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オレだぜ?

いけしゃあしゃあとオレだぜ?

作者: 遥 夏

 やっちゃまずいと思うほど変な部分をくっつけたけれど、

 ちょっぴり妄想炸裂な、故事成語「推敲」の物語。


 とある若者が科挙を受けむがために、旅路を急いでおりました。


 科挙とは、いってみれば「国家公務員採用試験」。

 いつの世も、安定した出世街道とはもてはやされるものにございます。


 さて、科挙には韻字の試験もございます。

 漢字の読み方、音の響きをテストされるわけでございまして、

 これを頭にたたきこんでおくと、漢詩がすらりと作ることができるというものにございます。


 農は政。

 季節があって税がある。

 詩を作りますのは……、

 季節を思い、

 そこにある人々を知り、

 田畑に生けるものごとを管理する役人には必要なことにございます。


 さて、そうしたわけで、

 若者はすでに韻目を暗記しておりましたもので、

 歩きながら詩を作って、

 詩作にちゃんと韻字を使えるかと自分の力を試したのでございます。

 いつの世にも、採用試験の予習とは移動中になすものにございましょうか。


 日のあるうちに宿場に辿りつけませんでしたもので

 そろそろ夜のとばりが落ちそうなころに差し掛かり

 月明かりは若者の足元を照らしてございます。


 それを着想のヒントに、妄想を始めると


「僧 推  月 下 門」


 という句が浮かびました。


 静かな夜更けに、

 身のきよげなるひじりが

「ギイィィィッ」と軋んだ音をたてて

 月明かりに門を開けようとしている

 ……という妄想です。


 漢詩を作るときは、たいへんに韻字が大切でございます。


 いまのは、ただ五文字を並べたのではなく

 きちんと

「のばす音」僧

「のばす音」推

「ゆらぐ音」月

「うわずる音」下

「のばす音」門

 と、リズムとメロディがつくように並べたのです。


 五言詩を詠むときには「二四不同」といいまして、

 かならず二文字目と四文字目の音は

「のばす音」と「それ以外の音」とで、

 違うものになっていなければなりません。

 いま、二文字目と四文字目は

「のばす音」と「うわずる音」ですから

 一応、ちゃんとルールを守れたようです。


 でも、待てよ、と若者は妄想しました。


 夜中に僧が、周りを警戒して

 門を推しあけようとしているのは、

 なにやら物騒な気がします。


「月下門」は月あかりに照らされた門の情景ですから変えられないとして、

 門を推し入ろうとするのは別の言葉に変えたほうがいいでしょうか。


「僧は推す、月下の門」

 若者は自分の目の前に、立派な門があるものと想像して

 推す仕草をしてみました。


「僧は圧す、月下の門」

 ……もっととんでもないことになりました。

 若者の頭のなかで、筋骨隆々のスキンヘッドのあんちゃんが、

 門を「メキメキメキっ!」と圧しつぶしてしまったのです。


「僧は押す、月下の門」

 なんだか淫らな雰囲気すら漂いはじめました。

 お坊さんが、なにをまかり間違ったか「綺麗な門だ」と思って、

「はあっ、はあっ」と息を荒げて押し倒してしまいます。


「……うぬぬ」

 若者は頭を別の方向に切り替えなければならないと感じました。


 ……そもそも、

「圧」や「押」だと「ゆらぐ音」なのでございます。

「二四不同」で考えますと、四文字目「下」が「うわずる音」で

「のばす音」と「それ以外の音」を入れ替えていないのです。

 どちらかに「のばす音」がはいらないと、

 まったくリズムもメロディもめちゃくちゃになってしまいます。


「いま、ぼくは、この月明かりに旅路を歩いて、宿が恋しいから、

 目の前に涼しい顔をした門がそびえていれば

 そこを訪ねようとするだろう、と考えたから、こうなったんだよな」


「じゃあ、見事、寝る所にありつけたら、

 ぼくはどうするだろう……?」


 さきほど、妄想しながら、

 門を推す動作をしてみたり、

 腕の筋肉を力いっぱい稼動させたり、

 なんとなくおかしな雰囲気になって、

 運動した後のように呼吸が荒かったのです。


 若者は当然、喉が渇いたと思いました。

「宿についたら、まず、水がのみたいかな」


 そこで、変えたくないと思った部分に手を入れてみることにしました。


「僧は、(くちすす)ぐ、月下の井」


 月明かりに照らされて、

 これから何か大切な話をするのに、

 美しい僧が、口を清めている

 ……という妄想です。


 すると若者の頭のなかで

「僧は堕つる、月下の井」

 という妄想がはじまってしまいました。


 こうなると、もう止まりません。


 井戸の周りにもかすかな月明かりが届くのに

 僧は足を踏み外して、ほの暗い井戸へと堕ちていくのです。


 そして「ぼっちゃ~んっ」と夜のしじまに水音を響かせ

「はて、どうしたものだろう」

 と、僧が剃髪した頭を悩ませておりますと

「ぼうさん、一緒にあそびましょ~」

 と、うぞうぞカエルたちが秋の浅い眠りから目覚めます。


「僧は滑る、月下の(くさむら)

 月影にきらめいて霜がおりた草むらに

 脚を踏み入れたので「つるりっ」といったのでしょう。


「僧は遊ぶ、月下の道」

 月が導くように差し込む井戸という真っ直ぐな道を

 僧は訪ねていくようです。

 ちなみにこの場合の「遊ぶ」は

「西遊記」という言葉もありますように、「行く」という意味です。

「しんにゅう」という部首が「道」を示し

「斿」という音符は「あしを動かす」という意味です。


「僧は(うごめ)く、月下の泉」

 ……。

 ……!?


 ここでようやく若者は我にかえりました。

 なんだかとんでもない幻をみたような気がしました。


 よくよく考えてみると、いろいろ間違いがあるのです。

「下三連の禁」というルールがあるのです。

 これは五言詩でも七言詩でもそうなのですが、

「のばす音」と「それ以外の音」と、二つに考えて

 ひとつの句の最後の三文字が、ずっと同じ種類ではダメなのです。

 リズムが悪いのですね。


 例えば「月下井」ですが

「ゆらぐ音」月

「うわずる音」下

「うわずる音」井

 と「のばす音」が入っていませんから、

 リズムが短く刻まれていて、きちんと詠えないのです。


 つまり「月下」と来てしまうと、

 最後の一字はどうしても「のばす音」じゃないとなりませんね。


「道」も「うわずる音」で、ぜんぜんダメ。


「泉」は「のばす音」だから、それはOKなのですが

「蠢」がとっても困ります。

「蠢」は「うわずる音」だから「二四不同」を侵しているのですね。


 そもそも「蠢」だと、漢字のカタチどおり春に虫たちが起きだす漢字なのです。

 それに、せっかく僧を登場させるというのに

「蠢」には「おろかな」という意味もあって、

 せっかく清々しい雰囲気の僧にしたいのに

 おおいにぶち壊しです。


「……それなら」

 若者は、僧をもうちょっと格好よくしたく思います。


「凛 僧  月 下 門」


(すず)やかなる僧、月下の門」


 月明かりにすずやかに身を引き締めて、

 凛とした表情で門の前にたたずむ僧です。

 


「あ、ダメ……か」

 これなら「二四不同」も「下三連の禁」もやぶっていませんが、

 残念ながら、最後のルールに阻まれました。

 そのルールを「孤平の禁」といいます。

 これは「のばす音」を句のなかで孤立させてはダメということ。

 いま、この句はこうなっています。


「うわずる音」凛

「のばす音」僧

「ゆらぐ音」月

「うわずる音」下

「のばす音」門


 で「僧」の「のばす音」が、

 上も下も「それ以外の音」で挟まれてしまっているのです。


 さみしがりやの「のばす音」は、

 一番最初や一番最後なら、壁にもたれかかって我慢していられるのですが

 内側にいるときは、仲間がいないとグレてしまうのですね。


「……ふう、ダメだこりゃ」

 若者は、僧を修飾するのをあきらめました。

 そもそも、僧を説明しようとすると

「きれいな僧」と「月の下にさわやかにきらめく門」とを

 ただ並べただけで、

 ちっとも僧の動きがなくて面白くないですから。


 そうして若者は、もう一度最初にもどって考えます。

「なんで推だとダメなんだっけ?」


 それは夜間にひっそりと門を開けようとしているのが

 なんとなく泥棒めいていていやだったから。


 ……というより、清らかな僧なのに、

 いきなり門を開けようとしているのは、

 なんとも無粋ではないでしょうか。


「でも、なんか気にいってるんだよなぁ」

 いまさらですが、ちょっと捨て難い。

 頭のなかで描かれる風景が、ざわざわと心を撫でる気がするのは

 いま、自分の足音しか聞こえないような夜の静けさに

「ギイィィィッ」と音が響くようなのが素敵だったからです。


「あ! そうか」

 若者はおもいいたりました。

 夜の静けさに、普段は聞き逃してしまうような音が響くのが

「ほんとうに静かだ」と感じる瞬間ではないでしょうか。


 だからこそ、その情景に

「メキメキメキっ!」とか

「はあっ、はあっ」とか

「ぼっちゃ~んっ」とか

 猥雑な音をたてたら恰好がよくないと思えたのです。


「響き渡る音、僧が心身ともきよげである雰囲気、絶対に泥棒に間違われない……」

 若者は、これならイケる、と、脳内に月下の門を描きます。

 僧は、声をあらげて門のなかにいる人に呼びかけたりはしません。

 つつましやかに、そして夜の静寂にこだまするような上品な音をたてて

「こん……っ、こん……っ」

 と、門をノックするのです。


「僧 敲  月 下 門」

「僧は(たた)く、月下の門」


 ……。

 これは、なかなかにイイかもしれません。


 でも、ちょっと心配なのは「敲」の文字です。

 記憶のなかを引っ掻き回してみると、どうやら「のばす音」です。

 ということは、最初に作ったのと同じ

「二四不同」も「下三連の禁」も「孤平の禁」もちゃんと守れています。


 でも「敲」の部首である「攴」は「ムチを手に持っている」文字です。

 それと音符の「高」とがあいまって「ムチをたかくあげてふるう」という意味になります。


 たちどころに若者の妄想が変わっていきました。

「ピシ! パシ!」と門をムチ打っている僧が

 月の下で妖艶にほくそ笑んでいます。


「……う」

 これはマズイ、と若者はちょっと字を変えてみようと思いました。

「そ……、僧は叩く、月下の門」

 なにやら泣きたい気持ちでそう呟いてみました。

 今度の「叩」も「のばす音」ですから、問題ありません。


 が、若者の脳裏に、

 月影がさわやかに僧の頭を照らしだし、僧はそのツルぴかの頭で、

 こともあろうに門に頭突きをかまして粉砕し始めました。


「叩」の文字には、頭を床にこすりつけるほどのお辞儀の音という意味もあるのです。

 すっと、門の前に立ち尽くしたかと思ったら、

 僧は、それはそれは丁寧にお辞儀しているのですけれど

「ごづぬっ!」と、門に頭をぶつけて来訪を告げているようなのです。

 それでなかなか応答がないもので、

 とうとう頭が門をぶっこわし、

 その頃には、頭突きで門が壊せるのが面白くなってきたのか

 あられもないリズムで門をこなごなにしていきます。


「ち、ちが……っ」

 そりゃあ、もう、きよげな僧とか言っている場合ではなく、

 頭から流血しながら興奮している変な人になっていくわけでありました。


 さて、若者がそうやって妄想しておりますというのは、

 実は彼自身の身体も自然に動いてございますものです。


 推す仕草をしたり圧す仕草をしたり押す仕草をしたり、

 敲く仕草をしたり叩く仕草をしたり……、ときおり蠢いてみたり。


 妄想といいますのは、そのまま夢中にあることでございますから、

 まごうことなく夢中になっておりまして、

 しかも夜にそんなことが起こるとも思っても見なかったのでありましょう。


 ただ、昔から「詩は宵に浮かぶ」といい

「アイディアを司る天使は夜にやってくる」といいます。


 いいえ、今回は「天使」ではありません、

 なんと「天子」……つまり、

 もしこの若者が科挙に受かったら、一番天辺の上司であり、

 そうでなくとも国のすべてに崇め尊ばれている皇帝さまでありました。


 月があまりに綺麗なので、気晴らしに遠乗りをなさっていたのです。

「ぱっから、ぱっから」馬をのりまわされて、おともは数人。

「秋霜のさまやいかならん」と、そばにいるおともに詩を詠めと命じて、

 皇帝さまもふと道行きから目をそらしなさった。


 そのとき若者は、別に恋はしておりませんでしたでしょうけれども

 夜闇で誰にも知れず、顔色を赤くしたり青くしたり、濃い妄想の最中。

「人の恋路を邪魔するやつは馬にけられて死んじまえ」

 と、ばかり、天子さまの馬を綺麗に道塞ぐかたちとなっておりました。


 いななくは馬、前脚を掲げて、怪しげな旅人に驚嘆す。

 あわてるは帝、手綱を締めて、落ちゆく御身を支持す。


 ……。


「も、申し訳、ございません!」

 さてもさても、妄想はときとして役にたつものかは。

 いままさに土に膝をつきまして、若者は「叩」のごとく、

 地面に「ごづぬごづぬ」とひたいをぶつけてございました。


 天子さまをお落馬させますのは、死罪に相当するのでございます。


「いや、なに、月に心浮かれて詩に興じ、余所見をしたこちらにも非があろう」

 天子さまのおともが、若者に食ってかかろうとするのを、

「これ、そなた、我が道中に気を配るはそちの役目ぞ」

 そのおともが詩を考えるのに、天子さまの道へ注意を払い損ねたことをいさめて

 そこはそれ、長いものには巻かれるのが役人というものでございますから

 矛は納められ、また静かな夜へとなるのでございます。


 なんと素晴らしいことに、皇帝さまは

「人のせい」にした風をよそおって「自分のせいだ」と謝罪したのであります。

「なあ、そなた、この月夜になにをみる? 詩はできるか?」

 帝は、道べりの石にのんびりと腰かけて、しばらく月を眺めておいでです。


 若者は、何度も頭をさげ、しかし、帝がそれきりなにもおっしゃらないので、

 いま迷っている詩のことを申し上げました。


「それは……ふむ、愉悦なこと。『敲』にするがよかろう」

「おそれながら……、しかれども『推』が捨てがたく」

「そなた、書はするであろうか。するであろう、見所ある者よ」

「は、あ……」

 帝はゆったりと語られます。

 若者は目の白黒する思いで話にひきこまれました。

「我らは、書をなすとき、筆をつかい墨を白紙に載せているように感ずるものであるが」

 深く息をして、帝は月のかおりの風を心地よく吸い込まれたようすでございます。

「いや、そうであろうか、と最近は思うのじゃ。墨の黒を使い、我らは実は、白き部分を描くのではないか、とな」


「さよう『推』とすれば、僧が門扉を開く音が際立とう。されど『敲』、これで門内にある者が目覚めるにせよ目覚めぬにせよ、このあと僧は、そのまま立ち去りはすまい。『敲』という行動をすれば、次にするは『推』、つまり、そなたが『推』といわずしても、門が開く音がはっきりと聞こえる。白き部分とは、その詩を聞かされた側が感じ取る楽しみじゃ。書かれておらぬ、詠み込まれておらぬことを妄想するは愉悦なるべし」


「さよう『敲』が「ムチ打つ」に通ずれども、『僧』なるを先にいだしたれば、また意味は異なろうぞ。『攴』の字には「ツエ」の義もまたあり、さても、この僧は、杖をついて行脚する旅人たるものとなる。月下に門を見つけ、礼儀ただしくツエをもって、夜の静けさを邪魔せぬ音をたてるのじゃろう?」


 帝はそして、おっしゃいました。


「そなた、科挙にくる気はあるか? そちは実に面白い詩作をする。我が推挙を与えるぞ」

「は……、はい! あ、ありがとう存じます! 科挙、いま、科挙のための道中でした」

「なるほどの……、では、その迷える道を、そちの惑う字になぞらえて『推敲』と呼ぼうぞ」


 そして、若者は、単なる安定した公務員ではなく。


 妄想をときに野望とし、民のために施策を推敲する役人へとなっていったのでございました。



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― 新着の感想 ―
[一言] このシリーズ 面白いですね((笑 私の、笑いのツボです(^^) 此れからも、頑張って下さい!応援してます♪
2012/04/16 17:28 退会済み
管理
[一言] 初めまして。 ほかのシリーズみてないんだけど。 これが最新作かな? パロディは作るの楽しいですよね。 本編を改造して書くのは面白いです。 創作意欲が湧きやすいと言うのも特徴かもです。 創作意…
2012/04/13 14:07 退会済み
管理
[良い点] -パロディーというより、推敲の故事に取材した、正統な小説と言えそうですね―-。-遥 夏先生らしい豊富な知識がユーモアたっぷりに描かれていて面白かったです―-。
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