3 現れる色々
「えっ……」
「うわ……」
二人は目を大きく見開いて固まった。苡穂はやや眉をひそめ、野森は興味をひかれた様子と、それぞれ驚きの質は異なっている。
山井朋子が持って来たのは、四リットルほどの容積がありつつも軽そうな、つづらだった。ずいぶん歳月を重ねたであろう、深い焦げ茶色。
そして、その彼女の後ろから、身長五十センチ程の人形が見るも滑らかな二足歩行を披露しながら入室してきた。その際、ちゃんと敷居はまたいでいた。
もちろん二人が驚いた原因は、その人形だった。
真っ白い顔に、おかっぱ頭。虚ろな瞳の光沢が、無表情を際立たせている。
金糸を編み込んだきらびやかな袴をお召しになっていて、上半身は何故か、白いブラウスにループタイといういでたち。
「こちらの中に、古くは明治のはじめ頃からのお写真や、書類があらかた揃っております。では……」
と、つづらを置くや早くも去ろうとする山井朋子を、苡穂が慌てて引き止めた。
「ちょっとまって、何、え? うわっ、すごい奇麗な正座! いや、この人形、何これ?」
「すごーい。どこ製だろう、ソニー……いや、ホンダかな。アシモの妹分とか」
「そんな似てない兄妹やだよ、怖い! これ単体ですでに怖いのに」
山井朋子は意外そうな表情で説明する。
「こちらも覚えていらっしゃいませんでしたか。これは、〝みまもり童子〟といいまして、このように、あの小山に関する品々を必ずひとまとめにし、その行くところにぴたりとついて離れない、そんなからくりでございます。〝その当時のもの〟とはこれのことでして、なんでも、小山と共に現れたそうです。仰る通り、少々不気味ですね」
「だいぶ不気味だよ。というか、あの山よりもこっちの方が遥かに変な代物じゃない。なんで私、こんな印象的なものを覚えてないのかなぁ……」
「動いているところをご覧になっていなかったからかも知れませんね。つづらの中の品を遠くに持ち出さない限りは、こうして大人しく座って動きませんので」
「ほんとに、微動だにしないねぇ」
怖がるどころか興味津々な野森につられたか、苡穂も訊ねてみた。
「うーん……朋子さん、この謎人形に関する言われとか資料はないの? がぜんこっちの方が気になってきたよ」
苡穂の問いかけに、山井朋子は渋い反応だった。
「それが……、資料は一切無いのです。何故か、さきほど申したことぐらいしか伝わっておりませんで……」
「えー……。ますます不気味な代物ね。わかった。それならまず、つづらの中をあたってみます。もしかしたら何か新しい発見があるかも……素手で大丈夫かな?」
「差し支えないかと。一応、手袋をお持ちしましょうか?」
早くもためらいなくふたを持ち上げていた苡穂は、中の保存状態を見てすぐに返事した。
「あ、平気、手袋は無くていいです」
「わかりました。では、何かありましたら……」
お馴染みとなりつつある山井朋子の完璧な退室っぷりを見届け、野森もつづらの中を覗き込んでみた。
革の表紙のアルバムが数冊、古そうな茶封筒、乾燥剤の小袋が目についた。やはり量は少ないが、状態はどれも良好だった。
「なんだか、記念写真ばっかりだよ」
「んー……。資料の方も、人形に触れてる部分は見あたらないなぁ。これも……、うん、たぶん山の話だ。庭で茶会を開いたとき、燗に使ったお湯をかけたら色が変わった気がするといつも良く呑む人が言い出した、とかなんとか」
写真は野森、文書は苡穂、と手分けして全てに目を通した結果、山井朋子の言った通り人形に関する情報は皆無だった。
二人は息をつきながら顔を見合わせ、やがて人形へと視線をすべらせていく。
苡穂が、あまり気のすすまなそうな声で言った。
「じゃあ仕方ない、この方に直接訊ねてみようか」
「ま、まさか脱がせるおつもりですか、お代官さま」
などと野森はあらぬことを口走りながら、両手を顔にあてがった。
「たわけ者、そんなことは……えっと、それは……最終手段だよ」
「嗚呼っ、そんな、お戯れをー」
なよなよと身をくねらせだした野森を無視しつつ、苡穂は改めて人形をじっくり観察し始めた。
手で触れることはせず、座った姿勢のまま上体を前傾させ、顔を近づけて良く見る。やがて、両手を畳について身体を浮かせ、少しずつ回り込むように何度か移動した。
「苡穂さん、座り方がだんだん正座っぽくなってるよ。ふふふ……人形につられちゃって、微笑ましい」
「そう言う野森に至っては完全な正座ですね。しかも何だかちょっと似合わない」
野森は背筋を伸ばすように胸を張って、片手の甲を腰骨にあてた。
「似合わないのは、まあねー、脚の長さがね、あれだから。いわゆるグローバルな水準ってやつだから」
「単純に〝脚が長い〟って言いなさい。それに、野森の場合は身長ごと長いよ」
「な、そんなことないよ。スリムのことをロングと取り違えてるんだきっと絶対そう」
「いいや、間違えようもなくロングです」
「何を言いますか、ご覧の通りショートヘアだよ、わたしは。ロングなのは苡穂さん! あなただ!」
「そのごまかしは却下です。残念ながら私、身体測定で聞いたのを覚えてるんだから。その高さ、実に百六十五.四センチでしょ」
「ああ、そんなあっさり言わないで……。くうーいまいましい、あと一センチ低ければ、一の位にまで四捨五入システムを存分に活用できたのになぁ……」
惜しくも平均身長に届いていない苡穂としてはその言いぐさは聞き捨てならず、軽めの口撃許可を下ろすことにした。
「そうだね、十の位に使えば、二メートルだね。あの山の標高とお揃いだね」
野森の精神に鈍いダメージが与えられた。横へしだれるようにへたりこみ、口元に袖を掴んだ手を寄せる。
「嗚呼々々っ、いたいけな乙女の身の丈を山の高さと揃えるだなんて……殺生なお方……。ひどいですわ、お代官さまー」
「よーし、その有り余る身長から五センチ分けてくれたら許すぞ」
「そうしたいのは山々ですが……、それでちょうど二人がお揃いくらいになりますし」
「あ、そうか。じゃあ七センチにする」
「ちょっと、なんでよー! ここは揃いましょうよー」
野森は前に両手をついて身を乗り出した。
『…………』
そんな二人の戯れを頭上に聞きながら、人形は、じっと動かないままだった。
――そして、彼らは、ついに動き出す。
「ははは……、もう、お代官さまったらー、殿中でございますぞ……って、うわっ、え!?」
まず、先に野森がその異変に気づいた。
完全な二度見で、庭の小山の頂上部分が焼きハマグリのようにぱかっと開く瞬間を目撃した。
苡穂も、笑みを瞬時に消してすぐにその視線の先を追い、同じように驚愕する。
「……あ。え、何……何で? あれって、開くの?」
「え? 苡穂ちゃん、なんで、知らないの? わたしが聞きたかったのに」
苡穂は何回かまばたきして、細い息を吐いた。
「知らない、知らない。何だろう……、地下室、かな?」
「ああ、そうだよ、それだ、きっと。核シェルターとかでしょ」
とひとり頷いて納得しかけていた野森は、
「あ! まって……何か、な……」
苡穂のそのただならぬ声を聞き、再び小山へ、恐る恐る目を向けてみる。
「……うへ、まぶしっ」
小山の中から突き出した頭部が、そんな声を発した。
青い、ミントアイス色の髪。細い手が、目元をかばうように現れた。
そして、それは小山の断面の淵を掴み、頭部から下の身体がすっと生えていく。
身軽そうに腕を伸ばしきり、腰をかけた。
どうやら男性である。ボタンが縦一列に並ぶ、伝統的な型のパジャマ姿だった。今引き上げられた下半身もまた、パジャマ。足にはでかいスリッパ。
「はい……手。気をつけて、まぶしいから」
とその男は部屋の二人には聞こえない大きさの声で、小山の内部に向けて言った。手を差し伸べている。
「…………寒っ」
中から、少女のものらしい、そして不機嫌な声がした。
続いて、紛れも無い少女の頭が、ひょこっと出てくる。が、その表情は険しい。
やや量が多く長い髪は、日差しを受けてアッサムティーのような赤茶色に輝くが、影の部分はほとんど黒だった。
「まだ寒いじゃん。これで春かよ……マジで? 温室効果ガス足んないだろ、実際。ほんっと、ガス欠惑星だな。このガス貧が……」
などと口の中で悪態をつきまくりながら、少女は男の差し出す手を完全に無視して自力で上りきった。
ドレッシーな丈の長い白シャツを着て、下は子供らしいハーフパンツとキャンバス地のスニーカーという服装。
パジャマ男は、壊滅的に不味い手料理を振る舞われたような表情を浮かべ、差し出していた手を開閉しながらぎこちなく引っ込めた。遠慮がちに、少女へと声をかける。
「いや、温室効果ガスも結構頑張ってるよ。それに今日は暖かいと思うけど……」
少女は数秒だけ空を見上げ、今自分が出て来たばかりの穴の奥へと両手を差し入れ始めていた。
「黙れクソバカ」
むしろ冷静な口調でそれだけ言い、茶色い、ずんぐりむっくりとしたものを穴から取り出す。
それは、鳥だった。
バスケットボール大の胴体に、長い脚が二本と、カーブした細いくちばし。
少女の手を離れて山肌に降り立つと、身体を膨らませつつ、ぶるっと振るえる。
「キィーウィッ」
「……あ、鳴いた」
部屋では、二人が身動きひとつせず庭の異常な光景を見続けていた。
思わずつぶやいた野森が、ちらと苡穂の横顔に目をやるが、人形のように無反応だった。