表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

大学生ハルのお悩み相談アルバイト

作者: 村上 治
掲載日:2025/11/20

大学生ハルのお悩み相談アルバイト


### 第一章「空虚な日々」


一浪して入った大学での生活が始まって二ヶ月が経った。ハルは二十歳になったばかりだった。今日も午前の講義をサボって、部屋でスマホを眺めている。大学に入れば何かが変わると思っていたが、現実は何も変わらなかった。むしろ「このままでいいのか」という不安が日に日に大きくなっている。


講義に出ても、なぜその科目を学んでいるのかわからない。将来何になりたいのかも、何を専攻したいのかもわからない。サークルの勧誘には参加したが、どれもピンとこなくて結局入らなかった。友達もできない。同じクラスの学生たちは楽しそうに話しているが、ハルは輪に入れずにいる。一人で昼食を食べ、一人で帰宅する毎日。


父親からは「大学でどんなことを勉強しているんだ?」と聞かれるが、その言葉には「ちゃんとしなきゃだめじゃないか」という意味が含まれていることを知っている。でもどうしたらいいのかわからない。母親からも「何のために浪人までして苦労して大学に入ったの?」と責められる毎日。自然と部屋に籠もることが多くなった。


ある日母親に「もう少し積極的になったらどう、バイトでもしたら?」そう言われて、重い腰を上げてスマホを開く。画面に並ぶのは、苦手な接客をする居酒屋、工場ライン、落ちこぼれの自分には到底無理な家庭教師といった、どれも気乗りのしない求人ばかり。ため息をつきながらスクロールを続けたそのとき、視界の隅に奇妙な募集が飛び込んできた。


<<お悩み相談回答者募集>>

「え?」と目を瞬かせ、タップする。求人詳細には「インターネット上のお悩み相談サイトにて、相談に回答していただきます。経験不問。文章力に自信がある方歓迎。報酬は1件ごとに400円以上(昇給あり)」とあった。

「悩みの相談です。中学三年生男子です。学校に行くのがだんだんつらくなりました。周りに相談できる人はいません・・・」

興味本位でサンプル回答を読んでみる。それまで書き込まれた回答はどれも型にはまっているようなものばかりに見えた。


そこでふと子供の頃の記憶が蘇った。祖母の家の仏壇の前で、よく一緒に手を合わせていた。祖母はいつも「お坊さんはね、どんな悩みでも優しく聞いてくれるのよ。ハルちゃんも困ったことがあったら、仏さまにお話ししてみるといいよ」と言っていた。


祖母が亡くなったのは中学生の時だった。あの頃から、何か迷った時には「おばあちゃんならどう言うかな」「お坊さんならどう考えるかな」と思う癖がついていた。

大学受験に失敗した時も、心の中で祖母に相談していた。でも答えは返ってこなかった。

「そうか…」

ハルは小さくつぶやいた。祖母はもういないけれど、お坊さんの考え方は今でも学べるかもしれない。この相談をAIに投げてみたらどうだろう? 「中学三年生男子です。学校に行くのがだんだん・・・お坊さんだったら、この悩みにどう答えますか?」


数秒後、画面に現れた回答にハルは驚いた。

「人の心は川の流れのように、時に澱み、時に激しく揺れるものです。行きたくないと感じるのは、あなたの心が休息を求めているから。無理に逆らえば流れは濁ります。休むこともまた、生きるための大切な選択です。」

妙に腑に落ちる。読み進めるうちに、ハルは目を見開いた。「学校」を「勉強」に置き換えれば、これは今の自分自身に言われていることではないか。

胸の奥を小さな針で突かれたような気分になりながらも、この答えにハルは一瞬だけ救われた気がした。

「……これ、使えるかもしれない」

小さく呟いた声は、久しく感じることのなかった高揚感を呼び起こした。AIの答えをそのままコピーするつもりはない。だが、この言葉を自分なりに言い換え、自分の言葉で伝えれば・・・。

ハルはすぐに求人ページへ戻り、応募フォームを開いた。「志望動機」の欄で手が止まる。「人の役に立ちたい」は嘘くさい。「文章が好き」と言う自信もない。しばらく悩んだ末、ハルは正直な気持ちを入力した。


「自分の言葉を探したいと思ったから」

送信ボタンを押す。胸には小さな緊張と、それ以上の期待が混ざっていた。

久しぶりに「明日から」ではなく「今日、何かを成し遂げた」という実感がハルの中にあった。この小さな一歩が、閉ざされたハルの時間を動かし始めた。



## 第二章「他人の痛みは自分の鏡」


翌日、ハルのスマホに通知が届いた。

「お悩み相談回答者 仮採用のお知らせ」

心臓の鼓動が早くなる。まさか本当に・・・。


メールには簡単な説明と、初回テスト用の相談が添付されていた。

「以下の相談への回答を24時間以内に提出してください。この回答を審査した上で正式な採用の判断をさせていただきます」

相談内容を読んだ瞬間、ハルの手が止まった。

-----

「親の期待に応えられず、浪人生活が辛いです。去年大学受験に失敗し、今年で二年目になります。周りの友達はみんな大学生になって充実した生活を送っているのに、僕だけが取り残された気分です。毎日勉強しなければと思うのに、机に向かっても集中できません。このまま来年も失敗したらどうしようと考えると、夜も眠れません。親は何も言いませんが、僕への失望が伝わってきて苦しいです。どうすれば前向きになれるでしょうか」(19歳男性・N)

-----

まるで自分が書いたような相談だった。胸の奥が重苦しくなる。

ハルはAIに問いかけた。「お坊さんなら、この浪人生の悩みにどう答えますか?」

AIの回答が画面に現れる。

「人生における苦しみ(苦諦)は避けることのできないものです。他者との比較から生まれる苦しみは、自分自身の執着心に起因します。『皆と同じでなければならない』『期待に応えなければならない』という思い込みが、あなたを縛っているのです。今この瞬間の自分を受け入れ、一歩ずつ前進することから始めましょう」

ハルは画面を見つめながら深く考え込んだ。


自分を受け入れる?執着心?確かにその通りかもしれない。自分だって毎日のように友達のSNSを見ては落ち込んでいる。親の期待を勝手に想像しては自分を追い詰めている。でも「受け入れろ」と言われても、実際どうすればいいのかわからない。


ハルは相談をもう一度読み返した。この相談者の気持ちが痛いほどわかる。きっと毎朝「今日こそは勉強するぞ」と決意して、でも午後になると「明日から本気を出そう」と先延ばしにしているんだろう。自分とまったく同じだ。そう思った時、ハルの中で何かが変わった。


この相談者に対して、偉そうな説教をする気持ちにはなれない。むしろ「君だけじゃない」と言ってあげたかった。同じように苦しんでいる人がここにもいるよ、と。ハルは自分の言葉で回答を書き始めた。

-----

Nさんへ

あなたの気持ち、とてもよくわかります。

自分も似たような状況にいるからです。

毎日「今日こそは」と思うのに、気がつくと一日が終わっている。友達の楽しそうな投稿を見ては自分と比べて落ち込む。親の顔を見るのが辛くて、部屋に閉じこもってしまうこともあります。でも、人生には苦しみがつきものです。その苦しみから逃れようとすればするほど、かえって苦しくなるのかもしれません。


私たちは「みんなと同じペースでなければならない」「親の期待に応えなければならない」と思い込んでしまいがちです。でも、本当にそうでしょうか?人生は競争ではありません。それぞれに異なる道のりがあって当然です。


今の苦しい気持ちを無理に変えようとせず、まずは「苦しんでいる自分」を認めてあげてください。そして、小さなことでもいいので、今日できることを一つだけやってみてください。一歩ずつでいいんです。私も一緒に頑張ります。

-----

回答を書き終えて、ハルは深くため息をついた。

こんな偉そうなこと書いていいのだろうか。自分だって何もできていないのに。でも、相談者と同じ立場だからこそ言えることもある気がした。送信ボタンを押してから、ハルは不思議な感覚に包まれた。他人の悩みに向き合うことで、初めて自分の状況を客観視できた気がする。そして、一人じゃないんだと思えた。


翌日、正式な採用通知と共に、運営事務局からメッセージが届いた。

「とても心のこもった回答でした。相談者の方からも『同じような立場の人からの言葉で、とても救われた』との感想をいただいています」

ハルの胸に、小さな光が灯った。

誰かの役に立てた。それは間違いなく、「明日から」ではなく「今日」成し遂げたことだった。



## 第三章「執着という檻」


回答者として活動を始めて一週間。ハルのもとには様々な相談が届くようになった。この日届いた相談は、これまでとは少し毛色が違っていた。

-----

「元恋人のことが忘れられません。別れて三年も経つのに、彼女のSNSを見ては落ち込み、新しい恋人ができたと知って絶望します。友人には『いい加減忘れろ』と言われますが、どうしても頭から離れません。仕事も手につかず、新しい出会いがあっても彼女と比較してしまいます。どうすれば前に進めるでしょうか」(28歳男性・T)

-----

ハルは画面を見つめながら考え込んだ。三年も引きずるって、どれだけ好きだったんだろう。でも、確かに苦しそうだ。ハルはAIに問いかける。

「お坊さんなら、このことについてどう教えますか?どう答えたらいいでしょうか?」

AIの回答が表示される。

「執着(煩悩)は苦しみの根本原因とされます。過去への執着、未来への不安、現在への不満。これらすべてが心を縛り付けます。執着を手放すとは、自分でコントロールできないものをコントロールしようとするのをやめることです。相手の気持ちや行動は変えられません。変えられるのは、それに対する自分の反応だけです」


ハルは深く息を吸った。

コントロールできないもの…確かに元恋人の気持ちはコントロールできない。でも、自分だって似たようなことをしている気がする。友達の成功、親の期待…全部自分ではどうしようもないことなのに、それに囚われて苦しんでいる。そういえば、毎日のように高校時代の友達のInstagramを見ては「みんな楽しそうでいいな」って落ち込んでいる。これも執着なのかもしれない。


ハルはもう一件の相談も開いた。

-----

「SNSを見ると友達がうらやましくて苦しいです。みんな恋人がいて、サークルやバイトを楽しんで、将来の目標も決まっているみたいです。それに比べて私は何もない。見なければいいとわかっているのに、つい見てしまって落ち込みます。どうしたら比較しなくなりますか?」(20歳女性・M)

-----

あ、と思った。これは完全に自分のことだ。ハルは苦笑いを浮かべながら、自分のスマホを見た。今日も朝からInstagramを見て、友達の楽しそうな写真に「いいね」を押しながら内心では嫉妬していた。

見なければいいのに、見てしまう。比較しなければいいのに、比較してしまう。

AIの言う「コントロールできないものをコントロールしようとする」って、まさにこのことかもしれない。友達の幸せをコントロールすることはできないし、する必要もない。

でも、なんで比較してしまうんだろう?

ハルは静かに考えた。きっと「みんなと同じでいたい」「みんなより遅れたくない」という気持ちがあるからだ。でも、それって本当に自分の気持ちなのだろうか?


浪人生活を始めた頃、一番辛かったのは「同級生に遅れをとった」という感覚だった。でも、誰と競争しているんだろう?何のための競争なんだろう?

T さんの相談に戻る。彼も同じなのかもしれない。元恋人を忘れられないのは、「彼女なしでは幸せになれない」と思い込んでいるからかもしれない。

ハルは回答を書き始めた。

-----

Tさんへ

三年間、本当に苦しい思いをされてきたのですね。私は恋愛の経験は浅いですが、「手放せないもの」に苦しめられる気持ちはよくわかります。「執着」という言葉があります。何かにしがみつこうとすればするほど、かえって苦しくなってしまうということです。


彼女の気持ちや行動は、どんなに願ってもコントロールできません。でも、それに対する自分の反応は変えることができます。SNSを見て落ち込むなら、思い切って見るのをやめてみませんか?彼女の幸せを願えるようになったとき、きっとTさん自身も自由になれると思います。簡単ではありませんが、少しずつでいいんです。

-----

続いてMさんへの回答も書いた。

-----

Mさんへ

SNSでの比較、私もよくやってしまいます。見なければいいとわかっているのに、つい見てしまいますよね。でも最近気づいたことがあります。SNSに投稿されるのは、その人の人生のほんの一部だということです。楽しい瞬間だけを切り取った写真で、その人の全てを知ることはできません。そして何より、人それぞれ違うペースがあって当然だということです。


比較は、自分の価値を他人の物差しで測ろうとすることかもしれません。でも、あなたの人生はあなただけのものです。今日から少しずつ、SNSを見る時間を減らしてみませんか?その分、自分の好きなことや興味のあることに時間を使ってみてください。

-----

回答してからもハルは考えた。

私たちは「みんなと同じペースでなければならない」「親の期待に応えなければならない」と思い込んでしまいがちだ。でも、本当にそうなのだろうか?人生は競争ではない。それぞれに異なる道のりがあって当然だ。今の苦しい気持ちを無理に変えようとせず、まずは「苦しんでいる自分」を認めてあげよう。そして、小さなことでもいいから、今日できることを一つだけやってみよう。一歩ずつでいいから。


ハルは自分のスマホを手に取った。そして思い切って、いくつかの友達のフォローを外した。見ているだけで比較してしまう相手のアカウントを、一つずつ削除していく。最初は不安だったが、だんだんスッキリした気分になった。「執着を手放す」って、こういう小さなことから始まるのかもしれない。


翌朝、ハルは久しぶりに朝一番でSNSを開かずに一日を始めた。代わりに窓を開けて、外の空気を吸い込んだ。今まで気づかなかったが、近所の公園では紫陽花が色づき始めていた。小さな変化だったが、確実に何かが変わり始めていた。



## 第四章「慈悲の実践」


回答者として活動を始めて二週間が過ぎた頃、ハルのもとに今までで最も重い相談が届いた。

-----

「職場でいじめられています。毎日嫌がらせを受けて、もう限界です。書類を隠される、みんなの前で怒鳴られる、わざと仕事を教えてもらえない。上司に相談しても『お前にも問題がある』と言われました。でも家族がいるので仕事を辞めるわけにもいかず、どうしていいかわかりません。毎朝起きるのが辛くて、もう消えてしまいたいと思うこともあります」(35歳女性・K)

-----

ハルは画面を見つめながら、胸が苦しくなった。こんなに辛い思いをしている人がいるのに、自分は恵まれた環境で文句ばかり言っている。

しばらく考えてから、AIに問いかけた。

「お坊さんなら、いじめに苦しむ人にどんな言葉をかけますか?相手を憎まずに済む方法はありますか?」

AIの回答が表示される。

「慈悲とは、相手の苦しみを理解し、その人も何らかの痛みを抱えているから攻撃的になるのだと認識することです。ただし、これは自分を犠牲にすることではありません。まず自分自身を慈しむことが大切です。相手を許すということは、相手のためではなく、憎しみに囚われている自分の心を解放するためなのです」


ハルは深く考え込んだ。

いじめる人も苦しんでいる?そんなのおかしいんじゃないか。でも…ふと、自分の家族のことを思い出した。両親がハルに対してイライラしているのが伝わってくる。「いつまでゴロゴロしてるの」「同級生はもうみんな大学生として自立しているのよ」でも、それって両親なりの心配なのかもしれない。子供の将来を案じて、つい言葉がきつくなってしまう。愛情の裏返しなのかも。


初めて、両親の立場になって考えてみた。自分だって、もし子供がいて、毎日家でゴロゴロしていたら心配になるかもしれない。どうしてあげたらいいかわからなくて、ついきつい言葉を投げつけてしまうかもしれない。でも、だからといって職場でのいじめは違う。明らかに一方的で理不尽だ。ハルはもう一件の相談も読んだ。

-----

「家族と仲が悪くて辛いです。父親は酒を飲むと暴言を吐き、母親はいつもイライラして八つ当たりしてきます。弟は引きこもりで、家の中の空気が重すぎます。みんなが憎くて、でも家族だから縁を切ることもできず、どうしたらいいかわからなくなります」(22歳女性・S)

-----

この相談を読んで、ハルは複雑な気持ちになった。自分の家族への不満なんて、些細なことに思えてくる。ハルは回答を書き始めた。

-----

Kさんへ

毎日本当に辛い思いをされているのですね。読んでいて、胸が苦しくなりました。まずはじめに言いたいのは、あなたは何も悪くないということです。いじめは絶対に許されることではありません。ただもしかすると、いじめている人たちも何かに苦しんでいるのかもしれません。だからといって他人を傷つけていいわけではありませんが・・・。


まずは自分自身を大切にしてください。家族のために頑張っているあなたを、まず自分が認めて労ってあげてください。一人で抱え込まず、労働組合や相談窓口に連絡してみることも考えてみてください。あなたには幸せになる権利があります。

毎日お疲れさまです。あなたの頑張りを見ている人は必ずいます。

-----

続いてSさんへの回答も書いた。

-----

Sさんへ

家族との関係、本当に大変ですね。

家族だからこそ、逃げられない苦しさがありますよね。私も最近まで、家族にイライラしていました。特に両親に対して「なんでそんなことしか言えないんだ」と思っていました。でも、ちょっと考えてみたんです。もしかしたら両親も、どうしたらいいかわからなくて困っているのかもしれない。お父さんもお母さんも、それぞれに抱えているものがあるのかもしれません。


弟さんのことも心配でしょうが、まずはあなた自身が安全な場所を見つけてください。家族を疎む気持ちも、愛したい気持ちも、どちらも本当のあなたの気持ちです。矛盾していても大丈夫です。少しずつでいいので、家族以外の人との繋がりも大切にしてください。一人じゃありません。

-----

回答を送信した後、ハルは長い間画面を見つめていた。自分の悩みがとても小さく思えた。同時に、他の人の痛みを理解しようとすることで、自分の周りの人への見方も変わってきた気がする。その夜、夕食の時間になった。いつもなら部屋で一人で食べるところだったが、ハルはリビングに向かった。


「お疲れさま」

母親に小さく声をかけた。母親は驚いたような表情を見せたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「ハルも疲れてるでしょう。今日は何してたの?」「バイトの回答書いてた」「へえ、頑張ってるのね」

久しぶりの家族との会話だった。なんだか、心が少し軽くなった気がした。他人の痛みに寄り添うことで、自分の心も少しずつ柔らかくなっていく。それがハルにとっての慈悲の実践の始まりだった。



## 第五章「今を生きる」


回答者として活動を始めて三週間が経った。ハルの生活にも小さな変化が現れていた。毎朝八時迄に起き、決まった時間に回答を書く。夕食は家族と一緒に食べるようになった。些細なことだが、確実に何かが動いていた。

この日届いた相談は、ハルの心に深く響くものだった。

-----

「将来への不安で何も手につきません。高校三年生になったのに、進路も決まらず、何をしても『これで大丈夫なのか』『もっと他にやるべきことがあるんじゃないか』と考えてしまいます。勉強していても『この大学でいいのか』『この勉強法で合格できるのか』ばかり気になって、結局何もできずに一日が終わります。時間だけが過ぎて焦りばかりが募ります」(17歳男性・H)

-----

ああ、これはまさに自分のことだ、とハルは思った。

不安で何も手につかない。何をやっても「これでいいのか」と疑心暗鬼になる。結局何もできずに時間だけが過ぎていく。まるで昨日の自分を見ているようだった。


ハルはAIに問いかけた。

「お坊さんなら、この質問にどうこたえますか?『今を生きる』ということについてどう教えますか?不安で何も手につかない人にはどんな言葉をかけますか?」


AIの回答が表示される。「仏教では『今、この瞬間』を最も大切にします。過去は既に終わったことで変えることはできません。未来はまだ起こっていないことで、不確実です。確実に存在し、私たちが影響を与えることができるのは『今』だけです。不安は未来への執着から生まれます。今できることに集中し、今感じていることを受け入れることで、心は静まります」


ハルは深く考えた。

確かに自分はいつも「明日から本気を出す」と言って、今日という日を無駄にしている。未来のことばかり考えて、今この瞬間を生きていない。試しに、今この瞬間に意識を向けてみた。部屋の中の空気、パソコンのキーボードの感触、外から聞こえる鳥の声、自分の呼吸…

不思議と、少しだけ心が落ち着いた気がした。もう一件の相談も開いた。

-----

「毎日同じことの繰り返しで、人生に意味を感じられません。朝起きて、学校に行って、バイトして、家に帰って寝る。この繰り返しに何の意味があるのかわからなくなります。友達は『将来の夢がある』と言いますが、私には何もありません。このまま大人になって、同じような毎日を送るのかと思うと絶望的な気持ちになります」(18歳女性・A)

-----

この相談を読んで、ハルは胸が詰まった。自分も同じような気持ちを抱えている。毎日が同じことの繰り返しで、何のために生きているのかわからない。でも、これまでの回答者としての経験を振り返ってみると、何か違うことに気づいた。


毎日届く相談は違う。毎回、違う人の痛みや悩みに触れる。そして、その人たちに少しでも寄り添えたとき、確かに意味を感じた。意味って、最初からそこにあるものじゃなくて、自分で見つけていくものなのかもしれない。


ハルは回答を書き始めた。

-----

Hさんへ

不安で何も手につかない気持ち、とてもよくわかります。私も同じような経験をしました。何をしても「これでいいのか」って考えてしまって、結局何もできない。時間だけが過ぎて、どんどん焦ってしまう。


でも最近、少しだけ考え方が変わりました。未来のことを考えすぎて、今この瞬間を見逃してしまっているのかもしれません。完璧な選択なんてないし、「絶対に正しい道」もないと思います。今日できることを、今日やってみる。それだけでいいんじゃないでしょうか。進路が決まらなくても、今日一つでも新しいことを学べば、それは確実に前進です。小さな一歩の積み重ねが、きっと道を作ってくれると思います。


深呼吸して、今この瞬間に集中してみてください。意外と、やるべきことが見えてくるかもしれません。

-----

続いてAさんへの回答も書いた。

-----

Aさんへ

毎日が同じことの繰り返しで意味を感じられない、その気持ちとてもよくわかります。私も少し前まで、全く同じことを考えていました。何のために生きているのか、この毎日に意味があるのか、ずっと悩んでいました。

でも最近気づいたことがあります。人生の意味って、最初からそこにあるものじゃなくて、自分で作っていくものなのかもしれません。


友達と話すこと、バイトで誰かの役に立つこと、家族と食事すること。一つ一つは小さなことだけど、そこに意味を見つけることができるんです。将来の夢がなくても大丈夫です。今日一日を大切に生きることから始めてみませんか?


昨日より少しでも誰かに優しくできた、新しいことを一つ覚えた、美味しいものを食べて幸せを感じた。そういう小さなことが、積み重なって人生になっていくんだと思います。

-----

回答を送信した後、ハルは窓の外を見た。夕日が綺麗だった。こんなふうに夕日をじっくり見るのは、いつぶりだろう。いつも未来のことばかり考えて、今という瞬間を見逃していた。でも、今この瞬間の美しさに気づけた。これも小さな変化だった。


その夜、ハルは久しぶりにテキストを開いた。

「明日から本気を出す」ではなく、「今日、この1ページから始める」。一時間だけ勉強して、本を閉じた。完璧ではないけれど、確実に今日という日に何かを刻めた気がした。鏡を見ると、少しだけ表情が変わった自分がいた。まだ道半ばだが、歩き始めていることは確かだった。今を生きるということが、少しずつわかってきた気がした。



## 第六章「新しい出発」


回答者として活動を始めてから一ヶ月が過ぎた。


ハルの大学生活にも変化が現れていた。毎朝自分で起きて講義には毎回出席するようになり、図書館で勉強する時間も増えた。一人で昼食を取ることに抵抗がなくなり、時には隣の席の学生と挨拶を交わすこともある。

この日も、いくつかの相談が届いていた。

-----

「就職活動がうまくいきません。もう五十社近く落ちています。友達はどんどん内定をもらっているのに、自分だけ取り残された気分です。面接でも『あなたの強みは何ですか』と聞かれても答えられません。自分には何の取り柄もないような気がして、生きている価値があるのかわからなくなります」(21歳男性・Y)

-----

ハルは画面を見つめながら、深く息を吸った。一月前だったら、この相談を読んで自分の境遇と重ね合わせて落ち込んでいただろう。でも今は違った。この人の痛みを感じながら、同時に冷静な視点を持っていた。


これまでのようにAIに問いかけることなく、まずは自分の言葉で考え始めた。

自分の強みって何だろう?ちょっと前なら「何もない」と答えていたかもしれない。でも今なら少し違う。人の痛みに寄り添えること。相手の立場になって考えられること。諦めずに続けられること。小さなことかもしれないが、確かに自分なりの強みだと思う。そして、その人の価値というものは他人が決めるようなものではないんじゃないかと思った。


ハルは回答を書き始めた。

-----

Yさんへ

五十社も挑戦されているのですね。

その努力とあきらめない気持ちを、まず自分で認めてあげてください。「取り柄がない」「生きている価値がない」と思ってしまう気持ち、とてもよくわかります。私もつい最近まで同じようなことを考えていました。でも、人の価値って他人が決めるようなものじゃないと思います。


Yさんは今まで、誰かを支えたことはありませんか?誰かの話を聞いてあげたことはありませんか?誰かと一緒に笑ったことはありませんか?それらは全部、あなたにしかできないことです。面接で「強み」を聞かれたとき、特別なスキルや資格を答える必要はないと思います。「人の話をよく聞ける」「最後まであきらめない」「相手の気持ちを考えられる」。そういう当たり前だと思っていることも、立派な強みです。


就職活動は確かに大変ですが、あなたという人間の価値とは別のものです。今日という日を大切に、自分自身を大切にしてください。きっと、あなたを必要としている場所があります。

-----

回答を送信してから、ハルは自分の変化に驚いた。AIに頼らずに、自分の言葉で回答できた。しかも、心からそう思って書けた。この一ヶ月間で、たくさんの人の悩みに触れてきた。その度に、自分自身と向き合い、少しずつ成長してきた。人の役に立ちたいという気持ちも、本物になってきた。


夕食の時間になった。リビングに向かうと、両親が何やら話し合っている。

「最近、表情が明るくなったね」母親が言うと、父親も続けた。

「バイトの件、お母さんから聞いたよ。人の相談に乗る仕事をしているって。よく頑張っているみたいだね、大学も楽しくなってきたかな?」

ハルの目に涙が浮かんだ。こんなふうに両親が理解を示してくれるなんて、思ってもみなかった。

「ありがとう」ハルは小さくつぶやいた。「まだ将来のことはよくわからないけど、今やるべきことが少しだけ見えてきた気がする」

両親は驚いた表情を見せた。

ハル自身も自分の変化に驚いていた。


大学は「何かを見つけに行くところ」ではなく、「何かを持って行く」場所なのかもしれない。その夜、ハルは次の日の講義の予習をした。以前なら読むのが苦痛でしかなかったテキストだったが、今は違った。「この知識を誰かの役に立てられないか」と考えながら読むと、不思議と頭に入ってきた。


翌朝、新しい相談に自分の経験と言葉で丁寧に答えてから、大学へ向かった。

見習い僧としての日々は続いているが、もう迷子ではない。大学生活も、自分なりの歩き方を見つけ始めている。


窓の外では、初夏の陽射しが眩しく降り注いでいた。季節は移り変わっている。ハルの心も、静かに、でも確実に動き続けていた。


**終わり**






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ