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50.愛される資格がありません(1)

 ――時は少しだけ遡る。


 マリアンに従って、アリーセは床下の隠し通路から魔女の家を脱出した。

 穴を掘って自然の洞窟に繋げたもののようだった。真っ暗で土石が剥き出しになった通路で、はぐれたら暗闇の中に取り残されるのは必至だ。だから唯一の光源であるランタンを手にした魔女の背中に必死についていった。

 だというのに、追っ手に隠し通路の存在が見つかって追いつかれたとたん、魔女は私兵らしき男たちの方へアリーセを突き飛ばして逃げた。

 老女とは思えない足の速さだった。

 そのときアリーセは確信した。薄々は察していたのだ。


(やっぱり、男性だったのね……)


 元罪人という噂は本当だったのだろう。

 さらに言えば、おそらくだが現在も罪に値する行為を続けている。それも無認可の医療行為程度ではなさそうに思えた。

 通路が狭かったため、突き飛ばされたアリーセを受け止めた私兵たちはすぐにマリアンを追いかけることはできなかった。

 もしかしたら彼は最初からアリーセを足止めに利用するために隠し通路へ案内したのかもしれない。完全にやられた。

 そうして捕らえられたアリーセは私兵二人に挟まれて歩かされた後、紋章のない馬車へ押し込まれ、廃屋へ連れて行かれた。

 老朽化してはいてもそれなりに規模の大きな屋敷だった。元はどこかの没落貴族の別邸だったのかもしれない。

 埃の被った寝台の置かれた部屋へ案内されると、そこには先客がいた。

 怪我をした男が一人、床に転がされている。ルットマン伯爵家の御者だった。


「なんてことを!」


 アリーセは慌てて御者のもとへ駆け寄った。

 彼の左足は傍目にもあきらかなほどざっくりと切られており、血液を吸った脚衣がぐっしょりと濡れている。

 出血は止まっていないようで、床に血の水たまりができつつあった。

 アリーセは私兵たちを振り返った。


「医者を呼んでください! それが無理ならせめて手当てをしてくれませんか。早く傷を縫わないと――」


 しかしその要求は、目の前で閉じられた扉にさえぎられた。

 腹は立ったが、敵を頼ろうとしても無駄だ。

 アリーセはすぐに頭を切り替え、お仕着せの裾を力任せに破った。裾を一周、二周と引き裂いて細長い布を作ると、御者のかたわらにひざまずく。


「私の声が聞こえますか? いまから手当てをします。素人なので上手くはできませんが、痛くても抵抗しないでください」

「うう……」


 くぐもったうめき声は了承の意味と判断していいだろう。

 アリーセは御者の左太股に触れ、太い血管のある場所を圧迫するために布をきつく巻きつけていった。

止血を終え、他に怪我をしているところはないか確認する。

 すると腕も折れているようだった。アリーセは朽ちた家具を壊して添え木を作り、お仕着せから作った即席の包帯を巻きつけ、固定した。


(私にできることはここまで。あとは彼がもつかどうか……)


 心配なのは出血と感染症だ。いますぐ傷口を消毒し、清潔な針で縫ってやる必要があるというのにそれができない。歯がゆかった。

 それでも不幸中の幸いと言えるのは、御者が生きていることだ。

 アリーセに余計な抵抗をさせないためだろうが、彼が生かされているということはルットマン伯爵は無事なのだろう。

 友人が捕らえられたか殺されるかしていれば、ここに転がされているのは御者ではなく彼であるはずだ。


 しばらくして扉が開いた。

 武装した私兵が何人も入ってきたので逃げる隙はなさそうだ。

 彼らが左右から囲むように並ぶと、後から貴婦人がやってきた。

 帽子と濃い黒のヴェールで顔を隠しているが、歩き方や姿勢から貴族以上の身分であることはあきらかだった。この人が黒幕か。


「こそこそ嗅ぎ回るなんて、育ちの悪いこと」


 声を聞いた瞬間、アリーセは彼女が第一王妃マグダレーナだと確信した。

(私に対してのヴェールではなさそうね)


 ここに出入りするために姿を見られたくなかったのだろうと推測する。

 アリーセは必死に思考を巡らせた。

 自分の言動如何によって自分と御者の運命が決まる。

 二人とも無事に解放されるか逃げ出すために、一つたりともミスは許されない。

 ここで『不義を働くほどではありませんわ』などとイヤミを返して、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。だから腹は立っても聞き流した。


「てっきりご子息がいらっしゃると思っておりましたわ」


 アリーセはあえてオスヴァルトの名前を出さなかった。

 貴婦人がヴェールの中でふふっと笑う。アリーセの意図は伝わったようだ。


「あいにくと息子は傷の治りが悪くて動けないの。誰かさんのせいでね。だからわたくしが代わりに」

「それは、ご苦労様ですわね」


 次も、あえて目上の者への言葉遣いをとらなかった。アリーセよりも上の立場の者となると王族に限られる。

 貴婦人もそれは理解しただろうが、忌ま忌ましさは感じたらしく嘆息を漏らした。


「……あなたがどの程度知ってしまったのかはわからない。正直、消して差し上げたいところだけれど、どうしても手に入れなければならないものがあってね。そのためにはあなたを人質にせざるを得ないの」


 どうしても手に入れなければならないものというのは、偽物が王笏を継承するためのものだろうか。だが既にオスヴァルトは王笏を手にしている。


(維持をしつづけるために消費しなければならないものがある?)


 それをイグナーツか、あるいは別の誰か高位の人間が所持しているという意味か。

 昨夜、オスヴァルトがアリーセに絡んできた理由がよくわかった。

 立太子式と鎮竜の儀のために王笏が絶対に必要で、現在の状態ではそれを維持できそうもないのだろう。

 思考を巡らせながら、アリーセはちらりと御者を一瞥してみせる。


「でしたら、彼は無関係では? 彼だけでも解放してくださいませんか」

「ダメよ。あなた、一人になったら抵抗するでしょう? ボーグ湖の人魚の噂は聞き及んでいるのよ」


 高位令嬢とは思えぬ活発さが知られている弊害だ。こんなところで影響が出てくるとは思わなかった。


「……そのご様子では、既に脅迫状の類いは相手に送り済みのようですね。その方は、要求に応じるでしょうか? 私ごときのために」


 すると貴婦人はハッと鼻で笑った。

「持ってくるわよ。だってあなたはイグナーツの命の恩人だもの」

「……え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 命の恩人と言われて思い当たるのはボーグ湖で溺れた者たちだが、みな顔も名前もおぼえている。

 いや、一人だけ身元のわからない者がいた気がするが、その人は――


「しらを切る必要があって? ああ、夫の名誉を守りたいのね。確かに、聖剣を継承していながら自殺しようとしたなんて、英雄としてふさわしくないものね」

「じ……」


 自殺の一言に、ぞくりと背筋が震えた。

 アリーセは思い出した。ボーグ湖で救出した者の中に一人だけ、水難事故ではなく入水自殺未遂だった者がいたことを。


(あのときの……!)

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