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冬空

よろしくお願いします。



その日は目覚しよりも早く目が覚めた。

 自分でも珍しいことだと思う。いつもなら円が起こしに来てくれるのだが、今日はその必要もなさそうだ。

 原因はたぶん、あの夢だ。詳細なことは覚えが無いが、嫌な夢だった。

 俺の目の前には誰かがいて、俺はそいつを知っているはずだった。そいつは口元に笑みを浮かべながら、俺に話しかけてくる。俺はそいつの名前すら思い出せず、内心では焦りながら必死で話をあわせていた。だが、そんなうわべだけの態度でいつまでも相手を騙しとおせるわけは無く、やがてそいつは不機嫌になり、俺のそばからいなくなってしまった。

 背中は寝汗でぐっしょりと濡れ、冷たい空気に思わず身震いする。

 ベッドから立ち上がり、窓に歩み寄りカーテンを開けた。外はちらほらと雪が舞い、地面はうっすらと白くなっていた。

「雪降ってるよ……」

 俺は窓の下の雪の舞う中テンション最高潮になって走りまわっている子供とワン公を眺めながら、ぽつりと呟いた。

 窓から離れ、時計を確認する。六時十四分。いつもより一時間近く早起きだ。それも円に起こされていないことを考慮すると、我ながら胸を張れるのではないだろうか。

「そんなことより、腹減ったなぁ」

 腹部に手を添えて腹の虫の鳴き声に耳を傾ける。ひっきり無しに泣き喚くというわけでも無く、いい感じの空腹感が胃の中に渦巻いていた。

 俺は自室を出て、階下に下りる。

 台所に顔を出すと、妹の楓がふんふんと鼻歌を歌いながら朝メシの準備をしている。いつものお気に入りのエプロンがリズミカルに揺れていた。

 俺は楓の他に誰かいないかと食卓やその奥のリビングにも視線を向ける。しかし、楓以外の人物の影を捉えることはできなかった。そのことに一抹の寂しさを覚えたが、俺が浮かない顔をしていては楓も不安にさせてしまう。

 俺は頭を振り、無理矢理気持ちにリセットをかける。足音を殺し、楓の背後に忍び寄る。

 楓は俺の存在に気づいていないらしく、調理に意識を集中させていた。俺は妹の肩越しに手元を覗きこみ、その鮮やかな手際に関心する。焼き魚の香ばしい匂いに、腹の虫が再び泣き声を上げた。

 その音でようやく気がついたのか、楓は振り返ると驚いたように目をまるくした。

「おにいちゃん! どうしたの?」

「あはは……いや、腹減っちまって」

 俺がそう言うと楓はにっこりと微笑み、

「もうすぐごはん出来るよ。ちょっと待っててね」

 とまた調理に戻った。我が妹ながらよく出来たやつだ。将来は、きっといい嫁さんになれることだろう。

 俺は食卓につき、何をするでもなく楓の後ろ姿を眺めてボー、とする。味噌汁に入れるわかめを食べやすい大きさに切っているところだ。

 そういえば以前にも、こんなことがあった気がする。あのときは円も一緒だったっけ。それからもうひとり……。

「もうひとり?」

 誰か、いたっけ? 思い出せない。親父? 違う気がする。

 そんなことを考えていると、楓が味噌汁と焼き魚。そして焚き立ての白米を運んできた。

 俺は楓が食卓に着くのを待って、手をあわせる。

「いただきます」

 まずご飯を口に運び、焼き魚に箸をつけ、味噌汁を流し込む。

 妹と他愛の無い会話を交わし、時は流れて行く。

 朝食を食べ終えると、玄関のほうから聞き慣れた声が聞こえてきた。

「おじゃましまーす」

 衣擦れの音がし、足音が近づいてくる。リビングの扉が開き、円がひょこっと顔を覗かせる。

 一度ソファのほうを見て、誰もいないことを確認すると今度は楓に声をかけようとでもしたのか、ゆっくりと首を巡らせる。

「楓ちゃん、椿はまだ寝てる……」

 その声が楓に届くよりも早く、円と目があう。別に何も悪いことをしているわけでもないのに、なぜか気まずくなり視線を逸らす。

「今日はやけに早起きだね」

「……なんだよ。俺が起きてちゃ悪いってのか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ。なんだか珍しいなー、と思って」

 円が閉まりの無い表情でにへらと笑う。俺は横目でちらと円を見て、

「直ぐに準備する。ちょっと待ってろ」

「うん。わかった」

 円が頷き、俺は二階の自室へ向かう。扉を開け、中に入る。

 準備をするといっても、教科書やノート。その他授業を受けるのに必要なものは全て学校に置いている。やることと言ったら、制服の袖に腕を通し、うすっぺらな鞄に弁当をつけ込むことくらいだ。

 ものの数秒で支度を終え、階下へと下りて行く。リビングに顔を出すと、円が大層くつろいだ様子でソファに座り、朝のニュースを拝聴していた。他人んちで何してんだ、こいつは。

 円は俺が下りてきたのに気づいたのか、肩越しに振り返り、

「今日は一日中雪だって。傘持ってったほうがいいよ」

「そうか。わかった。ほら、準備できたから行くぞ」

「うんわかったー」

 若干棒読みで返事し、円がソファから立ち上がる。当然、テレビの電源はオフにしていた。そうしてもらわないと困る。

 俺はリビング、台所、ついでに洗面所まで見て、楓の姿が無いことを確認すると、階上へ向かって声を張り上げた。

「おーい、今日はずっと雪みたいだから傘持ってったほうがいいぞー」

「うん、わかったー」

「じゃ、俺たちもう行くなー」

「えっ! ちょっとまってー」

 ん、何だ?

 俺は円に振り返り、

「ちょっと待ってくれってよ。どうする?」

「んー……まだ余裕あるし、いいんじゃない」

 円が腕時計に視線を落とし、そう口にする。まあ特に急ぎの用があるわけでもないし、俺も別にいいんだがな。

 そうして、楓を待つこと約五分。慌てた様子で、我が妹さまは下りてきた。

「ごめんね楓さん、おにいちゃん」

「気にすんな」

「問題無いよ」

 円は朗らかに、俺はにこやかにそう言った。

 楓は若干乱れ気味の髪の毛を撫でて、俺の隣に立った。俺は傘立てから二本の傘を取って、一本を妹に渡した。

「ほらよ」

「ん、ありがと」

 そして、俺たちは玄関を出た。

 天気予報の通り、外は雪が舞っていた。まあ数十分前にも降ってたし、そう簡単に止むわけもないか。

「うぅ……寒いねー」

 円が肩を抱くような格好でマフラーに顔を埋める。

「確かにな……」

 昨今、地球温暖化が叫ばれて久しいが、この冷気に身を晒すとそんなことは杞憂なんじゃないかと思えてくる。要するに、それくらい寒い。

 俺はさて行こうかと足を踏み出す。すると、傘を持つ右腕とは判定の腕、つまりは左腕に誰かが抱きついてくる感覚があった。左腕に視線を落とすと、

「おにいちゃんあったかーい」

 とか言ってはしゃいでいる楓がいた。ええい、歩きにくい。

「おっ、いいねそれ。私も私も」

「だー円、お前までくっついてくんじゃねえ!」

 左側を楓、右側を円に寄り添われ、歩きにくさもここに極まれり。現時刻を円に尋ねると、さっきまであった余裕とやらもどこぞへと消え失せていた。

 仕方が無いので、その状態のまま学校を目指して歩き出す。ただでさえ両側に妹と幼なじみを装備していて、十分に暖まれるってのにご近所さんの目が俺たち三人。特に俺に注がれているような気がして脳内はさらにヒートアップしていた。

 はた目から見たら俺、どんなやつに映るんだろう。美少女を両サイドにはべらす羨ましいやつってなるんだろうか。実際に体験すると、この状況かなり苦しいんだが。

 そんなこんなで、道中中学生である楓と別れて、俺と円はふたり並んで歩く。そのころには円も自分の行動がどんなものか気づいたらしく、俺から離れて顔を赤くしていた。

 そんな顔真っ赤にするくらいなら最初っからくっついてくんなっての。

 それからしばらく俺たちは互いに無言だった。俺は幼いころから住み慣れたこの街のあちこちをじっくりと見回して、円との思い出をしみじみと思い出していた。

「この公園……」

「ん? 公園がどうかしたの?」

 円は体内の熱が冷めたらしい。俺のひとり言に反応を示した。

「いや、昔よくこの公園で遊んだなって。俺と円と……」

 そこで俺は言い淀む。俺と円……あとひとり、誰かいたような……。

「どうしたの?」

「俺と円……あとひとり、誰かいなかったか?」

「? 楓ちゃんじゃないの?」

「楓は……」

 楓は、まだ俺と出会ってすらいなかったはずだ。だって、どこからともなく親父が拾って来た子だったんだから。

 あれ……楓っていつからうちにいたんだっけな……。

 記憶をまさぐってみるが、はっきりいつとは分からない。少なくとも、俺が中学に上がるころには一緒にいたはずだ。でも……

「どうしたの?」

 円が振り返り、不思議そうに尋ねてくる。公園を少し過ぎたところで、いつの間にか俺は立ち止まっていた。円が小走りに近づいてくる。

「大丈夫?」

「あ、ああ。なんでもない。行こうぜ」

 円の不安そうな表情が視界の端をかすめたが、立ち止まることなく歩を進める。

 いつからだろうと関係ない。楓は楓だ。いつだって俺の妹で、かけがえのない家族だ。こんな気持ち、時間が経てば忘れるだろう。

 そう、自分に言い聞かせた。

 降り積もる雪が、激しさを増していた。


         2


 チャイムが鳴り、やっと退屈な授業から解放される。その安堵感からか、思わず溜息が漏れた。

 場所は教室。時は四限目がちょうど終わったあたり。つまり今から昼休み。

四十人弱いたクラスメイトの約半分が弁当を持参しておらず、昼メシを求めて購買部へと駆け出して行く。

そんなクラスメイトたちを尻目に、俺は楓お手製の弁当を広げて箸を突く。野菜類、肉類、その他のおかずがバランスよく詰め込まれている様は見た目にも鮮やかだった。栄養のバランスを考えつつ、それに固執することなく調和のとれた弁当は、筆舌に尽くしがい美味さだ。やっぱり、いい嫁さんになると思う。いや、いっそ誰の嫁にもやりたくないとさえ思ってしまうほどだ。

 ま、それでもいつかは兄貴のそばからいなくなるんだろうけどな。

「俺ってシスコンなのかな……」

 血はつながってないって言ってもやはり妹は妹。そんなふうに思ってしまうことはあんまりいいことじゃないんだろう。

 そうして弁当を食べ終えると、今度は便意を催してきた。なので席を立ち、教室を出てトイレへ向かう。人がたくさんいる教室と違って、廊下は人気もなく肌寒い。

 体感時間にして三十分は歩いただろうか。しかし、一向にトイレに辿り着く気配はない。さすがにおかしいだろこれと思いつつ、とりあえず足は動かし続ける。が、されどトイレは見えてこない。

「……というか……」

 周りを見渡すが、誰もいない。いくら冬場の廊下が寒いからといって、まったく人の流れがないというのはおかしい。先ほど購買部へ向かったクラスメイトたちが戻ってくる気配もない。

 俺は足を動かすのを止め、辺りの様子を窺う。何かが起こるというわけでもない。俺のの気にし過ぎなのだろうか。

 そう思い、再び歩き出そうとしたところで俺は思わず仰け反った。

「うお!」

 目の前に、女の子がいた。よその学校の生徒なのだろうか。見知らぬ服に身を包み、妖しげな微笑とともに佇んでいる。

「えっと……」

 困惑。今の俺の心境をこれほど的確に表した言葉を俺は他に知らない。

この学校に知り合いでもいるんだろうか? それなら別に案内くらいしてもいいのだが。何はともあれ、まずは話をしないと先へ進めない。

「……何かご用ですか?」

 出来るだけ朗らかに、出来るだけ笑顔で。優しい声音を意識して、話しかける。その俺の気づかいが伝わったのか、女の子は微笑を湛えたまま口を開いた。

「松瀬……椿、ね」

「えっ……?」

 一言で、俺の表情筋は石化してしまう。

 俺はこいつを知らない。ならば、こいつも俺のことなんか知らないはずだ。だってあったことないのだから。初対面なのだから。

 そりゃ街中ですれ違ったことくらいは万にひとつの可能性としてあるかもしれないが、その程度のことなんていちいち記憶に留めておくはずがない。それは彼女の側も同じなはず。なら、なぜ俺の名を知っている。なぜ。なぜ。なぜ。

 考えられる可能性は、俺のことを調べたということだ。でも、そんなことをする必要性はない。皆無だろう。何の利益にもならない。腹の足しにもなりはしない。

「なんだ、お前は……」

 その一言を絞り出すので精一杯だった。

 女の子……そいつはまるで年末のバラエティ番組を見ているかのように、声を上げて笑いだした。

「あはははははは……本当に記憶がないのね。でも、消されているわけじゃない。プロテクトがかけられているだけ」

 そいつは目を細め、一歩、また一歩と近づいてくる。

「どうして周りに誰もいなのか不思議に思ってるでしょ? 教えてあげる。それはわたしがあなたの周りの時間を止めているからよ。だから、今この空間で自由に身動きが出来るのはわたしとあなただけ。この会話も、聞いているものは誰もいない。そう、こんなことをしても誰にも知られることはない」

 そう言って、そいつは俺の手を取り自分の胸部にあてがう。女の子特有の甘い香りと、手元の柔らかな感触に現状も忘れてしまいそうになる。

「はっ……!」

 我に返り、そいつから距離を置く。そいつはあからさまにわざとらしく、

「あらら、残念。もう少しだったのに」

「何もんだ、お前はっ!」

「ああ、そんなに睨まないで。ぞくぞくしちゃう」

 くねくねと体をくねらせる。その動きに、かなりいらっとする。

「何もんだって聞いてんだ。答えろよ!」

「ふふ。そんなの〝今のあなた〟に言ってもしょうがないでしょ?」

 言って、そいつは靴音を響かせながら近づいてくる。対して、俺はなぜか動けなかった。

「ぐっ……何で」

「面白いでしょ? それはわたしが独自に開発した機能でね。普通、時を止める行為は空間全体に働きかけないと行えないんだけど、ある条件を満たせば一部分だけ時間を停止させることが出来るのよ。今、あなたの筋肉細胞の時間を止めてるみたいにね」

「条件……だと?」

「そう。知りたい? でも教えてあーげない」

 何だこいつ。ふざけてるのか。

 俺はそいつを睨め上げ、喚き散らす。

「何なんだ、お前は! 何を言っているんだ! 他のやつらはどこだ!!」

「だから言っているじゃない。時間を止めただけ。危害を加えたりしないわ」

「信じられるか!」

「理解できないの間違いでしょ?」

 一瞬。ほんの一瞬だけ、そいつの氷のような冷たい目が、俺を見下していた。時間にして僅か数秒。たったそれだけの時間だが、俺は確かに見た。

 次瞬間にはもとのにこやかな表情で、話しかけてくる。

「理解できないのも無理はないわ。なぜなら、今のあなたはかりそめの〝松瀬椿〟なのだから。だから、わたしが思い出させてア・ゲ・ル」

「何を……」

 そいつは俺の額の真ん中に人差し指を添え、やっと聞き取れるくらいの小声で呟く。

「……コード認証。アルファ三六二。ベータ二二四。デルタ九九五。トライデント」

 言葉の意味は分からないかった。理解している時間もなかった。ただ、たくさんの何かが流れ込んでくる。それが俺の記憶であることは容易に理解出来た。激しい頭痛に襲われ、しかし頭を抱えて悶えようにも体が動かない。

 忘れたはずの記憶が、大きな波となって俺を襲う。抗う術はなく、苦しみを耐え抜くことしか出来なかった。

 やがて頭痛が収まると、体も動くようになった。その場に膝をつき、荒くなった息を整える。俺の耳に、やつの声が聞こえてくる。

「プロテクト解除完了。ええ、成功よ。このまま任務を続行するわ」

 顔を上げると、携帯電話のようなものを捜査する彼女の姿があった。目が合うと、にっこりと微笑みかけてくる。

「思い出した?」

「ああ。お前の名前以外は全部な」

「そう。正常正常。わたしの名前まで知ってるのなら、別の勢力のことも考えなきゃだったけど、その心配もなさそうね」

「まあ思い出したからと言って、それが理解につながるとは限らんがな」

「いいわ。ゆっくりと解っていきましょう」

「差し当たって、お前の名前を教えてもらえるとありがたいんだが」

「そういえば、自己紹介がまだだったわね」

 彼女は胸に手を添え、笑みを絶やさないまま言う。

「はじめまして。わたしの名はミラウジュ。と言っても、これはコードネームみたいなものだけど」

「俺は松瀬椿。ただの高校生だ」

 俺たちは、どちらからともなく手を差し出し、なぜか固い握手を交わしていた。

 こうして、俺は再び奇妙な冒険に巻き込まれるハメになった。


          3


「で、もう一度きくがミラウジュさん。お前何者?」

 時間の停止を解除してもらい、とりあえず普通に高校生としての一日を過ごした日の放課後。誰もいない理科準備室で俺はミラウジュと対面していた。

 ミラウジュは逡巡するように顎に手を当て数秒考えていたが、やがて意を決したかのような表情で、

「わたしは非政府組織『BAN<バアン>』の技術開発部門の人間であり、同時に実働隊の副隊長をしているわ」

「お役所の人間じゃないのか……」

「ええ。わたしに課せられた任務はこの時代で起きるある事件を未然に防ぐこと」

「ある事件?」

「それは言えないわ。例外中の例外を除いて、未来に起こることはその時代の人間には言っちゃいけないの」

「でもあんたはその事件を起こらないようにするためにここに来た。それって矛盾しないか?」

 俺はミラウジュの言葉に首を傾げる。もし彼女が本当に何かしらの事件を未然に防ぐためにこの時代に来たとして、ではなぜ俺の記憶を呼び起さなければならなかったのか、それが分からない。わざわざそんなことせずとも、複数人で来てちゃっちゃと終わらせてしまえばいいのではないだろうか。

 その疑問を口にすると、こともなげに答える。

「そんなの、あなたの身近な人に関わることだからに決まっているじゃない」

「……へっ?」

 彼女の言った言葉を理解できず、思わず聞き返してしまう。

「それって、家族に危険が及ぶってことなのか?」

「身近な人間は身近な人間よ。それ以上のことは言えないわ」

 ミラウジュは窓の外を見やり、まるで全てを知っているとでもいうふうその唇が動く。

「一両日中に、あなたの身近な人間はある事件に巻き込まれる。でも、それは別にいいの。確定された過去の事例。だからわたしたちは一切干渉しないわ。でも、問題はその後」

「……何があるって言うんだよ」

 ごくり、と思わず唾液を飲み下す。一両日中に俺に近い誰かの身に何かが起こる。それももちろん見過ごすことはできないが、ミラウジュの深刻な雰囲気に、俺も緊張してしまう。

 何が、あるというのだろう。

 ミラウジュはびしぃ、と人差し指を俺に突きつけ、こう言った。

「未来からの犯罪者によって、死人が出るわ。松瀬椿。わたしに協力してちょうだい」

 俺は次の言葉が出ずに、黙って頷いた。

 確証などはない。もしかしたら、もっと他に選択肢があったのかもしれない。

 それでも、このときの俺はその選択が正しいように思えたのだった。


          4


 翌日。いつも通りの朝がやって来た。俺は楓と円のふたりによって引っぺがされるようにしてベッドから離れた。

 俺は顔を洗うために洗面所へ行き、冷水で顔を濡らす。温水が出ればいいのにといつも思うが、わが家の経済状況にはそこまでの余裕はないらしく、暖かい水が出たためしがない。

 ついでに頭から水を被り、力技で寝癖を直す。タオルで頭と顔を拭き、楓たちの待つ台所へと直行する。

「あっ、おにいちゃん。目、覚めた?」

「ああ。ばっちりだ……あっ?」

 入り口付近で、俺の歩行は止まってしまう。なぜかって言うと、食卓に見慣れない顔があったからだ。

 朝食の準備を続ける楓。小皿や箸なんかを並べている円。ここまではまあいい。いつもの光景だ。だがしかし、問題は食卓について目を細め微笑している少女だ。

 ミラウジュが、いた。

 俺は彼女に詰め寄り、立たせ、リビングのほうへ引っ張って行く。ふたりが不思議そうな視線を送っていたが、この際無視。ミラウジュと顔を寄せ、ふたりには聞こえないよう小声で話す。

「何してんだ、お前」

「何って、ただ任務を継続させていただけよ。ことを未然に防ぐには、本人の近くにいたほうが手っ取り早いもの」

「仮にそうだとして、何でお前まで朝メシ食おうとしてんだ」

「いけないの?」

「いけないというか俺が嫌なんだよ」

「朝ご飯は大事よ。食べなければ一日の活力を得ることはできない。もしかしたら事件を未然に防ぐことも叶わないかもしれないわ。そうなれば、あなたの責任よね」

「…………わかった」

 しぶしぶ、本当にしぶしぶだ。昨日、こいつは言った。未来人の介入によって俺の身近な誰かが死ぬと。おそらく、被害者となるのは円か楓のどちらかだろう。俺にとって身近な存在と言えるのは、このふたり以外ない。こいつには、円と楓を守ってもらわなければならない。そのためにも、体力はつけてもらわなければ。

 俺たちは話すのを止め、食卓に戻る。既に円と楓は自分の席についていて、俺たちを待っていた。

「どうしたの、おにいちゃん?」

「や、何でもねえよ」

「本当にぃ?」

 俺と楓の間に、円が割って入ってくる。円は疑い眼差しを俺に向け、

「私、椿が中学生と知りあいだとは思わなかったな。ねえ、楓ちゃん」

「ほんとだよ。おにいちゃんと鏡ちゃんがお友達だったなんて」

「はっ? 中学生?」

 聞き捨てならないことを、円は言った。そしてとんでもない感じ違いを楓はしている。

俺はすぐさまミラウジュのほうを向いて、

「中学、生?」

「はい、おにいさん。わたくし昨日楓さんと同じ学校に転校してきました。天宮司鏡<てんぐうじかがみ>と申します。仲良くして下さいね」

 と、ミラウジュ改め天宮司鏡がいかにもつくり物めいた笑顔を張りつかせている。俺は若干頭の中が混乱しそうだった。わけがわからない。なぜ楓の中学に転校しなければならなかったのだろうか。

「そういや昨日の制服、どうも見覚えがあるなと思ったら楓んとこのやつだったのか」

「なにか言った、おにいちゃん?」

 俺のひとり言に楓が首を傾げてくる。俺は味噌汁を口に含み、よく味わってから胃袋に流し込む。濃厚な味噌の味が口いっぱいに広がり、体の芯から暖まる。

「なんでもねえよ。ん、今日も楓の朝メシは美味いな」

「そう? えへへ、ありがと」

 照れたような笑みを浮かべる楓。それに対し、なぜか円は面白くなさそうに唇を尖らせていた。

「兄妹仲がおよろしいようで」

 円は朝メシを一気にかきこむと勢いよくテーブルに叩きつけて席を立つ。

「ごちそうさま」

 憮然としたした表情の円に、俺たちはただ呆然としているしかなかった。が、俺はハッと我に返り、円に続くようにして朝メシを一気にかきこんだ。

「今日日直だったの忘れてた。ごちそうさま」

 俺は慌てて自室まで駆け上がり、制服に着替え、靴を履く間も惜しんで家を飛び出した。

「行ってきます!」

「あっ、行ってらっしゃい!」

 楓の声を背中に受け、俺は全力疾走で円を追う。いつもの通学路の景色が次々に後ろへ流れて行く。


          5


 校門に付く頃には、息もあがっていた。膝に手をつき、荒い呼吸を整える。

 走ったお陰で、通常より十分早く登校することができた。いつもなら遅刻ぎりぎりに着くが、今日は余裕がある。時間的に。しかし、道中円の姿を見かけることはなかった。

ま、先に自分の教室に行ってんだろ。大丈夫大丈夫。

 とりあえず俺は靴箱で靴を履き替え、自分の教室へ向かう。途中、円のクラスで足が止まる。『1-A』と表記されたプレートを見上げ、昨日のミラウジュとの会話を思い出す。

 ――死人が出るわ――

 その不吉な言葉が、昨日から何度も頭の中をループしていた。未来から来た工作員の言葉は、鵜呑みにするには信憑性に欠け、疑うにはあまりにも威圧感がある。

 可能性があるのなら、疑ってかかるべきなのだろうか。ここまでの道中、円の姿を見なかったのも気になる。

 俺は目の前の扉に手をかけ、勢いよくスライドさせる。教室中に視線を走らせ、円を探す。円は、直ぐに見つかった。

 俺から見て真正面。窓際の後ろから三列目の席で、円は同じクラスであろう友達数人と談笑していた。俺は、安堵の息を吐く。

「どうしたの?」

 円は俺に気づくと、それまでの楽しそうな笑みを引っ込め、鋭く睨みつけてくる。俺は慌てて、どぎまぎしつつ後退する。

「いや、何でもねえ。寝ぼけてんのかな。教室間違えちまった」

「……しっかりしてよ……まったく」

 俺はそそくさとその場を離れると、自分のクラスへと向かう。円の友達が手を振ってくるが、当然無視。

 俺は机の横に鞄をかけ、机に突っ伏した。

「ふぅ……」

 思わず溜息が出た。

 一瞬、いやな予感がしたが円はあの通りぴんぴんしていた。よかった。何ともなくて。でも、ミラウジュは一両日中に何かが起こると言っていた。とすれば、今は何ともなくとも昼休みや放課後に狙われるかもしれない。いずれにせよ、今日一日は気が抜けない。

「楓のほうは……まああいつがいるから大丈夫だろ」

 何だかんだ言いつつ、助けてくれるだろう。根拠もなく、そう思っていた。

 その日はいつもと変わらず、淡々と過ぎて行った。

 退屈な授業。退屈な昼休み。眠気を我慢しての下校。いずれにしても、円の身に危険が及ぶことも、新たな未来人野郎が現れることもなかった。

 ほっと息を吐く。何事もなく、一日が終わる。その安堵感からか、ぼーとしがちになり、隣を歩く円の話もどこか上の空で聞いていた。……いや、半分以上聞いてなかった。

「ねえ、聞いてるの?」

「……悪りい」

 自信の非を素直に認めるたはずなのに、ぽかすかと円の拳の雨が去来する。過ちは認めればいいというものでもないらしい。

 そうやって円とじゃれていると、ポケットの中で携帯が震え出した。円にタイムとジェスチャーし、ふたつ折りの携帯を開け、画面に目を落とす。

「楓……?」

 電話は楓からだった。俺は深く考えることなく、携帯を耳に当てる。

「もしもし?」

「もしもし」

 ……誰だ?

 携帯の向こうから聞こえてくる声は、楓にしてはやけに野太い。というか別人だ。一瞬で、昨日のミラウジュとの会話が脳内を駆け巡る。

 甘かった。何だかんだ言っても、あいつは俺たちの味方何だと思ってた。何の根拠もなく、楓を守ってくれると思っていた。なぜそう思ってしまったんだ。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 俺は携帯の向こうの男に向かって、慎重に口を開く。

「誰だ、あんたは?」

「ひひひ。おれが誰かなんてどうでもいいだろ。それより、お前んとこの娘は預かっている。返して欲しければ明朝、海浜公園近くの二六番倉庫まで来い。ひとりでな。警察なんかに知らせれば、娘がどうなってもしれねえぜ」

 言うだけ言うと、男は一方的に通話を切ってしまった。俺は何度か呼びかけてみたが、返答はなく、その場は一旦携帯を閉じた。

 目の前には、胸元に手を添え不安そうな面持ちの円がいる。会話の内容は聞こえていなかったらしく、

「どうしたの?」

 と訊いてくる。

 もしこれがやつの言っていた通り、確定された未来なのだとしたら、今の俺にはどうすることもできない。ただ黙って、成り行きに任せるしかないのか。

 ぎりぃ、と奥歯が鳴る。このまま円を置いて走り出したい衝動に駆られたが、もしかするとこいつの身にも危険が及ぶかもしれない。

 一瞬の逡巡のあと、俺は円の手を取り、円の家を目指して走り出す。

「えっ、ちょっ、何!」

「説明している暇はない。急げ!」

 公園の脇を通り、坂道を駆け上る。後ろで円が目を白黒させているが、そんなことにかかずらっている場合ではない。

 約二十分かかる道のりをものの数分で走破した。円は膝に手をつき荒い息を吐いている。かくいう俺も肩を激しく上下させていた。

「何だって……いうの……」

「お前は家から一歩も出るな」

「……椿は、どうするの?」

 円の表情は先ほどと変わらず、不安そうだった。

 事情を知っているわけでもないだろうに、それでもろくでもないことが起こっているであろうことを感じているんだろう。それを思うと、少しばかり胸が痛くなる。 

 俺はできる限り笑顔を務め、

「そんな顔すんな。また直ぐ来るからよ。そんときは楓といっしょにメシ食っていっていいか?」

「うん……いいよ。その代わり、絶対また来てね」

 円の表情から、不安の色は消えていなかった。

 それでも、心なしか明るくなったように感じる。

 俺は円と別れ、走り出した。


          6


 やつは明朝に海浜公園近くの倉庫に来いと言っていた。そこは俺たちにとって幼いころからの遊び場であり、言ってしまえば庭のようなものだった。

 だいたいの地理は、把握している。誰にも見つからずに遊べる俺たちだけの空間。工事の人に見つからないよう考案した移動経路。

 そして、俺たち三人の夢を描いた岩のある場所。

 俺はその岩を優しく撫で、そこに描かれているみっつの願いに目を通す。

 世界が平和でありますように。夢が叶いますように。

 ――みんなでずっと一緒にいられますように。

「これ、円のだな」

 子共ながらの拙い文字。でも、確かにそこにある思い出の光景。

 俺は倉庫の扉を開け、中に入る。倉庫内は暗く、人がいるような気配はない。

「本当に、ここに楓がいるのか?」

 呟き、歩を進める。二、三歩歩くと、突然横殴りの衝撃に襲われた。二転三転と床の上を転がる。呻き声が聞えた。それが俺自身が発したものであると認識するのに、数秒かかった。

 何が、起きた……?

 起こった出来事に理解が追いつかない。

 顔を上げると、目の前に男がいた。暗くて表情を見て取ることはできないが、薄気味悪く笑っていることだけは辛うじて分かった。

「お、まえ……」

「んん……なんだあ、お前は?」

 聞き覚えのある声。放課後、円と一緒に帰ってる途中、電話で聞いた声とよく似ていた。

「お前が……楓を……」

「? もしかしてお前、あの娘の関係者か?」

 俺は体中に力を込め、よろめきながら立ち上がった。

「そうだ。楓を返してもらうぞ」

 鋭く、男を睨みつけた。男は驚いたような、可笑しいといったような表情を作って、

「ひゃっは! こいつは驚いたな。確かに警察には知らせるなとは言ったが、まさかこんなガキがひとりで乗り込んでくるとはな」

「てめえ! 楓は無事なんだろうな!」

「くく、そう心配しなくても何もしちゃいねえよ」

 そう言うと、男はポケットからトランシーバーのようなものを取り出すと、それを耳に当てて二言三言言葉を交わす。

仲間がいるのか?

男はトランシーバーを仕舞うと、倉庫の奥のほうを顎で示した。

「見てみろ」

 俺は男を警戒しながらゆっくりと示されたほうに目を向ける。すると、そこにはぐったりと横たわる楓の姿が照らし出されていた。

「楓!」

 俺は痛む脇腹を押えながら、楓の許へ行こうと駆け出す。しかし、数メートルも行かないところで、男が俺の前に回り込んできた。

「退け!」

「そいつはできねえな。まずは金が先だ」

「あるわけねえだろ、そんなもん!」

 約束は明朝だった。それより前に来てしまったのだから、金の用意なんかあるはずがない。いや、たとえ要求通りにここを訪れていたとしても用意なんかできないし、するつもりもなかった。

 ただ楓を助ける。それだけだ。

「どうしても退かねえつもりか?」

「言っただろ? 金が先だって。ここに来たってことは、朝を待つまでもなく用意ができたってことでいいんだよなあ?」

「……どうしても退かねえってんなら、しょうがねえな」

「あん?」

 男は摩訶不思議とでも言いたげに眉根を寄せる。俺は男を睨みつけ、怒気を含ませて口を開く。

「力づくで、そこを退かす」

 俺のその言葉に、男はしばらく呆然とした表情になり、声を上げて笑いだした。

「なに言ってんだよ。無理に決まってんだろそんなもん。こっちにゃこんなもんもあるんだぜ?」

 と、男が取り出したのは拳銃だった。六発装填式のリボルバー。

「くっ……」

 拳銃を見て、思わず眉間に皺が寄る。ぎり、と奥歯が音を鳴らし、額を嫌な汗が伝う。

 男は俺に銃口を向けている。この状況を打開するためには、どうしたらいい?

 考えても、答えは出ない。ちら、と楓のほうを見やる。手足がぴくりとも動かない。だが、胸は上下しているから死んではいないようだ。ま、もし死んでいるんだとしたら俺がこいつとさっきトランシーバーで会話していたもう一人を殺すんだけどな。

「……そうだ、こんな拳銃なんかにびびってられるか」

 呟き、男を見据える。やつは俺の態度が変わったのを感じたのか、それまでのにやついた顔から、抜け目ない表情に変わる。

「おい、妙なマネすんなよ。じゃねえとお前だけじゃなく、あの娘の命もねえぞ!」

「やってみろよ。もしそうなった日には、俺はお前を許さねえ!!」

 男が一歩たじろぐ。俺は、一歩前に進む。

「楓を……返せ!」

 俺は拳を固く握り込むと、男に殴り掛かった。男はとっさに拳銃を構え、引金に指を掛けるがそんなことは関係ねえ。

 俺の拳が男に届くより先に、引金が引かれる。耳をつんざくような破裂音が轟き、俺は右肩に激しい痛みを感じた。俺の体は後ろに吹っ飛び、そこにあったドラム缶の束を薙ぎ倒す。

「ぐう……てめえ……」

 呻き、右肩を抑える。手のひらをみると、真っ赤に染まっていた。

「ひゃははははは! どうしたあ、さっきまでの勢いは」

 痛みを堪え、片目を開け男を見る。男は詰め寄り、銃口を俺に向けた。

「んじゃあな。あの娘もじきお前のところに送ってやるよ」

 言って、ゆっくりと引金に描けた指を引いていく。

 くそ、ここまでなのか……。

 そう思い、半ばあきらめかけていた。楓はおろか、自分すら守れないのか、と。

 差し迫る死の恐怖に体中が強張り、上手く起き上がることができない。思わず目を瞑る。

 一秒がやけに長く感じられた。一向に訪れない死を不審に思い、おそるおそる片目を開ける。

 何、だ……?

 眼前には引金に指を掛け、勝ち誇ったような笑みを浮かべて静止している男の姿があった。

「どう……なってる……?」

 俺はわけがわからず、目を剥いた。起きあがろうとして、肩に走る痛みで我に返る。

 何だこれは。どういう状況だ。どうなっている。何で止まっているんだ。

 そう言えば、この風景どっかで見たことある。昨日、ミラウジュと初めて会ったときに起こった現象とよく似ていた。

「まさか!」

 俺は素早く首を巡らせ、八方に視線を向ける。

 しかし、どこにもミラウジュの姿を認めることはできなかった。その代わり、男の背後に奇妙な黒い影のようなものが現れる。

 その影は徐々に人の形を成していき、黒い影の奥から赤い瞳が鋭く俺を見下している。俺はその瞳に恐怖した。体中が小刻みに震えている。

「だ、だ……」

 誰だ。そう言おうとしたが、言葉が出ない。男が銃口を向けてきたときよりも圧倒的な危機感を抱かせる。そもそも、本当に人間なのかすらわからない。

 黒い影は男の首元に腕を回し、男の首を締め上げる。しばらくして、黒い影は男から腕を放し、その体を横に放った。男はぴくりとも動かない。

 黒い影は俺の許まで歩み寄ると、ゆっくりと言葉を発した。

「――松瀬椿。貴様に話がある」

 黒い影は頭部らしきところに手を掛け、被っていたものを剥ぎ取る。

 現れたのは、見知らぬ少女。でもどこかであったことがあるような、不思議な感覚がある。

 彼女は俺のそばで膝を折ると、

「私のこと、覚えているか?」

 その問いに、俺は首を横に振ることで答えに代えた。

「では、どの程度知っている?」

「……何がだ?」

「未来人、それから未来について」

「ほとんど知らない。時間を行動したり、時を止めたりできるってことくらい」

「その程度か……」

 少女はふむと顎手を添え考え込むような仕草をする。

 何を企んでいるんだ、こいつは。

 俺は突如として現れたこいつに、疑念を抱かずにはいられなかった。さきほど男をあっさり殺してしまったことと言い、おそらく、あまり信用できないだろう。

 少女は耳元に手を当て、ひとり言を口にする。

「やはり〝やつら〟にとって都合のいい部分の記憶しか思い出していないようだ。……ああそうだ。わかった。今から試みる」

 少女は耳元から手を離し、俺に向かって手を伸ばしてくる。

「何する気だ!」

「動かないで!」

 少女の一喝で、俺の全身から力が抜ける。身動きが取れず、されるがままだった。

 少女は俺の額に人差し指を当て、

「スキャン開始。プロテクトチェック完了。解析開始。解析終了。プロテクト全解除開始。シリアルコード『クロニクル』」

 少女のひとつひとつが鼓膜を震わせる。その度に俺の中で、何かが弾けるような感覚があった。そして、それまであった違和感が一気に解消されていく。

 全て、思い出した。


          7


 楓を連れて家に帰ると、ソファの上で円が眠っていた。俺は楓を部屋まで運び、自室から毛布を持って階下へおり、そっと掛けてやる。

「こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」

 俺はリビングを出ようと踵を返す。すると、円の声が聞こえてくる。

「どうしたの……椿……」

 とっさに振り返る。が、円は眠っていた。どうやら、ただの寝言だったようだ。

 あのあと、あの男に打たれた俺の肩をどうやってか現れた少女、萩村しのぶが手当してくれた。

 彼女が言うには、未来人によって俺の記憶にはプロテクトが掛けられていた。それを、萩村が解いてくれた。それにより、今まで感じていた違和感にも説明がつく。

 幼いころから、俺と円、一ノ瀬光司は三人でつるんでいた。何をするにも三人で行動していた。

 なぜ、今まで光司のことを忘れていたんだ……。

 俺は自室のベッドに腰掛け、アルバムを開いた。案の定、円、楓といっしょに撮ったものはあるが、光司の映っているものは一枚もなかった。

「全部、嘘だったってのか……」

 そこで、こんこんと部屋の扉がノックされる。誰だ、こんなときに。

 俺は若干いらっとしながら扉を開けた。そこにいたのはミラウジュだった。神妙な面持ちで立っている。

「どうした?」

「……話があるの。ちょっと付き合ってくれない?」

「今はそんな気分じゃ……」

 断ろうとしたが、ミラウジュの表情を見てしばし考える。その後、首を縦に振り彼女のあとに続いて外に出る。

 外は雪が降っており、かなり寒い。俺はマフラーに顔を埋め、身を震わせる。

「で、話って何だ?」

「少し歩きましょう。こんなところにいて、万が一彼女たちに聞かれでもしたらあなたも困るでしょう?」

 別に困りはしない、と言いたいところだがそうとも言えない。もしあのふたりに聞かれて捲き込むことになった、なんてことにはしたくない。

 そうしてしばらく歩いていると、見覚えのある場所に辿り着いた。昔、俺と円と光司の三人でよく出入りしていた廃ビルだ。

 いや、光司はここにきたことないんだっけか。

「ここなら話をするのにぴったりだろ」

 そう言って、廃ビルを指差すと、

「……そうね。ここなら問題ないかも」

 ということで、俺たちは廃ビルに入った。階段を上り、屋上に出る。

 夜風が冷たく、手すりにはうっすらと雪が積もっていた。

「じゃ、聞こうか」

「ええ。まず、謝っておこうかしら。ごめんなさい」

「何で謝んだよ?」

「私、あいつを止めるつもりだったの? それが任務だったから」

「……そうか。でも、それって言っちまっていいのか?」

 ミラウジュはイタズラの見つかった子共のようなはにかんだ笑みを浮かべて、

「こうなったらもう終わりよ。全部ぶっちゃけるわ」

「俺は別にいいけど……」

「そっ、なら別にいいでしょ。続けるわよ。どこから聞きたい?」

「んじゃ、何で俺が記憶を制限されていたのかってところ」

「そんなの簡単よ。萩村しのぶとそれを取り巻く事実についてあなたは知らないほうがいいと判断されたから。だから私たち『BAN』によって記憶にプロテクトが掛けられていたのよ」

「それじゃあ、どうしてお前は俺の記憶を呼び起こしたんだ。しかも中途半端に」

「それは、萩村しのぶがあなたの許に現れると私たちは知ったからよ。萩村しのぶは必ずあなたの前に姿を現す。だったら、あなたに協力してもらった方が都合がいいでしょ?」

「……そうかよ」

 俺は手すりに手を掛け上空を見上げる。肝心な質問を口にする。

「光司は、どうしてる?」

「一ノ瀬光司のこと? それなら心配ないわ。彼はもともと未来の人間だもの。彼は帝<カイザー>として『BAN』の指揮をとっているわ。もともと『BAN』は彼の作った組織だしね」

「そう、なのか?」

「そうよ。だから心配ないわ。私たちの活動理念は〝正義を司る〟だから」

 そうか、光司は生きているのか。だったら、俺は何も言わない。

 黙り込んだ俺をどう思ったのかミラウジュは俺のそばまで歩み寄り、隣に立つ。

「まだ何か聞きたいこと、あるかしら?」

「いいや、気になっていたことは全部聞けた。だからもういい」

 その後、俺たちは廃ビルを出て、二手に別れた。俺が右に、ミラウジュが左に。お互い何も言わずとも解っているはずだ。もう二度と、会うことはないだろう、と。

 上空は黒く、闇に包まれていた。降り積もる雪に、ひとつの予感を抱く。

 明日は、寒くなるな。



                               おわり

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