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46.魔女は何かを知っているようです(3)

 魔女マリアンが採血のために持ちだしたのは、奇妙な医療器具だった。

 ガラス製の筒と吸子がセットになっており、先端には針が飛び出している。ゴルヴァーナ城砦の療養所でも見たことのない医療器具だ。

 アリーセは少し不安になったものの、それ以上に興味を惹かれた。


「はじめて見ましたわ。なんという医療器具ですの?」

「こちらは注射器というものです」


 マリアンが言うには、国の認可が取れていない医療器具だという。

 特にこれは吸子をガラス製に改良して煮沸消毒できるようにした特注品らしい。

 この注射器を使った採血は短時間で終わった。

 先端の針を皮膚の上から血管に刺して吸子を引くだけで、簡単にかつ小さな傷口をつけるだけで血液を採取できる。

 取り扱いには注意が必要だが、採取した血液が空気に触れて劣化するのを遅らせることもできるそうだ。それを聞いて、ますますアリーセは感心した。


「一つ譲っていただくことはできませんか? 知り合いに薬物や医療器具を取り扱っている商会がありますの」

「……構いませんが、特注品ゆえそれなりのお代はいただきます。それと何度も申しておりますが、こちらは国の認可が」

「承知しておりますわ」


 アリーセが身を乗り出しかけたとき、コホンと咳払いが響いた。

「妃……アリー、今日はそういう話をしにきたのではなかったかと思うのだがね」


 ルットマン伯爵が言いにくそうに軌道修正をかけてきた。

 ゴルヴァーナ城砦の療養所でも役立てられそうだと思ったからとはいえ、商談に花を咲かせている場合ではない。時間は有限だ。


 採取した血液をマリアンが奥の保管庫へ持って行き、戻ってきたところでアリーセは切り出した。


「それでは、お話をうかがってもよろしいですか?」

「その前に――そちらの旦那様は、申し訳ありませんが外でお待ちいただきたく存じます」

「何っ!?」

「やつがれが取引をいたしましたのはこちらのメイド殿でございます。まあ、本物のメイドなのかどうかにつきましては、やつがれには知りようもありませぬが」


 魔女はアリーセのお仕着せ姿を変装だと見抜いているようだ。

 ルットマン伯爵の態度からバレるのは時間の問題だっただろう。むしろここからは演技の必要がなくなるので、少し気が楽になったとも言える。


「いいかね魔女よ。彼女に何かあったらただではおかない。これ以上、彼女に傷一つでもつけることがあれば、我が一族に総出で追い詰められると覚悟したまえよ」

「肝に銘じておきます、旦那様」


 そんなやりとりののち、ルットマンは渋々といった様子で外へ出ていった。

 玄関の扉にしっかりと鍵までかけてから、マリアンは戻ってきて腰掛け、テーブルの上で手を組んだ。

 ルットマン伯爵に代わって、アリーセは魔女と向かい合うように腰掛ける。


「さて。オスヴァルト殿下のお話でよろしかったでしょうか?」

「ええ、そうです。お話が早くて助かりますわ」

「ですが、あなた様がお求めのお話ができるかどうかはわかりかねます。というのもここにいらした御仁……騎士だとおっしゃっておりましたが、その方からご相談された内容は不妊に関することではありませんでしたので」


 オスヴァルトもまた変装をしてここを訪れていたようだ。にしても不可解だ。


「不妊についてではないのなら、いったいなんのご相談を?」

「聖剣に関することでございます」


 アリーセは息を呑んだ。

(オスヴァルト殿下が聖剣の相談を?)

 聖剣はとうにイグナーツが継承しているのに、相談する意味がわからない。


「これはあくまでやつがれが御仁からご相談された内容になりますが」

 と念を押してから、マリアンは語り出した。


「その御仁がおっしゃるには、第二王子のイグナーツ殿下は本物の聖剣の王子ではないそうでございます。本物の聖剣の王子は、生まれてすぐに亡くなったオスヴァルト殿下の弟であった可能性が高く、イグナーツ殿下は第二王妃殿下の不義の子であることを隠すため、偽の聖剣で戦い続けておられると……ですが、本物の聖剣がなければ《奈落》を封印することはできませぬ。どうにかして本物の聖剣を授かる方法はないか……そういったご相談でございました」


 話を聞いている間、アリーセは矛盾を指摘したい欲求を必死でこらえた。

 イグナーツの聖剣が偽物ならば、魔物を倒せるわけがない。とっくの昔に魔物の群れがゴルヴァーナを飛び出し、王国中が被害に遭っていたことだろう。

 どこかあきれたような語り口からして、マリアンも自称騎士の発言を真に受けたわけではなさそうだった。それどころか魔女も薄々気づいている。


(これはいわゆる……友人の話だと言って、自分の経験を話すというアレね)


 魔女の話を変換するとこうなる。

 オスヴァルトは第一王妃マグダレーナの不義の子で、国王の血を引いていない。

 そして本物の王笏(おうしゃく)の王子はイグナーツの双子の弟。

 おそらくフロレンツィアは男児として生まれたのだ。

 だが王家に三人目の王子が生まれ、しかも男児の双子となれば、最初の王子に疑いの目が向くのは避けられない。

 まず間違いなく、マグダレーナもオスヴァルトも処刑されるだろう。

 フロレンツィアは男児だと知られた瞬間、証拠隠滅のために第一王子とその関係者に消される恐れがあった。

 だからヘルガ妃は、双子の弟を妹と偽って生き延びさせようとしたのだろう。


(それでも三歳で亡くなられたということは……きっとバレてしまったのだわ)


 本来と異なる性別の名を授けられ、異なる性別での暮らしを強制される。

 そうまでしても短い人生しか与えられなかった第三王子を思うと胸が痛んだ。

 哀悼の祈りを捧げたいところだが、いまはあまり時間がない。


「……お話はよくわかりましたわ。ですが、王家の血を引かない者に聖剣や王笏を継承する方法なんて、それこそないのではありませんか?」

「実は、そうでもないのです。イグナーツ殿下の母方の曾祖父は、王家の血筋に連なる御方ですので」


 魔女の言葉にアリーセもまた思い至る。

 オスヴァルトの母マグダレーナもまた、薄くではあるが王家の血を継いでいる。

 王家の直系ではなくとも、血を引いていればなんらかの方法で継承が可能ということか。


「それはいったいどうやって――」


 アリーセがそこまで言いかけたとき、扉の外から悲鳴らしきものが響いてきた。

 馬のいななきが鋭く轟き、物がぶつかり倒れる音、金属が激しく打ち合う音が続く。

 家の外で何か非常事態を起きているのはあきらかだった。


「伯爵!」

 アリーセは思わず立ち上がった。その手をマリアンが掴んで制止してくる。

「出ていってはなりませぬ」

「でも、伯爵が……! 彼は武術の心得がありませんの」


 自身が弱いことを、ルットマン伯爵がよく自虐的に語って笑いに変えていたのを思い出す。それが、まったく笑えない状況になってしまった。


「あなた様が出ていって何になりますか。この細腕で戦えるとでも? 襲撃者が何人いるかもわかりません」


 アリーセがなおも抗弁しようとしたとき、玄関の扉が激しく叩かれた。外にいる何者かが蹴破ろうとしているようだ。


「やつがれについてきてくださいませ。抜け道がございます……こちらへ」


 マリアンが部屋の奥へとうながしてくる。

 アリーセは躊躇して、魔女の指した扉と玄関の扉を交互に見やる。玄関の扉はいまなお騒音を立てていて、いまにも蹴破られそうだ。


(ルットマン伯爵……どうか無事でいて)

 祈るような気持ちで、アリーセは玄関に背を向けた。

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