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61.儀式は正しく行いましょう

「ヒルヴィスに栄光あれ!」


 オスヴァルトが王笏(おうしゃく)を天高く掲げると、聖堂前の大広場に集まった民衆から大歓声が湧き起こった。

 誰もが拳を突き上げ、手を振り、声を張りあげる。


「王太子殿下万歳!」

「王笏の殿下万歳!」


 王都の外れ、ガリウ大河に面したガリウ聖堂の屋外祭祀場だ。

 その祭壇前で王笏を掲げ持ち、民衆を見渡すようにしてそれを見せつけながら、オスヴァルトは無理やり唇を笑みのかたちに広げる。

 何もかも上手くいっている。

 フロレンツィアの骨を手に入れ、かりそめの王笏を完成させた。

 骨を食って継承する、というのは初代の王笏の王子と聖剣の王子が継承した儀式を踏襲しており、信頼できる手順だと聞いている。問題はない。

 立太子式も、頬の傷のせいで数日延期にこそなったものの無事に終え、鎮竜の儀も現在執り行われている。

 父王も母妃も王族用の席から拍手を送っており、自分の地位は完全に認められている。すべて予定どおりだ。

 そのはずなのに、オスヴァルトは妙な苛立ちにさいなまれていた。


(あいつらのせいだ)


 脳裏に映るのはすかした顔の異母弟とその妻である赤髪の女。

 ルットマン伯爵やバルトル公爵、ヴェルマー公爵など、立太子式と鎮竜の儀を欠席した者は他にもいるが、あの二人の不在が何より気に食わない。

 あの二人の前で王冠を賜り、王笏を掲げる姿を見せつけたてやりたかったのに、彼らは立太子式の前に王都から姿を消した。《奈落》へ逃げ帰ったのだろう。

 オスヴァルトとしてはフロレンツィアの骨を手に入れて王笏を完成させる、という目的こそ果たせたものの、メインディッシュを取り上げられたかのようで物足りなさが残った。

 口止めができていないのも悔やまれるところだ。

 母親が王宮でほぼ軟禁状態であるため下手な真似はできないはずだが、絶対に口外できないようもう一つくらい弱みを握っておきたかった。


(まあ、王笏は既に完成している。これを偽物だと主張したところで証拠はない。信じる者はいないだろう……)


 クラーラ・ヴェルマーの意識が戻っていないのも運が良かった。

 殺すつもりだったのに、愚かな衛兵が救出したと聞いたときははらわたが煮えくり返ったものだ。くだんの衛兵には事故死してもらったが、まだ腹の虫は治まらない。

 とはいえ、クラーラが意識不明になってから一週間経つ。衰弱した体ではあまり長くは保たないだろう。


(あの手紙の主にも近いうちに消えてもらわねばな)


 物騒なことを考えながら、オスヴァルトは王笏を降ろした。

 民衆に軽く手を挙げてほがらかに応じてみせてから、彼らに背を向けて歩き出す。祭壇の奥は断崖となっており、運河に臨めるようになっている。

 儀式の手順どおりに祭祀場の端で足を止め、発声のために息を吸う。


「水竜よ! 王笏の主が命じる。怒りを鎮め、ヒルヴィスに百年の安寧をもたらしたまえ!」


 朗々と謳うように決められた言句を読み上げ、再び王笏を掲げる。

 儀礼官からはここで竜の声が聞こえるまで待つように言われている。


(竜なんて実在しているのか?)


 過去の王笏の王子たちはみな竜の声を聞き、その問いに答えてきたとというが、本当だろうか。

 本当だとしたら、竜はいったいどこから現れるのだろう。


(確かガリウ大河は竜そのものだという言い伝えもあったな)


 ならば水中から現れるのだろうか。

 オスヴァルトは王笏を掲げ持ちながら、ちらりと崖下に目を向ける。

 黒く濁った川は水量が増して濁流となっており、勢い盛んな水音が響いている。

 大河沿いの自治体ではあちこちで氾濫が起き、甚大な被害が出ているという噂だ。

 だが王都を流れている部分は川幅が広く数百年前から整備されているので、目の届く範囲では水質が濁って水流が激しくなっているくらいの影響しか出ていない。

 だから水害が多発していると言われても、あまりぴんとこなかった。

 なんとなく見つめていた濁流がふと何かの顔に見え、オスヴァルトは思わず身じろぎした。

 見間違いか? と思った矢先に、もう一度激しい川面に顔が浮かぶ。

 人の顔ではない、爬虫類によく似た巨大な頭部の正面だ。


(竜……!)


 くさび形の顔貌の中で、一対の赤眼がぎらりと輝く。

 オスヴァルトはごくりと生唾を飲み下した。


「汝、求めるは国か《奈落》か」


 低く震えるような声が頭の中に直接響いてくる。

 思わずすくみあがりそうな声音だったが、問い自体は儀礼官から聞いていたとおりのものだった。正しい答えもわかっている。


「国だ」

 胸を張り、先代の王笏の王子と同じ返答をする。

 王太子として、両親である国王夫妻や民衆の前で情けない姿は見せられない。


「王笏は?」

「ここにある」


 オスヴァルトは王笏を軽く押し出してみせる。

 竜からの返事はない。しばらく激しい水音だけが響く。

 漠然とした不安が募ってきた頃、竜の両眼がひときわ強く輝いた。


「――よろしい。しばしの間、怒りを鎮め、国を封じよう」


 オスヴァルトはほっと息をつきつつ、脳裏に疑問符を浮かべる。

(国を封じる?)

 意味がわからないが、そういうものだろうか。

 無理やり納得しようとしたとき、


「しかし、その王笏では足りぬ」

「……は?」


 竜の返答に、オスヴァルトの喉から間抜けな声が出た。

 足りないとはなんだ。フロレンツィアの骨はすべて飲んだ。気持ち悪いのを我慢して摂取したというのに、不足があったというのか。


(いや、イグナーツから受け取ったフロレンツィアの腕は、すべての骨がそろっていることを確認させた。足りないはずは……)


「足りぬぶんは補わねばならぬ」


 何で補うというのか。

 それを口にする前に、眼前に水柱が噴き上がった。

 思わず見上げると、水柱の先に出現した竜の頭部と目が合った。あっと声をあげるより速くその頭部が落ちてくる。

 巨大な顎を広げ、無数の牙を剥き出しにして――


「あ?」

 直後、オスヴァルトの視界は闇に閉ざされた。

 とたんに鼻から口から泥水が浸入し、息ができなくなる。

 何が起きたのかわからないまま、オスヴァルトは素手で必死に水を掻いた。どこにもつかまるところはなく、王笏もいつのまにかその手にはない。

 息ができない苦しさの中、眼からにじむ熱いものも周囲の濁流に溶け込んでいく。


(助けてくれ! 苦しい、誰か助けろ! 助けて、母上――)


 竜に呑み込まれたのだと彼が気づくことは最期までなかった。

 第七章までお読みいただきありがとうございました。

 次回から最終章の予定です(長くなったら章をわけるかもですが)

 最後までおつきあいいただければ幸いです。

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