表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

その出会いは必然に

つづきものに挑戦してみようと思います。

序章 その出会いは必然に


「ギャラクシー!」

 一ノ瀬光司<いちのせこうじ>は雄叫びを上げて、学校の屋上からハンググライダーを広げて飛び立った。しかし、思ったより風が無かったのか、ハンググライダーが空を舞うことはなく、そのまま地上まで一直線に落ちて行く。光司の絶叫がこだました。

 数秒後、鈍い音とともに光司の絶叫が止み、下のほうがざわざわと騒がしくなった。

「大丈夫……かな?」

「大丈夫じゃねーの。あいつ頑丈だし」

 俺は心配そうに身を乗り出して校舎下を覗き込む久留米円<くるめまどか>に何の気なしにそう返した。円は立ち上がると、踵を返して屋上の入り口まで駆けていく。

「私、ちょっと様子見てくる」

 バタン、と音を立てて、扉が閉まる。俺は円が出ていった扉を見つめて、後頭部を?いた。

 別にそんな心配しなくてもいいと思うんだがなぁ……。

「ま、いっか」

 俺は屋上の際まで歩いていき、校舎下を見やった。よく目を凝らすと、豆粒みたいに小さな人だかりの中に光司と円の姿も見える。

 円が人の群れを割って進み、光司のそばで膝をついて抱き起こす。体のあちこちをまさぐる円の手を止め、光司はむくりと上体を起こし、痛そうに右手を抑えた。

 その後、校舎の中から教師が三人ほど出てきて、人だかりを押しのけて光司と円の前に立つ。それから、大声でなにごとかふたりに怒鳴ったのち、ジャージ姿の男性教師が光司に肩を貸して、校舎内へと引っ張っていった。円もそんな光司たちのあとに続いて、校舎の中へ入っていく。ハンググライダーの残骸は残った教師陣で片付け始めた。周りにいた生徒数人が手伝わされている。

 あそこにいたら、俺も手伝わされていたことだろう。よかった、いかなくて。

「……行ってやるか」

 ここにいるのもなんなので、保健室にいくことにした。どうもあの様子だと、腕の一本も折れていることだろうしな。盛大に笑ってやろう。

 俺は屋上から校舎の中に入り、階段をゆっくりと下りていった。たぶん、一段に二十秒はかけていたと思う。わからんが。

 そうして、たっぷり五分ちかく時間をかけて一階に下りると、保険室と書かれたプレートのある教室の前までいき、扉を開ける。そこには、右腕を包帯でぐるぐる巻きにされた光司と隣で不安そうな眼差しを俺に向けている円の姿があった。

 光司は俺を見るなり、笑顔を向けて、

「いやー、失敗したぜ」

「成功するとでも思ってたのかよ。やっぱり肝心なところでバカだな、お前」

「返す言葉もない」

「ま、今回はラッキーだったな。右腕一本で済んでよかった。これに懲りたら止めることだ。円が心配する」

 円が泣きそうな声で、俺に同調する。

「そうだよ。私、恐かったんだから」

「すまんすまん。でも、次はもっと上手くやるさ」

 そう言って、光司が円の頭に手を乗せる。すると、円は目の端に溜めていた滴を一瞬で引っ込め、顔中を朱に染めた。

「ふん……」

 相変わらずだな、こいつらは。昔から、全然成長してない。

 円と光司、ついでに俺の三人は幼稚園の頃からずっと近い時間を過ごしてきた。いわゆる、幼馴染というやつだ。だから、お互いのことは口に出さずともある程度はわかる。例えば、円が甘い物好きだということも、光司が機械の力も使わず、たったひとりで飛ぼうとしていることも。

 円が、光司のことを好きだということも。

 でも、いやだからこそ、円は気付いていないだろう。俺の、この気持ちに……。

「どうした?」

「へっ? ……なにが?」

「なにがってお前、すげーこえー顔してたぞ」

「ああ……」

 光司の影に隠れるようにして、円が怯えたような表情で何度も何度も頷いている。俺は顔に手を添え、軽くほぐすように顔を揉む。

 そんなに恐い顔してたのか、俺。

 数秒考えたあと、光司と円に出来る限り柔らかな表情を作って見せる。

「なんでもない。気にすんな。じゃ、俺帰るな」

「……そうか。また明日な」

「ああ、また」

 ふたりに別れを告げ、保健室を出ようと踵を返す。そのとき、背中に声が掛けらた。

「椿……またね」

「……ッ!」

 円の笑顔が、異様に胸に突き刺さった。その顔を見ているだけで、心臓の鼓動が早くなる。

「? どうしたの?」

 円が不思議そうに小首を傾げる。俺は平静を装い、

「……またな」

 そう、声を絞り出すだけで精いっぱいだった。

 今度こそ俺は廊下に出て、扉を閉めた。扉に背を預け、高鳴る鼓動を沈めるために二、三度深呼吸を繰り返す。

「……ふぅ」

 幾分か気持ちも落ち着き、扉から離れる。将校口までいき、外履きに履き替え帰路につく。

 円の気持ちは、中学のときには既に光司に傾いていたと思う。その頃には、光司は今朝のように空を舞うことを夢見て馬鹿げた挑戦を始めていた。俺は、そんなふたりをただ遠くから見詰めていただけだった。

 あの頃は、光司の行動を馬鹿馬鹿しいと笑うだけで、彼に寄り添い応援する円に対しても、なんとも思っていなかった。だが、いつからかはわからないが、あのふたりを見る度に胸のあたりが痛くなる。

 中学最後の夏。たった一度だけ、光司がハンググライダーによる飛行を成功させたことがあった。確証はないが、たぶんあのときからだろう。たかだか数メートル飛んだだけ。最後は林の木に引っ掛かって、円とふたりで光司を下すのに苦労した。それでも、光司と円は盛大に嬉しそうに笑っていた。俺はそんなふたりを、黙って見ているだけだった。あのとき、ふたりは通じ合っているように俺には見えた。ふたりの距離は近く、俺だけが遠くにいるように感じた。

 光司は情熱を、円は愛情を持って日々を過ごしている。光司は怪我が多く、円の心配の種は尽きないだろう。それでも、ふたりは毎日充実しているらしい。

 だが、俺にはなにもない。俺は、なにも持っていない。

 常識に照らし合わせて考えるなら、身を引くべきは俺なのだろう。

「馬鹿げているのは俺か……」

 それでも、今の俺はあのふたりの前に立つに気にはなれない。

 俺は西の空に目を向け、夕日の眩しさに思わず目を細める。

 いつもの日常が、終わろうとしていた。


          2


 その日は朝から雨が降っていた。

 俺は布団から顔を出し、目覚し時計に目をやり現時刻を確認する。

「……もうこんな時間か」

 布団から這い出て、ふらつく足取りで扉の前まで行動する。扉を開けようとノブに手を伸ばすと、反対側から先に開けられた。

「あっ……おはよう、おにぃちゃん」

 ふたつに結った髪の先を揺らして、妹の楓<かえで>が眠そうな目で俺を見てくる。こいつはいつもこうだよな。

「よう楓。おはよう」

「円さん来てるよ?」

「……そうか」

 どうしよう。いつもならここですぐに行くと答えるのだが、なんだか今日はそういう気分になれない。なんというか……ひとりで過ごしたい。

「先に行ってくれって言っといてくれよ」

「リビングにいるけど?」

「…………」

 俺は言葉に窮し、後頭部を?いた。どうするかな……。

「仕方ない。すぐに準備するから待っとけって言っといてくれ」

「わかった」

 頷くと、妹はパタパタとスリッパを鳴らして駆け足で階段を下りて行った。俺も楓に続くように一段一段ゆっくりと下りる。

 今更なことだが、毎日迎えに来るなんてご苦労なこった。そんなに俺は信用がないのだろうか?

 洗面所で顔を洗い、備え付けの鏡で軽く寝癖を直す。

 思えば、円が迎えに来るようになったのって中学に入学して最初のゴールデンウィーク空けくらいだっけか。あの頃、俺は不登校気味で一週間に一度のペースで登校していた。別にいじめにあっていたとかそういうことじゃない。ただ、五月病が他人より酷かっただけだ。そんな俺を見かねたのか、迎えに来るようになった。その頃の俺は、円のそんな気づかいを鬱陶しいと思っていた節がある。

 だが、そんな円の迷惑な気づかいも中学の終わり頃には楽しみに変わっていった。そして、今日また円のことを鬱陶しいと思い始めている。

 迎えになんて来ないで、光司と一緒に登校してくれればいいのに。

「はぁ……」

 思わず溜息が洩れた。

 俺は洗面所から出て、自分の部屋に戻り制服に着替えた後、再び階下に下りて円の待つリビングへと足を向けた。

「あっ、椿。おはよう」

 円が満面の笑みを浮かべて朝の挨拶を口にする。俺も挨拶を返し、円の前にたった。

「おはよう。毎日毎日律儀なこったな」

「まぁね。少しでも目を離すと、また学校に行かなくなりそうだしね、椿は」

「まさか。俺ももう中学生じゃないんだ。ちゃんと学校には行くさ」

 円は口元に手を添え、可笑しそうに小さく笑い声を上げた。

「それもそうだね」

「そうだとも。何だ、馬鹿にしてるのか?」

「べつに、馬鹿になんかしてないよ」

 そう言うと、円は座っていたソファから立ち上がり、隣に置いていた鞄を肩に掛けた。

「じゃ、いこっか」

「先に行け。俺はまだ朝メシを食ってない」

「学校で食べればいいよ。私、準備してきたから」

 用意がいいことで。そんなに俺と一緒がいいのかよ。

 喉まで出かかったその言葉を飲み込み、俺は円と一緒に家を出た。道すがら、円の友人であろう数人に(円が)声を掛けられていた。

「まだ入学して一ヶ月足らずだというのに、すげーなお前」

「すごくなんかないよ。有名人と幼馴染だからね。興味本意で話しかけてくる人もいて、仲良くなるのは簡単だった」

「ふぅん……ま、光司の奇行はなかなかに知れ渡っているらしいからな。でも、その理屈だと俺にも友達とまでは言わないまでも、知り合いのひとりやふたりいてもおかしくないと思うんだが、なぜ俺には知り合いがいないんだ?」

「ふふ。椿はあんまり笑ったりしないからね。その他の表情も乏しいし、たぶん話しかけにくいんじゃないかな?」

「……そんなもんかねぇ」

 俺は真っ青な空を見上げて呟いた。ちらと円を見ると、相変わらず楽しそうに笑っている。が、なにが楽しいのか俺にはわからない。

 まぁ、円が幸せそうにしているのならば俺は満足なんだがな。

 学校に着くと俺は円と別れ、自分の教室に向かった。足音を殺し、扉の前に立つ。中が妙に騒がしい。

 扉を開け、教室中をぐるりと見渡す。一瞬だけ静まり、また騒がしくなった。

 俺は窓際の自分の席に鞄を置き、椅子に腰かける。クラスメイト達は俺なんか存在しないかのように、みごとに視線を合せなかった。……別にいいんだけどな。

 俺は鞄から文庫本を取り出して、昨日閉じたページを開いて目を落とす。

 その日の午前中は、いつも通り退屈な授業が行われた。半分以上も内容が頭に入らない授業が四時間も続き、睡魔と闘うのが正直つらかった。

 昼休み、昨日のこともあって屋上には生徒立ち入り禁止の立て札が立てられていたが、見張りがいるわけでもないので無視して扉を開ける。

 吹き抜ける風が髪を揺らし、首元がこそばゆくなった。俺は扉の直ぐそばに腰を下して、購買で買った菓子パンを頬張る。人気のない屋上は居心地がよく、同時になにか物足りなさを感じた。

「仕方がない……か」

 寂しさを感じているわけじゃない。でも……。

「なんだ、おまえ?」

 左斜め上から声が聞えた。その方向に首を巡らせ、声の主を見やる。さながら地獄の番人のように目つきの悪い女子がそこにいた。

「お前こそなんだ」

「質問しているのはわたしだ。答えろ」

「それが他人にものを頼む態度かよ。名前を尋ねるときは、自分から名乗るのが普通だろ?」

「勘違いするな。わたしは名前を訊いているんじゃない。おまえは何者かと訊いているんだ」

「同じだろ、そんなもん」

「違う」

「……なにがだよ」

 小声で呟き、菓子パンを握る手に力を入れてクリームを出してみる。

 さて、どうしたもんか。名乗るくらいなんてことないのだが、こいつは名前なんか訊いていないと言うし、じゃあ名前意外に俺という人間を紹介するためにはどんな言葉があるだろう。

「無理だな」

「なにがだ?」

「俺も俺自身が何者かなんてわからん」 

「そんな深い答えは訊いていない。まずは名乗れ」

 自分が名前を訊いているわけじゃないと言ったくせに。なんなんだ、こいつ。ともあれ、ここは素直に名乗っておいてほうがいいだろう。

「松瀬椿<まつせつばき>。一年B組出席番号二十三号……」

「誰もそこまで訊いていない。名前だけで充分だ」

 あっそう。

「じゃあ今度はお前の名前でも訊こうか」

「なんでわたしがおまえのようなやつに名前を教えないといけないんだ」

「俺は名乗っただろ。今度はお前の番じゃないのか?」

「そんなこと誰が決めた。まあいい。わたしは萩村しのぶ。一年C組だ」

 年組まで言えとは言ってないんだがな。案外律儀なやつなのかもしれない。無愛想だが。

 じゃ、名前も教えてもらったことだし、気になっていたことを訊いてみるか。

「そこの立て札見なかったのか? 立ち入り禁止だっただろ」

「だから? おまえは規則は破るためにあるという格言を知らないのか?」

「…………」

 しらねぇよ。どこの誰の言葉だ。

 萩村しのぶはぴくりとも表情を動かさず、俺を見下げてくる。

「おまえこそ、なんでここにいる? 立ち入り禁止ではないのか?」

「…………気づかなかった」

 俺がそう言うと、萩村は呆れたような表情で、

「なんだそれ」

 やっぱり笑わない。円がいつも言う俺は表情が乏しいっていうのは、こういうことなのだろうか。確かに、あまりいい気はしないな。

 萩村は俺の反対側に座り、どこからともなく板状のチョコレートを取り出してかじり始めた。

 昼飯、あれだけか?

 俺が板チョコをジッと見つめていたのをどう受け取ったのか、萩村がジトッと睨みつけてきた。

「やらないぞ」

「いらねぇよ。それだけか?」

「まあそうだ」

「いつも?」

「そうだな」

「飽きねぇ?」

「べつに。それに、糖分は脳の活動にとって必要不可欠なものだ。飽きる飽きないの問題じゃない」

「つっても、昼飯がそれだけじゃ足りなくねぇか? 俺のパン一個やるよ」

 俺が菓子パンをひとつ差し出すと、萩村は驚いたように目を向いてそれを凝視したあと、おずおずと受け取った。

「あ、ありがと……」

 短く発せられたお礼の言葉に、胸の内から言い知れない何かが込み上げてきた。が、それが何か分からず、かといってこれは何かと尋ねるわけにもいかない。仕方なくスル―して、出していたままの手を引っ込める。

「気にするな。たかが購買のパンだ」

 俺は萩村から顔を逸らし、空を仰いだ。蟹みたいな雲がゆっくりと流れている。隣で、立ち上がる気配がした。

「それじゃ、わたしはこれで」

「お、おう」

 それだけ言うと、萩村は校舎の中へと消えていった。俺はしばらく萩村が出ていった扉を見つめていたが、やがてそれにも飽きて再び空を見上げた。晩春のあたたかな日差しにまぶたが重くなる。全身が気だるくなって、やがてまぶた閉じた。

 楽しい夢を見た……ような気がする。


          3


 いつの間にか、空は赤く染まっていた。

 上体を起こすと、全身の骨がパキパキと音を立てる。ついでに背中が痛かった。

 しばらくそのままでいると、段々と頭の中が鮮明になっていき、校舎下から野球部の掛け声が聞えてきた。

「放課後……」

 ということはつまり、午後の授業をすっぽかしてずっとここで寝ていたということになる。なんてことだ。

「ま、いっか」

 俺は立ち上がって、ひとつ大きく伸びをする。やってしまったものは仕方がない。時間の巻き戻しなんて出来ないのだから、過去を悔やんでも意味のないことだ。

 俺は振り返り、校舎の中に入る。さて、鞄を取ってこないといけないな。

 教室に戻ろうと右足を踏み出す。コツンと爪先に何かが当たった。

「ん……?」

 足下を見ると、何か小さな箱のようなものが落ちていた。タバコか? それを拾い上げ、よく見てみる。どうやら、タバコじゃないようだ。

 全体的には片手に収まる程度の大きさの長方形で、真ん中あたりに時計みたいな文字盤がついている。その上に、文字盤より一回り小さな円形がある。

 俺はなんとなく、その円形に指を添え、なぞってみる。すると、円の下の文字盤が高速で動き出した。

「…………ッ!」

 文字盤の長身と短針が『?』と『?』指し示す。その瞬間、周りの景色がぐるんと半転する。吐き気を覚え、その場に膝をつく。

 体感時間で数秒後、吐き気もおさまり、はぁと息を吐く。

「おい、大丈夫か?」

 声のしたほうへ顔を向けると、数学教諭の岡部が特に心配そうでもなくそこにいた。俺は立ち上がって、何でもないことをアピールする。

「大丈夫です。先生こそどうしたんですか? こんな時間に」

「なに言ってるんだ、もうすぐ授業はじまるぞ。早く教室に戻れ」

「授業って……もう放課後のはずじゃ……」

「なんだ、寝ぼけてるのか? 昼休みが終わる前に顔洗ってこい」

 言うだけ言うと、岡部はとっとと歩いて行ってしまった。俺はただボー然とその後ろ姿を見ているだけだった。

「なんだってんだ……」

 いまいち釈然としなかったが、とりあえず教室に戻る。ついさっきまで赤かった空は青く、太陽光が惜しげもなく降り注いでいた。

 そういえば、手にしていた箱が消えていた。どこへ行ったのだろう?

 そんな些細な疑問さえ、一瞬のうちに忘却の彼方へと消えていく。

 なにがなんだか、わからない。頭の中は、完全に混乱していた。

 そんな俺に追い打ちをかけるような出来事が起こった。

「おい、そこでなにやってんだ?」

 教室にの扉に隠れるようにして中を覗いている萩村しのぶがいたので、声を掛けてみた。萩村はビクゥッ、と飛び跳ねた後、ゆっくりと振り返る。いまにも泣き出しそうな顔をしていたが、俺の姿を認めるなり、険しい顔つきになって睨みつけてくる。

「コホン……何の用だ?」

「用っつーか、そこで何してんの、お前?」

「おまえではない。萩村しのぶと名乗ったはずだ。他人の名前を忘れるなど失礼だぞ。覚えておけ」

萩村の偉そうな口調と態度に、若干イラッとする。

「じゃあ萩村。お前は覚えているのかよ、俺の名前」

「無論だ。だがいまはそんなことなどどうでもいい」

 そんなことって。

 萩村はずんずんと近づいてくると、いきなり俺の胸ぐらを掴んできた。

「あれはどういうことだ?」

「あれ……とは?」

 俺がそう問い返すと、萩村は一瞬だけ考えるように目を伏せたあと、胸ぐらを掴んだまま教室の入り口まで引っ張っていく。

「あれだ」

 そう萩村が指差したのは、ガヤガヤやかましく騒ぐクラスメイトなど我関せずとばかりに読書にふけっている俺だった。

「こいつぁ驚いた……あれ、俺じゃね?」

「他に誰がいる。お前以外の何者でもない。あれはどういうことだ?」

「……俺が知るかよ」

 本当に、どういうことだろうか。ますますもって混乱してきた。頭の中がショートしそうだ。

 俺はちらりと萩村を見る。萩村は何か考え込んでいるのか、ブツブツ言っていた。

 視線を萩村から自分の席でジッとしている俺へ戻すと、俺は文庫本閉じて席を立ち、トイレにでも行くのだろうか? 俺たちのほうへ向かってくる。もうなにを言ってるんだか。

 俺はまだブツブツ言っている萩村の首根っこを掴み、慌てて顔を引っ込める。そのまま萩村を引きずって、男子トイレまで後退する。

「なんでそうなるんだろう……やっぱりあれを使ったっていうことだろうか……」

「なぁ萩村。少し静かにしていてくれ。バレるかもしれないだろ」

 俺に見つかった場合、俺たちはいったいどうなるのか見当もつかないが、なんとなく見つかったらマズイ気がする。

 俺は萩村を個室に押し込め、後に続いて入る。萩村の声が漏れないよう手で口を塞ぎ、息を殺して外の様子を窺う。

「ったく、うるせーな。なんで静かに出来ないかな。毎日毎日、よく話すことがあるもんだ」

 扉の向こうから、愚痴る俺の声が聞こえる。あれ、俺ってこんないやなやつなのか?

「つーか、どうして学校になんか来なくちゃいけないんだろうな。はやく帰りてーな」

 うっせーよ。とっとと教室に帰りやがれ。いつまで俺たちをこんなところに閉じ込めておくつもりだ。

 俺は俺の言動に耳を澄ませる。

 俺は用を足し終えたのか、足音が遠ざかっていく。その足音に、俺はホッと息を吐く。ああ、ややこしい。

 俺は萩村を引きずって、大急ぎでトイレを出た。同時にチャイムが鳴り、一瞬ドキッとした。

 アテもなく廊下を駆けていると、扉が開けっ放しになっている教室があったので、そこに駆け込み、扉を閉める。

「はぁはぁ……とりあえず、ここで一休み……」

 俺は扉に背を預け、その場にへたり込む。そういえば、さっきから萩村がやけに大人しいな。

「おい萩村、いったいどうし――」

 萩村を見ると、気絶していた。いったいどうしたというのだ。

 俺は萩村の頬を軽く数回たたいた。すると、萩村が目をゆっくりと瞼を上げ、俺と視線を交差させる。

「ふにゃぁッ!」

「うおッ! なんだッ!」

 萩村が俺から距離を取る。慌てて下がったため、後ろの机に頭をぶつけ、その上に置いてあったノートパソコンが彼女の頭に落ちる。

「おい……大丈夫か?」

 しばらく痛さに悶絶したあと、萩村はスクッと立ち上がった。そして、例の鋭い視線で俺を見下してくる。

「問題ない」

「そうか……そりゃなによりだ」

「……で、これからどうするんだ」

「むっ……そうだな、まずは状況の整理だ。ここはどこだと思う?」

「教育現場」

「もっと簡素でいいんだぞ……まぁいい。じゃあ次。あいつは誰だった?」

「あいつとは教室で見たあいつか?」

「そうだ、あいつだ」

 萩村は腕を組んで、

「あれはおまえだったろう」

「……だな。ありゃどう見ても俺だった。じゃあ、そいつはなんでだ?」

「そんなもの決まっている。ここが過去あるいは未来だということだ」

「……………………………………はっ?」

 萩村の双眸が、俺を見下している。俺の顔はたぶん、驚きと疑問符に満ち充ち溢れていることだろう。

萩村、お前いまなんて言った?

「……なんだって?」

「だから、過去あるいは未来なんじゃないかって言ってるんだ。そう考えるのが、この状況を説明するのに一番合理的だ」

「…………」

 およそ数十分前までの俺なら鼻で笑ってあしらっていたことだろう。だが、教室でひとり読書に勤しむもうひとりの俺を見て、俺もそうなんじゃないかと思い始めている。

 あの時計みたいな小さな箱。あれがタイムマシンみたいなものだとすれば、この状況にも一応の説明はつく。

 まぁ過去という線はないだろう。俺のあの行動が過去にあったことなら、俺が覚えているはずだ。しかし、残念ながらというかなんというか、俺にそんな記憶はない。ということは、未来にきたという線が濃厚だろう。

「もっと分かりやすい未来に来てたらよかったのにな。そうすりゃ最初から方針を決めれたのに」

 半ば投げやりぎみにそう言うと、萩村が怒気を含んだ声で鋭く言い放った。

「バカかッ! そんな未来に行ってたら、わたしたち帰ってこられないかもしれないんだぞッ!」

「お、おお……すまん……でもまさか帰ってこれないってこたぁないだろ?」

 萩村はまるで頭痛でも堪えるかのように頭を押さえ、深く溜息をついた。

「おまえがどう思っているか知らないが、一目見て分かるほどの未来っていうのはこの時代の比じゃない。言葉や価値観が映り変わるように、人間の生態そのものが変化しているんだ。その時代のやつらにとって、過去人っていうのは動物園の猿にも等しい。見て楽しむものであり、決して慈悲を与えるに値するものじゃないんだ。やつらは高度な知性を見につけた代わりに、この時代やもっと過去に存在した人情ってやつを失った」

 萩村が髪をいじる手を止めて、感情の籠らない瞳で俺を見てくる。俺は二の句がつげずに、うまい言葉を探して視線を彷徨わせる。

「わたしはそんな未来を変えるためにここにきた」

 萩村の静かな声が、俺の鼓膜を激しく揺らした。耳の奥で、うるさいくらいに鐘が鳴っているような、不思議な感覚に囚われる。

「なん……だって……?」

「だから、わたしは未来を変えるためにこの時代にきたと言ったんだ」

 ああ、そいつは聞いた。だがしかし、その口ぶりからすると萩村、お前も未来人みたいに聞こえるぞ。

「わたしは未来からきた」

 俺がよほど不思議そうな表情をしていたのだろう。萩村は俺の胸中を見透かしたかのようにそ言ってくる。俺は困惑のあまり、口を開くことができなかった。

「ただし、わたしをあんなクズどもと一緒にしてくれるなよ」

「……?」

 萩村の言葉に、思わず顔を上げる。彼女の不快そうな表情で俺を見下していた。

「わたしは確かに未来からきた。だが、未来人ではない」

「……どういう意味だ?」

「奴隷狩り、という言葉くらいは聞いたことがあるだろう」

 そう前置きして、萩村は語り始めた。自分がなぜ、いまこの場所にいるのかを。

「およそ十年前。わたしがまだ六歳のとき、奴隷狩りにあった」

「んなッ!」

「未来からの使者だとか言うやつらに、無理矢理変な円盤みたいなものに乗せられて、そのまま未来に連れていかれた。どこだか分からないところに連れていかれて、不安で不安で、恐かった。わたしも含め、何人もの子共たちが連れてこられていた。皆不安で表情を曇らせていた。わたしは言ったんだ。『お家に帰して下さい』って。でも、帰してはくれず、やつらはわたしたち全員の背中に、焼き印を押して、その日から奴隷のようにこき使い出したんだ」

「そんなのって……」

「最初は何人もの子供たちが反抗していた。でもしばらくして、そのほとんどが諦めてしまった。過去に帰ることを諦め、そこで一生奴隷として生きていくことを選んだんだ」

「それじゃあ、なんでお前はここにいるんだよ」

「言っただろう。ほとんどのやつは諦めてしまったって。いたんだ。たった数人だが、まだ過去への帰還を諦めていなかったやつらが。わたしもそのひとりだ。だからここにいる」

 萩村はそこで一旦言葉を止め、小さく息を吸い込むと、

「わたしには、使命がある。

 俺は口の中がからからに渇くのを感じた。どうも話がデカくなりすぎている気がする。ひょっとしたら、俺が関わるべき問題じゃないのかもしれない。とっととあの箱を見つけてもとの時間に戻るほうが賢明だろう。

「その話……本当なのか?」

 こんなやつ見捨てて、

「ああ、本当だ」

 さっさと自分の問題を片付けて、

「なら……」

 俺が関わることじゃない。

「……なんだ?」

 この場は一刻もはやく立ち去るのが正解だ。


「俺にも、手伝わせてくれないか?」


 なのに、なんで俺はこんなことを言ってしまったんだろう。

 こんなことをするために、俺はこんなところにいるじゃないというのに。

 でも、この言葉を口にするために、俺はここにいる。そんな気がする。

?


いかがでしたか? どのくらいつづくかは不明ですが、気長につきあっていただけると嬉しいです。

ご意見・ご感想よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ