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羨望

「明良さん!早くー!」


玄関で、ドレスアップした妻の菜々子が明良を呼んだ。


「待って!ガス栓止めなきゃ!」


その明良の声に、一緒に玄関にいたマネージャーが、ついくすくすと笑ってしまった。

菜々子が笑いながら言った。


「明良さんていつもこうなのよ。独り暮らししてた男の人ってみんなこうかしら?」

「副社長は特別だと思いますよ。」

「そうよねー」


そう2人でクスクス笑っていると、タキシードを着た明良がやっと現れた。


「ごめん。遅くなって。」

「はい!おまじないやって!」


菜々子がそう言って、肩にかけているストールをすっと下げ、夫に背を向けた。


「え?今日は僕も一緒に行くから大丈夫じゃない?」

「だめ!やって!」


明良は苦笑して、菜々子の両肩にそっと手を乗せ、菜々子の首筋にキスをした。


「これでいいですか?」


明良がそういうと、菜々子は「ありがとう!」と言って夫に向いた。

このおまじないは、菜々子が口説かれないという効果があるというが、実際にはどうかわからない。

元々は、独りでパーティーに行くことが多い女優の菜々子を、明良が見送る時に唇にキスができない(口紅がとれてしまう)ため、咄嗟に妻の後ろから首筋にキスをしたことが始まりだった。

菜々子が言うには、その日に限って、菜々子を口説く男が全くいなかったらしい。(実は結婚してすぐだったため、皆、控えたものと思われる。)それから、肩を出すようなドレスを着る日は、おまじないと称して、首筋にキスをすることになったのである。


マネージャーは、この夫婦の仲睦まじさにはいつも当てられっぱなしである。最近は慣れたが。


……


パーティー会場につくと、もうかなりのゲストが来ていた。今回は映画監督の古希を祝う立食パーティーなので、大物俳優、女優等、芸能人のほとんどが集まっているともいえる。明良が呼ばれたのは、菜々子の夫であるということもあるが、相澤が事務所を立ち上げた時に、一番に主題歌の仕事を回してくれた大恩人でもあった。もうすぐ相澤も来るはずである。


「明良さん…香水の匂い…大丈夫?酔わない?」


菜々子が心配そうに明良に尋ねた。

明良は特異体質で、アルコール、睡眠薬、香料に極度に弱い。整髪料や香水の匂いでも酔ってしまうので、こういったパーティーはなるべく避けるようにしているのだが、今回はそういかなかった。


「会場がこれだけ広いから、大丈夫ですよ。」

「気分が悪くなったら言ってね。」


明良は、妻の腰に手を回して引き寄せる所作をして「ありがとう。」と言った。


…この2人の様子を、後ろのテーブルにいた、若い新人アイドルがじっと見ている。最近売れ始めたアイドルの少年だった。


(…なんか、むかつく…。)


少年は、明良も菜々子も知らなかったが、菜々子が会場に入ってきた時、一目ぼれのようなショックを受けたのだった。しかし、隣にいる明良が夫であることを知ると、急速に気持ちが冷めてしまった。…それでもやはり菜々子の美しさはまだ少年の心を捉えていた。明良がいわゆるハンサムなことも、更に少年を「ムカつかせて」いた。


……


パーティーが始まった。

監督の挨拶、主賓の挨拶、各有名人のお祝い等が何事もなく進んでいき、やっと乾杯となった。

乾杯が終わると、ゲスト達は各々テーブルを離れて、挨拶に動き出した。監督もそれぞれのテーブルに回っている。


(あいつ…お酒飲めないんだ。)


少年は、明良の持っているグラスを見てふと思った。


(飲んだら、どうなるのかな…実はすごく酒癖悪かったりして…)


もちろん少年のこれまでの経験にアルコール中毒などという文字はない。

少年はにやりと笑って、いたずらの機会を窺うことにした。


……


監督が明良達のテーブルに回ってきた。

明良と菜々子はグラスをテーブルに置いて、監督に体を向けた。そして「おめでとうございます。」と頭を下げた。


「今日は来てくれてありがとう。明良君、具合は大丈夫かい?香水の匂いがすごいけど…。」


明良の体質を知っている監督が言った。


「大丈夫です。すいません。お気遣いいただきまして。」


明良が頭を下げた。


「いやいや…無理を言ってすまなかったね。…菜々子さん、幸せそうだね。」


菜々子は顔を赤くして「ありがとうございます。」と頭を下げた。


「相澤君は?」


監督が辺りを見渡して言った。明良と菜々子はびっくりして、同じように辺りを見渡した。


「さっきまで、ここにいたんですが…」


と明良は言って「あ!あんなところに!」と目を遠くに向けた。

監督と菜々子もそちらを向くと、相澤は名刺を配っている最中だった。

3人は笑った。


「さすがに商売上手だね。」


監督が笑った。明良は「監督に挨拶もしていませんのに、すいません」と頭を下げた。


「構わないよ。社長はあれぐらいでなきゃ。」


監督は笑いながら言った。

その後、2、3言葉を交わして、監督は次のテーブルへ移動した。


明良と菜々子はテーブルに向いて、ほっとした表情を交わした。


「監督、テーブル全部回るの大変だろうな…」

「そうね。でもお元気な方だから…。」


明良はうなずいて、自分のグラスを取った。グレープジュースであることを確認して、飲んだ。


「ねぇ…明良さん…相澤さん、呼びもどした方がよくない?」


菜々子が自分のワインを持って、明良に振り返った途端、明良が崩れ落ちた。


「明良さん!?」


菜々子が驚いて、昏倒している明良の体をゆすった。


「明良さん!!」


周りのゲストがびっくりして、明良の傍へしゃがみこんだ。そして「誰か救急車を呼べ!」と口々に言った。

相澤がその騒ぎで気付き、こちらに駆け寄ってきた。

明良の息が荒い。意識はないようである。


「酒を飲んだのか!?」


その相澤の言葉に、菜々子は首を振った。


「…このジュースを…」


そう言って、テーブルの上のコップをさした。まだ半分残っているが、確かにジュース用のタンブラーに紫色の飲み物が入っている。


その時、パンツスーツの女性が駆け寄ってきた。


「救急車じゃ間に合わない!早く胃を洗浄しなきゃ!」


そう言って「鎌本!」と後ろを向いて声を上げた。「はい!」という返事と共に、体格のいい男性が、明良の体を横抱きにして担ぎあげた。周囲が驚きの声をあげた。

相澤と菜々子が2人について一緒に走り出した。


……


青い顔をして呆然としている少年に、1人の男がすっと近づいた。

少年が男を見上げると、男は明良が飲んだジュースの入ったタンブラーを持ち上げた。


「君だね。このジュースにワインを入れたのは。」


少年は思わず首を振った。


「しかし、ずっとあの夫婦の傍にいたのは君だけだよ。」

「!!」

「このテーブルにある全てのグラスの指紋を取ればわかるんだけどね。任意だが、君の指紋も取らせてもらえるかな?」


男はそう言って、タンブラーをテーブルに下ろすと、胸ポケットから黒い何かを取りだして、開いた。


「!!」


警察バッジだった。金色のバッジが少年の目に飛び込んできた。


「これも任意だが、ちょっと話を聞かせてもらおうかな。」


少年はその場に凍りついたように動かなかった。


……


会場のホテルの一室のベッドに明良は寝かされていた。胸元は開かれ、呼吸も落ち着いていた。胃の洗浄が早かったおかげで、救急車には乗らずに済んだのだ。菜々子が明良の濡れた髪をタオルで拭ってやっている。

明良を助けたパンツスーツの若い女性は、この近辺を所轄している署の監察医で「鍋島」といった。一緒にいた「鎌本」というのは、捜査一課の刑事だと言う。


「おかげで助かりました。」


菜々子が目を腫らしたまま、2人に頭を下げた。横で相澤も一緒に頭を下げている。


「いえ…。これが仕事みたいなものですから。」


鍋島がそう言って微笑んだ。心の中では(北条明良の体に触れた~)などと喜んでいる。


「今日はお仕事で来られていたんですか?」


相澤が2人に尋ねた。


「いえ、監督とはちょっとした知り合いだったもので…。パーティーに呼んでいただいたんですよ。」

「そうでしたか…。それは申し訳ないですね。お仕事でもないのに…」


鍋島と鎌本は首を振った。


その時、明良が目を覚ました。


「明良さん!」


菜々子が先に気付いて、明良の胸に手を置いた。


「…やっぱり倒れてしまいましたか…」


明良がそう言って、頭に手を乗せた。明良自身は香水の匂いでやられたと思っている。


「違うの、明良さん。たぶん、お酒を飲んじゃったの。」

「!?え?…」


明良は体を起こした。あわてて体を抑える菜々子に「大丈夫だから」と言って、座りなおし、鍋島達を見た。


「ご気分はいかがですか?」


鍋島が少し頬を染めながら、明良に尋ねた。


「この方たちが助けてくれたの。」


菜々子が涙ぐみながら言った。


「!!そうでしたか!…すいません。ご迷惑をおかけしてしまって…」


明良がそう言って、鍋島の手を取り握った。

鍋島は電流が走ったように、体を硬直させた。


「いっいえ!!…これも任務なので…」

「任務?」


相澤が「警察署の監察医さんだってさ。」と言った。


「そうですか…。」


明良の見開いた目で見つめられた鍋島は(今度は私が倒れるかも)と思ったくらい、緊張していた。


「でも…すいません。こんな時にこう言うのもおかしいんですが…」


相澤が少し笑いを堪えるような表情で言った。


「?」


全員が相澤を見た。


「鍋島と鎌本って…なんか笑えるんですが…」


鍋島達は「ああ」と言って、お互い顔を見合わせて笑った。


「よく言われるんですよ。「おなべ」と「おかま」ってね。」


その鍋島の言葉に、全員が笑った。菜々子も涙ぐみながら笑っている。


「それも、上司が「ノーマル」と言いましてね。」


と、鍋島が言うと、鍋島の遠く後ろにあるドアが開いて、男と少年が入ってきた。


「誰が、ノーマルだ。」


男がいきなりそう言ったので、相澤達が笑ってしまった。


「捜査一課の「能田」と言います。」


男がそう名乗って、頭を下げた。

明良達は頭を下げた。相澤などは、必死に笑いをこらえている。


「北条さんのグラスにワインを入れた犯人をお連れしましたよ。」


能田はそう言って、後ろにいる少年の背中に手をまわして、前へ押した。

5,6歩前へ出て、少年がうなだれている。

菜々子が怒ったように、少年に背を向けた。


「おまえが…!!」


相澤はこの少年がアイドルだということを知っているようである。


「ほんのいたずら心でやったそうです。北条さんが特異体質だとは全く知らなかったそうで…」


能田がそう言うと、相澤は少年の前へ近づいた。少年は思わず後ずさりした。

その少年を逃がすまいと、相澤は少年の胸ぐらを掴んだ。


「先輩!」


明良がベッドから降りようとしたが、菜々子に抑えられた。


「お前な…!いたずらにも程があるぞ!こいつが死んだら、どうするつもりだったんだ!!」

「先輩!!…知らなかったんですから…」

「知らなかったにしろ、普通、飲めない人のグラスにアルコールを入れたりするか!?」


本当は相澤を止めないといけないのだが、刑事達は黙って見ている。それぐらいはさせてやれという様子である。


「ごめんなさい…」

「ごめんですむか!!土下座して、明良に謝れ!」

「先輩!!やめて下さい!」


菜々子が自分の胸に抱きつくようにしているため、明良は立ち上がろうにも立ち上がれなかった。


「君…僕はこうして助かったから、今回は許します。でも、二度とこういうことをやらないと約束して欲しい。」


明良はそう少年に言った。

少年はこくりとうなずいた。明良がほっとした表情をした。


「うなずくだけか!?謝れ!」


相澤が胸ぐらを掴んだまま言った。


「先輩!手を離してください!」


相澤は明良にそう言われ、しぶしぶ手を離した。解放された少年の目からぼろぼろと涙がこぼれた。


「ごめんなさい…もうしません。」


泣き声でそう謝る少年に、明良は微笑んだ。


「もう帰っていいよ。」


明良がそう言うと、能田が後ろから少年の腕を取った。それを見た明良が慌てて言った。


「あの…彼は何か罪に問われるのですか?」

「ああ、いえ。北条さんが許したんですから、我々には出番がありません。」


明良がほっとした表情をした。

能田が少年に「行くぞ」と言って、腕を引いた。

少年は、菜々子の後ろ姿を見た。首筋が小刻みに震えている。

菜々子は、最後まで少年に振りかえることはなかった。


……


少年と能田が出て行った後、明良は自分の胸に寄り添って泣いている妻の体をそっと離した。


「菜々子さん、もう泣きやんで下さい。」


鍋島のジョークのおかげでやっと笑顔を見せていたのに、少年の出現でまた菜々子の機嫌が悪くなってしまっている。


「笑って…菜々子さん。ねっ。」


明良がそう言って、菜々子の唇に軽いキスをした。


それを見た、鍋島と鎌本はびっくりしている。

相澤が慌てて、明良達を隠すようにして、鍋島達の前へ進み出た。


「すいませんね。こいつらいつもこんな感じで…。後は若い2人に任せて出ましょうか。」


お見合いの仲人のようなことを言って、相澤は鍋島達を連れて部屋を出た。


……


部屋を出た相澤達は、パーティー会場へ向かった。


「ああ、いいなぁ…。」


鍋島がうっとりとした顔でそう言うので、相澤と鎌本が不思議そうな表情で鍋島を見た。


「明良さんと菜々子さんのラブラブぶりですよー…。旦那さんは、ああいう風に、さわやかにラブラブできる人がいいなぁ…」

「鍋島先輩自身がさわやかじゃなきゃ、無理じゃないですか?」

「私さわやかじゃないっての?」

「自分の胸に手を当てて、よく考えて下さい。」


鎌本はそう言うと、思わず吹き出している相澤に「失礼します」と頭を下げて、走り出した。

鍋島も相澤に頭を下げ「鎌本!」と叫んで追いかけた。


「署に帰ったら覚えておけ!注射してやるー!!」


相澤はその2人を見送りながら笑った。

その時、能田が角から姿を現した。

そして走り去る2人を見て、眉をひそめ、相澤に苦笑して見せた。


「刑事さんも最近はコントやるんですね。」


相澤がそう言うと、能田が笑った。


「お見苦しいところをお見せしまして。」

「いえ。ガチガチな刑事さんよりはいいですよ。」


相澤がそう言って「あ、そうだ」と名刺入れを胸ポケットから出した。

そして、能田に名刺を差し出した。


「私、芸能プロダクションをやっています「相澤励」と言います。またお世話になることがあるかもしれません。」

「これは、ご丁寧に。」


能田も自分の名刺を出して、お互い交換した。そして肩を並べてパーティー会場へ向かった。


「相澤さんと北条さんはアイドルユニットを組まれていましたよね。よくテレビであなた方を見ていました。」

「ありがとうございます。もう遠い昔のようですが…。」

「実は北条明良さんがデビューした頃に、命を狙われて刺された事件がありましてね。その時、私が担当になったんです。」

「ああ!あの時は僕は明良とは知り合っていなかったですが、その話は知っています。…そうでしたか…。」

「あの時も、北条さんは被害届を出さず犯人を許していた。…確か、彼はまだ20歳前だったと思うんですが…。」

「ええ。あいつのデビューは確か18でしたね。」

「若いのに、できた子だと思いましたよ。よろしくお伝えください。」

「ええ、必ず伝えます。」


相澤が言った。


……


「だからだな、明良。」


メッセンジャーの向こうから、明良は相澤に怒られていた。


「どこでもかしこでも、菜々子さんとああするから、今回のようなことになるんだ。」

「…すいません。」


明良は縮こまっている。


「場所をわきまえて、行動するように。」

「はい。」

「わかれば、よろしい。」


明良はただただ頭を下げている。


「あ、それでさ。あの能田って刑事さん。お前が命を狙われて刺された事件の担当だったらしいよ。」

「えっ!?…あの刑事さんですか!」

「お前のことを「できた人だ」とほめてたよ。」

「…そうでしたか…。」


明良は何か感慨深げに、下を向いている。


「よかったら、あのおなべとおかまと一緒に、食事に行きましょうだって。」

「先輩、おなべとおかまって…」

「だって、それノーマルさんが言ったんだもん。」


明良が大笑いした。


「能田さんですよね。」

「ああ、そう言えばそうだ。」


2人は笑った。


「それで、菜々子ちゃんのご機嫌は直ったかい?」

「大丈夫です。パーティーは遠慮させていただきましたが、家に帰ってから落ち着きました。」

「また家に帰ってラブラブしてたんだろ。」

「!!」


明良が顔を赤らめた。


「ま、家じゃ、俺は何も文句言えんな。今度は俺がお前のジュースにワイン入れるかもしれないから、気をつけろよ。」

「先輩!!」


相澤の笑い声と一緒にメッセンジャーが切られた。


(終)

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