43.世継ぎ問題はきな臭いものです(2)
「いつまでふてくされているの。こうなることはわかりきっていただろ?」
「……うるさい」
《蒼の宮》に与えられた一室で、イグナーツは長椅子で仰向けに寝転がって天上を眺めていた。
なのに、翼を生やした幼児姿の自称精霊がいちいち小言を言ってくるせいで、おちおち居眠りもできなかった。
ルットマン伯爵邸へ向けて出かけていったアリーセたちを見送った後、イグナーツは近衛騎士たちに連行されるようなかたちで父王と謁見した。
そこで告げられたのは自室での謹慎処分だった。
昨夜オスヴァルトと揉めて彼の頬を斬ったことを問題視されたのだ。
イグナーツは異母兄が嫌がる新妻の体に触れたからだと反論した。
だが父王は珍しく怒りをあらわにし、
『だからといって聖剣で斬るやつがあるか! しかも顔を斬るなど……立太子式がいつだと思っておる!』
『二日後の九時からですね』
『日程を言えとは申しておらん!! いままではそなたの宿命を気の毒に思い、多少のことには目をつむってきたが、いつまでも甘く見てもらえると思ったら大間違いだぞ。立太子式まで《蒼の宮》で謹慎しておれ!!』
とまくし立てて、とりつく島もなかった。
これが自分以外のゴルヴァーナ城砦に関わってくることならば強硬手段に出ることも考えたが、今回はあくまで沙汰を受けたのはイグナーツのみ。
さらに言えば、父王の言い分にも一理あると思えた。
よっておとなしく処分を受け入れることにした。
それに謹慎はたった二日間だ。
父王はどうしても異母兄の立太子式にイグナーツを聖剣の王子として参加させたいようだ。自分に公衆の面前でこうべを垂れさせることで、何かと人気のないオスヴァルトの立太子を国民にも広く認めさせたいのだろう。
「まあ、あれはさすがにやりすぎだったと思うし、ちゃんと反省しないとね。アリーセ嬢にちょっかいかけられて怒り心頭だったのはわかるけど、立場は考えないと。ここは敵地みたいなものなんだから」
「……わかっているさ」
「いーや、わかってないよ。お母さんを人質にとられているようなものだってのに、最近の君はちょっと迂闊すぎる。そんなにアリーセ嬢のことが好きなんだったらもっと素直に――」
自称精霊のレンが余計なことを言いかけたとき、扉がノックされた。
扉越しに来客を告げられる。しかもヴェルマー公爵だというから驚いた。
イグナーツは思わず空中のレンと顔を見合わせた。
「……謹慎中に来客を迎え入れるのはマズいか?」
「君が外に出なければ別にいいんじゃない? 気になるし」
「そうだな……」
これまでにヴェルマー公爵が直接イグナーツの部屋を訪ねてきたことなど一度もない。
クラーラと婚約していたときですら、必ず事前に会談の場を設けていた。
(緊急を要することか?)
不審に思いながら面会の許可を出し、ヴェルマー公爵を招き入れる。
扉をくぐってやってきた彼は、ひどく憔悴していた。
顔色は悪く、頬も痩せこけたように見える。昨夜会ったときは元気そうだったのに、たった一晩で何があったのだろう。
「謁見の機会をいただき、感謝いたします」
「ちょうど暇を持て余していたところだ。何かあったのか?」
「……その。アリーセが外出したと聞きまして。どのくらいで戻ってくるでしょうか」
声にも覇気がない。昨夜わざとらしいほど声を張っていたのが嘘のようだ。
「友人に会いに行っただけだから今日中には戻ると思うが。何かあったのか?」
「はあ、その。なんと申しますか……娘の、クラーラに関することなので」
元婚約者のイグナーツの前で、愛娘とはいえその名を出すのは心苦しいようだ。
「いいから言ってくれ。慰謝料を受け取ったことでその件は許している」
「恐れ入ります。実は……クラーラが昨夜、王宮の池に落ちまして。幸い、警備の兵士がすぐに発見してくれたので命は助かったのですが、あの池はいま……あまり水質がよくないものですから」
「……夏だからな」
真夏の池は特に衛生状態が悪い。
定期的に清掃は行われているとはいえ、気温や藻、微生物などの繁殖具合によって妙な菌や寄生虫などが大量に湧いてしまう。掃除が追いつかないのが現状だ。
「それで現在、高熱を出して寝込んでおりまして。医者の話では目を覚ますかどうかわからないと……」
そこまで言ってこみ上げるものがあったらしく、ぐっと息を呑む。
「アリーセとはこれまでいろいろありましたが、クラーラは母親は違えど血の繋がった妹です。見舞いに来て声をかけてもらえないものかと……」
昏睡状態に陥った者は、外部からの声などで目を覚ますことがあるという。
おそらくヴェルマー公爵もその後妻も使用人たちも、既にたくさん声をかけたのだろう。
それでも目を覚まさないので、アリーセにも頼ろうというわけだ。
(姉妹仲はあまり良くなさそうだったが。まあこの際、仲はさほど関係ないか)
険悪な関係だからこそ刺激になる場合もあるだろう。
自分が眠っているときにオスヴァルトからアリーセに関わる侮辱的な言葉をかけられたら、飛び起きて斬りかかる自信がある。
「……事情はわかった。アリーセが戻ってきたら、見舞いへ行くように伝えよう」
「ありがとうございます。それでは、私はこれで」
ヴェルマー公爵は深々と頭を下げてから退室していった。
イグナーツは吐息をついて長椅子に戻った。今度は寝転がらずに深く腰かける。
「どうやったらあの池に落ちるんだ?」
それが不思議だった。
池に面した柱廊は転落防止の柵こそないものの、通路幅が広く、うっかり足を踏み外して落ちるような場所ではない。
「そりゃあ……体調を崩してふらっと行っちゃったんじゃない? 妊娠しているわけだし。つわりで吐きたくなって池に近づいたら……とか? わからないけど」
レンが虚空であぐらをかき、首を傾げながら言う。
女性が妊娠したときの体調の変化については、男性にはいまいちわからないところが多い。精霊ともなればなおさらだろう。
だがイグナーツはどうしても違和感を拭えなかった。
昨夜、イグナーツがオスヴァルトと揉めた廊下からほど近い場所なのも気にかかる。
「どうにも胸騒ぎがする。レン、悪いがアリーセたちの後を追ってくれないか?」
「ルットマン伯爵邸へ行けっていうの? なんだかアリーセ嬢を監視するみたいで気が進まないけど……」
「頼む」
腕組みして難色を示すレンに、イグナーツは素直に頭を下げた。
しょうがないなあ、と自称精霊が折れる。
「わかったよ。でもさあ、これって……ルットマン伯爵に嫉妬しているからじゃないんだよね?」
「……いまそういう話をしていたか?」
イグナーツは思わず半眼になって頬を引きつらせた。
(人が思い出さないようにしていたことを……)
宮廷の伊達男と踊るアリーセの姿を思い出して、舌の上に苦いものを感じるのだった。