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夏の海へ

作者: りるら

白雲が、流れる。

夏の、輝きを放つ白い塊が、どこまでも。

僕には見たことのない景色を、楽しみながら。


蝉の声が延々と流れる。夏の風物詩として。

だがどこか、寂しげな声だ。まるで僕らに存在を誇張するかのよう。


あまり今年は暑くないという。

だけど僕には関係ない。

僕が、ソイツに出逢ったのは、ちょうど半年前。

涙も心も枯れ果て、疲れて眠ってしまった僕の母を起こさないようにそっと、確実な足取りで愛想笑いを浮かべたソイツは、軽く首を傾げながら僕に近づいてきた。


ナニヲノゾム?オレノホシイモノヲクレルナラ、カナエテヤルゾ。


僕は驚くよりも奇妙に思った。

ひょろりとした、表情のない黒衣の奴等なら、何度か会ったし軽く挨拶もしたことがある。だがソイツは、僕より幼い外見の、どうみても少年だった。まぁ、時代錯誤な感じの古くさい着物を着ている時点で、怪しさ満点だが。

どこかキラキラと期待に胸を膨らませたようなソイツは、僕のベッドに遠慮がちに登り、僕の鼻をつついた。


オマエノハダ、シロイナ。オンナヨリシロイ。…トイウカ、アオジロイ。


確かにその少年は日焼けして浅黒い肌をしていた。

死神に鼻を触られたのは初めてだ。

というか、こんなに馴れ馴れしい奴は初めてだ。そう思った僕は幾分楽な気持ちで、ソイツに微笑みかけるように優しい声で話した。


ホシイモノってなに?僕にあげられる物は、命くらいしか思い付かないんだけど、それでいい?


少年は少し驚いた顔をした。


オマエ、シヌノガコワクナイノカ…?ニンゲンナラ、ソレガイチバンコワインジャナカッタカ?


うーん。生まれてからずっと死んでるような感じの状態だしね。あんまり怖くは無いかな。


ソウカ…イヤ、オレガホシイモノハ、ソレジャナイ。タマシイダ。


僕は驚いた。命と魂って、別物だったのか。ソイツは僕に問いかけるように話した。


オマエノタマシイハ、カミノカゴヲオオクウケタ、キショウナモノダ。キガツカナイカ?ナンドモキセキガ、オキタロウ。


言われてみれば、僕は何度となく医者や母親の眉を変な形に曲げさせていた。特に母親には、毎回酷な事をしていた。

瀕死の状態で生き返ったり蘇生したりと、びっくり人間の要素は確かにある。

僕だってやっと母さんを自由にしてあげられると喜んで死神に付いていこうとするのに、気が付いたら普通にベットに寝ていて、絶望の表情を浮かべ泣く母親を感じたりするのがこの頃の日常茶飯事になっていた。

神の加護だったのか。だとしたら神様はやっぱり残酷だ。

母さんは、神様の事は死ぬほど嫌いだろうな。

あれか、可愛い子には旅をさせろ的な考えなのか。

結局、僕はコクリと頷いた。


いいよ。あげる、魂


そういうと、ソイツは万歳をするように手を上げ、わーいと喜んだ。


ソウカ、コレデ、ケイヤクセイリツダ。ナニヲノゾム?


僕はあまり悩むことは無かった。


僕を、誰かに殺してもらえないかな?あ、誰かっていっても生きてる人間ね。死神とかは意味違うから。


…ソレハ、ナゼダ?オレノヨクシルニンゲンハ、ヒトニコロサレテシヌノガイチバンイヤダ、トイッテイタ。


饒舌な死神だな。よく会うメジャーな死神は無口で無表情だが。この少年はマイナーな死神か。僕は少し呆れながら、ため息をついた。


叶えてよね。それが条件なんだから


マァ、イイガ。ダレニコロサレタインダ?


それを訊かれるとは思わなかった。少し悩んだ末に、僕はあるヒトの名を上げた。


ソウカ、リョウカイダ。…理由は訊かないんだね


キイテモ、リカイデキナイカラナ。ニンゲンノカンガエルコトハ。


人間の知り合いがいるんでしょ?


アイツハトクベツナニンゲンダ。シヌワケデモナイクセニ、オレタチノスガタヲミル。ダガ、アイツモヨク、リカイシガタイコウドウヲスル。


君はなぜ、僕の魂が欲しいのだっけね


キショウダカラダ。ソレガアレバ、アイツヲタスケラレル。


希少…どういうこと?


オマエノキショウナタマシイ。ソレハ、カナリノカチガアル。アイツハイマ、シニガミニトリヒキヲモチカケテイル。


取引?死神に?そんな事が出来るのか


フツウハムリダ。ダガオマエノタマシイナラバ、イケルカモシレナイト、アイツハイッテイタ。


僕の魂が取引されたとして、その魂はどうなるの?


ソレハイエナイ。ダガ、ワカルトキハチカイ。


…君は、その人の為にここに来たんだね。君は変なカッコしてるけど死神だろ?人間に使役される死神なんて初めて見た。


そう言うと、ソイツは頬を膨らませた。


チガウ。オレハアイツノユウジンダ。オレハ、タダノユウレイダヨ。ダガ、オマエノタマシイヲモチカエレバ、アイツガトチガミニ、シテクレル。


トチガミ?あぁ、土地神か。…それより、幽霊に僕の願いを叶えられるの?


少年は軽く首を横にふってから深く頷いた。


オレハムリダガ、アイツナラデキル。オマエハ、シンパイショウダナ。


あぁ、ならいいけど。…土地神かぁ。神様になるんだ。すごいね。


マアナ。モトモトノトチガミハアイツダガ、ユズッテクレルンダ。


へぇー…。僕の魂はすごいな。


適当な相づちにも、少年は目を細めた。


オマエニハ、カンシャシテイル。


楽しそうに少年は笑った。


チイサナヤシロダガ、サクラノキノトナリニアル。ハルニハ、キットウツクシイ。


…へぇ、すごいね


ソイツは、吃驚したようで口をポカンと開けた。


オマエ、サクラヲミタコトナイノカ。

僕はいつになっても慣れない、敗北感のような嫌な気持ちを隠し微笑んだ。


本物はないよ。病院の外に出たことないからね


すこし前は、何度と繰り返したその言葉で、思った通りソイツは哀れみの目を向けた。

だが、その次に発した言葉は、今まで一度も言われたことのないセリフだった。


ジャア、ソトニイコウ。サクラハサイテナイガ、ミドリノハモウツクシイ。ソレニウミモ、チカイカラ、ミニイケル。


海。その単語は僕の心を久しぶりに震わせた。


うん行く。…あ、でも僕の魂を持っていかないといけないんだろ?


ソレハ、ヒガクレテカラデイイ。イマハマダヒルダ。


でも病院を抜けるのは難しい。

チラッと意識の中で、ベッドにもたれて眠る母親を思った。

僕が病院から消えたら、母さんはどうするだろう。心配する?動けたことを喜ぶ?

僕は、探して貰えなさそうだなと思って、苦笑いとため息が出た。


何より僕は歩けない。話すことさえ、死神とかとの心話以外は出来ないのに。

そう思った瞬間、僕の身体は病院の外にあった。

驚く僕に、ソイツはにやっと得意気に笑った。


オレタチノスガタハ、イマハミエナイ。オマエハ、ユウタイリダツノヨウナジョウタイダ。カラダハビョウインニアルカラ、シンパイスルナ。


「なるほど」


口からこぼれでた言の葉に、僕は驚いて口を押さえた。

声が空気を震わす感覚が、久しぶりで怖い。幽体で、意識だけのはずなのに、何故か口元がふるえる。


サ、イクゾ。コッチダ。


すたすたと歩く、小学校低学年ほどのソイツに連れられ、先に僕らは葉桜の木を見に行った。

アスファルトの熱におどろき、じめじめとした暑さで初めて汗をかいた。

…夏を、初めて知った。土臭さや、葉と、風の爽やかな囁きも。樹木はどっしりと立派で、ソイツは、自分が土地神になる社のはもっと立派だと自慢していたが、僕は圧倒されて見いっていた。


海は、誰もいなかった。

遠い昔にテレビで見た外国の海の宝石のような美しさはなく最初は驚いた。だが、潮の匂いは涙が出るほど幸福感を与えてくれるものだった。


「すごいね、普通の人は、こんな素晴らしい世界で生きることが出来るんだ」


一緒に海水を蹴りながら呟くと、ソイツはピタッと動きを止めた。


アァ…ミツアキ。


ソイツはハッと複雑な表情を浮かべ、僕に向かって手を振る男を凝視した。


まだ若いその男は、僕に優しい笑みを浮かべた。その姿が透けてるように見えたのは、僕の勘違いか。


「こんにちは。長谷川凌はせがわりょう君だね。俺は、そのこの友人、松山三明まつやまみつあきです」


「こんにちは」


誰かと挨拶を交わすのも久しぶりだった。お互いペコリと礼をし、浜辺近くのベンチに腰を下ろした。

かき氷のカラフルな屋台を、僕がジッと見詰めていたからか、三明さんは僕と少年に一つづつ買ってくれた。味は、僕がイチゴで少年が抹茶。


「…俺は、ある女を救いたかったんだ」


唐突に話し始められて驚いたが、僕は素直に耳を傾けた。


「彼女は…俺の恋人でね。でも、彼女はいきなり、余命2ヶ月を宣告された。そして今は、昏睡状態に陥っている」


見ると、少年は三明さんに買ってもらったかき氷を一心不乱にシャクシャク食べていた。


「俺は生まれつき死神や幽霊と話すことができたから、彼女の元に来た死神にある取引を持ち掛けたんだ」


彼女の命の代わりに、もっと良い魂を持って行くのはどうか、と。


「もちろん、相手はかなり渋ったよ。でも、命じゃなくて魂は、普通、死んでも死神が手に入れる事が出来ないもの。それで死神は君の…凌君の魂なら取引をすると言い出した」


僕は手の中の汗が光るのをジッと見つめていた。そんな僕を、三明さんもジッと見詰める。


僕はなんとか応えた。


「はい。僕は…願いを叶えて頂けるなら、それでもー…」


「ごめん。もういいんだ」


僕は弾かれたように三明さんを見た。


三明さんは柔らかい微笑で言った。


「忘れていたんだ。俺自身、希少な魂を持っていることを。死神は取引に応じた。彼女はもう目覚めるだろう」


少年は丸い目をもっと見開いて三明さんを見た。


ソンナ…。シンデシマウノカミツアキ。


「ごめん、ツユカミ。だが君は土地神になれる。元々俺が土地神だった場所だ。これで正式に譲ることが出来た」


チガウ、オレハ…。


「ふざけ…るな」


少年と三明さんはシン、と静まった。

僕はボロボロと涙をこぼしながら叫ぶ。


「なんなんだよ!勝手に人を…振り回しやがって」


「凌君」


三明さんは不自然なほど静かな瞳で僕を見た。


「君の願いは、叶えられるよ。俺が叶えたわけでは……ないが」


え。その呟きと共に、僕の意識は住み慣れた病室のベッドに戻った。


傍らには、兎のように怯えた様子の母親。


その血管が浮き出た白く細い荒れた手には、小さなフルーツナイフ。それはすでに、真紅の光を帯びていた。


彼女は何事か叫びながら、僕の身体を何度も何度も何度も、驚異的な速度で刺した。

彼女の声に異変を感じたのか、廊下から様子をうかがった看護師が、ギャーと耳障りな悲鳴を上げバタバタと走る音がする。一瞬、母親の手が止まりそうになったが、すぐになんの迷いもなく僕の上にナイフを振り落とす。


最初は鈍い痛みを感じたが、やはり母親に対する憎しみは少しも湧いてこなかった。

僕は、純粋に幸せだった。この事件で、僕の事を知る人が沢山出来るんだ。アイツに訊かれた時、母親と言ったのも、全てはこの為。その方が、ニュースになるはずだから。

願わくば、長谷川凌という人間が生きていたという事が、人々の記憶に少しでも残ってくれたらいい。

僕のせいで、一生を狂わせてしまった母さん、本当にごめんなさい。でも、僕も辛かったんだよ。介護のフリをして、よく僕をつねったり、カビの生えたお粥を食べさせてきたね。看護婦さんにイジメを受けるのはまだ耐えられたけど、母さんにされるのは少し辛かった。濡れた瞳の中に、暗い陰が宿ったのは、いつからだったろうか。

でも…僕にこんなことを言う資格があるとは思えないけど、僕は母さんが好きだよ。生まれてきてしまって、本当にごめんね。


そんなことを考えながら、僕は遠くなる意識の中で、自分が海へ飛んでいってるのを感じていた。

僕の魂は、自由なんだ。

海には、優しかったおばあちゃんもいたし、自殺したお父さんもいた。自殺したら天国にはいけないけど海には還れるんだ、と得意気に笑っていた。

おばあちゃんは何故だろう。僕に会いに来てくれたのだろうか。


いつか、お母さんが海に来たら、今までの事を全ては謝って、海中を案内するんだ。

この暖かく美しい海の中なら、お母さんが笑ってくれるかも知れない。


いつものように魚や波と戯れていると、あの愛らしい土地神がやって来た。時折遊びに来てくれるツユカミは僕の大きな楽しみだ。


どうしたの?と僕が訊くとツユカミは嬉しそうに微笑んだ。


アイツガクルゾ、コノウミニ。ミツアキガ。


本当に?


アァ。ヤットタマシイガカイホウサレタンダ。


僕は穏やかな笑みがこぼれたが、それと同時に残念だけど会えないだろうなという予感と深く重い睡魔も感じていた。

肉体的に一度僕は死んだけど、もしかしたらこれは精神的な…意識的な死かもしれない。


だけど、それはひどく心地のよいものだった。


結論。やはり僕は神様に愛されていた。


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