詫び寂(わびさび)に思う事
うーん困ったぞ。
知り合いの知り合い、要するに全く知らない相手なのだが、詫び寂とはどんな美ですか? と聞かれた。
この相手、フランス人何です。
幸いな事に、日本語は普通にしゃべれるのですが、詫び寂と言う物が前々から気になってたらしく、私に聞いてきたのだ。
困った、本当に困った。
感覚的に詫びや寂を理解してても、説明となると困るのだ。
そもそも、広域な概念のような物で、コレて言うのは難しい。
例えば、詫びを、単純に漢字の意味と考えたら、貧しいとか、粗末なとかそんな意味があったはずなんだけど、そこに美の要素が加わった状態なんだと思うのだ。
実際、知人を自宅に招くとする。
そんな時、掃除をすると思う。
その掃除、庭を掃き、葉を拭いてホコリを落とす………更にひと手間、葉の裏を拭いた状態。
コレは、詫びだと言える、見えない部分のおもてなしの心、この状態が詫びにあたるのだ。
更に、庭に風がふき、せっかく掃き清めた庭に、落ち葉が舞い落ちる。
この状態、この時が寂た状態と言うわけ………
見えない部分に美を求め、時の流れにあるがままの姿に美を感じる、コレが詫び寂と言うイメージではないだろうか。
詫び茶人(詫び茶では無い)は、単純に貧乏茶人と訳されるが、それは違う。
確かに、貧乏かも知れないが、そこでは無いのた。
たとえ唐物の茶器、本来茶器として作られた道具では無いはずの物を、茶器にみたて、使ったのだ。
古備前の焼き物も、初期の物は、茶器として作られて無いはずだ、もっと言えばマグカップだって良いのだ。
そこに、もてなしの心があれば。
それさえあれば詫び茶人と言える。
もっと色々あるけど上手く説明出来ないのが、もどかしい。
では寂とは、先に書いた様に、自然な様子の中に有る美だ。
広域な意味では、マチュピチュのなどの古代遺跡も、寂た状態では無いだろうか?
お城の石垣から、草木が生える、その姿に、美を感じるとる事は、多くの人が出来ると思う。
何か、酔いが回ってきた、誰か上手く説明する方法を教えて欲しい、お願いします。
眠い