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決して拭えぬ過去のために

ショーじき微妙だなーって思います。

 


 そのむかし、まだ俺が小三くらいのときのことだ。一度だけ光司とケンカになったことがある。原因は確か、光司が俺の大切にしていた何かを失くしてしまったことだったと思う。何だったかは、よく覚えていない。

 幼かった俺は激昂して光司に殴りかかり、光司がそれに応戦。取っ組み合いの殴り合いにまで発展した。大人が仲裁に入って、ようやく収まるほどだった。俺たちの横で、円が声を上げて泣いていた。

 その夜、自宅に電話がかかってきて、円の父親が慌てた声で「円は来ていないか」と尋ねてきた。俺の母親は来ていないと答え、どうしたのかと尋ね返した。円の父親は円が家にいないと言い、心あたりに連絡して回っていると言う。俺は母親の一挙一動からことのいきさつを大まかにだが察し、慌てて家を飛び出した。

 心あたりが、あるにはあった。だが、確信があったわけではない。それでも、走らずにはいられなかった。

 たぶん、あそこだ。

 向かったのは、俺たち三人が秘密基地と呼んで遊んでいた廃ビル。特にこれといった理由はなく、円がいるとしたらそこしかないだろうと思っただけだ。

 廃ビルの前に着くと、息を整えるのもそこそこに中に入っていった。階段を駆け上がり、一気に五階まで到達する。三つある部屋のうち、真ん中の部屋の扉を開け放つ。

 円の名前を叫びながら、中に入る。が、返事はない。部屋中を見回すが、円の姿はどこにも見当たらなかった。

 俺は扉を閉めることも忘れ、慌てて上階に向かった。

 あの部屋意外に円がこの廃ビルを訪れるとすれば、あとは屋上くらいしかない。息を切らせて屋上に出る。両膝に手をついて、浅い呼吸を何度もくり返す。

 しばらくして爆発しそうだった心臓の鼓動が落ち着きを取り戻し、それに伴って呼吸も平常へと戻っていく。顔を上げ、正面を見た。

 そこに、驚きを体中で表現した円がいた。俺はホッと安堵の息を吐き、彼女に歩みよった。二言三言言葉を交わすと、円は突然駆け出し、そして――


          2


「『もしかすると、明日というのは過去を繰り返しているだけなのかもしれない』」

「唐突になにを?」

 俺がむかし読破した小説の一節を口ずさむと、萩村は苦い顔をした。俺はそんな萩村を一瞥して、

「……で、これからどうするんだ?」

 俺の問いに、萩村が腕を組んで考え込むように目を閉じる。彼女から目を逸らし、眼前にそびえ立つ摩天楼を見上げた。

 俺たちはいま、過去を訪れている。何十年かむかしのバブル絶頂期。人々が土地を買いあさり、高層ビルをバンバン立て、金を湯水のように使うことができた時代。テレビの経済番組や小説なんかで見たことはあったが、実際にその時代に赴くのは初めての体験だ。

「そうだな……とりあえずこの人物を探す」

 萩村が腕組みを解除して写真を一枚取り出し、俺に見せてくる。俺はその写真を受け取って、そこに映っている人物の顔をまじまじと見つめた。

「誰だ? これ」

 写真に写っていたのは、三十代から五十代くらいの不精髭を生やしたオヤジだった。俺は萩村に写真を返して、ポケットから携帯電話を出した。圏外になっている。

「市ヶ谷光一。世界で一番最初にタイムマシンを作った男。そして、わたしが接触しなければならない人物だ」

「会って……どうすんだ?」

 萩村はちょうど手のひらに収まるくらいの小さな箱を見つめ、

「この人物に会って、タイムマシンの発明を止めさせる」

「……もし、止めたくないと言ったら?」

「そのときは……」

 萩村は口どもり、俺に背を向ける。「そのときは……」その続きを聞くことはできなかったが、彼女の態度からあまりいい考えではないと予想できる。

「それで、そのオヤジの居場所はわかるのか?」

「……街の外れに小さな小屋がある。大抵はそこで発明家として活動しているらしい」

「そう……なのか。でも、よくわかるな?」

「未来の人間にとって、過去の把握なんて朝飯前。わたしも、その技術と知識を利用させてもらっている」

 そう言うと、萩村は歩きだした。もうなにも語らないと背中で語っていた。

「やれやれ……」

 俺も萩村の背中を追うように足を踏みだした。


         3


 人々の行き交う雑踏の中で、俺は溜息を吐いた。ネオンの光に彩られた?華街はその大半が中年男性の群れで埋め尽くされていた。

 その人混みを縫うように歩を進めながら、俺は頬に一筋汗を流す。

 どうして、こうなった……。

 俺はちらと後ろを振り返り、そいつを見た。そこにいたのは萩村しのぶではなく、見知らぬ少女だった。

 冬海千加、と彼女は名乗った。芸能活動でもしているのか、全体的に地味な服装で野球選手が使うようなキャップを目深に被り、終始あたりを気にしている。

 年のころは俺と同じかひとつ下くらいだろう。つい先ほど、彼女が落としたハンカチを拾ってから、なぜかついて来ているように思えてならない。たんに、目的地が同じか近くってだけかもしれないが。

 というか、萩村はどこに行ったんだ? さっきから姿が見えない。

 俺は冬海から視線を前へと戻す。

「ねぇ、さっきから私の前にいるけど、もしかして私のファン?」

「お忍びで遊びに来ているのならそんなことは言わないほうがいいぞ。ファンならサインのひとつもねだってる」

「冗談よ。だいいちキミ、私のこと知ってる?」

「知らん。アイドルかなにかか?」

「ご命答。グループ名とか、詳しいことは言えないけど」

「興味ない。というか、お前こそ俺の後ろついてくるけど、俺に気があるのか?」

「そんなわけないでしょ。セクハラよ、それ」

「冗談だ」

「初対面の人間にそんなこと言うもんじゃないわよ」

「……ふん」

 お互い様だろ。

 俺が角を曲ろうとしたとき、冬海が腕を掴んできた。

「ちょっと付き合いなさい」

「はぁッ……なんでッ」

 俺の疑問をものともせず、冬海が手を引いていく。冬海の手の暖かさに、少しだけドキッとした。

「どこいく気だ。っていうか、こんな時間にどっか行ってもすぐ閉まるだろ」

「へーきへーき。いいから付いてきて」

 ぐいぐいと進んでいく冬海に引きずられる形で、俺も暗い夜道を歩いていく。どこ行く気だろう。初対面の人間相手に。

 俺はとくになにも言わずに大人しく付いていく。目的地に着くまで、俺たちは無言だった。人通りのない路地を抜けて、その後はしばらくまっすぐ進み、付き辺りの角を左折する。

 そして、目的の場所に着いたのか、冬海が足を止めたのは表に立ち入り禁止の札が立てられた廃ビルの前だった。

「さぁ、着いたよ」

 冬海が手を離し、自慢げに腰に手を当てる。

「私たちのお気に入りの場所よ。特別にキミにも教えてあげる」

「ありがとう……」

 俺はその廃ビルを見上げたまま、放心状態にも近い心境に陥っていた。

 なぜなら、その廃ビルは俺の記憶の中にあるあの廃ビルとよく似ていて、どうしようもなく懐かしい感じを受けてしまう。

「……ここは?」

「私と堅志と先生の秘密基地よ。裏手にちょうど人ひとりが通れるくらいの穴が開いていて、私たちはいつもそこから中に入っているの。昔は里美も一緒に遊んでいたんだけど、最近はどうも付き合いが悪いわね」

「里美……武原里美か?」

「そ、そうよ……知ってるの?」

 冬海が当然の疑問を口したが、俺はそれを無視して彼女の肩を両手で押さえつける。

 武原里美……それは俺の母親の名前だ。いまは結婚して松瀬になっているけど、母親の旧姓が武原だと前に聞いたことがある。

「痛い、放してッ!」

「あ、ああ……スマン」

 冬海が身をよじり、俺は手を離した。彼女の体温が感じられなくなり、少し寂しい。

 俺は冬海から目を離し、立ち枯れたかのように寂しく佇む廃ビルを見上げる。

 むかし、まだ俺が小学校に入ったばかりのころ、母さんがこの場所を教えてくれた。「お友達三人とよく一緒に遊んだ場所よ」と嬉しそうに微笑んで話してくれたことを、いまでも覚えている。あのときの母さんの優しい表情は、決して忘れることはできないだろう。

「むかしっから、こんな感じなんだな……」

 胸の奥から込み上げてくるものがある。廃ビルに入っていく、光司と円の幼いころのビジョンが見える。

「……どうして、この場所を俺に?」

「ん~……なんでだろ? キミ、どこか里美に似ているんだよね。それで、かなぁ?」

 冬海が首を傾げて唸る。俺はそんな彼女の様子を横目で見ながら、ほぅ、と息を吐く。母さんも、この場所で青春時代を過ごし、そして父さんと出会ったのだろうか。この時代なら、もしかしたら父さんの顔が拝めるかもしれない。

「やっぱり、あれが原因かなぁ……」

「? なんだ?」

「いや、里美が来なくなった理由、心あたりがあるんだよね」

 言って、冬海が考え込むように表情を険しくする。武原里美……母さんがこの場所を訪れなくなった理由はわからない。でも、ぼんやりとだが母さんの考えていることがわかる気がする。

 たぶん母さんは、冬海と堅志とやらに気を使ったんだ。

「……まるで、俺たちみたいだな」

「ん? なにか言った?」

 冬海が考えごとを中断して不思議そうに言ってくる。俺は顔の前で手を振り「なんでもない」と取り繕う。

 俺と光司と円の関係も、この人たちと似たようなものだ。本当は円のことが好きなのに、円は光司のことが好きだ。なまじ十年以上一緒にいるから、そんなわからなくてもいいことまで分かってしまう。

 幼なじみって、いやな関係だな。

「キミ、大丈夫?」

 冬海が不安そうな表情でのぞき込んでくる。このとき、俺はどんな顔をしていたのだろう。俺は心配には及ばないことを態度で示し、廃ビル指さした。

「入ろう」

「う、うん」

 俺は冬海に背を向け、裏手へと回る。冬海も最初は戸惑っていた様子だったが、しばらくして小走りに後を追ってきた。

 ガラクタの山を超え、大量に生えた苔に足を取られそうになりながら奥へと進む。中ほどあたりで足を止め、壁に手をつく。

 確かここに、人ひとりややっと通れるくらいの穴が開いていたと思うんだが、この時代にはないのか?

「? 何してんの?」

 今度は冬海が首を傾げる番だった。彼女の質問に、残念ながら俺は答えることができない。まさか「十年ほど未来には、ここに穴が開いているんですよ」とか言えるはずがない。

「いや、べつに……」

 言葉尻を濁して壁から手を離す。

「ちょっとしたお呪いみたいなもんだ。気にしないでくれ。それよりどっから入るんだ?」

「あっ、それじゃあこっち」

 言って、冬海が先頭をいく。ガラクタの山のほうに引き返すという面倒な手段は取らずに、そのまま奥へと突き進む。一旦廃ビルの正面まで回り、正面入り口からビル内へと足を踏み入れる。

「正面から入って大丈夫なのか? 不法侵入とか言われんじゃねぇ?」

「大丈夫だよ。このビル、もとは先生の知り合いのものだったらしいんだけど、しばらく使うことないからって快く開放してくれたんだ。ま、全部先生のおかげだけど」

 冬海は受付と思しきカウンターを乗り越えて、鍵の束を手にして戻ってきた。その鍵を使い、非常階段の扉の鍵を開け、階段に足をかける。

「なぁ、さっきからちょこちょこ出てくるが、その『先生』ってのは何者なんだ?」

「よくわからない。でも、すごくいい人なのは間違いない」

 よくわからないのに、なんでいい人ってわかるんだ? 俺にはあんたがよくわからねぇよ。

「名前は?」

「さぁ?」

「住んでる場所は?」

「さぁ?」

「その人の好きな食べ物は?」

「さぁ?」

 なにも知らんのか。そんなんでよくいい人なんて言えたな。

 数分後、俺たちは廃ビルの屋上に出た。冬海が小走りで落下防止用の鉄柵のそばまで駆け寄り、そして振り返る。

「どう、綺麗でしょ?」

 俺は彼女のそばまで歩み寄り、彼女の目線を追って眼下を見やる。

「……すごいな」

 目の前には、ネオンの光やビル群の明かりなどでライトアップされた夜景が広がっていた。車のライトが幾重にもうねり、人々の生活がそこにはあった。

 それは有り得ないほど超常的で、でもどこか幻想的でロマンチックな風景だった。

「でしょでしょ。私のお気に入りの場所なんだ。ここに来ると、すっごい元気出る」

 冬海は目を細め、うっとりとした表情で夜景を眺めている。確かに、この光景を見ればどんなに落ち込んでいても元気が出るだろう。俺の住んでいた時代にはこの光景はまず拝めなかった。建物の配置などはそう変わっていないが、そのほとんどが明かりを発することはない。たいがいの企業や店舗はバブルが弾けると同時に、倒産したり店じまいしたりで、まったくと言っていいほど活気が無くなっている。

「……こんなふうだったんだ」

 この景色を、俺たちは見ることができない。母さんがよく「むかしはよかったのに……」と嘆いていた理由が、これでわかった。

 確かに、この風景は素晴らしい。冬海も、これまで接する限りにおいては悪いやつじゃなさそうだし。

「どう、キミは元気出た?」

 冬海が俺のほうを向き、そう問うてきた。俺はわけがわからず、問い返す。

「いや、初めて会ったときからなんだか難しそうな顔してたから、なんか悩み事でもあるのかなって思って。もし悩みがあるなら言ってみて。力になれるかもしれない」

「…………」

 俺は少しだけ考え、冬海に手を振った。

「いや、止めておく。お前には関わりのないことだし、力になれるようなことでもない。ましてや解決できるような話でもないしな」

「そんなあっさりッ!」

「この景色を見せてもらえただけで十分だ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。助かったよ。じゃあな」

 立ち去ろうと背を向け、入って来た扉へと向かう。ノブに手を掛けると、左手を掴まれた。

「待って。私、キミの力になりたい。お願い、私に出来ることってない?」

 冬海が捨てられた子犬のように潤んだ瞳で見上げてくる。俺としては特別手伝ってもらうことなどなく、そんな目をされても正直対応に困る。

 考えた挙句、俺はポケットから一枚の写真を取り出し、冬海の眼前で掲げて見せた。

「この人のこと、知ってるか?」

 冬海は俺から写真を受け取ると、そこに映っている人物をまじまじと見つめた。

 わからないと言ってくれれば、そこでこの話は終わりだ。とっとと市ヶ谷光一の捜索に戻るだけだ。

「知らないのならいいんだ。それを返し――」

「これ、先生だよ」

 俺の言葉を遮るようにして放たれたその一言は、俺の動きを、思考を、時間を止めるには十分すぎる一言だった。

「先……生? その人が?」

「うん、間違いないよ」

 冬海が自信たっぷりに断言する。嘘を言っているふうではない。だとすると、本当のこと? 今日偶然会った母さんの友達が、タイムマシンの発明者と知り合いだってのか?

 そんな偶然が、本当にあるのか……?


          4


 翌日、最悪な気分で目が覚めた。原因はおそらく、この固い地面にテントを張って寝袋で眠るという、人生で初の体験を一度にふたつも行ったからだろう。本当はひとつずつ経験を積んで、キチンと体を順応させるべきなのだ。アウトドアは知識より経験を必要とすると俺は思う。

 とまあ現実逃避気味にそんなことをつらつらと考えてはみたものの、ひとたびテントから顔を出せば、ここがもと住んでいた時代でないことを容易に思い出させてくれる。

 天に高くそびえ立つバベルの塔のごとき巨大なビルに、俺の時代じゃ考えられないくらいの家賃を誇る高層マンション。あちこちにある広告の売り文句は、この時代ならではの値段設定で客を集めようと愛嬌を振り撒いている。だが、そのどれもが似たり寄ったりで工夫のくの字も見あたらない。

 きっと、放っておいても売れるからだろう。さすがはバブル全盛の時代。

 俺はテントから完全に出て、大きく伸びをする。陸橋の下で火を焚いているホームレス歴十八年の佐藤さん(五八)の姿が見えたので彼の下まで歩み寄る。

「おはようございます、佐藤さん」

「おお、あんちゃん。おはようさん。もうすぐ朝飯できっからな」

 そう言って、佐藤さんはニカッと黄色い歯を覗かせる。正直言ってゾクッとしたが、ここは言わないほうが正解だろう。

「昨日はありがとうございました。おかげで助かりました」

「いいってことよ。困っているときにゃお互い様だ。おれに出来ることは少ないが、寝床を用意してやることくらいならできっから、まぁゆっくりして行けや」

「いえ、長居するつもりはありません。もう行かないといけませんから」

「まぁそう言わず、座れや。あと二分もしたら完成だからよ」

 立ち去ろうとした俺を、佐藤さんは半ば強引に自分の真向かいに座らせた。俺は戸惑いながら、ぐらぐらと煮詰まっている鍋の中身を見た。どうやらインスタントラーメンのようだ。

 二分後、佐藤さんがどんぶりにラーメンをよそって俺に渡してくる。俺はおずおずとそのラーメンを受け取り、その後ハシを受け取った。俺がハシを受け取ったのを確認すると、佐藤さんは満足そうに頷いて自分の分のラーメンをよそった。

「昨日の晩からなにをそんなに慌てているのか知らねぇが、少し落ち着いたほうがいいぞ」

 俺の心中を見透かしたかのように、静かな声で佐藤さんが言う。

「あんちゃんの近くでなにが起こったのか、いまなにが起こっているのか、そしてこれからなにが起ころうとしているのか、ただの家無しのおれにはわからねぇ」

「……行かせてください」

「ダメだ」

「なぜです?」

「まぁ聞け。おれは昔、家内と娘を殺した」

「…………」

 突然の告白に、俺は深く息を吐いた。しかたなく座り直し、彼の話に耳を傾ける。

「もう五年も前の話になる。おれは週末になると必ずパチンコに行くんだが、その日はなかなか勝てずにイライラしてたんだ。持ち金も底を付いていたし、家に帰ろうと帰路についた。その途中で人の良さそうな男が近づいてきて、上手い儲け話があると近づいてきた。おれはその儲け話にまんまと引っ掛かって、女房と娘が自殺。息子は……おれのことを怨んでいるだろうな」

 佐藤さんが悲しそうな表情で空になった鍋の底を見つめている。俺は彼の語った話からなにも掴むことができず、だからと言って口を挟む気にもなれずにただ黙っているしかなかった。

 いったい、なんと言えばいいのだろう……。その答えを出すには、俺はまだ知らないことが多すぎる。

「ま、湿っぽい話になったが、おれが言いてぇのはたったひとつだ。焦ったり、イライラしているからって安易な考えに走っちゃいけねぇ。まずはこうして落ち着いて、じっくりと考えを整理してみることだ」

 佐藤さんが笑みを見せる。俺は目を閉じて数秒間考え、

「わかりました。でも、俺にはやることがある。安易な考えに走るつもりはありません。しかし、悠長にしている暇はないんです。行きますよ、俺は」

 立ち上がり、佐藤さんに背を向ける。

 そう、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないのだ。俺にはやるべきことがある。萩村の言っていた『奴隷狩り』。その悲劇を止めるために。

 市ヶ谷光一のタイムマシン発明を止める。

「ったく、面倒なことしてくれてんなぁ」

 唐突に、目の前に男が現れた。その男はニヤニヤと笑みを浮かべ、男の後ろからさらに数人の人間が姿を現す。その手には、手のひらに収まるくらいの大きさの箱のようなものが握られている。

「へへへ、まったくだぜ。お前みたいなやつが現れなきゃ、俺たちもこんなとこに来なくてすんだのにな」

「んじゃ、とっとと始めよう」

 男たちは俺と佐藤さんを取り囲んだ。俺は直ぐに首を巡らせて、いまの状況に対する打開策を思案する。が、いくら考えても突破口を見つけられない。

 正面突破しかないか。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 俺は両足に力を込め、正面の男にタックルを仕掛ける。しかし、俺の猛攻はなんなくいなされ後頭部に手刀が打ち込まれる。俺はその場に倒れ込み、意識が遠のいていく。襲ってくる睡魔に抗うことができずに、まぶたが重くなる。

 完全に意識が絶たれる直前、男たちの話し声が少しだけ聞こえてきた。

「さすがは過去の人間だな。ずいぶんと野蛮な野郎だ」


          4


 二度目の目覚めは、最悪を通り越して悪夢のようだった。まるで罪人のように足を縛られ、柱にくくり付けられている。

 こんなことされなくても、逃げらんねーって。

 俺は上方にある小窓に目をやる。見覚えの無い景色があるだけで場所を特定するだけの情報を得ることはできない。

 目の前には、コッペパンと水が容易されていた。幸い両手は縛られたりされているわけではないので、そのコッペパンと水で胃を満たす。

「ふぅ……」

 さて、どうするか。まずは現状の把握と起こったことの整理だな。

 なにが起こったかについては、まぁだいたいの見当は付く。未来人に拉致監禁された、そんなとこだろう。やつらが現れたときに持っていたあの箱と、最後に聞いた言葉から用意に想像できる。

 では次に、現状の把握だな。

 ここはどこだろう。未来人たちのアジトであるということはわかる。しかし、それだけだ。ここが未来なのか過去なのか、日本なのか外国なのか、なにもわからない。しかも両足を柱に縛られているという体たらくだ。できることなど、ほとんど無い。

「……カッターとかあればなぁ……」

 無いものねだりをしてもしょうがないことはわかっている。しかし、ぼやかずにはいられなかった。

 ……なんだかなぁ。ここまで現実離れしたことが次々に起こると、さすがに危機感を感じれないというか、事情がイマイチ飲み込めないというか。これで現実に起こっている事件だというのだから性質が悪い。

 コンクリで固められた牢獄のようなその部屋の床は冷たく、さすがにそろそろ限界だった。両手を床に付いて上体を起こすと、なんとか床の冷たさから逃れることができた。

 金属の軋むような音が聞こえてきて、俺は音のしたほうに目を向ける。

「やぁ、目が覚めたようだね」

 扉が向こう側から開けられ、馬鹿みたいに明るい光に思わず目を細める。逆光でシルエットしかわからないが、男が立っていた。全体的に細身で、さっき(どのくらい前なのかわからなが)襲撃者たちとは雰囲気から言って完全に違っていた。

「……誰だ、あんたは」

「まぁ、そう恐い顔をしないでくれたまえ。私の名はリッド。この時空犯罪刑務所<じくうはんざいけいむしょ>の所長をしている者だ」

「つまり、俺はいまお尋ね物の身というわけか」

「勘違いしないでくれたまえよ。いまは一時的に拘留しているに過ぎない。君はただ捲き込まれただけだ。ことが終われば直ぐに釈放する」

「拘留しているだけにしては、ちょっと手荒じゃないか?」

 俺が足下を指さしてそう言うと、リッドと名乗ったその人物はなぜか可笑しそうに肩を揺らした。

「いやすまない。しかし、なんと言ってそそのかされたのかはわからないが、君が萩村しのぶ。彼女に力を貸すことは、我々にとって非常に迷惑極まり無いことだ。なので、少々手荒な措置を取らせて持った。悪く思わないでくれ」

 こいつ……萩村を知っているのか? 

「ここは君達で言うところの未来と称される時間軸だ。何のおもてなしもできないが、もしご所望ならこの時代の娯楽を紹介するが、いかがかね?」

「いらねぇよ、そんなもん。それより、この時代の連中が過去の人間を奴隷にしているって言うのは本当か?」

「……君は、萩村しのぶにそう吹き込まれたのだね?」

「質問しているのはこっちだ」

 リッドが溜息を吐き、やれやれとでも言いたげに首を振る。

「そのような事実は存在しない。君が萩村しのぶに何と言われたのか、まぁおおよその想像は付くが、君が彼女から聞いたことは全て偽りだ。彼女は、この宇宙世紀始まって以来の稀代のテロリストだよ」

「…………はっ」

 なん……だと? いまなんと言った、このおっさん。萩村がテロリスト? どういうことだ?

 そんな疑問が、俺の脳内を侵食していく。俺は首を横に振って、その疑問を頭の中から追い出した。

 なにを考えているんだ、俺は。そもそも、こいつが嘘を言っているかもしれないじゃないか。俺は萩村を助けようとしてこんな目に遭っているんじゃないか。彼女を疑うなど、本末転倒もいいところだ。

 そんなことをすれば、俺がここにいる意味そのものが無くなる。

 リッドを睨みつけ、

「それで、萩村に手を貸している俺が邪魔だから先に捕まえてしまおうと?」

「……まぁ、簡単に言えばそういうことになる。君と萩村しのぶを彼女に気付かれないよう引き離すのには神経を擦り減らしたよ。が、お陰で目論見通りに上手く行った。君は私達の計算通りに動いてくれたので助かった。彼女の捜索に手を貸して貰いたいところだが、過去人たる君では正直言って役不足なのでね。いまはそこで大人くしていてもらいたい」

「……いやだと、言ったら?」

「いやだと駄々をこねようとどうしようと、大人しくしていてもらう。君にここを脱獄するほどの知識や技術があるとは思えないここに監禁しておくだけでも効果はあるだろう」

「そいつは、どうかな?」

 俺はリッドに、にやりと口の端を吊り上げて見せる。意味ありげな表情を作り、精一杯の虚栄を張る。

 どう考えても脱獄の方法など見出せない。だが、ここで諦めるわけにもいかない。それでは、萩村たちを襲う悲劇を止めることはできない。

「……いい目だ。実に私好みだよ、君は」

 そう置き言葉を残して、リッドは去って行った。去り際、リッドは「この牢獄から、出れるものなら出てみるがいい」と目で語っていた。そんな気がする。

「やってやろうじゃねぇか」

 必ず、この部屋から脱出してやる。

「……ずいぶんと意気込んでるな」

 声のしたほうに目をやる。さっきまで、ずっとひとりだと思っていただけにさすがに驚いた。

 そいつは白い髪に白い囚人服。つぶれた片目といういかにもな外見のやつだった。

「……あんたは?」

「まず、他人に名前を訊くときにゃ自分から名乗るもんだぜ。なぁ、ぼーや?」

 そいつは口の両端を引き裂くような笑みを浮かべ、薄気味悪い笑い声を小さく立てて笑った。

 俺は警戒態勢をとったまま、自分の名前を口にする。

「松瀬……椿……」

「そぉか。いい名前だな」

「で、あんたの名前は?」

「ねぇよ、そんなもん」

「……はっ?」

 俺はわけがわからず、目を丸くした。いまなんと言った、こいつ。

「なんだ、その目は?」

「いや、名前が無いって……」

「そのまんまの意味さ。俺に名前は無い。ジェイソンでもクリスでもどざえもんでも、好きに呼んでくれ」

「じゃあどざえもんで」

「却下だ」

 なんだよ、自分で好きに呼べと言ったくせに。なんか萩村とも似たようなやり取りをしたような気がする。未来人ってのは、全員こんなふうなのか? あっ、萩村は未来人じゃないって言ってたっけ。

「アバラスと呼べ」

 真っ白な男が可笑しそうに言った。

「じゃあアラバス、さっそくだが教えてくれ。どうやったらここから出ることができる?」

「そんなことは不可能だ」

 即答。

 俺の質問に対し、アラバスは一秒の間を空けること無く返答した。俺は、その答えにはぁ、と溜息を吐く。

「そうか。なら仕方無いな……自分で探す」

「そう急くな。いまは出る方法が無いと言っただけだ。そのうち見つけるさ。だがしかし、わからないな」

 アラバスが笑みを崩さないまま、尋ねてくる。

「お前は大人しくしていればそのうち出られるんだろ? なぜそんなに脱獄したがる。黙って待っていればいいんじゃないか?」

「…………そういうわけにはいかない。やつらが迎えに来るのを待っていたんじゃ駄目だ。そんなことじゃ、助けにいけない」

「さっき言っていた、萩村しのぶか? テロリストのために残りの人生を投げ出すとは、到底正気とは思えないな」

「萩村はテロリストなんかじゃない。俺は信じている。あいつがやろうとしていることは正しいことだと。だから、助けに行きたい」

「…………」

 アラバスからの言葉は無い。不思議に思って彼を見ると、さっきまでの気色悪い笑顔を引っ込めて難しい顔で考え込んでいる。

 いったい、どうしたというのだろう。

「おい、どうしたんだ?」

「……椿、お前はいますぐここから出たいんだよな?」

「ああ、そうだが……?」

「なら、ひとつだけ方法が無いことも無い」

 その一言に、俺はアラバスのそばまで詰め寄り、胸倉を掴む。

「あるのかッ!」

「ぐぅ……落ち着け」

 アラバスが俺の手を払い除け、もとの位置に座り直した。上方を指さして言う。

「ここから外につながるところと言ったらさっきリッドの野郎が入ってきた扉とあの窓くらいしかない。そして、当然のように窓から出ることはできねぇ。とすると扉から出るしかなくなる」

「だが、どうやって?」

「四時間置きに巡回の看守が来る。ご丁寧に一部屋ずつ扉を開けて俺たちの様子を確認していくんだ。その看守を沈めることができれば、あとは刑務所の外までまっすぐだ」

「なるほど……で、次の巡回はいつなんだ?」

「そうだな……あと一時間といったところか」

「一時間……ちょっと長いが、仕方ないか」

 本当はこんな場所直ぐにでも出ていきたい。しかし、我儘を言っても始まらないことは十分に理解している。いまは耐えるしかない。

 それからは、一分が長かった。俺は部屋の中を行ったり来たりしながらときが過ぎるのを待った。まったくと言っていいほど、落ち着かない。

 いまごろ、萩村はどうしているだろうか。萩村には仲間がいる。仲間のもとへ戻ったのだろうか? それとも、ひとりで懸命に闘っているのだろうか? 俺がこんな場所に閉じ込められている間にも、彼女の身に危険が及んでいるかもしれない。そう考えると、胸が締め付けられるように痛かった。

 彼女を、萩村しのぶを救うと決めたはずなのに……。

「おい椿、少し落ち着け。もうすぐ巡回の時間だ。扉の脇に立て。俺が合図したら、看守の首を思いっ切り締上げろ」

「ああ。わかった」

 俺とアラバスは扉の脇に立って息を殺し、看守が扉を開けるのを待ち伏せる。

 キィ、といかれた蝶つがいが音を立てる。俺は口の中がからからに乾くのを感じた。いくら萩村を助けるためにとはいえ、こういったことをするのは初めてだ。正直、緊張する。

「いまだッ!」

 アラバスの合図とともに、俺は看守に飛びかかった。

「なッ……!」

 看守は襲われるなど思いもしていなかったのか、驚きのあまりに顔を歪める。俺は看守が仲間を呼ばないうちにカタをつけようと彼の首もとに手を伸ばす。が、そこはさすがに監獄で毎日のように犯罪者の相手をしているだけはある。看守は俺が伸ばした手を払い、すばやく俺のみぞおちに拳を叩きこんできた。

「ぐッ……ふぅ……」

 二、三歩よろめきながら後退して、その場に膝をつく。

「ったく……ん? 見ない顔だな。アバラスの野郎はどうした?」

 看守がアラバスの姿を探そうと首を巡らせる。その背後から、彼の手が伸びてきて、看守の頭と顎あたりに優しく添えられた。

「いままで世話になったな」

 一言、呟くようにそう言うとアラバスは看守に添えている手に力を込め、一気に首の骨をへし折った。

 ゴキィ!! と、嫌な音が部屋中にこだまする。

 俺は思わず耳を塞ぎ、目を閉じた。意味はないとわかってはいたが、そうせずにはいられなかった。数秒後、おそるおそる目を開ける。

 アラバスの足下には、看守が横たわっていた。ぴくりとも動かない。本当に死んでいるかどうか確認する必要があるのだろうが、顔を見る気にはなれない。

 人の死に、まだ慣れていない。

 そりゃ、いままでは人死になんて縁のない生活を送っていたから仕方ないのかもしれない。人間の死に、こんな形で関わること自体が初めてで、頭の中は真っ白だ。

「そんな顔をするな。これは仕方のないことだったんだ」

 呆然とする俺に、アバラスが抑揚の薄い声で言う。

「どうしても避けることのできない犠牲だった。必要経費だ。俺にはなさなければならないことがある。その目的をなすためにこいつは邪魔だった。だから殺した。お前にも、やらなければならないことがあるだろう?」

「……俺、は……」

 頭の中がぐるぐるする。吐き気を催し、胃酸が喉元までせり上がってきた。すっぱい味が口の中いっぱいに広がる。頭痛がして、アラバスをまともに見ることすら困難だった。

 だが、そんな状態でも俺の中にある目的は色を失わず、明確な道標となって俺の進むべき道を照らしていた。

 萩村を助ける。彼女が言っていた奴隷たちを解放し、この悲劇に終幕をおろす。そのために、こんなところで立ち止まっている暇はない。

 たとえ、この手を血に汚すことになったとしても……。

「萩村も、こんな気持ちだったんだろうか……」

 突然見知らぬ時代に連れてこられて、それからは奴隷としてこき使われる日々。奴隷解放を志した。

 彼女も、自らを汚してでもみんなを解放したいと考えたんだろうか。俺には、わからない。

 ただ、俺がやろうとしていることには必ずと言っていいほど人死にが出る。そのことに対する覚悟は決めなければならない。

「立て、椿。一時間もすればおかしいと感じた他の看守がやってくる。それまでに、できるだけ遠くまで行きたい」

 アラバスが倒れ伏した看守の体を跨ぎ、部屋の外へ出ていく。俺はゆっくりと立ち上がり、彼の後に続いて部屋を後にする。アラバスのもとまで駆け寄り、彼と並んで歩く。

「あんたはなぜ、あんなところにいたんだ?」

「あんなところ? さっきの居心地いいVIPルームのことか?」

「居心地いいかどうかはわからんが、まぁそうだ」

「なぜってそりゃぁ、俺が犯罪者だからだろ」

 予想していた答えが、アバラスの口から放たれる。ここは監獄だし、あそこは牢屋だ。そこで暮らしているのは犯罪者以外にいったいなにがあるというのだろう。

 ごく当然の質問をしてしまったことに、いまさらながら恥かしくなってくる。

 と、そのとき建物中にけたたましいほどのサイレンが鳴り響いた。

「な、なんだッ!!」

「おそらく、俺たちが脱獄したことがバレたんだろう」

「はぁ!? はやくねぇか?」

「俺たちのいた部屋もそうだが、この牢獄は全部屋が完全監視されている」

「でも、監視カメラなんか見あたらなかったぞ」

「そんな前時代的なもの、いまじゃ経費削減を謳う老人介護施設くらいにしかねぇよ。サーモセンサーと振動感知装置、そして見回りの看守。このみっつがあれば、俺たちなんか二十四時間完全監視できる」

「だが、そんなもん工夫次第ですぐに欺かれちまうんじゃねぇのか? やっぱり完全監視なんて無理じゃ……」

「無知なやつだな。この時代じゃ監視網もうをかいくぐろうとすれば、最新鋭の人工知能並の頭脳が必要になる。それに道具もいる。俺たち犯罪者がそんなものの類いを持ちこめると思うか? 脱獄したいんだったら、正面突破以外に不可能だ」

 アバラスの断定的な口調に、俺は少しだけ驚いた。最初にこいつを見たときは、どちらかと言うとふざけた野郎だと思ったが、どうもそうではないらしい。

 案外、しっかりしたやつなのかもしれない。そうとなれば、アバラスがこんな場所に囚われている理由が俄然気になる。

「おい待てッ!」

 背後から責め立てるような声が聞こえ、反射的に振り向く。男が三人、なにか棒のようなものを持って走って来ている。

「走れッ!」

 叫ぶのとほとんど同時に、アバラスが駆けだした。俺も、その後ろに続いて走る。

「出口がどこかわかってんのかッ!」

 半ば叫ぶようにして、アバラスに問う。なにせ気を失っている間に連れてこられたのだ。出口の所在など、俺には知りようがない。

「知らん。ここに連れてこられる連中は例外無く目隠しをさせられる。俺もそうだった。だからまぁ、テキトーに走ってろッ!」

「なッ……そんなんでいいのかよッ!」

「なんとかなるってッ」

 アバラスは、なんだか楽しそうだった。いったいなにが彼をそんなに笑顔にさせるのかはわからないが、いまはあまり歓迎できるような状況ではない。走りながら声を上げて笑い出すな。窒息するぞ。

「とりあえずあの角を曲ろう。その後は出たとこ勝負だ」

 三十メートルばかり直線コースを走った後、左右にわかれているT字を右に曲がる。チラッと後ろを振り返って見ると、まだ追って来ていた。

「そこの部屋に入ろう」

 アバラスが指さしたのは、彼から見て手前三番目の部屋だった。俺はひとつ頷いて見せると、物陰から転がるように躍り出て、アバラスのもとまで駆け寄る。

 アバラスはさきに部屋の中に入っていて、俺を手招きしていた。俺が彼の脇を通って部屋の中へ転がり込むと、すばやく扉を閉める。バタバタと足音が遠ざかって行った。

「ふー……なんとかやり過ごせたようだな」

 俺は扉に背中を預け、深く息を吐く。アバラスのほうを見ると、部屋の奥を見て目を見開いていた。

「おい、どうした?」

「……あれ」

 アバラスが震える指先で前方を指さす。俺は彼の指先に視線を向けて、絶句した。

「な、んだ……これ……」

 目の前に広がる光景に、思わず息を呑む。うまく言葉を紡ぐことができない。

 そこにあるのは、大量のカプセルだった。その中には、幾千人もの人間が薬品付けにされている。時折口元から泡のようなものが漏れている。まだ、生きてはいるようだ。

 しばらくの間呆然としていたが、ハッと我に帰り扉に耳を付けて外の様子を窺う。足音ひとつ無く、とても静かだ。

「ここから出よう」

 俺はアバラスの首根っこを掴み、その部屋から引きずり出した。廊下に人がいないことを改めて確認し、足音が遠ざかって行ったほうとは反対側に歩を踏み出す。

 どこに向かうというアテは無い。ただひたすら、どことも知れない出口を目指すだけだ。

 アバラスはさきほどの光景がよほどショックだったのか、さっきから一言も言葉を発さない。だから、俺が一方的に口を開く。

「あとどのくらいで出口だ?」

「…………」

「外に出たら、まずどうする?」

「…………」

「俺は人を探そうかと思っている。手伝ってくれないか? なにせこの時代のことは俺にはよくわからんからな」

「…………」

「おい、いい加減に……」

「さっきの……」

 俺が言いかけたところで、アバラスが口を挟んできた。沈んだ声で、彼は言う。

「さっきのアレ、どういうことなんだと思う?」

「さっきのって言うとあのカプセル詰めの連中のことか?」

「そうだ。アレはどう見ても……」

 俺の脳髄に雷にでも打たれたかのような衝撃が走り、思わず口を滑らせる。

「何かの実験のようだった……」

「そう考えるのが、一番妥当だろうな」

 俺の思い付きに、アバラスが同意を示す。三流映画にでも出てくるかのような設備だった。

俺は自分の爪先を見つめ、考え込む。

 この刑務所はただの刑務所では無い。あの設備は明らかに刑罰の執行のためにあるものではないだろう。さっきも言ったように、なんらかの非人道的実験を行っている可能性が濃厚だ。きっと、やっていることはろくでもないことに決まっている。

「なぁ、アバラス。お前さっき言ってたよな。この刑務所には完全無欠の監視網が張り巡らされている、と」

「ああ、この刑務所にはサーモセンサーを始め、あらゆる監視設備が目を光らせている。脱獄しようとすれば、下手に小細工に走るより正面突破が一番有効だろう」

「なるほど……」

 と、するならここにもきっと監視の目があることだろう。なら、さっきの部屋にも……?

「おい、とっととここを離れよう」

「ああ、そうだな」

 俺が先を急ぐことを提案し、アラバスがふたつ返事でそれを呑む。

 もしさきほど立ち寄った部屋にも監視のための設備があるとするなら、俺たちの位置など直ぐに特定されてしまう。いや、そもそもこの場でアバラスとふたりでいるところもモニタされているかもしれない。どちらにしろ、早々にこの場を立ち去るのが正解だ。

 俺たちは追手やそれに他の囚人に出くわさないよう細心の注意を払いながら、進んでいく。本当に出口に向かっているのか不安で仕方がないが、だからと言って足を止めるわけにはいかない。 

 ここは、信じて進むしかない。

「なぜ俺がこんなところにいるかと言っていたな」

 唐突に、アバラスがそんなことを言い出した。俺は一瞬だけ彼のほうを見て、視線を前へと戻す。

「なんだ、いきなり」

「お前が訊いてきたんだろ」

 角を左に曲がる。薄暗く、光量の少ない廊下には『節電』を謳う張り紙がされていた。こんな時代になってもこんなものを見かけるなんて、人類は案外成長してないんだな。

「気になるんだろ?」

「……まぁ、気にならないと言えば嘘になる」

「だったら、教えてやる」

「どういう風の吹き回しだ」

「ちょっと気が変わったんだ。まぁ聞け」

 そしてアラバスは語り始めた。自分の過去に関する物語りを。

「そのむかし、俺にだって恋人くらいいた」

 なぜちょっとケンカ腰? まぁいいけど。

「で、その恋人が殺されたんだ。その復讐をして、俺はここにいる。おしまい」

「はやっ! なんだそれ、むかし話になってねぇぞ」

「いやー、途中から面倒臭くなってな」

「途中からって……まだ序盤も序盤だったじゃねぇか」

 呆れてものもいえない……わけじゃないが、どうも締まらないな。気にならないと言えば嘘になる。なるが、言いたくないことを無理に聞き出すつもりもなかった。だが、そんなふうに言いかけられては気になるのが人間の性というものだ。

「それ以上、話す気はあるのか?」

「そうだな……とりあえず俺が稀代の殺人鬼だと言っておこうか」

 アバラスが歩を速め、俺の先を行きながら呟くようにそう言った。俺はかける言葉が見つからず、彼の背中をただ見つめているだけだった。

「もうそろそろだな」

「なにがだ?」

「出口」

 アバラスが前方を指さす。そこには、隙間から光の漏れる扉があった。俺は思わず駆け出し、扉を開ける。外の景色に、自分の立場も忘れて呆けてしまう。

 そびえ立つ摩天楼の合間から覗く満月が煌々と地上を照らし、その光が方々に細長い影を落としていた。

 しかし、そんな光景の他に、目を引く光景があった。

 時空犯罪刑務所の門の前に、総勢千人強の人間が詰めかけていた。

「なんだ、これ……」

 絶句。

 しかし、驚いたのはその人数の多さにではない。その集団を率いるかのように、萩村しのぶが腰に手を当て仁王立ちで立っていたのだ。

 萩村は口元に拡声器を当て、

『松瀬椿、よくやった! 我らが同志を助けるための準備は整った! これからが反撃の開始だ!』

 萩村は体を半転させ、後ろで待ち構えている仲間に向かって叫ぶ。

『おまえたち、行くぞ!!』

 萩村の背後の千人強が一斉に声を上げる。その迫力はまるで獰猛な猛獣のようだった。彼らひとりひとりが、その瞳に復讐の炎を燃やしていた。

 まるで、これが最後のチャンスだとで言うかのような気合の入れようだ。

 萩村の絶叫が、こだまする。

『突撃ぃ!!!』

 同時に、千人強が門を突き破って雪崩れ込んでくる。俺たちは身の危険を感じて、脇の避けた。

 それから、刑務所が制圧されるのは一瞬のことだった。俺とアバラスはぽかんと口を開け、その様子を黙って見ていた。

芝生が足首に当たり、こそばゆかった。


        5


 思えば、夢のような数時間だった。一週間くらいは経過したような気がするが、実際に俺がいなくなっていた時間は二時間から五時間くらいだったらしい。

 まぁ、そうなるように送り届けてもらったのだからそうなるのが当然というものだが、それでもなんだかやるせない気分になる。

 そんなわけで、いまの俺は若干ナーバスになっていた。教室の窓から外を眺め、小さく息を吐く。

 何だったんだろうな、あの時間は。

 結局、あの箱は見つからなかった。あの箱がなければ俺は今回のようなことに巻き込まれることはなかった。きっと、萩村と出会ってもスルーしていただろう。

 あのあと、萩村とは音信不通になってしまった。べつに恋仲になったわけでもないし、あいつはもともと別の時代の人間なのだからしょうがないのだろうけど、挨拶のひとつもなしに突然消えるってのはどうなんだろうか。

 まぁ、俺には関係のないことか。

「椿、帰るよ」

 円が俺を呼ぶ声が聞こえる。振り向くと、彼女の優しげな微笑が俺に向けられている。

「あぁ、いま行く」

 俺は鞄を肩にかけ、席を立つ。そこで、俺はふと違和感を感じた。

 何かが足りない。でも、なんだ? なにが足りない? うーん……どうしても思い出せない。

「どうしたの、椿?」

「いや、何でもねぇよ」

 俺は首を振って無理矢理にその違和感を追い出す。円のそばに行き、並んで歩き出す。

 ま、そのうち思い出すだろう。今日が無理でも明日があるさ。

 きっと、なんとかなる。

 今日も退屈な日常が、辺り前に過ぎて行く。


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