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迷い

「ねぇ!明良さん、これ!」


ワンピースを着た菜々子が試着室からでてきた。そして椅子に足を組んで、座って待っている明良に呼びかけた。


「…よく似合ってますよ。」

「ほんと?」


明良の言葉に菜々子が嬉しそうに答えた。

付き合い始めてひと月経つ。今日は六本木のブティックに2人は来ていた。

店の前は大変なことになっていた。ギャラリーもすごいがレポーターもいる。


(菜々子さん効果だな。)


明良は冷静にそう思っていた。


「買っていい?」

「ええ。」


菜々子は店員に「このワンピースいただくわ」と言って試着室に入っていった。

店員は「ありがとうございます。」と頭を下げていた。


・・・・・・


「明良さん、ありがとう!」


喜んでいる菜々子に、明良が微笑む。


ワイドショーでは、そんな2人を冷静に見ている。

明良が最近あまりテレビに出ていないため、菜々子と付き合うことは売名行為だと痛烈に批判していた。

対して菜々子は、人気が急上昇している。

それは「今後一切脱がない」と事務所に言ったことから始まった。

事務所はそんな菜々子に仕事を回せないと抵抗した。だが菜々子は強気だった。じゃぁ辞める…と言ったのである。

突然菜々子がそう強気になったのは、もちろん明良のためである。

困ったのは事務所の方だった。

今、菜々子に辞められたら困る。でも、菜々子を脱がせることによって、今まで思った以上に稼げていたのは確かである。

事務所は菜々子を説得した。だが菜々子は決して首を縦に振ることはなかった。元々清純派だったこともあり、そのことで逆にファンを増やした。

そのうちに事務所も何も言わなくなった。


…それでも菜々子はさほど喜んではいなかった。菜々子が忙しくなり、明良との時間が取れなくなったからである。

明良に会いたくても、会えない日が続くようになった。それでも菜々子は、その忙しさに心地よさを感じるようになった。

最初は、明良と会えない日を数えていたが、会えなくても、耐えられるようになってきていた。



そのうちに明良から連絡が来なくなった。忙しい菜々子は、そのことにもあまり気にすることがなくなっていた。

明良との絆はどんなことがあっても切れないように思っていたのである。


・・・・・・


久しぶりに休みが取れたある日…


菜々子は前の晩から、眠り続けていた。このところ、ずっと休みがなかったのだ。

目が覚めた時は、もう夕方になっていた。


「…久しぶりに、よく寝たー!」


菜々子はベッドの上で、伸びをした。

携帯のメールと電話をチェックしたが、何もなかった。


(これはこれで寂しいけど…)


と思ったが、対して気にはしていなかった。



すると、突然マネージャーから電話が入った。


「おはようございます。」


菜々子はそう言って電話に出た。


「あの…北条さんが…」

「…?明良さんがどうしたの?」


久しぶりに聞いた名前のはずなのに、その時も何も感じなかった。


「…声が…出ないそうで…」

「声が?…どういうこと?」

「…ポリープみたいなのができているそうなんですが…もしかすると…悪性かもしれないと…」

「!?…ガン…ってこと?」

「…まだ検査の結果が出ていないとかで…」

「いつ入院したの?」

「先週の金曜日だとか…」


もう5日も経っている。


「…明良さんのいる病院教えて。」


菜々子は急いでメモを取った。


・・・・・・


菜々子は病院へ急いでタクシーで向かった。

看護婦から、もう面会時間がほとんどないと言われたが、少しだけでも明良の顔を見たいと思っていた。考えてみれば、かなり久しぶりなような気がする。


「まぁ!よかったわ!」


病室へ向かう菜々子の顔を見て、通りがかった婦長がうれしそうに言った。


「?」

「北条さん危なかったんです。今日目覚めたところなんですよ。」

「え!?」

「北条さんは特異体質なので麻酔が難しくて…。充分気をつけたんですけど3日間目覚めなくて…」

「!!」

「お昼にやっと目覚めて、ほっとしたところだったんです。」


菜々子は婦長に頭を下げると、急ぐように病室に向かった。


……


明良がいる病室を覗いた。

ベッドに明良が寝ている。菜々子がそっと近寄ると、明良の目がすっと開いた。


「明良さん…」


菜々子がそう声をかけると、明良がにっこりと微笑んだ。

そして、自分の喉を指差して、両方の人差し指で、×のマークを現した。

菜々子はうなずいた。声を出せないというサインだとわかった。

明良は、枕元にあったメモ帳とペンを取った。

筆談するのだと菜々子は理解した。


『テレビで見てた。…元気そうで何より。』


メモ帳に、明良がそう書いた。菜々子は「元気よ」と言った。

意識不明だったことは知られたくないのだろう…と思い、菜々子は何も言わなかった。

明良が微笑んで、ペンを動かした。


『これからもがんばって』


と書いた。菜々子は「ええ。ありがとう。」と明良に微笑んだ。


『…もうここに来ちゃいけないよ。』


新しい紙に明良がそう書いたのを見て、菜々子は驚いて明良の顔を見た。

その菜々子の表情を見て、明良はただ首を振っている。


「どうして?どうして来ちゃいけないの?」


菜々子は明良に尋ねた。明良は微笑んで、またメモ帳にペンを走らせた。


『とにかく来ちゃいけない。何も聞かないで。』


「…どういうこと?」


菜々子がそう震える声で言うと、明良はあわててまたメモにペンを走らせた。


『ガンじゃないのは検査で結果が出たから、大丈夫。』


菜々子がそれを見て、ほっとした顔をした。


『でも、もう来ちゃいけない。』


「明良さん?」


『…今までありがとう。』


明良はそうメモに書いた。


「…どういうこと?別れるということ?」


そう菜々子が言うと、明良が目を伏せた。


「明良さん…?」


その時、看護婦が病室に入ってきた。


「…すいません。…面会の時間がもう…」

「あ、はい!ごめんなさい。」


菜々子は、ふと明良の顔を見た。明良が微笑んでうなずいた。

菜々子は明良に手を振った。明良も手を振っている。

菜々子は病室を出た。


・・・・・


数日後、明良の退院を告げるニュースを見た。


「よかった…。」


菜々子は心からほっとした。

しかしその日はドラマの撮影があり、明良に連絡を取る時間がどうしても取れなかった。


・・・・・・


夜中…疲れ切っていた菜々子の耳に、携帯の着信音が響いた。


「なぁにー?こんな夜遅くに。」


菜々子はそう呟いて、携帯を見た。画面には「相澤さん」と出ていた。


「!…」


菜々子は電話を取った。


「もしもし?」

「菜々子ちゃん?」

「はい。」

「ごめんね。こんな夜中に。今、いいかな…。お昼は仕事がいっぱいだって聞いたから、なかなか連絡を取れなくて…」

「いえ…私の方こそごめんなさい。」

「あのさ…明良から連絡ない?」

「…ないです。退院前に病院に行ったんですけど…。もう来ないでいい…って…」

「そうか…」


相澤がその言葉の後、沈黙した。


「相澤さん?」

「明良なんだけど…」

「はい?」

「実は…退院してからも、あいつ声が出なくて…」

「!?…え!?」


菜々子は、初めて体が震えるのを感じた。


「…菜々子ちゃん…明良のところへ顔を出してやってもらえないかな…」

「…仕事が…」

「そうだよね…。実は明良にも口止めされてたんだ。」

「!?」

「ただ…明良のこと…忘れないでほしいんだ。」

「…相澤さん…」

「…ごめん。それだけ言いたかった。」

「……」

「じゃ、ごめんね。」


相澤の電話が切れた。


……


明良の声がでない…。菜々子はぼんやりと、撮影の休憩中にそのことを考えていた。

そして、明良の「モルダウの流れ」を歌う声を思い出した。

その時の明良の声は澄んでいた。何か子守唄を聞くような、優しい声だったことを思い出した。


(明良さんの歌…聞きたいな…)


ふと菜々子は思った。

……


翌日、菜々子は撮影の休憩中に明良にメールをした。


『退院、おめでとう。』


すると、明良からすぐに返事が返ってきた。


『ありがとう。』


菜々子はほっとして、またメールをした。


『まだ声が出ないって聞いたけど…』


『うん。よくわからないんだけど…テレビで見てる。頑張ってるね。』


『明良さんも、早く声が出せるようにがんばってね。またモルダウ聞かせてね。』


『菜々子さんとは、もう会わない。』


菜々子は明良のその言葉に驚いた。『どうして?』とすぐに返信した。


『たぶんこれからずっと、僕はあなたに何もしてあげられないと思う。それなら僕があなたの傍にいる必要はない。』


「!」


菜々子は返信するのを忘れ、携帯電話を持ったままその文章をぼんやり見ていた。


『声が出るようになっても、たぶん前のようには歌えないと思う。僕はもう引退を考えていたし、いい潮時だと思ってる。でも仕事ができない僕が、このまま菜々子さんの傍にいると迷惑をかけてしまうような気がする。』


それを見た菜々子の目に涙があふれた。

続けてまたメールが入った。


『だから…もう会わない。でも僕は、あなたのファンでずっといるから。』


「嫌…」


菜々子はそう呟いたが、もちろん明良には届かない。


『ずっと応援してるから。』


「嫌…!」


その後、メールは入ってこなかった。


……


その後の撮影は散々なものになった。

菜々子の目はずっと腫れたままで、それをメイクでごまかせても、菜々子自身がセリフを言えなくなった。

結局、翌日撮り直しとなったのである。



帰りの車の中で、菜々子は何度も明良に電話をした。だが電源が切られているようなメッセージしか帰ってこなかった。


「北条さん…つながりませんか?」


マネージャーが運転しながら言った。


「ええ…」

「心配ですねぇ…」


その時、橋にさしかかった。


「!…」


菜々子はあわてて辺りを見渡した。そしてはっとした顔をすると、


「止めて!」


と言った。

マネージャーが驚いて、ブレーキを踏んだ。


「先に帰ってて!」


菜々子は車を飛び出した。


……


明良が橋から川を眺めていた。

初めて出会った時と、全く同じだった。

菜々子はゆっくりと、明良に近づいた。

明良が菜々子に向いて、目を見開いた。


「…独りで勝手に決めないで。」


菜々子がそういうと、明良は視線を反らした。


「…明良さんのせいで、あのメールの後の撮影は散々だったのよ!…皆に迷惑かけたんだから!」


菜々子がそう言うと、明良は申し訳なさそうに下を向いた。そして、菜々子に体を向けると小さく頭を下げ、背中を向けて歩き出した。


「明良さん!」


菜々子が追いかけた。


「…どうして怒らないの!?」


明良が立ち止った。


「声が出なくても…怒ってよ!どうしていつも…自分ですべて背負っちゃうの?」


菜々子はそう言って明良の前に回った。


「手術のことだってそう…目が覚めなかったことだって…どうして言ってくれなかったの!?」


明良は目を合わさないようにして、菜々子を避けて再び歩き出す。


「行かないで!」


菜々子が再び明良の前に回り、明良の体を抱きしめた。が、明良は抱き返さない。

そっと菜々子の両腕を取った。そして菜々子の体をゆっくり離した。

菜々子が驚いて明良を見上げた。明良は無表情のまま、また菜々子を避けて歩き出した。


(本当にもう…駄目なのね…)


菜々子の目に涙が溢れた。



「間に合った!」


その声に驚いて、菜々子は振り返った。

相澤が車から降りて、明良に向かって走り寄ってきていた。

明良も驚いて立ち止まっている。


「ここにいたとはな。」


相澤はそう言いながら明良に駆けより、そのまま両肩を掴むと明良の体を菜々子に向けさせた。そして、明良の肩を背中から抑えたまま言った。


「いいか。逃げるな!…今、堪えないと、お前と菜々子ちゃんは一生苦しむことになる。」


明良の目が見開いた。


「お前が独りで苦しむだけなら俺だって気にしない。お前は慣れてるからな。…でも、罪のない菜々子ちゃんまで苦しめることは俺が許さない。」


明良が目を伏せた。菜々子は手を口に当てて、涙を必死に堪えている。


「行け!」


相澤が明良の背中を押した。明良は動かない。


「ほら早く!声が出ないんだから、自分の気持ちを正直に体で表せ!」


だが、先に動いたのは菜々子の方だった。菜々子はそのまま明良に駆け寄り、明良の体を抱きしめた。


「私にチャンスをちょうだい…」


菜々子のその言葉に、明良の目が再び見開かれた。

菜々子は、体を離して明良の顔を見た。


「あなたの心を取り戻す、チャンスをちょうだい。」


明良の目に動揺が浮かんだ。


「あなたの歌が聴きたいの。…あなたの傍で…。」


明良はふと顔を背けて、涙を堪えるような表情をした。


「お願い…!」


菜々子はそう言って、明良の体をもう1度抱きしめた。明良の体が小刻みに震えているのを感じる。

明良はやっと、菜々子の頭を抱くようにして、菜々子を抱きしめた。


「…明良さん…ごめんね…」


抱き合う2人の後ろで、相澤がほーっと大きく息をついた。

そして、反対車線にいる車に親指を立てて見せた。

それは、菜々子のマネージャーの車だった。



……


1ヶ月後-


明良は自分の手を枕に、ソファーに寝転んで歌っていた。

スメタナの「モルダウの流れ」である。明良の澄んだ声が部屋に静かに広がっている。

歌い終わると、ふと自分の胸元を見た。

菜々子が明良の胸の上に頭を乗せて、じっと明良の歌を聴いていたのだ。


「菜々子さん、終わりましたよ。」

「も1回」

「えっ!?もう1回?」


明良が聞き返した。


「もう1回」


菜々子が言った。


「菜々子さん、これでもう3回目じゃないですか。」

「だって、ずっと聞いていたいんだもん…。」

「僕はレコードじゃないんですよー。」

「でももう1回。」


明良ははぁっとため息をついた。そして、菜々子の顔を見て微笑んでから、歌いだした。



……明良が菜々子にプロポーズしたのは、それから半月後のことだった。


(終)

最後までお読みいただきありがとうございました(^^)

この夢想に出てくるのが、合唱曲「モルダウの流れ」です。

皆さん、中学校の時、合唱で歌いませんでしたか?娘は知らないって言うんですよ。

今は歌わないのかな?

旋律はとても悲しいんですが、歌詞はどちらかというと、モルダウを讃える歌なんです。

平井多美子さんという方が作詞をされているんですが、いい歌ですよねぇ。

歌詞をそのまま書くと著作権的にだめかなぁと思って、書きませんでした。

現在でも、斎藤和義さんがそのまま歌ってらっしゃったり、交響曲「モルダウ」を元に、藤澤ノリマサさんや、平原綾香さんも詞をつけておられます。メロディーがとても神秘的な感じでいいですよ。

よかったら、聞いてみてください。


ここで、明良はポリープの手術をするんですが、調べてみてびっくりしました。

今、ポリープの手術って全身麻酔だそうですね!

で、まず手術後1週間は、しゃべるのも駄目。その後1カ月は、普通の会話しか駄目。

それ以降で歌ってもよし…という段階があるそうです。


では、次回もよろしくお願い致します(^^)

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