑った。
ガルーダはさすがに青ざめた。
しかし、蛇を見るのもごめんであった。
あの、ぬるりとした胴と、くねり動くさまを見ていると、得体の知れない感情におそわれるのだ。それは嫌悪なのか、甘美な心地よさなのか、わからない。
ガルーダはその場を後にした。
身につけている装飾がこすれ、シャンと鳴った。
「まだ見つからぬのか?」
カーマは室内を行き来しながら、苛立たしげに言った。
部屋のまん中で、ひとりの男が膝をついている。
「なぜだ。これだけ八方に手を尽くしているというのに、なぜ見つけだすことができぬのだっ」
カーマは、どんと卓を叩いた。
「わたくしめ共も努力はしております。しかし、『如意宝珠』がどのような形で、どのような色なのか、誰も知りませぬ」
「わかっている」
カーマは呻くように言った。
「だが、私は早く如意宝珠をわが手にしたいのだ。すべてを思いのままに操れるちからを、手にしたいのだ!」
彼はふと、思いついたようにうしろを向いた。
「ヴァサンタよ」
「はっ」
「アムリタならば探しだせよう?」
聖水―――この不老不死をもたらすとされる飲料は、その昔神々が乳海を攪拌した際にできたと言われている。
「アムリタを手に入れれば、私は不死の体になれる。どんな戦でも死ぬことはない」
この時代は激しい領地争いがたびたび行われていた。おもに、ガンジス川の東を治めているインドラ。北を治めているアスラ族。そして、南に勢力を拡大しつつあるカーマであった。
インドラは世に聞こえた武人だ。アスラとて、その獰猛さ鬼神のごとしと言われている。
拮抗した勢力を有するなかで、卓越したちからを手に入れ天下を制するためには、あらゆる富や権力、そして人力を越えたちからをも意のままに操れるという珠―――如意宝珠がどうしても必要なのだ。
しかし、それを見た者はいない。
太古の神々が創ったとされる、聖なる珠がどのようなものなのか、知る術はないのだ。
「アムリタでしたら、蛇族が所有していると聞いたことがございます。しかし、その昔、神鷲族との戦いに敗れ、それ以来一族共々姿を消してしまったと・・・」
「蛇族を探しだすのは困難というわけか」
カーマは少し思案し、言った。
「それならば、うってつけの者がおる。そう、ガルーダというまだほんの子どもだ。だが、そいつは紛れもなく神鷲族の血を引いている」
「なんと」
ヴァサンタは驚いて立ち上がった。
「神鷲族は何百年も前に滅び去った部族ですぞ。それが今、その血を受け継いでいる者がいるとは・・・」
「なんの不思議もなかろう。あれは私が人買いから買いとった子どもだ。純血でなくとも、混血児ならば掃いて捨てるほどいよう」
カーマは開け放たれた窓の外を見た。
ガルーダ。神鷲族の子よ。体内に流れる血に気づいていなくとも、遺伝子に刻まれた記憶が、おまえを導いてくれるだろう。
―――しかし・・・
彼は表情を曇らせた。
あの子どもの胸に光る宝珠。あれが如意宝珠なのではないのか?
だとしたら―――・・・