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60.人魚姫は眠り姫を知り尽くしています(2)

 クラーラはまぶしげに目をすがめた後、周りを確認するように目を動かした。

 その眼差しがベッドサイドのアリーセに気づいて焦点を絞り、眉根を寄せる。


「そういうところ、本当に……大嫌いですわ」

「奇遇ね、私もよ」


 クラーラは少し驚いたような目つきになる。

 話の前半はほとんど聞こえていなかったのだろう。

 癇にさわるように言ったところだけしっかり聞きとがめていたとは、我ながら効果絶大だったらしい。

 クラーラはさらに何事か言おうとして、こほこほとむせはじめた。

 彼女の侍女が慌てて水差しの水を注いだグラスを手に駆け寄る。

 侍女に介助されながら上体を起こしたクラーラは、グラスの水をごくごくと飲んでまたむせた。こぼれた水を侍女に拭われながら、じろりとにらんでくる。


「……やっと、認めましたのね」

 まるで嫌いだと認めさせたかったかのような口ぶりだ。


「嫌わずにすむよう努力はしたのよ。でも自分を嫌っている人を好きになれるほど聖人にはなれなかったわ」


 アリーセは肩をすくめてみせる。

 クラーラに対してここまで本音で話をするのははじめてだ。

 不思議と肩が軽くなった気がする。ずっと無理をしすぎていたのかもしれない。


(もっと早く認めてしまえば楽になれたのかもね)


 異母妹と毎日罵り合いながらも、不仲な関係をそれなりに楽しめたかもしれない。

 だが諦めの悪い母の血を引くアリーセには、そんな器用な真似はできなかった。

 何年も抵抗を続け、最終的には諦めたふりをしつつ一矢報いる瞬間を狙っていた。

 仮に時間を巻き戻せたとしても、アリーセは同じ道を選んだだろう。


「クラーラ!」


 不意に父が声をあげて割って入ってきた。これ以上はこらえられなかったようで、覆い被さるようにクラーラを抱きしめる。


「よかった、本当によかった……!」


 声は震え、涙が混じっていた。

 彼が本気で愛娘の身を案じていたことが伝わってくる。

 そんな主を茫然と見つめていたクラーラの侍女が我に返り、部屋を飛び出していく。医者を呼びに行ったのだろう。


「お父様……」


 クラーラも目を潤ませて父を抱きしめ返す。

 二人の抱擁をアリーセは無言で眺めた。

 あんなに父に愛されたいと思っていたのに、いまや悔しいともうらやましいとも思わなかった。

 それどころか、素直によかったと思えるのだから不思議だ。

 父に愛されたかった自分は、既に遠い過去のものになったのだ。


(いまは、私を愛してくれる人がいるもの)


 それはイグナーツだけではなく、侍女のミアであったり、親友のマヌエラであったりもする。

 愛情とは少し異なるが、ルットマン伯爵やハイネも友人として信頼を寄せてくれている。

 みなアリーセが自力で獲得してきた絆たちだ。

 いつまでも愛情に飢えてベソをかくだけの子どもではない。

 イグナーツがそっと肩に触れてきた。肩越しに振り向くと、彼は無言でうなずいた。時間のようだ。


「では、私たちはそろそろお暇いたしますわ。お元気で、お父様、クラーラも」


 アリーセは椅子から立ち上がって優雅に会釈をしてみせる。

 そうしてドレスの裾を翻して扉へ向かおうとすると、てっきり一緒に来てくれると思っていたイグナーツが不意に逆方向へ動いた。

 あっと思ったときには、彼はベッドサイドに立って寝台を見下ろしていた。

 父が慌てて抱擁を解き、クラーラが寝台で息を呑む。

 一目で彼が元婚約者のイグナーツだと察したらしかった。


「あ――」

「池に落ちたのはなぜだ?」


 クラーラは何か、おそらくは婚約破棄についての謝罪の言葉を口にしようとしたようだったが、イグナーツの方が速かった。


「うっかり落ちるような場所じゃない。池に何かを落として拾おうとしたとかでなければ。なぜ落ちた? それとも誰かに突き落とされたか?」

「…………」


 無言は雄弁だ。気まずげにさまよう視線も。

 きゅっと唇を噛みしめるところを見て、誰もが突き落とされたのだと察した。


「誰に?」


 こくりと生唾を飲み下す音がして、おそるおそる唇が開かれる。

「……オスヴァルト殿下に」


「なっ」と声を漏らしたのは父だった。


「ほ、本当か、クラーラ!」

「……ええ。手紙を……お姉様が落としたファビアンの手紙を読んでいたら、殿下に奪われて、池に」


 アリーセはあきれた。まさかクラーラが拾っていたとは。

 その直後に池に落ちたのだとしたら、あれだけ探しても見つからなかったのは当然だ。


「なんということだ……!」


 父がブルブルと体を震わす。

 顔色が怒りでかあっと赤くなっていくのが目に見えてわかって、これは厄介なことになったと思った。


「お父様、くれぐれも早まった真似はなさいませんように」


 返事はない。

 この様子ではアリーセの言葉も耳に入っていないかもしれない。


「お父様――」

 もう一度言いかけたところ、イグナーツに腕で制止された。

「クラーラ嬢、答えてくれてありがとう。お大事に――では、行きましょう」


イグナーツが今度こそ踵を返し、アリーセの腕を引いて歩き出す。


「殿下、あの……」

「放っておきましょう。公爵がどのような行動を起こしても、起こさなくても、我々が口を出すことではありません」


 そうかもしれない。

 アリーセはもうこの家の者ではないし、父がアリーセの制止で留まるような人とも思えない。

 一度は諫めたのだから、娘としての責任は果たしたと言えるだろう。

 玄関アプローチで再び馬車に乗り込んだところで、イグナーツがぼそっと囁いた。


「ところで、ファビアンの手紙というのは?」

「実は調べ物を頼んでおりましたの。内容が内容でしたのでルットマン伯爵に伝書鷹代わりをしていただいて……あとで説明いたしますわ」


 こちらを見つめる眼差しに剣呑なものを感じ、アリーセは苦笑して弁明する。

 せっかく両思いになれたというのに浮気を疑われてはたまらない。


「もしかして、妬いていらっしゃいます?」


 ふと思いついたことを冗談めかして訊ねてみると、とたんにイグナーツがむっとした顔になる。


「いまさらですか? 前から思っていましたが、あなたは少々鈍感すぎます」

「……そうでしょうか」

「そうです」

 きっぱりと言ってむくれるものだから、アリーセは噴き出すしかなかった。


「それにしても、なぜ兄上はクラーラ嬢を突き落としたのでしょうか」


 イグナーツが話題を変えてきた。

 確かにそこは疑問が残る。突き落とす、つまり殺そうとした理由が見当たらない。


「理由は、手紙の内容にあるのかもしれませんわね」


 何か知られたら困ることが書かれており、クラーラはそれを読んでしまったがために狙われた。そう考えるのが妥当だろう。


(帰ったら、手紙になんて書いたのかファビアンに聞かなくてはね)

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