45.魔女は何かを知っているようです(2)
ルットマン伯爵が驚いたように振り返り、マリアンが胡乱な眼差しを向けてくる。
「何か?」
「……失礼いたしました。私からもご相談したいことがありまして、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
無礼を詫びてから、ルットマン伯爵には私にまかせてくださいと視線で伝える。
(オスヴァルト殿下が王笏を人前で見せるようになった時期とフロレンツィア様のお墓が荒らされたのが同じくらいの時期、というのは偶然かもしれない)
何か関係があるのではと怪しんでいるのはあくまでルットマン伯爵だ。
アリーセは彼の憂慮を聞かされただけで、まだ気になっている程度でしかない。
それでもこうして魔女のもとへ押しかけたのは、愛するイグナーツの残りわずかな人生と生活に間違いなく影響があるからだ。
「不妊を治す方法はあるのでしょうか?」
まずは比較的答えやすそうな質問からはじめる。
腕利きの魔女ならば、この手の相談は数え切れないほど受けてきたことだろう。
オスヴァルトが子をなせないのならば、弟のイグナーツがそのつとめを果たさなければならない。どんなに気が進まなくとも、血を残すことは王族の使命だ。
(私ではダメならば、殿下には他の女性と……考えたくもないけれど)
イグナーツが自分以外の女性と子を成すなど絶対に嫌だ。
しかし《奈落》が存在する以上、王笏と聖剣の王子なくてはこの国は滅んでしまう。この際、アリーセ個人の感情は捨てなければならなくなるかもしれない。
魔女マリアンが訝しげな視線を向けてくる。
「なぜそのようなことをお訊きに? ご結婚は?」
「しております。そちらの旦那様とは別の男性と」
侍女がこのタイミングでこんな話をしだしたら、ルットマン伯爵に変な疑いがかかりかねない。彼の名誉のために軽く説明しておく。
「が……恥ずかしながら、後継者問題を抱えておりまして。それで不妊の治療法があるのならば教えていただきたいのです」
アリーセ自身が当事者であると受け取れる言い方ながら、嘘はついていない。
なるほど、とマリアンはいちおう理解を示すようなつぶやきを漏らす。
「さようでございますか。結論から申しますれば、子ができにくい体を少しだけできやすくすることは可能でございます。しかし、完全にその機能のない者、子種のない者をできるようにすることは不可能と言ってよいでしょう」
「では――オスヴァルト殿下の場合はどうですか? 彼は子を成すことができますか?」
アリーセはマリアンの目をにらむように見つめて切り出した。
落ちくぼんだ目が、今度はそうきたかと言わんばかりに疲労の色を帯びる。
「お会いしたこともない御方のことは、やつがれにはわかりかねま――」
さきほど同様にしらを切ろうとして、魔女ははっと何かに気づいた。
テーブルを迂回してゆっくりとこちらに近づいてくると、ぎょっとするほど顔を近づけて目をのぞき込んでくる。
その不作法に、ルットマン伯爵が慌てて割って入ろうとする。
「待て、無礼だろう――」
大丈夫です、と伝えるべくアリーセは手で彼を制止する。
マリアンは目をのぞき込んで観察しているだけだとわかったからだ。ただ、いまのルットマン伯爵の態度でアリーセが侍女ではないことはバレただろう。
「変わった目をされておりますな」
「え?」
「右目。ほとんど見えないのではありませんか?」
「……どうしてそのことを」
アリーセの右目は物が強くぼやけて見えるせいであまり機能していない。
両目を開けて暮らしているぶんには違和感はなく、日常生活に支障はまったくないのでふだんはそのことを忘れがちだ。
きっかけは、何年か前にボーグ湖で溺れた人を助けたときだと思う。
目にゴミが入ってしまい、しばらく瞼を開けられなくなったことがあった。それ以来、右目の調子は徐々に悪くなっていき、いまでは右目だけでは濃い霧の中にいるかのように物が判別できなくなったのだ。
(自分でもあまり意識していないことなのに、それを見抜くなんて)
まさか初対面の人間に言い当てられるとは思わなかった。
これが魔女の洞察力というものなのだとしたら、腕前もある程度信用できるかもしれない。
「右目から竜の気を感じます。穢れた海にでも飛び込まれましたか? しかしそれならば、生きておられるのが不思議ではございますが」
アリーセは思わず自分の右目の近くに手を伸ばした。
もちろん穢れた海に飛び込んだ経験などない。
ヒルヴィス王国を囲む穢れた海は生物が生存できないほど汚染されていて、建材を腐食させるため船を浮かべることもできないのだ。
「海に入ったことはありませんが……故郷に、穢れた海の水が流れ込んでいると噂のある湖があります。そこで泳いだことならば何度か」
「さようでございましたか。穢れに触れて生き延びた者はいないと言われておりますが……あなた様の場合はおそらく少しずつ、肉体に害を及ばさない程度のごく微量を数回にわけけて摂取したために、肉体が穢れに適応したのでしょう」
マリアンはそれで納得したらしく、何かを噛みしめるようにうなずいた。胡乱げだった眼差しが急に理知的で思慮深いものに変わる。
「……気が変わりました。よろしければ、やつがれと取引をいたしませんか?」
「どのような取引でしょうか? さすがに目をくり抜いて寄越せと言われても困りますわ」
アリーセの発言に、ルットマン伯爵がぎょっと顔を歪める。
マリアンも驚いたように目を丸くして、かかっと声を出して笑った。
「そのようなおそろしい要求はいたしませぬ。あなた様の血液を採取させていただきたいのです」
「血、ですか?」
「さようでございます。海岸部の町村ではときおり穢れた海の影響で不治の病に冒される者がおります。そういった人々のための治療薬の研究に、ぜひとも役立てさせていただきたいのです。応じていただけますれば、やつがれの存じていることならすべてお話しいたしましょう」
あれだけ拒絶しておきながら、すべて話すときたものだ。
アリーセにとってはまたとない機会だ。とはいえここですぐに飛びつくのは尚早というものだろう。
発言だけを受け取れば悪い人ではなさそうだが、真意はわからないものだ。
「いけません、妃――いやその、とにかくダメだ! そのような怪しげな取引を飲むべきではない!」
すかさずルットマン伯爵が割って入ってきたが、アリーセはかぶりを振って彼の横やりを拒否した。
困った顔をする友人を引かせ、それからマリアンに目を向ける。
「いいでしょう。その代わり、血液の採取につかう器具は事前の消毒から確認させてください。適切ではないと感じた場合はそこで採取は中止、ただし取引は成立したものと見なし、お話は聞かせていただきます。それでも構いませんか?」
マリアンは乾いた唇に薄い笑みを浮かべてうなずいた。