引退
相澤と明良の引退番組が始まった。
番組からの希望で、生で歌わなければならない。ただダンス曲は1曲だけにしてもらった。
「あー…胃が痛い。」
相澤が言った。明良は苦笑したが、気持ちはわかる。
「飲みすぎですか?」
そうわざと明良が言うと、相澤は「ばか」と言って、笑った。
「…お前と一緒に歌うのも最後だな…。寂しいよ。」
「……」
明良は涙が出そうになって、ふと横を向いた。
「まだ泣くなよ。」
「…わかってますよ。」
明良の声はもう涙声になっていた。
・・・・・
「うわー…若…」
生放送収録中、相澤と明良は自分達が、明良の復活番組で踊っているのを録画で見ていた。もちろん、これはそのまま放送されている。
相澤は腕を組んで笑みを浮かべながら見ているが、明良は真剣な表情をしていた。
(…この頃が一番うまかった…)
そう思っていたのだ。今はとてもじゃないが、こんなにキレのある踊りはできないと思った。百合さんが褒めてくれていた「迫力」もわかるような気がした。
「この復活番組の後に…」
司会の女性アナウンサーが言った。
「解散の危機があって、サプライズをされましたよね。」
「!?」
2人は何も言えなかった。あれは他局の番組だったからだ。
「こちらもサプライズです。ビデオお借りできました。」
相澤と明良は固まって動かない。
「サプライズのビデオ、どうぞ!」
女子アナウンサーがキューを出した。
すると、相澤がその他局の音楽番組の司会者と話しているところがながれた。
「うわー…」
相澤が思わず声を出している。
明良も真剣な顔で画面を見つめていた。
この時は、もう世間では、明良と相澤がユニットを解散したものと思われていた。だが、2人は秘密裏にこっそり連絡を取り合い、このサプライズの準備をしていたのだ。
曲が始まった。イントロはほとんど相澤のアップだったが、相澤が歌う寸前、カメラが引いて、全体を捉えた。そして明良が何かを投げたのが映った。
「ここじゃ、まだテレビを見てる人はわかってないな。」
相澤の言葉に、明良がうなずく。
しかしすぐにカメラが珍しくぶれて、慌てて明良の顔を映した。
「うわ…」
明良は恥ずかしさに、思わず両手で顔を伏せた。
かなり緊張した顔で踊っている。
カメラは、動揺する歌手たちや客席も映していた。
「かなり驚かれていますよね。」
司会者が言った。
間奏で、上下で2人が振りを合わせて踊っているところは、正直自分達でも思わず拍手するくらいぴったりあっていた。
「この頃が…一番良かったなぁ…。」
相澤が呟いた。明良はふと下を向いた。もう涙がこぼれそうになっている。
最後に2人が抱き合っているシーンには、さすがの相澤も両手で顔を覆った。
「恥ずかしー!めっちゃ、青春してるこいつら。」
照れ隠しにそう言っている。明良も笑ったが、この時に相澤との友情が更に深まったような気がしていた。
・・・・・・・・
実は、今日1曲だけ踊るのは、このサプライズの時の曲だった。
「えー?これ見た後に踊るのー?」
相澤が言った。明良も手で片目を覆って、とまどった表情をしている。
「大丈夫です!大人の踊りを見せて下さい!」
司会者の言葉に、2人は思わず笑った。
「そう来たか。うん。そういうことにしようか。」
と相澤が言い、明良がはーっと息をついた。
「スタンバイ、お願いします!」
司会者にそう言われ、何か2人とも、とぼとぼと歩きだした。
スタッフが笑っている。
2人はスタンバイしながらも、お互い「どうする?大丈夫か?」というような会話を交わした。
サプライズと同じように、相澤が段上、段下に明良がスタンバイし、明良の両隣りには、若いダンサー達が2人ずつスタンバイした。明良は両方のダンサー達に会釈した。ダンサー達も返してくれた。
「明良…いいか?」
相澤がマイクをはずして言った。
「…待って…」
明良が答えた。…緊張で体が震えてしまっていた。
「泣きながらでもいいから、最後まで踊ろう。」
相澤のその言葉に、明良はうなずいた。そして、背中に手をまわしてOKの合図を出した。
相澤がゆっくり2回指を鳴らした。
同時に歌いだす。見事なハーモニーに、思わずスタッフから拍手が起こっていた。
イントロが流れ、2人とダンサーたちが動きだす。
後は、ただ2人とも夢中だった。
若い頃の記憶が何度もフラッシュバックする。
間奏のところは、明良が段上に上がり、2人で並んで踊った。
お互いの振りがぴったり合っているのがわかる。
そして、曲も終り、最後のポーズを取った。
明良が上げていた手を、ゆっくりと下ろして目を閉じたとき、相澤が背中から明良を抱きしめてきた。
明良も振り返って、相澤を抱いた。
「俺たち、まだ青春してるよー」
その相澤の泣き声に、明良は泣きながら笑った。
・・・・・
生放送なので、ゆっくり余韻に浸る暇もなく、次の曲となった。
「お2人とも大丈夫ですか?」
司会者の女性がそう声をかけてくれた。
「体が痛いですが、大丈夫です。」
相澤がそう言うと、スタッフが笑った。
この後は1曲ずつ、1人で歌う。
相澤は自分の曲で一番気に入っているのを選んでいた。
しかし明良は…。
相澤の曲が終わり、明良の番となった。
「明良さんの曲は、私もびっくりしたんですが…合唱曲ですよね。」
明良が少し照れくさそうに笑った。
「今、スタジオにも合唱団の方にスタンバイしていただいていますが、この曲はどうして?」
「妻と出会った時に、口ずさんでいたんです。死んだ姉のことを思い出しながら…」
「わー…ロマンチックですねぇ!」
「曲の内容とは違いますけど…」
明良がそう言って、頭を掻いた。
「ずっとお好きだったんですか?」
「そうですね…。いつからか覚えていないんですが、辛い時とかに口づさんでいました。でも歌いこなすことがどうしてもできなくて…今日はうまく歌えるか心配です。」
「この曲はいろんな歌手の方が歌詞をつけておられますが、合唱曲の平井多美子さんのを使われるんですね。」
「そうです。姉に守られていたことを思い出せるので、この歌詞がいいですね。」
スタンバイOKのサインが出た。
「では、明良さん、スタンバイお願いします。」
司会者に言われ、明良は合唱団の前に立った。そして合唱団に振り返って、深く頭を下げた。
合唱団と指揮者、オーケストラの団員達がびっくりしたように、明良に頭を下げ返している。
明良は微笑んで「よろしくお願いします。」と言い、カメラに向いた。
「スタンバイできたようです。では、北条明良さんで「モルダウの流れ」です。」
オーケストラがイントロを流した。
最初の1番はは明良が独りで歌った。オペラ歌手のように声を張るのではなく、語りかけるような歌い方で歌うので、一瞬、スタッフや相澤達が息をのんだのがわかった。
2番から合唱団が入った。明良の声が負けるかもしれないように思えたが、明良の歌声は合唱団とは全く違うトーンなので、それが逆に想像以上の効果があった。
最後は本当は、かなりの盛り上がりを見せて終わる曲だが、一番最後のフレーズは合唱団の方にもお願いして、静かに歌ってもらった。
必死に涙を堪える明良の顔がアップになった。それがわかったのか、明良は照れくさそうに横を向いた。
そして合唱団とオーケストラに振り返り拍手をした後、頭を下げた。
拍手がなかなか止まらなかった。
「さて、これが本当に最後の曲になるわけですが…お2人のユニットのデビュー曲ですよね。」
司会者と相澤達は並んで立っている。
「そうです。」
相澤が答えた。
「びっくりしたんですけど、デビュー曲はバラードだったんですね。」
「そうそう。明良が首を痛めてた時なので、バラードになったんです。」
「ちょっとその時のビデオを見てみましょうか。」
「えー?また比べるのー?」
その相澤の言葉に重なって、スタッフの笑い声の中、ビデオが回った。
2人は最初、離れて歌っているが、途中からお互い向き合い、近づきながら歌った。
「…これ、姉貴の趣味なんだよな。」
相澤が呟いた。明良は苦笑した。
2人は見つめあって歌っていたが、曲が終わった途端、照れくさそうにさっと顔を背けていた。
2人は思わず笑った。ビデオの中でもスタッフの笑い声が入っている。
「…今日はどうなるんですか?見つめあいます?」
「最後に見つめあっとくか。」
相澤がそう明良に言った。明良は笑ってうなずいた。
曲のイントロが流れた。
ビデオの時と全く同じようにして2人は歌った。
見つめあって歌うところは、もはや2人は照れくさそうな笑顔を見せている。
しかし、途中で明良がマイクを下ろした。そしてそのマイクを持った手を額に乗せて泣き出した。
相澤は独りで歌いながら、明良に駆け寄るようにして明良の頭を抱いた。そして歌いながら「ちゃんと歌え」というように、明良の背を叩いている。
明良がやっとマイクを持ち直した。最後まで歌いきると、やっぱり2人は抱き合っていた。
司会者がもらい泣きをしている姿が映った。スタッフが拍手をしている姿も映っている。
すべてが終わった。
スポンサーの紹介のところになった時、スタッフが明良に何かのサインをした。相澤が先に気づいてそちらを見ると、慌てて明良の肩を叩き、カメラの後ろを指差した。
妻の菜々子が花束を持って立っていた。
明良は思わず妻に駆け寄っていた。そして抱きしめた。
「明良さん、とっても素敵だったわ。」
明良に抱きしめられたまま、涙声で菜々子が言った。
「ありがとう…。」
そう言って、体を離すと、菜々子は持っていた花束を明良に渡した。
受け取った時、菜々子が明良の涙をハンカチで拭いてくれた。
…明良は気付かなかったが、その様子もずっと放映されていたのだった。
・・・・・
「お前のあの時のモルダウがさ…えらい反響あったんだって。」
まだ準備中の事務所の社長室で、相澤が言った。事務所は開設していないが、営業だけは始めていた。
「え?そうなんですか?」
明良は相澤が入れてくれたコーヒーを飲みながら言った。
「でさ…おまえ「モルダウ」レコーディングしない?」
「えっ!?…だってもう歌わないって。」
「レコーディングだけだよ。お前の最後の曲で、うちの事務所のデビューシングルってわけだ。」
「!…」
「頼むよ。合唱団は無理だけどさ、小さなオーケストラは用意できるから。」
「わかりました。…社長がそうおっしゃるなら…」
「よっしゃ!決まり!」
相澤がガッツポーズをしている。早速、簡易机に座り、電話をかけだした。
「でもなぁ…」
その明良の呟きに、相澤があわててかけかけた電話を切って「どうした?」と言った。
「あ、いえ!なんでもないです!」
明良がそう言いながら、あわててコーヒーを飲む。相澤は不思議そうな表情をしたが、再びプッシュホンを押した。
(本当はそっとしときたかったんだけどな…)
明良は菜々子と出会った瞬間を思い出していた。
・・・・・・・・
明良は、モルダウを口ずさみながら、川を見ていた。
すると、突然「明良さん!」という優しい声が聞こえる。
その声に振り向くと姉の姿が見えた。しかしその姿が一瞬にして消え、菜々子がいた。
…その菜々子の姿はまるで、天使のように輝いて見えた。
(終)