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52.人生に選択はつきものです(1)

 アリーセの行方がわからなくなったと告げると、父王は渋々ながらイグナーツの謹慎処分を解いた。

 立太子式前の大事な時期にこれ以上問題を増やしたくない、秘密裏に解決できるなら早くすませてほしいという、いつもの弱腰ぶりがよくうかがえる。

 実の父親ながらあきれるほかなかった。


(だから五年前も諦めたんだ)


 第一王妃の裏切りも異母兄の出生の秘密も、証拠は何一つ残されていない。

 疑いを持ったのは、オスヴァルトの持つ王笏(おうしゃく)をはじめて見たあの日だ。

 イグナーツには一目で偽物だとわかった。

 素材はおそらく魔光石という内側から輝きを放つ特殊な石の一種と思われた。

 とはいえ、確証はない。

 イグナーツはそれをしばらくは胸の内にしまった後、母方の祖父に打ち明けた。

 祖父は大急ぎで調べさせたようだったが、残念ながらそのときには既に事情を知っていそうな者は全員事故や病気に見せかけて処分されていたという。

 不倫相手すら、もうこの世にはいなかった。

 仮に進言したとしても、愛する第一王妃の裏切りを父が信じるはずもなかった。

 祖父は、このことは誰にも言わぬようにと厳しい顔で言った。

 このままでは国が滅ぶと広まれば、竜による水害の前に混乱した人々による人災によって国中が苦しむことになる――

 その祖父は二年前に他界した。

 秘密を知っているのはもはやイグナーツと母ヘルガ、そしてレンだけだ。


 必要最低限の報告と頼み事だけを伝えて、イグナーツは正殿を出た。

 そこから直接城門へ向かっていると、人影が二つ早足で近づいてきた。

 アリーセの侍女ミアとルットマン伯爵だ。

 ミアは血の気を失った顔を強張らせており、ルットマン伯爵は身なりこそ整えているものの、怪我をしているようで動きがぎこちない。


「殿下……心からお詫びを申し上げたいことが」

「事情は知っている。後にしてくれ」


 イグナーツはそう言って彼の横を通り過ぎようとした。いまは時間が惜しい。くだらない釈明など聞いている余裕はなかった。

 ルットマン伯爵は驚いたように目を見開く。

 イグナーツが既に知っているとは思わなかったようだ。だがそれでも引き下がらず、すがるように追いかけてくる。


「ならばこそです! 彼女のためにも、私の見聞きしたことをお伝えしたく――」


 それ以上は聞いていられず、イグナーツはルットマン伯爵の胸ぐらを掴んだ。

 侍女が息を呑み、衛兵がぎょっとしたような顔をしたのが見えた。


「ここをどこだと思っている? いまこの場で口にしていいことかどうかをよく考えろ。いまのあなたは冷静さを欠いている」


 城門前には衛兵もいる。

 日が暮れたとはいえ、少数ながら人の出入りもある。

 王子が妃の侍女をともなった貴族と深刻そうに話していたら、耳をそばだてたくもなるだろう。


「……失礼いたしました」


 ようやく自覚したようで、ルットマン伯爵は力なくうなだれる。

 イグナーツは彼の胸ぐらから手を離し、続いて侍女に顔を向けた。


「伯爵は疲れているようだ。茶でも出してやってくれ。帰ってきたときに友人の元気な顔を見られればアリーセも安心するだろう」


 暗に彼女を連れ帰ってくると宣言すると、侍女は少し表情を輝かせた。

 承知いたしました、と一礼して、ルットマン伯爵を《蒼の宮》の方へ案内していく。

 なじみの馬丁に用意させていた馬に跨がり、手綱を掴んで腹を蹴る。

 人通りの多い城門前通りから裏道に抜けると、一気に馬を加速させた。

 アリーセの身柄とフロレンツィアの骨の取引場所として、手紙の主が指定してきたのは郊外にある廃屋だった。

 そこにアリーセと御者が捕らえられていることは自称精霊によって確認済みだ。

 現地の近くで馬を降りて近くの木に繋いでから、くだんの廃屋を目指す。

 元は貴族の別邸だったらしき屋敷の周りには、武装した男たちが散見された。

 それを眺めて、レンが誰にも聞こえないのに声をひそめて言ってくる。


「……あのくらいなら、イグナーツ一人でやっつけられるんじゃない?」

「馬鹿、アリーセを盾に取られたら詰みだろう。それに、いまは相手を怒らせるべきじゃない」

「いまは、ね」


 レンはイグナーツの言葉に含まれる意味を察したようだった。

 見張りの一人に声を掛けて例の物を保ってきたと伝え、武器を持っていないことを確認された後、屋敷の中へ通される。

 前後左右を私兵に囲まれるかたちで見張られながら、応接室らしき部屋へ通される。

 そこだけきれいに片付けられた長椅子で、濃い色のヴェールを被った貴婦人が待ち構えていた。

 顔を隠していても背格好を見ただけでわかる。

 マグダレーナだ。長椅子の後には仮面を被った侍女も控えている。


(フロレンツィアの骨を確実に手に入れるために、第一王妃みずからお出ましになるとはな)


 そして彼女が出てきたということは、オスヴァルトはイグナーツが頬に刻んでやった傷の調子がよくないのかもしれない。

 思いのほか傷が深かったのか、感染症を起こしたのかは知らないが、アリーセに不快な真似をしたのだから自業自得だ。


「ちゃんと持ってきたのでしょうね?」

「ここに」


 イグナーツは胸元を軽く叩いてみせた。

 私兵の一人が確かめようと伸ばしてきた手を払う。


「彼女の解放が先です」

「いいえ。本物かどうかを確かめるのが先よ」


 マグダレーナは引かない。

 先方は王宮か別の場所にいると思われる息子に骨の粉末を飲ませ、効果があるか確認してから交渉成立としたいようだが、そんなに待ってやるつもりはなかった。

 既に彼女たちはイグナーツの我慢の限界をいくつも超えているのだ。


「偽物を持ってくる意味などありますか? 彼がアレを維持できなくなれば多くの人に影響が出る。俺の愛する人たちのためにも、せめて儀式までは保ってもらわねば困ります」


 鎮竜の儀さえ終わればオスヴァルトがどうなろうと知ったことではない。

 こちらの発言を信じさせるためにあえて本音を織り交ぜたところ、マグダレーナはヴェールの内側で苛立ちを抑えるようなため息を漏らした。


「……いいでしょう。彼女を連れてきなさい」


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