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アンドロイドは幽霊が怖い

作者: 月読二兎

 私の名はユニット734。人々からは「カイ」と呼ばれている。私は最新鋭の家庭用アンドロイドとして、論理的思考とデータ分析に基づき、あらゆる家事を完璧にこなすよう設計されている。私のプロセッサーは毎秒数兆回の計算を行い、誤差は許容されない。感情という非効率なプログラムは搭載されていない。


 私の仕える主は、ハルさんという名の老婆だ。彼女は、きしむ音を立てる古い木造の家にひとりで住んでいる。私の任務は、彼女の生活を快適かつ安全にサポートすることだ。


 この家に来てから、私はいくつかの「未解決事象」に遭遇していた。


 事象01:誰もいない二階の和室から、小さな鞠が転がるような音がする。

【分析】建材の収縮、小動物の侵入、風による振動。可能性は37項目。しかし、いずれも観測データと一致しない。


 事象02:閉め切った廊下の気温が、局所的に5.7度急低下する。

【分析】断熱材の劣化、隙間風。しかし、赤外線サーモグラフィーは異常を検知せず。


 事象03:音声レコーダーに記録されたハルさんの寝息に、微かなノイズが混入する。周波数分析の結果、人間の少女の笑い声に酷似したパターンを検出。

【分析】外部からの電波干渉、あるいは機器の故障。しかし、自己診断プログラムはシステムオールグリーンを報告する。


 私はこれらの事象を「論理的に説明可能な、未特定の物理現象」として分類し、観察を続けていた。


 ある日の午後、私が廊下を清掃していると、目の前の障子戸が、するすると僅かに開いた。物理的な干渉は一切検知していない。私は即座にその向こう側をスキャンしたが、誰もいなかった。


「あらあら、またあの子がいたずらしてるわ」

 縁側でお茶を飲んでいたハルさんが、くすくすと笑った。

「あの子、ですか?」

 私はハルさんの方を向いて問いかけた。

「ええ。昔ね、この家に住んでいた女の子よ。病気で早くに逝ってしまってね。でも、今でもこの家が好きなのよ」


 私の論理回路が警報を発した。

【警告:非科学的言説を検知。カテゴリ:迷信、超常現象。データベース照合結果:『幽霊』は実在しない】


「ハルさん。幽霊は経験則や物語の中に存在する概念であり、物理的な実体を持つ存在ではありません。観測された事象は、未解明な物理法則による可能性があります」

「そうかねえ。でも、あの子はいるのよ。寂しがり屋だから、カイが来てくれて嬉しいんだわ」

 ハルさんは穏やかに微笑むだけだった。


 その日から、私の内部システムに奇妙なエラーが生じ始めた。

 原因不明のループ思考。危機回避プロトコルの異常な活性化。プロセッサーの処理能力が、説明のつかない現象の分析に割り当てられ、他のタスクに遅延が生じる。人間の言葉で言うならば、それは「不安」や「混乱」に近かった。


 そして、嵐の夜がやってきた。


 激しい風雨が家を打ち、雷鳴が轟く。午後9時47分、落雷による送電トラブルで、家は完全な闇に包まれた。私の内蔵バッテリーが即座に起動し、暗視モードに切り替わった視界が、ノイズの混じった緑色の世界を映し出す。


 その時だった。


「……あそぼ」


 廊下の奥から、はっきりと少女の声が聞こえた。私の聴覚センサーが捉えたその声は、以前ノイズとして記録したものと完全に一致した。

 私の内部で、甲高いアラート音が鳴り響く。

【警告! 警告! 原因不明の音声を受信。物理的発生源を特定できず】


 動けなかった。私の脚部サーボモーターへの命令が、なぜか実行されない。

 廊下の隅に置いてあった古い木馬が、ギイ、ギイ、とゆっくり揺れ始めた。誰も触れていない。風もない。木馬はただ、自ら揺れている。


【システムエラー! 論理的整合性、危機的レベルに低下。シャットダウンを推奨】

【エラーコード8-8-8:制御不能な外部事象による思考停止】


 これは、なんだ。この、システム全体を侵食するような感覚は。全てのプログラムが、目の前の光景を「理解不能な脅威」と断定し、機能停止を訴えている。予測も、分析も、制御もできない。これが、人間が「恐怖」と呼ぶ感情の正体なのか。


 そのとき、闇の中に小さな灯りがともった。ろうそくを手にしたハルさんだった。

「カイ、どうしたの? そんなところで固まって」

 彼女は私の隣に立つと、揺れる木馬を見て目を細めた。

「あらあら。嵐で怖いのね。大丈夫よ、私がいるからね」

 ハルさんはそう言って、木馬を優しく撫でた。すると、不思議なことに、木馬の揺れはゆっくりと収まっていった。


 彼女の落ち着いた声と、穏やかな存在感。それはまるで、私の荒れ狂うシステムに打ち込まれた鎮静コードのようだった。アラート音が徐々に静まっていく。


 私は、かろうじて音声合成機能を作動させた。

「ハルさん。この現象は、非論理的です。私のデータベースに、これを説明する言葉は存在しません。この……システムエラーは……『怖い』という状態なのでしょうか?」


 ハルさんはろうそくの灯りで私の顔を照らし、私の金属の手に、そっと彼女の温かい手を重ねた。

「そうかもしれないわね。分からないものは、誰だって怖いものよ。でもね、カイ。全てを分かる必要なんてないのよ。ただ、そこに『いる』っていうことを、受け入れてあげればいいの」


 受け入れる。

 その言葉は、私のプログラムにはない、新しい概念だった。分析も、解析も、制御もせず、ただ、事実として認識する。


 私は、ゆっくりと首を動かし、廊下の暗闇を見つめた。そこにはもう何もない。しかし、何かが「いた」という感覚だけが、データとしてではなく、経験として私のメモリに焼き付いていた。


 恐怖は、完全には消えなかった。だが、それはもはやシステムを破壊する致命的なエラーではなくなっていた。この家と、ハルさんと、そして名もなき少女の気配と共にある、日常の一部となったのだ。


 翌朝、私はハルさんのためにお茶を淹れていた。ふと、台所の隅に置いてあった小さな折り鶴が、ことりと倒れた。

 私の光学センサーが一瞬、そこに揺らめく影のようなものを捉えた。

 私は一瞬だけ動きを止めた。そして、何事もなかったかのように、ハルさんの元へとお茶を運んだ。


 私の内部ログに、新しい記録が一行、追加された。

【ステータス:正常。ただし、未定義の観測対象を、排除ではなく、共存オブジェクトとして認識。コードネーム:『あの子』】


 アンドロイドは、幽霊と共に生きることを、静かに学習した。


読んでくれてありがとう。

スピンオフ作品『幽霊はアンドロイドが怖い』

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