出逢い
女優の香月菜々子は撮影を終え、外へ出た。
(あーー…嫌だった…)
今日のベッドシーンの撮影を思い出すとぞっとする。好きでもない男性に、たとえ演技とはいえ抱かれるのは、やはりいい気分じゃない。
『よかったよー、菜々子ちゃん。」
相手の男優に言われて、菜々子は背中に寒気が走るのを感じた。でも仕事を選べるほど売れてはいない。
女性のマネージャーが車を出して、待っていてくれた。
「お疲れ様です。」
「お疲れ様。ありがとう。」
菜々子はそう言って、車に乗った。
……
菜々子は、車の中から、夜の景色を見ていた。
「明日は久しぶりのお休みですねぇ。」
車を運転しながら、マネージャーが言った。
「ええ。ゆっくり寝れるわ。」
「それがいいです。昼も夜もなかったですもんね。」
「マネージャーもお疲れ様。」
「いえいえ。」
ふと通り過ぎた景色に、見たことのある横顔がさっと目に映った。
橋の上で、川を眺めている。
「マネージャー、止めて!」
「は?あ、はい。」
マネージャーもその人物を見て、車を止めた。
菜々子は車を降りて、外へ出た。思わず気温の低さに肩をすくめた。
何か歌が聞こえたような気がした。
「明良さん!」
菜々子は、川を眺めている北条明良に声をかけた。その瞬間(やだ。どうして下の名前で呼んだのかしら…)と思った。
明良は振り返った。とたんに、驚いた目でしばらく固まったように菜々子を見ていたが、
「…菜々子さん。」
と言って、微笑んだ。
菜々子は、明良に近づきながら言った。
「どうして、こんなところに…。お独りですか?」
「ええ…。」
「こんな寒い日に、どうされたんです?」
「…考え事…ちょっといろいろとありまして。」
「そう…。」
声をかけたものの、どうしてわざわざ明良に声をかけたのか、自分で不思議に思った。
「あの…今、私家に帰るんですが、一緒に車に乗りませんか?家までお送りします。」
「ああ…それはどうも…でも、僕の家はすぐ近くなんですよ。」
「え?ああ、そうでしたか…。」
「お気遣いいただいてすいません。」
「いえ…そんなこと…。」
菜々子はそう言って、その場を去ろうとしたが、やはり明良をここに独りで置いておけないような気がした。
「あの…明良さん、お茶でも一緒にいかがですか?」
明良は目を見開いて菜々子を見た。
……
夜とはいえ、喫茶店は大騒ぎになった。
そりゃそうだ。アイドル(といっても、もう30近いが)の北条明良と女優の香月菜々子がそろって入ってきたのだから。
マネージャーには、悪いが帰ってもらうことにした。しかし彼女も早めに仕事が終わってほっとしただろう。
「うーん…私はミルクティーで。明良さんは?」
「じゃぁ…僕も同じものを。」
2人がそう注文すると、ウェイターは顔を赤くしながら頭を下げて、その場を去った。
「…もう11時過ぎてたんだ…」
明良が時計を見ながら言った。
「そうですね。」
菜々子がそう答えると、明良は眉に皺を寄せて言った。
「こんな時間まで撮影ですか?」
「まだ早い方ですわ。」
「女性をこんな遅くまで働かせるなんて…」
明良がそう言った時、さっきのウェイターがミルクティーを2つ持ってきた。
「ありがとう。」
菜々子がそういうと、ウェイターは真っ赤になった。
……
明良と菜々子はミルクティーをそれぞれ一口飲んだ。
「あー…あったまりますね。」
明良のその言葉に、菜々子はふと思い出した。
「そうそう…明良さん、どうしてあんな寒いところにいたんですか?」
明良は苦笑した。
「家で考え事をすると、悪い方に考えがいっちゃうんですよ…。だからいつも外で考え事をするんです。特に、川の流れを見ながら考えていると…まず気持ちが落ち着くんですよね。」
「…そうなんですか…」
「変な男でしょう?」
「いえ、そんな!…考え事と言うのは悩み事ですか?」
「…ええ…」
明良の顔が少し翳った。菜々子は(だから、なんとなくほっとけなかったんだ)と自分の感に自分で感心した。
「…そのお話お聞きしたいけど…ここでは無理ですね。」
明良はその菜々子の言葉に、ふと辺りを見渡して笑った。
「ええ。ここではちょっとね。」
「あの…女の方から厚かましいとは思いますけど…連絡先…教えていただけます?」
「え?」
明良が驚いた表情をした。菜々子は顔が火照るのを感じた。
「…ごめんなさい。」
「いえ…違うんです。…まさか…大女優さんにそんなこと言ってもらえるとは思わなくて。」
「大女優なんかじゃありません。」
「僕には大女優さんですよ。…そもそもこうしてお茶に誘っていただけただけでも、緊張するのに。」
菜々子は(そんな風には見えないけど)と思ったが、これは口に出さなかった。
結局その日、2人は赤外線通信を使って、連絡先を交換した。
……
翌日、昼過ぎに明良からメールが来ていた。
『昨日は楽しかったです。ありがとう。』
その1行だけだった。
菜々子は「こちらこそ」と件名に入れてから、「私でよければ、昨日の考え事、教えて下さい。」と本文に入れ、返信した。どうしても明良の悩みが気になるのだ。そして、すぐに返信が返ってきた。
『今夜も会いませんか?』
菜々子は胸がはずむのを感じた。
『どこか、ゆっくり話せるところで。…でも、どこがいいかな。』
「そうねぇ…」
菜々子も困惑した。自分の家はいくらなんでも1度しか会っていないのに、招待するわけにもいかないだろう。
『個室があるバーを知っているのですが、そこでいかがですか?』
大胆かなぁと思いながらも、菜々子は返信してみた。するとまたすぐに返事が返ってきた。
『それは是非。』
菜々子は思わず声を上げて喜んだ自分に気がついた。
(やだ、いい年をして…)
そう思いながら、会う時間を打ち合わせた。
「明良さんも、お休みなのかな…」
それならすぐにでも会いたい気分だが、高鳴る気持ちを必死に抑えた。
「そうだ。何を着て行こう!!」
菜々子は、鼻歌を歌いながら、クローゼットを開いた。
……
「北条さんはもうお越しになっていますよ。」
バーのマスターが、菜々子にそっと耳打ちしてくれた。菜々子がよく独りになりたい時に来る場所だった。マスターは口が堅く、安心して飲める場所だった。
「ありがとう。」
「お飲み物は何を持っていきましょうか?」
「明良さんは何を飲んでるの?」
「オレンジジュースです。」
「じゃぁ、私もそれで。」
「わかりました。」
菜々子は個室のカーテンを開いた。
「ごめんなさい。私の方が遅くなってしまって…。」
そう言うと、明良が顔を上げ立ちあがった。スーツを着ていた。ネクタイはなかったが、何か昨日のラフな雰囲気と違ったので、菜々子はどきりとした。
「いえ…。なんだか気持がはやって…早めに着いてしまいました。」
「まぁ、お上手。」
「そんなことはないですよ。」
明良が照れくさそうに言った。2人は座った。
よく考えてみれば、菜々子は明良のことを、テレビや新聞でしか知らなかった。明良もそのはずなのに、どうして昨日は、まるで知り合いに会ったように、お互い名前で呼びかけたのだろう…。
マスターがオレンジジュースを持ってきた。菜々子は「ありがとう」と言った。
「あれ?」
明良が不思議そうな顔をした。
「…それはカクテルですか?」
「いえ…ただのオレンジジュースです。」
「…もしかして…僕が飲めないから?」
菜々子は、ためらいがちにうなずいた。
「それは申し訳ないな。…どうぞ、お好きなの飲んでください。その方が、僕は気が楽です。」
「…すいません。」
「あ、いや…謝ってもらうことは…これは私が飲みますから、どうぞお好きなものを。」
明良にそう言われ、菜々子はマスターにいつもの赤ワインをお願いした。
マスターがうなずいて、カーテンを閉めて出て行った。
すぐにでも明良から話を聞きたいが、マスターがワインを持ってくるまでできない。
いつもより、時間がゆっくり過ぎているような気がした。
明良は、先に来た飲み物すら一切口をつけていなかった。今も一緒にワインを待っている。
「どうぞ、先に飲んでください。」
「いえ。待ちますよ。」
「逆に気を遣います。」
「あはは…やり返されましたね。」
明良が笑った。菜々子は「そんなつもりじゃ」と下を向いた。
その時、ちょうどワインが来た。
「グラスワインなんですか?」
明良が不思議そうに尋ねた。
「すぐなくなっちゃうじゃないですか。」
「ワインは一気に飲むものじゃないので、大丈夫です。」
「あ、なるほど。」
2人は乾杯した。
(どうしよう…)
と菜々子は思った。いきなり悩み事を聞くのもはしたない様な気がする。
「今日は、お仕事お休みだったんですか?」
「ええ。菜々子さんも?」
「はい。久しぶりに。」
「!…そうですか…その久しぶりのお休みの時間を取ってしまって申し訳ない。」
「そんな…いいんです。私もちょっとむしゃくしゃすることがあって。」
菜々子は思わずそう言って「やだ」と言って、下を向いた。
「…先に聞いてもいいですか?」
明良が少し心配そうに言った。
「だめです。今日は明良さんのお話を聞きに来たんですから。」
「じゃぁ、僕から話したら話してもらえますか?」
「ええ…話します。」
「僕のは…大したことじゃないんですよ。」
明良は指でこめかみを掻いて言った。
「お仕事のこと?」
「ええ。…体の限界を感じてて…。」
明良はダンスを主流とした歌手である。最初はアイドルでデビューしたが、どんどん歌唱力をつけ、今はダンスのある曲よりも、バラードの方が多かった。
(そのことで悩んでるのかしら)
菜々子はそう思ったが、明良の次の言葉を待った。
「引退を考えているんです。」
「引退!?」
明良は自分の唇に人差し指をあてて「内緒ですよ」と言った。
「それはもちろん…でも、引退なんて早すぎます。」
明良は首を振った。そしてオレンジジュースを一口飲んだ。
「歌はまだいけそうですが…踊ることはもう…前に自分がテレビで踊っているのを見て、情けなくなりました。」
明良の顔に陰りが帯び始めた。本気で悩んでいるらしい。
「私は明良さんの踊る姿、好きですけど…。」
「僕の踊りを見たことがあるんですか?」
「ありますとも。でも、全て見てるわけではないですけど…。」
「そりゃ、そうですよね。…でも、1度でも見てもらえたなら、うれしいです。」
「逆に1度も見たことがない人の方がいないんじゃありません?」
明良はくすっと笑った。「そう言ってもらえるとうれしいけど」と呟くように言った。
「とにかく引退はまだ早いと思います。個人的な気持ちですけど。」
菜々子がそう言うと、明良は真顔のままオレンジジュースを一口飲んだ。
「…相澤さんでしたっけ?親友の…相談されたんですか?」
「先輩にですか…。まだです。」
「親友でしょう?一番に相談しそうなもんですけど…。」
「そうですね。…でも、こういうことは何故か親友でも言えないんですよ。」
「そうなんですか…。」
菜々子には理解できなかった。そもそも親友などいないが。
「まず相澤さんに相談されてから、もう1度考えたらいかがですか?…私…結局お役に立てなくて申し訳ないですけど…」
「いえ…独りで考え込んでいたから、口に出したことですっきりしたような気がします。」
明良がそう言って微笑んだ。菜々子はどきりとした。さっきの翳りのある顔から笑顔の差が大きい。
「じゃ、今度は菜々子さんのお話。」
「え?もう?」
「ええ、僕はもう解決しましたよ。」
「!」
(なんだか、拍子抜けだわ~)と思ったが、約束は約束だ。
「…とても言いにくい話なんですけど…」
「…なんでしょう?」
「…昨日、実は撮影でベッドシーンがあって…」
「!…」
明良の目が見開かれた。菜々子は恥ずかしさに顔が赤くなった。
「やっぱり…やめます。」
「いえ、駄目です。…それで?」
「…いえ…ただ、嫌なんです。ああいうの…。女優は皆そう思っていると思いますけど…。好きでもない人に、演技とは言え素肌を触れられるのが…嫌で…」
明良はただ黙って、菜々子を見つめている。さっきよりも機嫌が悪くなったような表情になった。そして腹立たしげに、オレンジジュースを飲んだように見えた。
「ごめんなさい!…こんな話…」
「いえ…菜々子さんが謝ることはないですよ。…僕の悩みなんか…全然比べものにならない…」
「そんなことはありません。」
明良は首を振った。
「ワインがなくなっていますね。どうぞ。」
「あ、すいません…」
菜々子はちょっとほっとして、マスターを呼んだ。マスターはすぐにワインを持ってきてくれた。
菜々子はすぐにワインを飲んだ。何か気まずい。明良は何も言わないで下を向いている。
「ごめんなさい…」
明良がふいに口を開いた。笑顔はない。
菜々子は明良が何を謝ったのか分からず、顔を上げた。
「…僕…女優さんって…仕事を楽しんでおられるのかと思っていました。」
「…え?」
「僕は、歌うのが好きで、踊るのが好きで…この道に入りました。…皆、楽しんで仕事をしているものだと思ってた…。もちろん僕たちだって嫌な事はあるけれど…あなたの今おっしゃったことに比べれば、まだましだ…。」
「明良さん…明良さんがそんなに深く考えなくていいんですよ。…仕方がないんです。仕事だから。」
「彼氏は?」
「え?」
菜々子はぎくりとした。
「彼氏は?なんておっしゃってるんですか?」
(彼氏がいたら、2人で会うわけない…)と思ったが、菜々子は平静を装って答えた。
「いません。」
「え?…うそでしょう?」
「いたら、明良さんと2人で会いません。」
結局口に出してしまった。明良は、はっとしたような顔をした。
「…そういや、そうですね…。」
「明良さんは?彼女は?」
菜々子は聞き返してみた。もしかすると、いるのかもしれない。
「もちろん、いませんが…」
「うそ!」
「いえ、本当です。」
明良が困っているのが分かった。ワインが回ってきたこともあって、菜々子は気が大きくなっていた。
「…本当のことを教えて。」
「本当にいませんよ。…困ったな…」
明良はオレンジジュースを飲んだ。もうグラスが2つとも空になっている。
「ジュースまだいります?」
「え?…ええ…すいません。」
ジュースが来るまで一時休戦状態になった。何故か、菜々子は不機嫌になっていた。自分でもよくわからない。
オレンジジュースが来た。明良はすぐに一口飲んだ。菜々子は下を向いた。…涙が溢れ出てきた。
「!菜々子さん?」
「…ごめんなさい…実は私…泣き上戸なんです。それだけですから…」
本当の話だった。
明良がそっと手を伸ばして、手のひらを上に向けた。
「?」
菜々子がその手を涙越しに見ていると、明良が「手を」と言った。菜々子はそっと手を出し、明良の手に自分の手を乗せた。
明良がそっと握った。
菜々子の目に、再び涙が溢れ出てきた。
「僕は…あなたのその悩みに何もしてやれません。…でも…僕でよかったら、辛い時にこうして会いましょう。会ってお互い嫌な事を話して…。こうして手を握ることくらいしかできないけど…。」
「…充分です。」
菜々子が泣きながら言った。明良がほっとしたように微笑んだ。
……
結局、この店の代金は、明良に押し切られる形で払ってもらった。実は昨日の喫茶店でも払ってもらっている。
「昨日も私から誘ったのに…すいません。」
店を出てから、菜々子は頭を下げた。
「いえ…あなたと会えてよかった。」
明良が笑顔で言った。そして、ポケットから車のキーを取りだした。
「家までお送りしましょう。」
「え?」
考えてみれば、明良はアルコールを飲んでいない。
明良は「あ、いや。」と頭を掻いた。
「家の近くまで…です。家の場所…知られたくないですよね。」
「そんな…別に構いませんけど…じゃぁ、送っていただきます。」
明良が微笑んで、自然に菜々子の背に手を添えた。だが菜々子はびっくりしてしまった。
「あ、そうか…すいません…触られるの嫌でしたね。車の場所があっちなんで…」
「違うんです。…突然だったから…。」
明良は笑って、駐車場に向かった。キーのボタンを押して、車のロックをはずした。
黒っぽい車だが、詳しくない菜々子には車種がわからなかった。
「どうぞ」
助手席のドアを開いて、明良が言った。
「ありがとう。」
菜々子が乗った。
明良はドアを閉めると、さっとあたりを見渡して、運転席に乗った。
……
車では、菜々子の家まで30分程だった。
(もうお別れなんだ。)
少しさびしい気がした。
(ここで、家に誘ったら…はしたないかな…)
菜々子はずっと悩んでいた。このまま帰りたくなかった。
だが、菜々子の気持ちを無視して、時間は過ぎていく。
あっという間に、家についたような気がする。
とりあえず、マンションの地下駐車場の来客用のところに明良の車を止めてもらった。
「どうも…ありがとうございました。」
菜々子が言った。
「いえ…またメールします。」
「ええ…私からも…」
「じゃ、おやすみなさい。」
「…おやすみなさい。」
ためらいがちに車を降りて、そっとドアを閉めた。
すると明良が、運転席から降りた。
「!?」
明良は「マンションに入られるまで見送ります。」と微笑んだ。
「…え?」
「あのドアまで遠いですからね。その間にあなたに何かあったらいけない。」
「…それなら…」
菜々子は意を決して言った。
「…部屋まで、守ってください。」
明良の目が見開かれたが、すぐに微笑んだ。
「…信用して下さっているのなら。」
「もちろん…信用してます。」
「では、お部屋の前まで…。」
明良はそう言って運転席のドアを閉じると、車のロックをかけた。
……
翌日-
相澤がメッセンジャーの向こうで笑っていた。
「そりゃ、菜々子さんも災難だったね。」
明良は頭を抱えている。
「恥ずかしいったら、もう…」
明良は昨日、思わぬことで香月菜々子の家に行ったことを相澤に話していた。
しかし、部屋の前で帰るつもりだったのが、結局、菜々子に腕を引っ張られるようにして、入ってしまった。
問題はそのあとだった。
玄関で、ほぼ酔っぱらった菜々子にキスをされ、倒れてしまった。
明良は、菜々子のキスで酔っぱらってしまったのである。菜々子はグラスワインを4、5杯は飲んでいたように思う。
そのままアルコールを飲んだわけではないので、さすがに急性アルコール中毒にはならなかったが…。
とにかく、救急車を呼ぼうとした菜々子を必死に止めて、ソファーを貸してくれと言った。
そして「寝室に」と言われたが必死に断り、ソファーに倒れこんだ。
目が覚めると、菜々子が自分の胸の上に頭を乗せて、寝ていたという。
「目が覚めて、どうしたんだよ。」
「…いや…菜々子さんが僕の胸の上に頭を乗せていたから…動くわけにも行かなくて…起きるまで待ってました。」
「…手を出さなかった?」
明良は咳払いをした。
「…いや…その…寝顔があまりに綺麗で…。ついキスを…そしたら目を覚ましてしまって…」
相澤は笑った。
「で、どうした?」
「とにかく謝りましたよ。向こうも謝っていたけど…。でも恥ずかしくて、そのまま飛び出してきてしまったんです。」
「え!?そのまま帰っちゃったの!?」
相澤が驚いて言った。
(俺だったら、そのままやっちゃってるなー…)
などと思ったが、それは口に出さなかった。
「…だから、どうしようかと…。こっちから電話しにくくて…でも…お礼くらい言わなきゃとは思うんですけど…」
明良が頭を抱えているのを見て、相澤は笑った。
「でも、いいなぁ…。香月菜々子さんか…。清純派女優が、そこまで大胆になるってのはなかなかないよ。」
「…からかわないで下さいよ…。もう…どうしたらいいのか…」
明良のその動揺ぶりに、相澤は苦笑した。
「そうだなぁ…。とにかく電話して…」
と相澤が言った時、明良の携帯が鳴った。
「!!」
明良は、頭を上げて、携帯を見た。
「!!…菜々子さん…!」
「おっ!出ろ出ろ!パソコン消すなよ!」
「あっちで話します。」
そう言って、明良はヘッドフォンをはずし、携帯を持ったまま立ちあがった。
「おーい!!ここで話せって!!そっち行くなー!」
ヘッドフォンから相澤の声が漏れている。
明良は気にせず、部屋を出て、電話に出た。
「もしもし…」
「明良さん?…よかった…電話取ってくれて…」
「今朝はその…すいませんでした。」
「いえ、私の方が…先に酔っぱらっちゃって…あんなこと…」
「…呆れたでしょう?」
明良がそう言うと、菜々子は何も言わなかった。
(やっぱり呆れたんだ…)
明良はそう思い、ソファーに座りこんだ。
「それはこちらの方です…。はしたない女だと思ったでしょう?」
「そんな!…そんなことはないですよ!…むしろ…嬉しかったというか…なんというか…」
「…本当に?」
「…はい…本当です。」
「じゃぁ…今夜も家に来て下さいますか?」
「えっ!?」
明良は思わず立ちあがっていた。
「…いいんですか?」
「ええ…もうお酒は飲まないですから。」
「…いえ…そんな…」
「飲まなくても、明良さんが来てくれたらそれで…」
その後が続かないようである。明良も顔が熱くなるのを感じていた。
・・・・・
「で?」
ほったらかされていた相澤が、少し不機嫌に明良に聞いた。
「行くのかよ。」
「…行くとは言いましたが…。行ってもいいものかどうか…」
「?どうして?」
「…自分の理性をどれだけ抑えられるか自信がないんです。」
「!…」
「…きっと、何かがはずれてしまうと思うんですよ。」
明良は顔を片手で伏せて悩んでいる。
「それなら、今のうちにお断りして…」
「ばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
相澤が突然大声を出した。明良はびっくりして、ヘッドフォンを取り去り、立ちあがって両耳を抑えた。
「先輩っ!!…鼓膜が破れたらどうするんですっ!!」
カメラの向こうで、相澤が両手を合わせて謝っている。
明良は頭を振って、ヘッドフォンをつけ直した。
「あのな…明良…」
相澤は静かに言った。
「女性の方から家に来てくれっていうのは、ほぼ100%OKってことだよ。」
「…そうでしょうか…」
「嫌だったら、呼ばねぇよ。」
「でも、それとこれとは…」
「それもこれも何のことかわからないけどさ。」
相澤がとぼけて言った。
「お前が、例えば何かが壊れて、菜々子さんを襲ったとする…な?」
「…はい…」
明良は片手を目で覆っている。
「その時、菜々子さんにけとばされるか、投げ飛ばされるか、ドロップキックを受けるか、卍固めされるか、コブラツイスト…」
「先輩先輩!」
「ん?」
「全部、想像しちゃいますから、プロレス技はやめて下さい。」
「あー…ごめん。とにかく抵抗されてから、ちゃんと謝って身を引いたらいい。今回はほぼ100%それはないと思うけどな。」
「……」
「菜々子さんが、何も抵抗しなければ、そのまま流れに任せて進んだらいいんだ。」
「…!…」
なるほど…と明良は思った。やはり相澤は経験豊富だ。
「家に誘われているのにこっちから断るなんて、菜々子さんに一番失礼にあたるんだぞ。」
「…わかりました…」
「それから!花束持っていけ。」
「花束?」
「手ぶらで行くなよ。薔薇の花束を持って行くんだ。古典的な方法だけど、嫌がる女性はまずいないから。」
「あ、は、はい。」
「自分で買うんだぞ。マネージャーに買いに行かせたりするなよ。」
「あ、その方法があった。」
「…また怒鳴られたいか?」
「いえ!!…いいです。」
相澤がくすくすと笑っている。
「あの北条明良が恥をしのんで、薔薇の花を自分で買って持ってきてくれるんだぞ。そんなうれしいことはない。」
「…先輩、女心もわかるんですね。」
「わかりますとも。」
裏声で、相澤が言った。
「じゃ、成功を祈る。がんばりたまえ。帰ってから必ず報告するように。以上!!」
相澤はそう言って、勝手にメッセンジャーを切ってしまった。
「え?ちょっと先輩!!」
相澤のメッセンジャーは、オフラインになってしまった。パソコンの電源を切ってしまったらしい。
早く準備をしろということだろう。
「…あー…こんなに緊張するの初めてだ…。」
明良は独りでそう呟いた。
……
明良と菜々子はソファーに並んで座り、食後のコーヒーを飲んでいた。
「お料理、お上手ですね。」
「お口に合って良かった…」
明良の言葉に、菜々子はほっとして言った。明良は、菜々子の手料理を残さず食べてくれた。体つきから見て、さほど食べない様に思ったのだが…。
明良が持ってきた薔薇の花束は、早速花瓶に入れて、ダイニングテーブルに置いている。
…玄関を開けた時、薔薇の花束を持った明良の姿を見て、菜々子は驚いた。
「…その…お詫びです。」
照れ臭そうに、そう言いながら花束を差し出す明良の姿に、菜々子は自分の首筋まで赤くなっているのがわかった。
……
「普段は…コンビニ弁当で…」
明良が頭を掻いた。
「!明良さんが、コンビニに行くんですか?」
「ええ…そりゃ行きますよ。」
「大騒ぎになりません?」
「なりませんよ。逆に気付いてくれる人の方が少ない。」
「そんなこと…」
菜々子は驚いた。
「…本当です。…ほとんど忘れられていると思いますよ。」
「…うそ…」
信じない菜々子に、明良は苦笑した。
「…だから、川を見ている時に、あなたが私の名前を呼んでくれた時は…嬉しかった…」
「!…」
「まるで知り合いのように呼びかけてくださいましたね。」
「明良さんだって…」
「菜々子さんは毎日のようにテレビで見ていたから…そりゃ、あなたのことはわかりますよ。」
菜々子は首を振った。
「僕が引退を考えたのは、それもあったんです。このまま業界から消えてしまうのかな…と漠然と思っていました。それもいいけど、はっきり引退という形を取った方がいいのか…とか…」
「歌が聞こえたような気がするんですけど…歌ってました?」
「え?聞こえていたんですか?…小声で歌っていたつもりなんだけどな…」
「風に乗って、少しだけ…。悲しい歌のように聞こえましたけど…」
「!…」
明良はソファーにもたれて、苦笑した。
「明良さんの歌?」
「いえ…この歌知りませんか?」
そう言って明良は歌いだした。
スメタナの「モルダウの流れ」だった。
菜々子も聞いたことはあったが、歌詞までは知らなかった。
「モルダウの川の流れは、今も昔もずっと故郷を守っている…」というような意味だった。明良の声はテレビで聞くより澄んでいて、何か心が落ち着くようなそんな声だった。
「…悲しいメロディーですね。」
菜々子が言った。明良は少し涙ぐんでいるように見えた。
「…歌いながら、僕を守ってくれていた、死んだ姉のことを思い出していました。」
「あ…血がつながっていないという…。お母さん代わりに明良さんを育ててくださったんですよね。」
「ええ…。私がアルコールで死にかけたのをご存じだと思うんですが…」
「もちろん。とても話題になっていましたもの…。その時にお姉さんのお話も出て…。…あの時、相澤さんのために、死のうとなさったんですってね。」
明良は恥ずかしそうにした。
「…若かったんですよ。今思えば、もっと違う方法もあっただろうに。…でも、あの時も死んで構わないと思ってた。」
「あの時も…って…」
「ああ!すいません…。死ぬ気は今はないですよ。…姉とも約束しましたしね。…夢の中で…」
「夢の中?」
「ええ…。ワインを飲んで倒れた時、姉に会う夢を見たんです。…いつの間にか、僕はどこかの川辺に座っていたんですが、姉が横に座って…。」
「!…」
(三途の川なのかしら…)と菜々子は思った。
「姉に帰るように言われました。僕はもう独りじゃないからと…。そして、人並みに恋をして、人並みに家族を持って、自分の分まで幸せにならなきゃいけない…と、そう言われたんです。」
「……」
菜々子は何も言葉が出ず、明良の言葉を待っていた。
「…川を見ていた時、その姉の言葉を考えていました。それでその歌を…。…いつになったら、そんな日が来るんだろう…と思っていたら…あなたが…」
明良は菜々子に向いた。
「…一瞬、姉が立っているかと思いました。」
菜々子はとまどったように下を向いた。
「すいません…死んだ人に似ているなんて、嬉しい話じゃないですね。」
「いえ…でも…私じゃお姉さんの代わりにはなりません。」
「姉の代わりをしてもらおうだなんて思っていません。…でも、本当に嬉しかった…」
明良が菜々子の手を取った。菜々子は明良に体を寄せた。明良はそのまま菜々子を抱いて唇を重ねた。
(もしかすると…私はお姉さんに呼ばれたのかな…)
菜々子は、明良の長い口づけを受けながらそう思った。それなら、あの不思議な感覚の説明がつくような気がした。
……
明良は、自分の腕の中で寝ている菜々子の顔を見つめていた。
触れ合っている素肌が気持ちいい。
結局、相澤の言うとおり、流れに任せた形でベッドインとなった。
明良は、ブランケットを菜々子の肩まで引き上げた。
そして、菜々子の体を引き寄せた。
好きでもない男性に素肌を触られるのが嫌だと涙していた。
自分で本当に良かったのだろうか…と明良は思った。
「明良さん?」
菜々子が目を覚まし明良を見上げた。
明良は微笑んだ。
「おはようございます。…といっても、まだ夜は明けていないようですが…」
「よかった…」
菜々子が明良の体に密着するように体を寄せた。
「まだ時間はあるのね。」
「ええ。」
明良はふと不安だったことを尋ねた。
「さっき、何か震えていたようだけど…大丈夫ですか?」
「え?」
菜々子は顔を上げて、少し恥ずかしそうにした。
「嬉しさで…体が勝手に…」
明良も少し照れくさくなった。
「嬉しさで?」
「ええ…本当に好きな人に抱かれたの…久しぶりだったから。」
「ねぇ…菜々子さん…」
明良は、菜々子の体を上に上げるようにして、お互いの顔を近づけた。
「?はい?」
「…もうベッドシーンは断ってください。」
「!?…え?」
突然の言葉に、菜々子はとまどった。
「先輩があなたのことを「清純派」だと言っていました。…そう思っている人もまだまだいると思います。あなたがそんな無理をしなくても、女優を辞めさせられることはないと思います。」
菜々子は下を向いた。
「むしろ、あなたに辞められて困るのは事務所の方でしょう。…もっと自分に自信を持って…。」
菜々子は潤んだ目で明良を見た。
「はい。これからは断ります。」
明良がほっとした表情をして、菜々子の体を再び抱きしめた。
2人は自然に唇を引き結んだ。
*****
身支度を整えた明良が、鏡の前でドライヤーで乾かしたばかりの髪を手ぐしで直していた。
菜々子がそれを見て言った。
「今度、何か整髪剤を買っておきましょうか?」
「ああ、いえ…」
明良は髪を直しながら、菜々子に振り返った。
「整髪剤だめなんですよ。無香料だとましなんですが…基本的にはつけません。」
「整髪剤で酔うの?」
「ええ…困ったことにね。」
明良が苦笑しながら言った。そして髪が整ったのを確認すると、横にいる菜々子の体をすっと抱きしめた。
「実は香水もだめなんですよ。…あなたがつけない人でよかった。」
菜々子は明良の体の中で目を閉じた。安心感のようなものが体の中から広がっているのがわかる。
「今日、生放送で先輩と音楽番組で踊ります。」
「!」
明良の言葉に、菜々子は嬉しそうに明良を見た。しかし明良は表情を暗くした。
「最後かもしれない…。」
「そんなこと言わないで…楽しみにしています。」
「ええ…。」
明良は、菜々子の顔を引き寄せて唇を重ねた。
長いキスの後、再び抱き合った。
「…きりがないな…」
明良がそう言って笑った。菜々子も笑いながら、
「今夜も来てくれます?」
と言った。
「必ず」
明良はそう答えた。
(終)
お読みいただきありがとうございました(^^)
正直、元が夢想なので、なんか時間と会話がたらたらたらたら進んでいるだけで、盛り上がりにはかけるような気がします。
でも、ですね…夢想小説ってのは、このたらたらたらたら(延々と続く…)が大切なんです!(?)
たとえば、女性の方ならば、この「菜々子」を自分とするわけです。セリフが決まっているので、自分が言っていると思ってください。で、相手の「明良」は、お好きなタレントさん、俳優さん、芸人さん(!)を当てはめてください。
…いいですよー…「明良」があなたのために、怒ったり、手を握ってくれたり、車に乗るために、助手席のドアを開けてくれたり、部屋まで送ってくれるんですよー!(笑)
男性の方は、もちろん「明良」になって、お好きな女優さん、タレントさん、芸人さん(!)を菜々子にあてはめ、エスコートしてあげてください。いいですよー…菜々子があなたの行動に涙してくれ、帰りたくないなんて思ってくれ、ひきとめてくれるんですよー!!
ちょっとは楽しめると思うのですが、夢想慣れしていない方は頑張ってください(?)
では、また次回もよろしくお願いいたします(^^)